三浦俊彦「文明の終焉と非同一性問題−「世代」「種」を超える倫理へ−
『岐阜』(研究会)1985vol.1-2(通号n.2)pp.37-52 掲載
 
(p.5)
2. 「未来の世代」 への責任?
 繁殖動物による動物実験の倫理的問題は、 デレク・パーフィットの言う 「非同一性問題」 (Non-Identity Probrem) の一種である。 パーフィットが考察したのは、 現在地球上に生きる我々が未来の世代に対して持つ倫理的責任である (注6)。 我々が、 石油・ウラン・漁獲資源など、 重要な資源をどれほど使うかについて選択に直面しているとしよう。 選択肢Aは、 火力・原子力など大規模集中発電中心のエネルギー政策を続けて資源を可能な限り大量かつ速やかに消費しつつ、 廃棄物の処理はコストを最小限に抑えて当面環境に露出しない程度にとどめておくというもの。 選択肢Bは、 太陽光発電・コジェネレーションなど小規模分散型発電や省エネルギー生活へと政策を可能な限り変えて資源消費を抑えつつ、 廃棄物の処理にコストをかけて環境維持に配慮するというものである。 選択肢Aでは、 現在の生活水準は高いレベルに確保される一方、 温暖化や汚染物質・廃棄物の影響、 種の絶滅などによって、 未来の環境悪化、 資源枯渇 (「文明の終焉」 の主原因!) を招くと考えられる。 選択肢Bでは、 豊かな未来を確保できそうである反面、 現在の人々は方針転換に伴う経済的負担と福利低下を甘受しなければならない。 現在の世代の利益と引き換えに未来の世代に多大な負担をかけるか、 現在の世代のある程度の犠牲の上に、 未来の世代の幸福を図るか。 多くの人は、 Bの方が正しいと考えるのではなかろうか。 通産省資源エネルギー庁の新聞広告の標題 「豊かさは自分に、 廃棄物は他人に それでよいのでしょうか?」 といったわかりやすいスローガンなどが、 Bの倫理を典型的に表現している(注7)
 しかし、 通常見過ごされている事実がある。 確かにAの場合はBの場合よりも、 未来の人々は不利益を蒙る。 しかし 「未来の人々」 という語は、 Aの場合とBの場合とで、 同一の人々を指し示してはいない。 なぜなら、 政策Aと政策Bとは互いに社会全般に大規模な相違をもたらすため、 人々の生活に変化を生じさせ、 互いに異なる歴史を形成し、 結果として、 別々の人間を誕生させるということが大いにありそうだからである。 因果関係の本性と、 人間の同一性の基準に関する通常の理論(注8)を前提すれば、 三〜四世代後には、 Aの世界とBの世界の両方に存在する同一人物というものが一人もいないというほどに、 二つの場合 (可能世界) は分岐してしまうことになりそうなのである。(次ページに続く)