三浦俊彦「結ぼれ、了解、異文化、鼠−R. D. レインの視線−
『比較文学・文化論集』(東京大学比較文学・文化研究会)1985vol.1-2(通号n.2)pp.37-52 掲載
 
(p.7)  このくらいならば、まだまだ十分フォローすることができよう。現実にある心理小説の一ショットのようでもある。しかし、レインが『結ぼれ』の中で与えている作品例の形式は、もっとずっと複雑である。本当に無限に繰り返す(シネ・フィネ)ことを要求している、例えば前掲#2は……P→(O→(P→(O→(P→O・・・となるし、そこまでいかなくとも、いま「結ぼれ』から任意に抽り出した詩行の一部

  #4 You are cruel
     to make me feel bad to think
      I am cruel to make you feel cruel
    by my feeling bad that you can be so cruel as
    to think
      I don't love you, when you know I do (p.12)
 は
   P→(O→(P→(P→(O→(O→(P→(O→(P→O))))))))

  #5 Jack does not know he does not know
    that Jill does not know she does not know
    that Jack does not know
      that Jill thinks Jack knows
    what Jack thinks he does not know (p.59)
 は
  P→(P→(O→(O→(P→(O→(P→(P→P))))))))

と記号化されることになるが(私が間違っていなければ。絶対の自信があるわけではない)、このくらいになってくると、#2は全ての→が「傷つく」、#5は「知っている(いない)」でほぼ統一されているとはいえ、そこで本当に何が起こっているかを掴むのはもはや容易なわざではない。(次ページに続く)