・離乳期までは母親は子供と身体上の密接なつながりがあるので、母性としての感情は案外理解しやすいが、父親と子供との関係は、(妻の貞操に関する信頼心に結びついているゆえ)、間接的、仮説的、推測的であって、知的側面が多いので、本能的なものだというのは適切ではない。(Marriage and Morals, 1928 より)
・父性の生物学的事実が認められるやいなや、全く新しい要素(ほとんどあらゆる地域で父家長制を生み出すにいたった要素)が父親としての感情の中に入ってくる。・・・。(そうして、)父親の子供に対する愛情は2つの要素、即ち権力愛と不死の願望で強化される。・・・。父性の発見は、(その結果)人間社会を母系段階にあった時よりもより競争的なものにし、・・・、(子孫が偽造されるのを防ぐために)女性の貞操を確保する唯一の手段として、女性の(男性に対する)隷属(化)をもたらした。・・・。そうして、男女間の愛情は、子供を確実に嫡出にしたいという欲望によって破壊されてしまった。そして愛情ばかりでなく、女性が文明に対してなしうる一切の貢献も同じ理由によって阻止されてしまった。・・・。男性が花嫁の処女であることを望むようになったのは父家長制の出現とともに初めて起こったものと思われる。(Marriage and Morals, 1928 より)
休日の過ごし方
・夫と妻が一緒に余暇を過ごすべきだとする慣習(社会的通念)は感心できない。...。世の夫婦の多くは、自分の連れ合いが満たしたいであろう快楽への嫉妬から、自分の快楽の充足をも差し控えるようになる。自分の快楽をやや利己的に追い求めるよりも、他人の快楽に反対することの方がはるかに良くない。それゆえ、夫婦間に倦怠感が生まれたり、お互いの共通の話題がなくなることのないように、夫婦間にはある程度の社会的距離が必要である。
The convention that husbands and wives should spend their leisure hours together is a bad one. ... Many husbands and many wives will forgo their own pleasures out of jealousy of the pleasures that they imagine their partners as desiring. It is much more harmful to object to other people's pleasures than it is to be a trifle selfish in pursuing one's own, and a certain amount of social separateness of husband and wife is necessary if they are not to become dull and incapable of finding anything to say to each other.(1931.11.13. In: Mortals and Others; American Essays 1931-1935, v.1)