バートランド・ラッセルに関する徒然草_2008年2月
「ラッセル徒然草」では、(あくまでもラッセルに関したものという限定のもと)ラッセルに関するちょっとした情報提供や本ホームページ上のコンテンツの紹介、ラッセルに関するメモや備忘録(これは他人に読んでもらうことを余り意識しないもの)など、短い文章を、気が向くまま、日記風に綴っていきます。
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ラッセル徒然草_2008年2月
[n.0032:2008.02.25(月): 寄贈資料欄の新設]
本日、早稲田大学ラッセル関係資料コーナのページに「寄贈資料欄」を新設しました。右上の緑色の欄がそれです。現在2件(三浦俊彦氏及び四津雅英氏からの寄贈)について、資料名と寄贈者名を書いてあります。ご寄贈いただいた資料は、整理のうえ、(不定期ですが)まとめて、早稲田大学教育学部教員図書室のラッセル関係資料コーナ(通称、ラッセル文庫)に寄贈させていただきます。ラッセル関係の本・論文・エッセイ等を書かれたら、一部ご寄贈いただきたく、よろしくお願いいたします(なお、松下が読んでから早稲田に寄贈しますので、資料によっては寄贈が遅くなる場合があります)。
私の経済状態の関係もあり、残念ながら第10回目の寄贈を最後に、それ以後ずっと早稲田大学にラッセル関係資料の寄贈ができていません。 しかし、皆さんから寄贈していただいた資料は、必ずまとめて寄贈させていただきますので、短い論文やエッセイであっても、執筆されたら、ご恵送のほどよろしくお願いします(郵送先は、上記のページをご覧ください)。
[n.0031:2008.02.24(日): ラッセルのホームページ上の広告]
ホームページ上の広告、特に画像の広告は、わずらわしい。小額の利益を得るために広告をつけることは、見難くなるだけでなく、むしろラッセルのホームページの価値を落とすことになると考え、これまで、ホームページに広告をつけることは差し控えてきた。
とはいっても、現在、so-net、cool-online(実際はinfoseek)とプロバイダー契約を、またNTT東と光ブロードバンド回線契約をしており、毎月の経費負担はバカにならない。
そこで、せめてプロバイダー料金は何とかしたいということで、最近になって、アマゾンで購入できるラッセル関係書籍への個別リンク付けを行うように努力してきた。しかしそれ以上のことはしてこなかった。
だが、昨日少し考えを変えることにした。考えを変えることにしたのは、昨日、恵比寿で、読書会(「ラッセルを読む会」)を開いたが、その後の懇親会で、複数の人から、
ラッセルのホームページ経由でアマゾン・コムの本を買ってもらうよう、関係者に宣伝してお願いしてもいいのではないか、との声があったためである。
そこで、関係者(ラッセル研究者・愛好家)の皆さんにお願いしたい。
アマゾン・コム(amazon.com)での買い物(ラッセル関係書籍及びその他の商品の購入)はラッセルのホームページからしていただければ大変ありがたく思います。ラッセル関係の書籍は本館トップページ、分館トップページ、初心者用ページの下の方にある一覧にあるものはその一覧から、一覧にない書籍及び書籍以外の商品(DVD・CDや一般生活用品その他)は、その右となりにあるアマゾン・コムの検索ボックスから検索してご購入ください。(売り上げの約3%位が収益となります。収益はラッセルのホームページのメンテナンス費用や早稲田大学のラッセル関係資料コーナ寄贈用資料の購入等に充当します。)
ご協力のほどよろしくお願いします。
[n.0030:2008.02.19(火):『分析哲学の誕生:フレーゲ・ラッセル』の出版(その2)]
この『分析哲学の誕生:フレーゲ・ラッセル』の巻末(pp.296-325)には、四津雅英氏による大変詳細なラッセル関係文献リストが収録されている。哲学関係の図書の場合は、文献リストは哲学関係のものしかつけられないのが普通であるが,本書には哲学以外のラッセル関係文献もかなり掲載されており,ありがたい。私の『ラッセル書誌・第3版』(20部限定私家版,1985年)やこのラッセルのホームページを参考にされている関係で,両者について丁寧に言及されている。
『ラッセル書誌(第3版)』を1985年にまとめて以後,少し多忙になったこともあり,残念ながら,ラッセル関係の資料の本格的な調査を行っていない。いずれ再開したいと思っているが,今のところ無理そうなので,四津氏による調査を期待したい。(土日に調査できるのではないかといわれるかもしれないが,土日はホームページ掲載用の1週間分のコンテンツづくりが最優先なため,今のところ余力がない。)
[n.0029:2008.02.18(月):(速報)『分析哲学の誕生:フレーゲ・ラッセル』の出版]
思いがけず、日本科学哲学会(編),野本和幸(責任編集)『分析哲学の誕生:フレーゲ・ラッセル』(勁草書房,2008年2月20日刊行予定/科学哲学の展開I 340pp. 3,900円+税)を執筆者の一人のY氏からご恵送いただいた。帯には、「日本における分析哲学100年の歴史のなかから選りすぐりの傑作論文12編を精選/分野の源流をなすフレーゲ・ラッセル哲学の真髄に迫る!」と書かれている。
読ませていただくのはこれからであるが、とにかく望外の幸せであり、とりあえず出来るだけ多くの関係者の方々に購読していただくべく、速報として、お知らせしておきたい。
本日手に取ったばかりで、Y氏にまだお礼も申し上げていない。本日は遅いので、続編は明日以降書かせていただくことにしたい。
[n.0028:2008.02.11(月):備忘録 n.0002(鹿島守之助「私の履歴書」)]
(★備忘録は、他人に読んでもらうことを余り意識しない、自分用のメモ)
昨日『我が言葉を聴け』と一緒に、地元の公共図書館で借りた本 :[『私の履歴書-昭和の経営者群像2』(日本経済新聞社, 1992年刊)]
Google で検索したら、鹿島建設の社長・会長であった(故)鹿島守之助氏(1896年2月2日-1975年12月3日)の、「私はラッセルの本はほとんど読んだ。・・・。」という一文を見つけたため、公共図書館で借用して確認。
鹿島守之助氏(文化功労者、法学博士/参議院議員も経験)は、外交官出身の異色の経営者。守之助氏の「私の履歴書」を読むと父母とも清廉潔白な人であったことが伺われ、守之助氏は父親の影響を強く受けていることがわかる。
本書で、ラッセルについて記述してあるのは、以下の文章のみであった。
(p.97)英国のバートランド・ラッセルの哲学はドイツ哲学にくらべると非常にわかりやすく、ラッセルの本はたいてい読んだ。そのうち強く印象に残っているのは、ラッセルが人間としては本能と知性と霊性の三つの結合が望ましい生活だといっていることである。普通の人は本能と知性だけで生きている。損得の勘定や動物的な本能だけで、霊性すなわち魂の問題にふれないような生活は人問ではない。そうかといって本能を全く押えた僧侶のような生活も望ましいものではない。本能と知性と霊性の三つが融合されねばならぬ。私は現在もそう思っている。それからまたラッセルは、人間の欲望を所有欲と創造欲に分けて後者を尊しとしている。私にはたとえば骨董を集めるとか、そういう所有欲はほとんどない。それよりも創造していく、人類に新しい価値を与えていく、これが尊い生活だと思っている。この創造の哲学はベルグソンの哲学と相通ずるわけだ。創造の生活、これほど尊いものはない。(注:守之助氏は、学者・研究者としても大変優れた人ですが、ベルグソンの創造の哲学と一緒にするところはおおざっぱすぎるような気がします。)
(参考)鹿島出版会/財団法人・鹿島平和研究所
[n.0027:2008.02.10(日):備忘録 n.0001(『我が言葉を聴け-歴史をつき動かした50人のカリスマ』)]
(注:備忘録シリースは、他人に読んでもらうことを余り意識しない、自分用のメモ)
本日地元の公共図書館で借りた本 :[ブライアン・マッカーサー(編著),大谷堅志郎(訳)『我が言葉を聴け-歴史をつき動かした50人のカリスマ』(The Penquin Book of Twentieth-Century Speeches, ed. by Brian MacArthur (London; Penguin Books Ltd., 1999)から50篇のスピーチを選んで編集したもの]
Google でラッセル関係の情報を検索していた時に、この本のなかに「も」ラッセルが1954年12月23日にBBC放送を通じて行ったクリスマス・シーズン演説(The hydrogen bomb and the peril to mankind)が収録されているのを見つけ、本日公共図書館から借用(「も」というのは、原文も翻訳もすでに持っているため)。
全文ではない(「中略」がある)上に、p.147の写真(「ラジオ放送で演説文を読み上げるバートランド・ラッセル卿」というキャプション付)は、1955年7月9日の「ラッセル=アインシュタイン宣言」を読み上げるラッセルの写真と思われ、1954年12月23日に行われた演説の時の写真であるかのような誤解を与えそうである。この訳書の p.150には 「1954年12月30日、イギリスBBC放送にて」と書かれているが、この演説はBBCが発行している Listner 誌の1954年12月30日号に収録されたため、その日付と混同したものと思われる。
なお、この演説は、少し字句が修正され, 'Man's peril' と改題され、Portraits from Memory, and Other Essays, 1956(邦訳書:ラッセル『自伝的回想』(みすず書房刊)) に再録されている。
[n.0026:2008.02.04(月):ラッセルが日本に最初に紹介されたのは大正2年?]
ラッセルが初めて日本に紹介されたのはいつのことだろうか。私がつかんでいる限りでは、『六合雑誌』n.386(大正2年3月1日)に掲載された「自由人の崇拝」(A free man's worship を岡田哲蔵が邦訳したもの)である(注:『六合雑誌』は、明治13年創刊のキリスト教系の思想・評論雑誌。下の画像は、岡田哲蔵訳の1ページ目/ただし、「自由人の崇拝(信仰)」が書かれたのは10年以上前の1902年、雑誌に発表されたのは1903年12月のことである。)。ラッセルが欧米だけでなくアジアにも知られるようになったのは、第一次世界大戦の反戦運動を通じてであり、学界においては、『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』全3巻(1910~1913年刊)であることから、日本で初めて紹介されたのは、この『六合雑誌』が最初というのはありそうなことである。
しかし、『プリンキピア・マテマティカ』の第1巻が1910年に出版されてすぐに、東大か京大関係の学会誌などの文献紹介欄にでも簡単にふれられているようなことがないとも限らない。ご存知の方がいれば教えていただきたい。