また、本日ラッセルのポータルサイト用のメルマガn.92を発行し、その編集後記でも触れましたが、ポールがウェールズのラッセルに会いにいったと書いてしまいました。ラッセルは普段はウェールズに住んでいましたが時々ロンドンに出て来ており、ポールが訪問してきた時にはロンドンにいたそうですので、訂正させていただきます。なお、この訪問時のことは、Paul McCartney, Many Years From Now, by Barry Miles (Secker & Warburg, 1977 / 邦訳書:『ポール・マッカートニー、メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』(ロッキング・オン社,1998年) 859 pp.) に記述されています。
以下、は邦訳書の p.175 からの引用です。(右下の画像は、原著のように見えますが、邦訳書の表紙画像です。) https://beatles.at.infoseek.co.jp/
ポール(Sir James Paul McCartney, MBE, 1942年6月18日~ /当時23歳)はその地位を活用して、ずっと会いたかった人々に電話をした。哲学者、バートランド・ラッセルもその一人だった。
ポール「しばらく待たされた後、(ラッセルの)部屋に人って、少しの間、彼の素晴らしい話を聞かせてもらった。すごく重大なことは言わなかったけど、ヴェトナム戦争は非常に良くないことで、アメリカが自国の既得権のためだけに戦っている帝国主義的な戦争だということを教えてもらった。この戦争には反対すべきだと。それだけ聞けば十分だった。偉大なる哲学者の口から、直接、聞いたんだから。『僕に話してくれよ、バート』ってなもんでね(注:上記のブログでは、「(Slip it to me, Bert.)忌憚なくなんでも言ってよ、バート」と訳している。))。ジョン(John Winston Lennon, MBE, 1940年10月9日~1980年12月8日)に報告したよ。『あのバートランド・ラッセルに会って来たよ』ってね。ヴェトナム戦争について聞いたことを偉そうに喋ったら、ジョンもすごく関心を持って、それで彼が出演したのが『僕の戦争』だったわけ。・・・。
[上記のブログからの引用]
それで、ジョンは映画「わたしはいかにして戦争に勝ったか(How I Won the War)」を撮り、ヨーコとベッド・インして世界平和を訴え、「イマジン」を歌った、と、こういう歴史の流れになるわけです。(ジョンの場合は、ビートルズがコンサート活動をしなくなったので、時間がありあまるようになり、何をしたらいいか困り果てていて、ちょうどそんなときに出くわした平和運動に飛びついたというタイミングの問題もあったようですが)