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このページには、採用パラドクスの中からいくつか選んで掲載します。オリジナル問題はほとんどなくて、9割以上は哲学・論理学・数学・社会科学の由緒正しい問題から採ってきたものですが、原典をアレンジしたり、解答・解説の方にひねりを加えたりと、私独自の工夫を凝らしています。 出典文献はここには挙げませんが本には記してあります。 解答・解説は、『論理サバイバル』をごらんになってください。 正解問題の傾向から運勢占いができるコーナーも、『論理サバイバル』巻末にあります。 (注)▼以下の問題文は、本そのものの文章とは細部に若干の違いがあります。 002★南向きの謎 peninsula puzzle 世界地図を思い浮かべてください。できれば、手もとに持ってきて眺めてください。 地球の陸地にみられる一つの顕しい特徴について質問です。 アフリカや南アメリカやグリーンランドの先端……。イタリア、ギリシア、イベリア、スカンジナビア、インド、アラビア、インドシナ、マレー、朝鮮、カムチャツカ、アラスカ、フロリダ、カリフォルニア……。 「なぜ、世界の主要な半島は、ほとんどすべて南向きなのか?」 けっこう広く議論されている問題だといいます。3通り以上の答えを考えてください。正確な答えはもちろん難しいので、「こんな種類の答え方」といった感じでお願いします。 005★アキレスと亀 Achilles and the Tortoise 「ゼノンのパラドクス」と呼ばれるものはたくさんあるが、アリストテレスが『形而上学』で紹介した4つの議論が特に有名だ。それぞれの議論のオモテ向きの結論とウラの目的は、次の命題を証明することだと考えられる。 ■アキレスと亀……オモテ「最も速い者は最も遅い者に追いつけない」 ウラ「時空間を無限に分割することはできない」 ■分割 ……オモテ「移動する物体は、動き始めることができない」 ウラ「時空間を無限に分割することはできない」 ■飛ぶ矢 ……オモテ「飛行中の矢は止まっている」 ウラ「時空間は有限の単位から成り立っていることはありえない」 ■動くブロック……オモテ「物体の移動する速度を決めることができない」 ウラ「時空間は有限の単位から成り立っていることはありえない」 ウラの目的に注目しよう。この時空間が無限小の点・瞬間の連続体ではないことを示し(はじめの2つ)、有限の原子・時間単位の集合体ではないことも示して(あとの2つ)、「この世界は分割不可能なただひとつの全体である」ことを証明しようという両面作戦である。運動とか複数のものとか時空点などといったものは実在しない、少なくとも互いに両立しない矛盾した概念である、ということを証明して、師パルメニデスの説「すべては永遠不変の一者である」を裏づけようとしたのである。 さあそこではじめに、アキレスと亀のパラドクスだ。 アキレスと亀が競走をすることになった。アキレスの方が速く走るので、ハンディをつけてXメートル後ろからスタートする。さて、ここからお馴染みの推論が始まる(実際に走ることは決してせずに推論だけすることが肝心なわけですが)。アキレスはまず亀のスタート地点に到達せねばならない。そのとき亀はちょっと先の地点a1にいる。アキレスは次に地点a1に到達する。そのとき亀はちょっと先の地点a2にいる。アキレスは次に地点a2に到達する。そのとき亀はちょっと先の地点a3にいる。……、これが無限に続くはずである。なぜなら、アキレスが地点anに着いたときには亀は必ずそれより先のan+1に進んでいるからだ。 こうして、アキレスは亀に追いつくためには無限の仕事をせねばならない。これは不可能なので、アキレスは亀に追いつけない……。 @この推論のどこが非常識なのかを説明したいわけですが、まずは常識の確認が先。アキレスのスタート地点からどれだけ離れたところでアキレスは亀に追いつくだろう。その距離Sを、アキレスが亀のN倍の速度で走る(1<N)として、N(と始めのハンディの距離Xと)を使った式で表わしてみてください。 Aそれでは、「アキレスは亀に追いつけない」という先ほどの推論はどこが変だったのでしょう? 明確に説明してください。 006★分割のパラドクス bisection paradox 005【アキレスと亀】を単純化して一人の走者だけで考えると、次のような状況になるだろう。アキレスが走る。ゴールまで半分のところまで来たら、残りの中間点まで辿り着かねばならない。そこに着いたら、残りの中間点まで着かねばならない。そこに着いたら……というふうに、無限の地点を通過しなければならないので、アキレスがゴールに着くことは不可能である。 これの解決については【アキレスと亀】の解答がそのまま転用できるので、ここでは今見た「前進バージョン」の反転形、「後退バージョン」を考えよう。 アキレスが走る。ゴールに着くには、まず中間地点a1に辿り着かねばならない。a1に着くには、そこまでの中間点a2に辿り着かねばならない。a2に着くには、そこまでの中間点に……というふうに、無限の地点をまず通過し終えなければならないので、アキレスがそもそもスタート地点から走り始めることは不可能である。 この推論はどこがおかしかったのだろう。 007★飛ぶ矢 arrow ゼノンは、005【アキレスと亀】006【分割】の2つで「時空間は無限小の無限分割はできない」と証明するかたわら、「飛ぶ矢」のパラドクスで「時空間は有限の最小単位に分割することはできない」という証明を試みた。この両方が合わさって、「時空間は分割不能である」というパルメニデス流一者の説が証明できたことになる。 ただし、「飛ぶ矢」については逆の解釈もある。【アキレスの亀】【分割】と同じく、無限小の点として瞬間があることの不可能性を示したものとする見方だ。よって、この両面から考察しなければならない。二つの解釈が成立するそれぞれの書き方をしてみよう。 解釈1。矢が飛んでいる。矢は、最小単位の時間において、それ自身が占める空間に位置していなければならない。たしかにある空間に位置しているからには、その時間には、矢はそこに静止しているはずである。静止した矢はいつまでたっても静止したままであるはずだ。したがって、飛んでいる矢は動かない。 解釈2。矢が飛んでいる。矢は、長さのない瞬間に移動することはできない。時間というものが長さのない瞬間から構成されているならば、飛んでいる矢は、いつまでたっても移動することができない。 2つとも一見して屁理屈だが、そのおかしなところをハッキリと指摘してください。 010★オースチンの犬 Austin's dog 男の子と女の子と犬が、まっすぐな道の同じ場所にいる。男の子と女の子が同じ方向に歩き出した。男の子は時速4キロ、女の子は3キロで進む。犬は時速10キロで、男の子と女の子の間を行ったり来たりする。単純化するために、男の子、女の子、犬は身体の大きさのない点であり、犬は瞬間的に向きを変えて往復するものとしよう。 三者が出発してから1時間後に、犬はどこにおり、どちらを向いているだろうか。 012★デモクリトスのジレンマ Democritus' dilemma 円錐を、底面に平行な一平面に沿って切断しよう。円錐は2つの部分に分かれ、それぞれが断面を持つ。さて、この2つの断面の面積は、同じだろうか、違うだろうか。 1.面積が違うとすれば、円錐は、階段状のギザギザした輪郭を持つ立体でなければならない。しかし定義により円錐にはそんな段々などないはずだ。 2.面積が同じだとすれば、円錐は、断面積が変化することがありえず、どこを切っても同じ面積となり、全体が円筒形のようにまっすぐの立体でなければならないはずだ。 いずれにしても円錐の実相とは食い違っている。はて……? どう考えるべきなのだろう。 014★ナーゲルの「超難問」 Nagel's "harder problem" 心理学者の渡辺恒夫らの調査によると、思春期や幼少期の「自我体験」の1つとして、次のような問いにこだわる青少年が意外に多く見られるという。 「なぜ私は○○なのか、なぜ他の誰でもないのか」(○○には自分自身の名が入る) この問いは、おとなになるにつれて忘れられるのが通例だというが、後々までこだわりを持つ人々もいるようだ。哲学者の中には、この問いを重視する人の比率は、一般の人々よりもむしろ少ない。たとえば人格同一性問題の大家デレク・パーフィットは、この問いは「悪い問い」だ、と明言している。 しかし、少数ながら、この問いがきわめて重要な問いであると主張する哲学者もいることは事実だ。「ハーダー・プロブレム」という名前までついているのだから。 @はて、この「超難問」は重要な問いなのか、それとも取るに足らぬ錯覚なのか。どちらだと思いますか? Aなぜ「超難問」が論理的に重要な問いではないのか、理由を示してください。 Bそれでは、なぜ「超難問」にこだわる人々がいるのだろう。「超難問」が重要そうに見える論理的な理由を挙げてください。 021★語用論的パラドクス pragmatic paradoxes A「このページに書かれた文を、見たことがありますか?」 B「このページに書かれた文は、読まないようにしてください」 C「何か質問をしていいですか?」 D「誰もいませんね?」 E「聞こえてませんよね?」 F「私の命令にはしたがわないように」 G「私の言葉の意味がわかりますか?」 言葉の内容そのものには問題がないのに、言葉の発せられる原因や理由、意図、効果などが、内容との間に奇妙な緊張状態を示している変則的発言というものがある。言語使用者と言語との関係を探る研究分野は「語用論」と呼ばれるので、一連の変則的言説を「語用論的パラドクス」として位置づけることができるだろう。 語用論的パラドクスは、自分の述べていることを自ら偽としているという018【自己反例的パラドクス】ではなく、「同意」「不同意」のどちらかまたは両方の応答が不適切になるような、異常な文である。本来、コミュニケーションは、同意、不同意のいずれの可能性にもオープンであってこそ健全と言えるのだが、語用論的パラドクスは、そうした正常なコミュニケーションを決して成立させることがない。 上に挙げたA〜Gは、「はい」「いいえ」のいずれかまたは両方ともが無意味になってしまうような質問ならびに命令である。それぞれ、正常なコミュニケーションになるよう、言い換えてください(ただしもとの文と同じ情報を相手から引き出せるように)。 028★プロタゴラスの契約 contract of Protagoras 弁護士に弁論術を教える教師プロタゴラスが、生徒を集めるため、募集広告に次のような契約を書いた。 「当方、弁論術の教え方に絶対の自信あり。わが弁論術を身につければ裁判で負けることは絶対ありません。一年間のコース終了後、生徒が最初に経験する裁判でもし負けるようなことがあったならば、授業料は全額お返しいたします」 弁論教室は繁盛した。一年間の授業が終了したところで、生徒の中で最も優秀なユーアトルスが、裁判を起こした。訴えた相手は師のプロタゴラス。今までの授業料を全額返還することを要求したのである。 ユーアトルスの申し立てはこうだ。「この裁判でもし私が勝てば、判決により、授業料は返還されねばなりません。もし私が負ければ、契約により、授業料は返還されねばなりません。いずれにしても、授業料は返還されるべきです」 授業料を返したくないプロタゴラスは言い返した。「もし彼が負ければ、判決により、私は授業料を返還しなくてよい。もし彼が勝てば、契約により、私は授業料を返還しなくてよい。いずれにしても、授業料は返還しなくてよいのだ」 @裁判所はどのような判決を下すべきだろうか。 Aプロタゴラスの契約が次のようなものだったとしよう。 「当方、弁論術とその教え方に絶対の自信あり。わが弁論術を身につければ裁判で勝つことは必定です。授業料は無料。正確には後払い。一年間のコース終了後、生徒が最初に経験する裁判で勝てたならば、授業料を支払っていただきます」 弁論教室は繁盛した。一年間の授業が終了し、生徒がみな訴訟に勝つという大好評。しかしその中で、最も優秀な生徒だったユーアトルスはいっこうに裁判に携わろうとしない。さては弁論術だけ学んで弁護士の仕事をする気がないのかと、プロタゴラスはユーアトルスを相手取って授業料支払いの訴訟を起こした。 プロタゴラスの申し立てはこうだ。「この裁判でもし彼が負ければ、判決により、授業料は支払われねばならない。もし彼が勝てば、契約により、授業料は支払われねばならない。いずれにしても、授業料は支払われるべきなのだ」 授業料を払いたくないユーアトルスは言い返した。「もし私が勝てば、判決により、授業料は支払わなくてよいのです。もし私が負ければ、契約により、授業料は支払わなくてよいのです。いずれにしても、授業料は支払わなくてよいのです」 裁判所はどのような判決を下すべきだろうか。 BCDEは省略 037★NOBODYのパラドクス nobody paradox 次の三段論法を見ていただきたい。 前提1 Nothing is better than parents.(親よりありがたいものはない) 前提2 100 yen is better than nothing.(ないよりは100円の方がありがたい) 結論 100 yen is better than parents.(親よりも100円の方がありがたい) これは形式的に、次のような論証にしたがっている。 前提1 A<B 前提2 B<C 結論 A<C Aは「親(parents)」、Bは「無(Nothing)」、Cは「100円(100 yen)」、そして不等号<は「よりありがたい(is better than)」を表わしている。 この論証は、「A<B」「B<C」→「A<C」ということで、数学でもお馴染みの「不等号の推移律」にしたがった論証である。しかし、親がこの上なくありがたいという意味のことを言っていた人が、なぜこんな親不孝な結論を出すことになってしまったのか? この論証の根本的な欠陥は、次のうちどれだろうか。 @前提1がもともと間違っている。その間違いがそのまま結論に受け継がれたのだ。 A前提2がもともと間違っている。その間違いがそのまま結論に受け継がれたのだ。 B前提1と前提2はほぼ正しいのだが、ともに疑わしさを含んでいる。そのわずかな疑わしさが2つ掛け合わされて、結論のような大きな不合理へ増幅されたのだ。 C「よりよい」というのは主観的な価値判断である。数学的な不等号と同列に扱うのは間違いだ。「よりよい」に推移律は成り立たないのだ。 D結論は本当は正しいのだ。だから問題はない。 Eその他 038★もうひとつの対偶 another contraposition 前著『論理パラドクス』に対して、読者からいくつか「この答えはどうだ?」と別解をいただきました。そのうちの快作の1つ。 『論理パラドクス』003【対偶】として、次のような問いを出しました。 「PならばQ」と「QでないならばPでない」は同じことを述べている。論理学の用語では、この2つは、互いの対偶であるという。さて、次の文の対偶を述べてください。 「太郎は苛々するとコーヒーを飲む」 この正解は、「太郎はコーヒーを飲まないならば苛々していない」でした。それに対して、読者から全然違う別解が寄せられたのです。単に言い回しを変えた文ではなく、正解とは違う事柄を述べた文でした。そして、それはもう1つの正解だったのです。 どんな文か? 考えてみてください。 039★いくらでも対偶 indefinite forms of contrapositions 前問の続きです。 「太郎は苛々するとコーヒーを飲む」の対偶が、2つあるということを見ました。 さて、鋭い読者から別解を指摘されて「は、そうでした!」と後から解説をつけ加えるだけでは、プロの物書きとはいえまい。そう、指摘されたついでに、もう一歩進ませていただきましょう。同じノリで、第3の対偶をご覧に入れようというわけです。 @というわけで、さて、同じノリで、さらにもう1つの対偶を発見してください! Aさて……、ここで終わっても十分でしょうが、それだと、並の論理学書に毛が生えた程度でいいのかということになってしまう。業界の水準を越えたパラドクス本の真髄を誇るために、「実はほとんど無限に対偶が作れるよ!」てことを実演してみましょう。 「太郎は苛々するとコーヒーを飲む」 この文の対偶を――038【もうひとつの対偶】および本問@でまだ見ていない他の対偶を――作ってください。いくつでも! 040★驚くべき出来事 surprising vs. unsurprising improbable events 仕掛けのないサイコロを10回振って、全部6が出れば、驚くだろう。1/6の10乗というとてつもない低確率の出来事だからだ。しかし考えてみれば、10回振ってどの目の組み合わせが出るのであれ、その当初の確率は1/6の10乗ということでみな同じなのだ。 (5,6,3,1,2,2,4,3,5,6)が出たとしよう。その目も1/6の10乗の確率だった。つまり、(6,6,6,6,6,6,6,6,6,6)とちょうど同じくらい出にくい目なのだ。しかし(5,6,3,1,2,2,4,3,5,6)が出てもべつに驚くべき出来事とは感じられない。(6,6,6,6,6,6,6,6,6,6)は驚くべき出来事と感じるのに。なぜだろうか。理由を2つ挙げてください。 043★2つの封筒のパラドクス two envelopes paradox あなたは2つの封筒を提示された。右の封筒には1万円、左の封筒には10万円が入っていることがわかっている。そこで封筒の持ち主はあなたに言う。 「どちらか一方だけを選択してください。そちらを差し上げましょう。いや、心配いりません、この選択ゲームは補償付きですから。つまり、あなたが得な選択をしそこなった場合には、ほら、ここに余分の10万円がありますから、これも差し上げますよ」 @「得な選択」とはもちろん、より多くの金額を得られる選択ということである。さてあなたは、左右どちらの封筒を選ぶべきだろうか。 A省略 060★石のパラドクス paradox of stone 西洋哲学には伝統的に、神の属性をめぐる神学的パラドクスがいくつかある。非キリスト教徒にとっては切実な問題とは感じられない瑣末な言葉遊びばかりだ。と、そう思っていた無神論者のこの私も、最近、神をめぐる問題もちゃんと取り組む価値があるかもしれん、と思うようになってきた。「神」あるいはもっと一般的に「創造主」は、科学的になかなか興味深い主題でありうるようなのだ(理由は後の105【胡蝶の夢】を参照してください)。 さて、神の属性の中でも、「善」「全知」「全能」がよく問題にされてきた。ここでは「全能」のパラドクスを考えたい。 神はその定義からして全能である。全能というのは、もちろん、何でもできることである。何でもできるのだから、何でも創り出すことができるはずだ。人間も動物も植物も惑星も銀河も、この宇宙全体を創った神なのだから。さよう、何でも創れるのだから、いろんな性質を持った物体を創れるはずだ。その中には、「神が持ち上げられない石」というのが考えられる。そう。神は、自分で持ち上げられない石というものを創ることができるはずである。なにしろ全能だから。 さてしかし、自分で持ち上げられない石というのが創られてしまうと、神は、その石を持ち上げることはできない。全能の神に、できないことがあることになってしまうのだ。 はて? どう考えればよいだろうか。 062★慈悲深い殺人のパラドクス paradox of gentle murder 一般に、私利私欲や恨みや楽しみのために人を殺してはならない。殺人は、「すべきでないこと」なのである。これは文明社会の公理である。 ところであなたは、太郎さえいなければ自分の業績が認められて地位的にも経済的にも飛躍的に有利になることを知っている。そこであなたは、周到に計画して、太郎を殺すことに決めた。むろんそれが「すべきでないこと」だとあなたはわかってはいる。それに太郎をむやみに苦しめるのが目的ではないから、あなたは、速やかに、苦しみを与えない方法で殺そうと思っている。それがともかくも、太郎への思いやりというものだろう。 するとここで、次のようなことが正しいと思われる。 1. あなたが太郎を殺す ナラバ、あなたは太郎を穏やかに殺すべきである さて、次のことが一般に言えるだろう。 2. あなたは太郎を穏やかに殺すべきである ナラバ、あなたは太郎を殺すべきである。なぜなら、一般に、「副詞a+動作b」をするためには、「動作b」をしなければならないに決まっているからだ。よって、「穏やかに殺す」ためには「殺す」ことが必要である。殺さずして穏やかに殺すことはできない。こうして、「太郎を穏やかに殺す」べきであるならば、「太郎を殺す」べきである、ということも成り立つはずだ。 ここで、1.2.を合わせると、(「PならばQ」「QならばR」からは「PならばR」が導かれるから) 3. あなたが太郎を殺す ナラバ、あなたは太郎を殺すべきである が導かれる。1.2.が真であれば、論理学の法則により、3.が真となるのだ。 しかし……? 3.は、現実に殺人が行なわれるなら、その殺人はなされるべきである、と述べている。これはどう考えても「殺人はなされるべきでない」という公理に反しているだろう。殺人が実際になされると決まったとたん、なされるべきだなんて! どうしてこんな結論が? 推論のどこが間違っていたのだろう? 063★トリストラム・シャンディの自叙伝 Tristram Shandy's autobiography イギリスの作家ローレンス・スターン(1713-68)の小説『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』の主人公は、自分の生涯の最初の2日を書き記すのに、2年間かかってしまった。「この調子だと自伝執筆というこの仕事を成し遂げることは不可能だ」と彼は嘆く。 さてしかし、自分の生涯の2日を2年かけて書いてゆくというペースで、自分の人生を余すところなく書き上げられる人がいるという。それはどういう人だろうか。 072★カリーのパラドクス/応用編 Curry's paradox applied ※この問題は、前問071【カリーのパラドクス】を読まなくても楽しむことができます。 @次の文A,B,C,Dそれぞれの真偽を判定せよ(Pは任意の文)。 A AまたはP B BかつP C CならばP D PならばD AB省略 075★予知能力バトル predictive competition paradox 完璧な予知能力者AとBが、予知能力を競うことになった。自分の自由意思によって相手の予知能力を出し抜いた方が勝ちである。単純にジャンケンで決着をつけよう。「あいこ」で妥協してしまう可能性をなくすため、グーパージャンケン。出した手が一致したらAの勝ち、一致しなければBの勝ちだ。さて……、 Aがグーを出すならば、Bはそれを予知して、勝つためにパーを出す。しかしAはそれを予知できるはずだから、勝つためにパーを出す。しかしBはそれを予知できるから、勝つためにグーを出す。……、ぐるぐる回って、そもそも予知すべき事実が定まらない。2人は向き合って固着したまま、いつまでたっても勝負が始まらないのだ。 このパラドクスは何を意味しているのだろうか? 1 自由な他者の行動を予知する能力は存在しない。 2 完璧な予知能力者というものは2人以上は存在できない。 3 自由意思というものは存在しない。 4 このジャンケンのルールが矛盾している。 5 その他 076★韓非子の矛と盾 「矛盾」の語源となった『韓非子』のあの故事を思い出そう。楚の国で武器を売る商人が、「私の矛はどんな盾をも破ることができ、私の盾はどんな矛をも防ぐことができます」と誇っていたところ、「ではおまえの矛でおまえの盾を突いたらどうなるのか」と尋ねられ、返答に詰まったという話。 @さて、ここで実際、無敵の矛で無敵の盾を突いてみる実験をすることができるだろう。この実験は、いずれかの結果が必ず出るように思われる。それではこのパラドクスはどう考えるのが妥当だろうか。 1 どんな盾をも破る矛、どんな矛をも防ぐ盾の少なくとも一方は存在しない。 2 どんな盾をも破る矛が、どんな矛をも防ぐ盾を突き破る。 3 どんな矛をも防ぐ盾が、どんな盾をも破る矛をはねかえす。 4 どんな盾をも破る矛と、どんな矛をも防ぐ盾とが実際に戦うことはありえない。 5 この商人の言葉が矛盾しているだけである。 6 その他 A省略 078★チキン! chicken ! 度胸試し兼決闘ゲームの代表として「チキン」がある。ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』で有名になった「チキン・レース」は、崖に向かって車を走らせ、相手より崖に近いところで飛び降りた方の勝ち、というものだったが、ここでは別のバージョンを使おう。一本の道に2台の車を、両側から向かい合わせに全速力で走らせる。衝突するもしないも自由、とにかく、相手より先に道をそれた方の負け。勝った方はすれちがいざま「チキン(臆病者)!」と相手を嘲り罵る。 さあ、このチキンレース。あなたはこれで決闘することになった。両者すでにスタートし、あなたと相手は車内モニターで互いに相手の運転席を観察しながらアクセルを踏んでいる。あなたは、ヤバイ、と感じる。相手の顔には決して道をそれない堅い決意がみなぎっている。あなたがハンドルを切らなければ正面衝突間違いなし。それでは勝てないばかりか命まで落とすという最悪の事態。そんなのよりは、道を譲って嘲笑された方がまだましだ。しかし金と名誉と家族と職と信念のかかった決闘であり、あなたは絶対負けられない立場にある。どうしても相手に道を逸れてもらわねばならない。さあ、どうすればいいだろうか。必勝法が実は1つあるのだが……。 093★ワインと水のパラドクス wine and water problem 水とワインが混ざった液体がある。水の量は、ワインよりも少なくなく、2倍を超えることはないことだけがわかっている。水とワインの分量比をRとしよう。さしあたり、1≦R≦2である。この範囲のどの数値も同じ確率を持つと考えられるから、水の量が中間の値3/2よりも少ない方の半分を考えると、「確率50%で、Rは1と3/2の間にある」と言っていいだろう。 しかし本当にこれが正解だろうか? 念のため逆に、ワインと水の分量比を考えてみることにしよう。これは1/Rで表わされる。問題の条件により、1/2≦1/R≦1である。この範囲のどの数値も同じ確率を持つと考えられる。すると、先ほどと同じくRの低い半分(水の量が少ない方の半分)を考えると、これはワインが中間の値3/4より多い方の半分ということだから、「確率50%で、1/Rは3/4と1の間にある」と言っていいだろう。これは、水とワインの比Rに読み替えるならば、逆数をとって「確率50%で、Rは1と4/3の間にある」ということである。 ん? さっきの結果と違うな……。「確率50%で、Rは1と3/2の間にある」はずではなかったか。ところがワインと水の比を先に考えてからRに戻したら「確率50%で、Rは1と4/3の間にある」ことになってしまったよ。あ〜あ、検算などしなければよかった。どっちが正しいんだ? 097★射撃室のパラドクス shooting-room paradox 恐ろしい実験が行なわれている。 まず10人の人間を部屋に送り込む。部屋の外の実験者は仕掛けのないサイコロを2つ振る。6-6の目が出たら、その10人を射殺して実験終了。6-6以外の目が出たら、その10人を釈放し、次に別の100人を部屋に送り込む。またサイコロを振って、同じ手続きにしたがう。この要領で、N番目には新たな(10のN乗)人の人間を部屋に送り込んで、6-6が出れば全員射殺しておしまい。6-6が出るまで続く実験というわけだ。 部屋はとてつもなく広い(あるいは、人数が増えると自動的に拡がる)ので、被験者たちの人数がどんなに増えようとも収容できる。 @あなたはいま、自分がこの実験に選ばれて、部屋にいることがわかった。あなたが射殺される確率はいくらだろうか。 A実験者が@のように1回ごとにサイコロを振るのではなく、はじめにまとめて振って、6-6が出るまでの系列を記録しておいた。たとえば1回目は3-5、2回目は1-6、……というふうに目の列を記録したのである。そのうえで@と同様の手順で10人から始めてN回目に(10のN乗)人の人間を部屋に送り込みつづけ、6-6が対応している回において全員射殺し、実験終了。 このような設定のもとで、あなたはいま、自分がこの実験に選ばれて、部屋にいることがわかった。あなたが射殺される確率はいくらだろうか。 BC省略 099★分離脳 split brain ヒトの左脳と右脳をつなぐ連絡橋(脳梁)が切断された「分離脳」の研究が進んでいる。てんかんの治療などで分離脳を持つようになる人もいるという。分離脳になると、左目で見て右脳に入った物の名前をどうしても発言できなかったり、右目で見て左脳にはいったポルノ写真で全く興奮しなかったりと、言語・論理を司る左脳、情緒・イメージを司る右脳という役割分担が顕著であることが改めて確認されるらしい。右脳と左脳はそれぞれ独立した意識を持ち、互いに無関係に反応し、別々の記憶を持つなど、私たちは脳の中に少なくとも二つの人格を宿していると言えるかもしれない。いずれは右脳、左脳という大きな区別よりもっと細かく、独立した人格を保てる最小部分を100個とか200個とかに分離する「多重人格化」が可能になるかもしれない。そこで、分離脳を使った思考実験。 @あなたは日曜日に睡眠薬で眠らされ、実験者は仕掛けのないコインを投げる。表の場合は、月曜日にあなたは1号室で起こされ、10分後にまた眠らされて、火曜日に起こされて実験終了を告げられる。裏の場合は、あなたは眠らされたあと分離脳手術を施される。そして、月曜日に左脳と右脳がそれぞれ1号室と2号室で起こされる。10分後にあなたの脳は両方とも眠らされ、脳を再び結合する手術を受けて、火曜日に目覚め、実験終了を告げられる。手術の痕跡や副作用は残らない。 コインが表の場合も裏の場合も、あなた(の脳)は暗闇の部屋で起こされ、身動きはできないので、自分が完全な状態なのか、分離脳状態なのかについては確かめることができない。右脳と左脳の適性や能力に違いがあるとしても、この限られた状況では差異を自ら意識することはできない。どの場合も心理状態は基本的に同じである。 あなたは、以上の実験の仕組みを教えられている。あなたの課題は次のことだ。月曜日に覚醒したとき、何も情報がないまま、「コインは表だったと思いますか」と問われるので、それに合理的な答えをすること。これは、「あなたが分離脳状態でない確率は?」という問いに答えるのと同じことである。さて……? 1号室 2号室 表 ○ 裏 ○ ○ A実験は、実は次のようなものだった。あなたは日曜日に睡眠薬で眠らされる直前に、分離脳手術を受ける。そうして〈あなた右〉と〈あなた左〉が別々の体に移植されて眠りに入る。〈あなた左〉は入眠後にさらに〈あなた左上〉と〈あなた左下〉に分離される。月曜日に〈あなた右〉は1号室で、〈あなた左上〉は2号室で、〈あなた左下〉は3号室で起こされる。10分後に全員再び眠らされて、3者の脳を元どおり合体させる手術が施される。火曜日に、実験前の完全な1人のあなたが起こされて実験終了。 1号室 2号室 3号室 右 左上 左下 あなたと同じ心理状態の人間が、月曜日に目覚めたとき、3人に分裂しているわけだが、その3人のうち、現にここに目覚めている1人の自分(主観的には目覚めるのは必ず1人だけなので)がどれなのかはわからない。さて、月曜日に目覚めたあなたは問われた。「ここが1号室である確率は?」 101★森の射手 archer 神が森を創り、そこに人間を創造した。あなたは今、森で目覚め、神に創られた人間であることがわかっている。さらに、神の声によって次のことが教えられた。 @「私は、二つの森のうちどちらか一方を作ろうと思った。どちらの森にも天使が一人住んでおり、人間を見つけると、ただ1人を、ただ1回だけ、弓矢で射る。さて、一つの森は、その天使のほかに、5人の人間を含んでいる。もう一つの森は、天使のほかに、500人の人間を含んでいる。人間たちは互いに出会うことはない。この二つの森の構想を抱いて私はサイコロを振り、どちらを創るかを決めた。そうして一方だけを創り、その結果、おまえとこの森は誕生したのだ」 神の声が消えてからしばらくして、木々のむこうから矢が飛んできて、あなたの肩に突き刺さった。ここで神の声がした。 「天使の矢に射られたな……。さて推測せよ、私はどちらの森を創ったのだと思うか? 5人を含む森か、500人を含む森か」 Aあなたが目覚めた状況は@と同じだが、神の声は次のように言った。 「私は、二つの森を作った。どちらの森にも天使が一人住んでおり、人間を見つけると、ただ1人を、ただ1回だけ、弓矢で射る。さて、一つの森は、その天使のほかに、5人の人間だけを含んでいる。もう一つの森は、天使のほかに、500人の人間を含んでいる。人間たちは互いに出会うことはない。この二つの森を創り、この森はそのうちの一つなのだ」 神の声が消えてからしばらくして、木々のむこうから矢が飛んできて、あなたの肩に突き刺さった。ここで神の声がした。 「天使の矢に射られたな……。さて推測せよ、おまえのいるこの森はどちらの森か? 5人を含む森か、500人を含む森か」 「どちらか」可能性の高い方を答えるわけだが、@とAは、同じ答えになるだろうか、それとも違う答えになるだろうか。理由をつけて答えてください。 103★アダムとイブの思考実験 Adam and Eve thought experiment アダムとイブは、セックスすれば楽園を追放され、必ず子どもが生まれて自分たちが何百兆という人間の先祖となることがわかっている。神のいいつけを守って無垢に暮らしていれば、この楽園で平穏な生涯を終えるだろう。神が他にいくつ楽園を創ったのかわからないが、無垢な2人きりの生涯を終えれば、神の定めに従うごく平凡な人間だったことになる。しかし子どもを作れば、何百兆という膨大な子孫たちの最初の先祖という、特別な人間ということになるだろう。いうまでもなく、自分たちが平凡な人間である確率の方が、特別な人間である確率よりも何兆倍も高い。そしてアダムとイブ自身、神の庇護を離れて得体の知れぬ世界で苦難に満ちた人間文明の始まりに責任を持つなどという面倒を背負い込みたいとは思わない。平凡な楽園人生を送りつづけるつもりだ。 しかし、楽園の生活とはいっても楽なことばかりではない。アダムは、食べ物を探してくるのが億劫になってきた。そしてある日イブに相談した。 「もう森に食べ物を取りに行かなくてすむかもしれないぞ。こう考えたんだ。明日の朝、この洞窟の入口に傷ついた鹿が迷い込んでこなかったら、僕たちはセックスすることを誓おう。鹿が迷い込んできた場合にかぎり、セックスするまい、と。なあに心配いらない、僕らが何百兆の人間のたった2人の先祖になるなんて確率はものすごく低い。そんなことは起こるはずがない。だから、僕たちはセックスしないですむに違いない。つまり、鹿がやってくるに違いないということさ。難なく捕まえられるような傷ついた鹿がね」 傷ついた鹿がたまたま洞窟にやってくる確率は小さいが、何兆分の一よりはずっと大きいだろう。鹿が現われないことと、2人が何百兆分の2の特別な先祖になることの間に密接な相関関係があるとしたら、確率的に言って、鹿が現われる可能性が高いのではないだろうか。 しかし、こんな方法でラクに獲物を捕まえられるとしたら、いかに楽園とはいえ話がうますぎる。アダムの論法のどこが変なのかを指摘してください。 105★胡蝶の夢 pan-fictionalism 『荘子』斉物論篇の、有名な胡蝶のエピソードに、誰もが一度は魅了されたことがあるのではなかろうか。自分は蝶である。のびのびと楽しく飛び回っている。ところが、ふと目が覚めてみると人間である。はて……、いったい人間である私が蝶となる夢を見ていたのか、それとも蝶が人間になった夢をいま見ているのだろうか……。 ……これは、「自己と他者の区別がつかない一体の境地」を語った寓話と解されることもあるが、むしろ、「十分明晰なつもりでいるこの現実が、実は夢か虚構の中ではないと確信できるのだろうか」という問いかけと解釈した方が面白い。 自分のいるここは、実はナマの現実ではなく、その外側に本当の世界がある。本当の世界の中にシミュレーシュンゲームとして作られた虚構世界が、今私たちのいるここなのだ。……この「現実は実は虚構だ」という世界観――汎虚構主義――に、あなたはどれほど説得力を感じるだろうか。大半の人は、この汎虚構主義は可能性としては認めても、真偽を実際に確かめることは不可能だ、と思うだろう。ここがナマの現実であるどんな証拠を持ってきても、虚構としてそう作られているのだ、と言われればおしまいなのだから。逆に言えば、ここは虚構の内部だという仮説は、確かめようのない、証拠のありえない非科学的な妄想だということになる。 @しかしである。汎虚構主義は、証拠を持ちうるのだ。つまり、もしもこれこれのことが事実であれば、この現実と呼ばれるここは虚構の中に違いない、と結論できるような、そういう証拠というものが考えられるのである。それはどういう事柄だろうか? 答え:空から「本当の世界」の神様の声が降ってきたとか、作者のメッセージが字幕やフキダシの形で時々日常生活に介入してくるとか、そういったことがもし起これば、ここはナマの現実ではなく、何物かに作られた一種虚構の世界だ、という証拠になると思われるかもしれない。しかしそれは間違っている。そのような「現象的証拠」は、 以下省略 A直接の証拠めいた奇跡的出来事では、別レベルの超現実世界が存在する証拠には決してなりえない。だから、汎虚構主義の信頼できる証拠は、間接的な確率的証拠だけということになる。さてそうすると、ここが実は虚構内である確率が高いということを示すであろう証拠とは? |