三浦俊彦「結ぼれ、了解、異文化、鼠−R. D. レインの視線−
『比較文学・文化論集』(東京大学比較文学・文化研究会)1985vol.1-2(通号n.2)pp.37-52 掲載
 
(p.11)  そうした中でわれわれの注意を惹くのは、とくに後者の類の諸節にみてとれるような、東洋思想への傾斜である。#7と#8には明らかに俳句短歌等の短詩形の影響が認められるし(2)、"#9(そして#10)が『荘子』斉物篇のかの有名な胡蝶の夢の一節から直接に現われ来たっていることは改めて言うまでもないだろう。

 昔者(むかし)、荘周、夢に胡蝶と為る。翔翔然(くくぜん)として胡蝶なり。自ら喩(愉)みて志(こころ)に適うか、周なることを知らざるなり。俄然として覚(さ)むれば、即ち(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るか。周と胡蝶とは、即ち必ず分あらん。此れをこれ物化と謂う。

 『結ぼれ』の翌年の1971年、「魂の避難所」たる治療施設ロンドン・キングズリー・ホールを閉鎖した直後にレインは家族とともにセイロン中部の一僧院に6カ月滞在・一日17時間を瞑想に過す。その後インドに移り7カ月滞在・ヨガを学ぶ。レインの理論的諸著作にはもとより禅や老荘からの影響もしくはそれらとの類似が認められ、『論語』よりの引用を扉に誂える(『自己と他者』)などが行なわれており、また『結ぼれ』中にも例えば禅宗無門関をあからさまに反映した箇所が見受けられていた(pp.85,87)のではあるが、東洋思想への関心は東洋旅行後第一作である『好き?・・・・・・』からさらに深い新しい段階に入ったようである。
 レインのこの東洋への刮目は、もっと広く異文化への関心ということの一班であろう。分裂病者・妄想症患者といった「異文化」と長年接触し了解せんと努めてきた彼は、東洋思想というもう一つの異文化への志向を保ちつつ、東洋旅行後第三作においては自分の幼い2人の子どもとの日々の会話をそのまま記録した、つまり子どもというさらにもう一つの異文化の発見に捧げられた作品を出版するに至る(『子どもとの会話』 Conversations with Children, 1978)。こうしたますます多層化する「異文化」への興味拡張のさなかにものされた作品集として『好き?……』を捉え直すとき、そこにおいて特別な意味をもって浮び上がってくるのは、前掲#10の五行詩である。(次ページに続く)