第1章_近代教育理論の前提条件 - 昔の'しつけ(躾)の考え方(OE01-080)以上,これまで私たちは,どのような種類の知識を分け与えるべきか,ということに関して考察してきた。ここで,一部は教育の方法に関わり,一部は道徳教育や性格の訓練に関わる,別の一組の問題群に突きあたる。ここでは,我々は,もはや政治には関わらず,心理学と倫理学に関わる。'心理学'は,かなり最近まで,単にアカデミックな研究であり,実際的な事柄に応用されることはほとんどなかった。こういった状況は,今では,まったく変わってしまっている。たとえば,(現在では)産業心理学,臨床心理学,教育心理学といった学問があり,それらは全て最大限実際的な重要性を持っている。近い将来,種々の制度に及ぼす心理学の影響は急速に増大することを望み,期待してよいだろう。少なくとも教育においては,これまで,その影響は既に非常に大きく,有益であった。まず,'しつけ'の問題をとりあげてみよう。>b>昔のしつけ(躾)の考え方は,単純であった。幼児や子供は,嫌いなことをするように,あるいは好きなことを控える(自制する)よう命令された。命令に従わない場合は,体罰をこうむったり,極端な場合,独りで部屋に閉じこめられてバンと水だけが与えられた。たとえば,『フェアチャイルド家』(The Fairchild Family:Mary Martha Sherwood, 1775-1851, の少年少女向きの物語)の,ヘンリー少年がラテン語をいかに教えられたか書いてある章を,読んでみるといい。彼は,ラテン語を学ばない限り決して牧師になる望みはない,と告げられた。しかし,このような弁論(説教)にも関わらず,少年は,父親が望むほど熱心にはラテン語の本に取り組まなかった。そこで彼は,屋根裏部屋に閉じこめられ,パンと水だけ与えられ,姉妹に話しかけることを禁じられた。姉妹も,ヘンリーは父親のご機嫌をそこねたゆえにいっさいかまってはならない,と言われた。にもかかわらず,姉妹の一人が彼のところへ食物を持っていった(差し入れをした)。(すると)召使いが彼女のことを告げぐちをし,彼女もまた罰を与えられた。この本によれば,ある期間閉じこめられている間に,少年は,ラテン語が好きになり始め,それ以後ずっと熱心にラテン語を勉強したとのことである。この話と,子猫にネズミを取ることを教えようとしたチェーホフ(アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ Anton Pavlovich Chekhov, 1860-1904:ロシアを代表する劇作家)のおじさんの話と比べてみよう。そのおじさんは子猫(kitten)のいる部屋に一匹のネズミを連れてきた。しかし,子猫の狩猟本能はまだ発達していなかったので,ネズミには関心をもたなかった。そこで,おじさんは子猫をひっぱたいた。次の日も,またその次の日も,くる日もくる日も,同じ過程が繰り返された。ついに,その先生(おじさん)は,この猫は愚かな猫で,ものを教えこむことはまったくできない,と思いこむようになった。後に,子猫は,他の点では正常なのに,ネズミを見ると怖がって汗をかき,いつも逃げ出してしまうようになった。「この子猫と同様に」,「私も光栄にもおじさんからラテン語を教えこまれたのである。」と チェーホフは結論を下している。 この二つの話は,それぞれ,昔のしつけと,それに対する'近代の反抗'を例示している。 |
Chap. 1 Postulates of Modern Educational Theory(OE01-080)
Let us take first the question of 'discipline'. The old idea of discipline was simple. A child or boy was ordered to do something he disliked, or abstain from something he liked. When he disobeyed he suffered physical chastisement, or, in extreme cases, solitary confinement on bread and water. Read, for example, the chapter in The Fairchild Family, about how little Henry was taught Latin. He was told that he could never hope to become a clergyman unless he learned that language, but in spite of this argument the little boy did not apply himself to his book as earnestly as his father desired. So he was shut up in an attic, given only bread and water, and forbidden to speak to his sisters, who were told that he was in disgrace, and they must have nothing to do with him. Nevertheless, one of them brought him some food. The footman told on her, and she got into trouble, too. After a certain period in prison, the boy, we are told, began to love Latin, and worked assiduously ever after. Contrast with this Chehov's story about his uncle who tried to teach a kitten to catch mice. He brought a mouse into the room where the kitten was, but the kitten's hunting instinct was not yet developed, and it paid no attention to the mouse. So he beat it. The next day the same process was repeated, and the next, and the next. At last the Professor became persuaded that it was a stupid kitten, and quite unteachable. In later life, though otherwise normal, it could never see a mouse without sweating in terror and running away. 'Like the kitten', Chehov concludes, 'I had the honour of being taught Latin by my uncle.' These two stories illustrate the old discipline and the modern revolt against it. |
(掲載日:2006.09.22 更新日:)