第16章 権力哲学, n.9
まず独我論(注:solipsism 「唯我論」とも言う)から始めよう。フィヒテがあらゆるものは自我(エゴ)から出発すると主張する時,読者は(読者なら)次のようなことは言わない(であろう)。「あらゆるものがヨハン・ゴットリープ・フィヒテから出発するんだって! 何という馬鹿げだたことを! だって,私は2,3日前までは,フィヒテなんていう名前も知らなかった。それに,(フィヒテから全てが始まるというのなら)フィヒテという男が生れる前の時代はどうだっていうんだ? そういう過去(フィヒテ生誕以前の時代)を自分が創造したとフィヒテは本当に思っているのか? 何という滑稽きわまる自惚れだ!」 私は,繰返して言うが,以上は読者の言おうすることではない。読者は,フィヒテの代りに自分を置き,彼の議論は信じがたいことではないと気づく(認める)。彼はこう考える。「結局のところ、私は,過去の時代(のこと)についていったい何を知っているというのか? (知っているのは)自分が生れる以前のある時期に関係があるものとして解釈することに決めた(私の持っている)有る種の経験についてだけではないか?(注:choose to ~すると決める/chose to interpret 解釈しようと決めた) それに,私が一度も見たことのない場所について,私は何を知っているというのか? (それらは)地図で見ただけであったり,本で読んだけであったり,人から聞いただけのことに過ぎないではないか(実際には見てないではないか)。私は自分が経験したことしか知っていない。それ以外のことは,(全て)疑わしい推論に過ぎない。仮に私が神の地位に自分を置くことに決め,世界は私が創造したということに決めたとしても,私の言うことは間違っているということを証明してみせてくれるものはまったくない。」 フィヒテはただフィヒテのみが存在すると主張し(ており),ジョン・スミス(注:日本で言えば「田中一郎」とか「山田太郎」といったところのごくありふれた人物、つまりあなた)は,フィヒテの議論を読んで,ただジョン・スミス(つまり自分)のみが存在すると結論し,決してそれはフィヒテの言っていることではない,ということに気づかないのである。
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Chapter 16: Power Philosphies, n.9
Let us begin with solipsism. When Fichte maintains that everything starts from the ego, the reader does not say: 'Everything start from Johann Gottlieb Fichte! How absurd! Why, I never heard of him till a few days ago. And how about the times before he was born? Does he really imagine that he invented them? What ridiculous conceit!" This, I repeat, is what the reader does not say; he substitutes himself for Fichte, and finds the argument not unplausible. 'After all," he thinks, 'what do I know of past times? Only that I have had certain experiences which I chose to interpret as related to a period before I was born. And what do I know of places I have never seen? Only that I have seen them on the map, have read of them, or have heard tell of them. I know only my own experience; the rest is doubtful inference. If I choose to put myself in the place of God, and say that the world is my creation, nothing can prove to me that I am mistaken." Fichte maintains that there is only Fichte, and John Smith, reading the argument, concludes that there is only John Smith, without ever noticing that this is not what Fichte says.
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