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バートランド・ラッセル 自伝 第1巻第4章 - 4年次に哲学を専攻(松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.1

前ページ 次ページ 第1巻 第4章(婚約期間)累積版 総目次

 ケンブリッジにおける次の学期の間を通して,彼女(アリス)の感情に交替があった。ある時は,彼女は私との結婚を熱望しているように見えたが,別の時には依然として自由の身のままでいることを決意しているように見えた。この時期,私は,--ケンブリッジ大学における精神科学(=自然科学に対するもの)の優等試験の第2部を1年間(松下注:学部4年次の1年間/ラッセルは学部の1~3年で数学を,4年次に,哲学を専攻で受験しようとしていたので--一生懸命勉強にうちこまなければならなかった。しかし,恋愛には --うまくいっている時でもそうでない時でも-- 私の知的集中を妨げるものは微塵もないことがわかった。
 復活祭の休暇が来た時私は,まず,枢機卿の地位についていた叔父さんのところに滞在するため,モード叔母さん(松下注:ラッセルの(母方の)祖母の娘=亡き母の姉妹)と一緒に,ローマに行った。そうしてそこからパリへ行った。ローガン(アリスの兄)はパリにアパート(フランスゆえにアパルトメン)を所有しており,そのすぐ近くに彼の母とアリスが滞在していた。パリ在住のアメリカ人美術専攻生の生活を見たのは初めての経験であり,彼らの生活は全て自由で楽しいものに思われた。私は,あるダンス・パーティ(a dance)--そのときアリスは,ロジャー・フライ(Roger Eliot Fry, 1866-1934:イギリスの画家・批評家,ブルームズベリー・グループの一員)がデザインしたドレスを着てあらわれた-- のことを覚えている。また,私を(パリの)ルクセンブルグ公園に印象派の絵画を見につれてゆき,'文化'を私に教え込もうと何度か試み,余り成功しなかったことも記憶している(松下注:「篠原有司男の絵の見方について」からの引用:「約100年前に印象派の画家たちがルクセンブルグ公園,南仏,またゴーギャンがタヒチで発見したのと同様の“ひかり=あかり”を・・・」。the Luxemburug は,the がついているので,ルクセンブルグという国家ではなく,パリのルクセンブルグ公園のことをいっていると思われる。)。また,ローガンがその夜(のパーティ?で),不屈の利口さを発揮している間,私は,フォンテンブロー森の近くで,ボートを浮かべ,アリスを横に坐らせ,セーヌ川を漂ったことを記憶している。
 私がケムブリッジに戻った時,(tutor の)ジェームズ・ワードが厳粛な面持ちで,一生懸命勉強していなければならない時に,ヨーロッパ大陸に行って,私の最後の休暇を無駄に費やしてしまったと,私に言った。けれども私は,彼の言うことをそれほど重大なものとはとらなかった。そうして私は,立派な成績で,'第1級'に合格した(松下注:First の前に'a'がついているので,「主席=一番」ではなく,「優等試験第1級に合格」という意味)

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Throughout my next term at Cambridge, there were alternations in her feelings. At some moments she seemed eager to marry me, and at other moments determined to retain her freedom. I had to work very hard during this time, as I was taking the second part of the Moral Sciences Tripos in one year, but I never found that love, either when it prospered or when it did not, interfered in the slightest with my intellectual concentration.
When the Easter Vacation came, I went first with my Aunt Maude to Rome to stay with my uncle the Monsignor. And from there I went to Paris, where Logan had an apartment, and his mother and Alys were staying close by. It was my first experience of the life of American art students in Paris, and it all seemed to me very free and delighiful. I remember a dance at which Alys appeared in a dress designed by Roger Fry. I remember, also, some rather unsuccessful attempts to instil culture into me by taking me to see Impressionist pictures in the Luxembourg. And I remember floating on the Seine at night near Fontainebleau with Alys beside me, while Logan filled the night with unbending cleverness.
When I got back to Cambridge, James Ward spoke to me gravely about wasting my last vacation on the Continent when I ought to have been working. However, I did not take him seriously, and I got a First with distinction.
(掲載日:2005.08.03/更新日:2011.3.21)