バートランド・ラッセル『権力』(松下彰良・対訳)
* 原著:Power; a new social analysis, by Bertrand Russell (London; George Allen & Unwin, 1938)総目次
第14章 競争 イントロ累積版
- 19世紀は -恣意的な権力(専制的な権力)の危険を痛感していた時代であり- その危険を回避するために競争というお気に入りの工夫(device 考案物)を持っていた
- ヨーロッパにおいて,最も活気のある人々は全て、意見の分かれる問題における自由競争にも賛成していた
- 自由主義者の望んでいた自由は,アメリカにおいては(英国からの)独立を勝ち取った瞬間に達成された。
- 技術的な考察(考慮)は,大雑把に言って,所与の問題を処理するのに適した組織(体)の最適の規模を増大させてきた(導いてきた)。
- けれども(統治範囲が)小地域の場合も若干の強み(adantages 有利さ)がある。
- 生産分野においては,多数の中小企業間(small firms 小企業)の競争は -それは産業主義初期を特徴づけるものであったが- 最も重要な生産部門では,それぞれ少なくとも一つの国家と同じだけの拡がりをもったトラスト(企業合同)の間での競争に席を譲ってきた(注:全国規模の大企業間での競争)。
- 今日最も重要な形の競争は,国家間の競争,特に大国と呼ばれている国家間の競争である。
- 自由主義者が(少なくとも)理論上は自由にしておきたいと思っている,(政治)宜伝における競争は,武装した(軍備を持った)国家間の競争と結びつくようになってきている。
- 自由主義者の学説(doctrine 理論)は,たとえばジョン・スチュアート・ミルの『自由論』に述べられている学説は,(今日)しばしば想像されているよりも(想像されているほど)極端なものではなかった。
- 政府は,既に言及したように,二つの危険に脅かされている。
- 政府がたとえば誰か特定の人物の暗殺を駆り立てるような宣伝を許してよい,とは私は考えない。
- 次に,一般市民はどうかと言うと,一般市民は -宣伝の自由が政府にとって危険なものに思われる状況を除いて,即ち,宣伝の自由が政府の存在に最大限の脅威を与える状況でなければ - 宜伝の自由にほとんど関心を抱かない,ということがわかる。
- 宣伝の自由には,それが一般市民の関心(興味)を引く場合(一般市民がそれに関心を持つ場合)においては,暴力革命か,あるいは(そうでなければ)さらなる(現状以上の)自由,即ち,政府を選択する自由を認めること(承認すること)が伴う。
- 熱心な革新者は,一般的に言って,至福千年主義者(注:キリスト教終末論=至福千年説=千年王国説=ミレンニアム,を信ずる人々)である。
- 革新者にはもう一つ別の種類のものがあり,それは進化論(evolution)が流行するようになって初めて存在するようになったもの(種類)である。
- 私は今や,宣伝の自由に関して,哲学者の観点(見地)から考えるところに達している。
- (それでは)哲学者にとって,宣伝にはどのような効用があるだろうか。
- 討論の自由には - 知的な長所のあることは明らかであるが - 必ずしも競いあう組織を必要としない