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「…。かれとともに長生きした友人たちの眼に映じたラッセルは、非常な高齢にいたっても、人生のたのしみを満喫している人のようであった。晩年のかれが政治的には、王政復古後のミルトンがそうだったように、全く孤立無援であったことを考えると、あきらかにこれは主としてかれの衰えを知らぬ健康のせいだったようである。かれは、すでに死んだ時代の最後の生存者であった。」謙遜や、反語的な言い方を割引いて考えても、一九三七年に書かれたこの弔詞の予言は、みごとにはずれたようである。かれは、世間から半ば忘れられた哲人としての静かな晩年を期待していたようであるが、核兵器の開発は世界情勢を全く一変させ、この期待を狂わせてしまった。(もっとも、ラッセルは、すでに『相対論入門』〔1925年〕において核エネルギー利用の可能性に言及し、また、一九四五年のイギリス上院での発言で、水爆開発の可能性を示唆している。)一九六二年に死ぬはずだったラッセルは、、悠々自適の余生を送るどころか、九十歳をこえる身でロンドンの街頭に座り込んで検束されたり、永いこと籍をおいてきたイギリス労働党に絶縁状をたたきつけたり、文字どおり壮者をしのぐ情熱をもって闘いつづけてきている。イギリスには、ジェレミー・ベンタムやシドニー・ウェブ(ちなみに、ウェブ夫妻は、青年時代のラッセルの親友であった)などのように、高齢になってから急進化する人物がときどき現われるが、ラッセルもそのくちのようである。「死んだ時代の最後の生存者」であるどころか、かれは、ことによると、二一世紀の先駆者であるのかも知れない。