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バートランド・ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』- Human Society in Ethics and Politics, 1954

* 原著:Human Society in Ethics and Politics, 1954
* 邦訳書:バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平(共訳)『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』(玉川大学出版部,1981年7月刊。268+x pp.)

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『ヒューマン・ソサエティ』第5章:部分的善と一般的善 n.7

Human Society in Ethics and Politics, 1954, chapter 5: Partial and General Goods, n.7


 さらに、欲求の目的を達成すること(何かを得たり成し遂げたりすること)で得られる快楽は、一般的に言って、目的達成の快楽と、その目的そのものに属する快楽の2つからなっている。(たとえば)オレンジを求めて町中を追いかけまわして、ついにオレンジを手に入れたとしたら、オレンジを苦労せずに手に入れたとしたら得られたであろう喜びだけでなく、成功の喜びも得られるであろう。欲望が満たされるとき、後者だけは常に存在するが、前者は時として存在しないこともある。(注:金持ちがある日用品を購入しても喜びがなくても、それが必要な時に入手できれば喜びが湧くなど)

 このように、心理学的快楽主義者は、私達が欲するものは常に快楽であると想定している点で間違っている。しかし、私達にとってさらに重要なもう一つの点においても、彼は間違っている。

Further: the pleasure to be derived from achieving a desired object consists, in general, of two parts, one that of achievement, the other that belonging to the object on its own account. If you chase round the town in search of oranges, and at last obtain some, you have not only the pleasure that the oranges would have given you if you had obtained them without difficulty, but also the pleasure of success. Only the latter is always present when a desire is satisfied ; the former may, on occasion, be absent.

The psychological hedonist is thus mistaken in supposing that what we desire is always pleasure, but he is mistaken also in another respect which is, for us, of even more importance.