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バートランド・ラッセル 権力 第15章 (松下 訳) - Power, 1938, by Bertrand Russell

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第15章 権力と道徳律, n.14 - 被征服者に過酷だったユダヤ人

 これらの(上記の)章節の中に述べられているのは,ユダヤ人(注:children of Israel :イスラエルの子どもたち=ヘブライ人、ユダヤ人)の利益異邦人の利益(注: Gentiles ユダヤ人から見た場合の異邦人)衝突する場合には,彼ら(ユダヤ人)の利益が完全に勝るべき(優先すべき)べきであったこと,しかし,ユダヤ人の内部においては(internally),宗教の利益,即ち聖職者(僧侶)の利益一般信徒(俗人)の経済的な利益に対して勝るべき(優先すべき)であったことは,明らかである。主(エホバ)の言葉サムエルに下されたが,サウルに下されたのは(主の言葉ではなく)サムエルの言葉であり,しかもそのサムエルの言葉はこうであった。「(それならば),私の耳に入る,この羊の声と,私の聞く牛の声は,いったい,なんですか?」 この言葉に対してサウルはただ自分の罪を告白することで応えることしかできなかった。

 ユダヤ人偶像崇拝を恐れたことから -彼らの場合この偶像崇拝の片鱗(microbes)が羊や牝牛にも潜んでいたことは明らかであるが- 被征服者の絶滅における異常な徹底ぶりへと導かれた。しかし,古代の国家戦いに敗れた人々の処置について,いかなる法的制限あるいは道徳的制限を認めなかった。(戦いに勝利した方が)敗者のうちの一定数を根絶し,他の者を奴隷に売りとばすのが慣例であった。ギリシア人の中には,たとえば「トロイの女(たち)」(Trojan Women)を書いたエウリビデス(注:Euripides 古代アテナイの三大悲劇詩人の一人)のように,このような行為に反対する感情を創生しようとしたが,(いずれも)うまくいかなかった。征服された者は,権力をもっていないので,慈悲を要求する権利をまったくもっていなかった。こうした見方(注:敗者に慈悲を要求する権利なしという見方)は,キリスト教の到来まで,理論上でさえ,捨てられたことはなかった(注:キリスト教の到来によってこうした見方はなくなっていった)

Chapter 15: Power and Moral Codes, n.14


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It is obvious in these passages that the interests of the children of Israel were to prevail completely when they came into conflict with those of the Gentiles, but that internally the interests of religion, i.e. of the priests, were to prevail over the economic interests of the laity. The word of the Lord came unto Samuel, but it was the word of Samuel that came unto Saul, and the word was : "What meaneth then this bleating of sheep in mine ears, and the lowing of oxen which I hear?" To which Saul could only reply by confessing his sin.

The Jews, from their horror of idolatry - of which the microbes apparently lurked even in sheep and cows - were led to exceptional thoroughness in the extermination of the vanquished. But no nation of antiquity recognized any legal or moral limits to what might be done with defeated populations. It was customary to exterminate some and sell the rest into slavery. Some Greeks -for instance, Euripides in the Trojan Women - tried to create a sentiment against this practice, but without success. The vanquished, having no power, had no claim to mercy. This view was not abandoned, even in theory, until the coming of Christianity.
(掲載日:2018.03.06 /更新日: )