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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

バートランド・ラッセル「パグウォッシュ運動」

* 原著:Dear Bertrand Russell, 1969, pt.2, chap.2
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収


 ビキニの水爆実験とソ連の水爆開発とは、米ソ双方の予想を上回って、核危機の大きいことを実証した。私はそのことを一九五四年十二月二十三に行ったBBC放送でそれを強調した。(それは「人類の危機」という題で私の『自伝的回想』に入れてある。)この反響が驚くほど広がり、好意的であったのでそのあとすぐにアインシュテインに手紙を書き、共産主義の側からも西側からも、双方からの数名の極めて著名な科学者による宣言を出したらどうかと提案しました。アインシュタインは力強く同意されました。・・・。それで、1955年、7月9日にラッセル=アインシュタイン宣言を新聞記者共同会見で公表し、全世界の一流紙のロンドン特派員が集まり、会見はテレビとラジオとで全世界に中継された(右の写真参照)(松下注:ラッセルが草稿を書き、アインシュタインが死の直前に署名)。
 これは、東西の関係者がこのような文書に協力し合った最初の例である。ここから生れたのがパグウォッシュ運動(Pugwash Movement)である。
 たパグウォッシュ会議(Pugwash Conference)とは、東西の科学者が人類の当面している危険について語り合い、その予防手段について論じ合い、東西相互の偏見を乗り越えて決議文を作成する一連の会議である。
 この名称は、第一回の会議開催地がノヴァ・スコティアのパグウォッシュで開かれ、サイラス・イートン氏の厚遇と財政的援助で成功した事実から、パグウォッシユと命名された。
 この会議が度重なるにつれ、その開催経験から、東西双方の科学者たちの間での友好的な協力が完全に可能であること、および重要な意見の一致が可能であることなどが分った。同会議の成果は、「原子科学者会報」(Bulletin of the Atomic Scientist)の編集主幹ユージーン・ラビノヴィッチ教授から入手することができる。
 この最初の開催以来、核戦争の危険とその回避方法に関する運動が、英、米、独、日で組織された。

... The Bikini Test and the Russian development of H-bombs showed that the peril of nuclear warfare and the ruin that it would cause were both much greater than they had seemed. I emphasized this in a BBC broadcast made on December 23, 1954, which is reprinted in Portraits from Memory under the title 'Man's Peril'. The response to this was so astonishingly widerspread and favourable that, very shortly atter this, I wrote to Enstein sugggesting a declaratoin by a few very eminent men of science, both Communist and Western, on the lines of my broadcast. ...