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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

『バートランド・ラッセル自伝』(松下彰良・訳)

* 原著:The Autobiography of Bertrand Russell (London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.)

* 総目次

第1巻(1872-1914)第5章:初婚ーイントロ累積版


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  1. アリスと私は,1894年12月13日に結婚した。。・・・。(Alys and I were married on December 13, 1894. )
  2. 私たちは,結婚生活の初めの何年かを,多くの外国の国々を見てまわろうと心に決めていた。・・・。
  3. この時期に私の知的野望が形成されつつあった。・・・。
  4. 春(1895年の4月頃?)が来た時,私たちは(イタリアの)フィエーゾレ(Fiesole)に行って,アリスの姉のところに滞在した。・・・。
  5. 私は,最初の結婚で,非常に幸福な,実り多い仕事のできる,時代に入った。・・・。
  6. 1895年の秋,フェロー(特別研究員)に選ばれた後,私たちは,ドイツ社会民主主義を研究するために(再び)ベルリンに戻った。・・・。
  7. 春(1985年の春?)になってすぐに(←春が来た時),私たちは,ファーンハーストで,'ミルハンガー(Millhanger)'と名付けられた小さな労働者のコテージ(通常'瓦葺きの'田舎家/参考:コテージ・ガーデン)を手に入れ,かなり大きな居間1部屋と寝室2部屋を増築した。・・・。
  8. イギリスでは,ホワイトヘッドは,ただ単に数学者として考えられていた。・・・。
  9. ホワイトヘッドは,関心領域が驚くほど広い人間であった。・・・。
  10. ホワイトヘッドの仕事における集中力はまったく驚くべきものであった。・・・。
  11. 彼は実際的な能力を持ってはいたが,私が彼を一番良く知っていた頃は,彼がその能力を発揮する機会は,多くはなかった。・・・。
  12. ドイツ社会主義についての私の講義は,1896年(ラッセル24歳の時)に出版された。・・・。
  13. 1896年の秋,--主にアリスの親戚と知り合いになるために--アリスと私は,3ヶ月間,渡米した。・・・。
  14. 私たちは,次に,ブリン・マー大学に行き,学長でボンド・トーマスの姉であるカレイ・トーマスのところに滞在した。・・・。
  15. ブリン・マー大学にいる間,私は,非ユークリッド幾何学について講義を行い,アリスは,母性の資質を擁護(支持)する演説をするとともに,自由恋愛を擁護する話を女性たちに私的に行った。・・・。
  16. フィラデルフィア・クェーカー(教徒)の旧い家族から私が受けた印象は,彼らは,小規模な貴族社会のあらゆる無気力さを持っているということであった。・・・。
  17. 1897年については,この年に私の『幾何学基礎論』が出版されたことを除いて,ほとんど記億にない。・・・。
  18. 1898年(ラッセル26歳)に,私とアリスは,毎年一定期間,ケンブリッジで過ごす習慣を始め,それは1902年まで(ラッセル30歳までの約4年間)続いた。・・・。
  19. 私たち(私とアリス)は,2年続けて,ベニス(イタリア語では,Venezia ベネチア)で秋を過ごした。・・・。
  20. 私は,サリー・フェアチャイルド(Sally Fairchild ,1869-1960/右写真出典)に会った1899年(ラッセル27歳)の夏のことを記憶しているが,それ以後1940年まで,彼女とは会わなかった。・・・。
  21. それから,ピット・リバース家のなかで最も興味深いセント・ジョージ(St. George William Lane Fox-Pitt, 1856-1932/右写真参照)がいた。・・・。
  22. 1899年の秋,ボーア戦争(Bore War, 1899-1902:ブール戦争とも言う)が勃発した。。・・・。
第6章