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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

吉田夏彦「バートランド・ラッセルの理論哲学」

* 出典:『理想』1962年2月号、pp.1-10.
* 吉田夏彦氏(1928~2020)は当時、北海道大学助教授(後に、東工大教授)。


*この論文は1962年始めに『理想』に発表されたものであるが、翌年1963年にはコーへンが「連続体仮説と選択公理の独立性の証明」を発表している。1970年の『理想』(B.ラッセル特集号)に掲載された論文(「ラッセルの理論哲学と論理学」)の最後では、吉田氏は、次のようにのべており、吉田氏のラッセル解釈も少し変化したと思われるため、併読をお願いしたい。 即ち、
「・・・。なぜなら、この小文でのべたことにしても、集合論などの最近の成果をふまえてラッセルの発言を解釈することが可能になったからこそ、論理学者の常識になったのであり、それ以前には、ラッセルの集合についてのいい分は、なかなかつかみにくかったからである。ラッセルは俗説に反し、明噺な著者ではない。学問のその後の発展を註釈としてはじめて生かされる、偉大ながら難解な予言者であったし、これからもそうであろう。」

吉田夏彦の肖像写真  
 与えられた題のなかの「理論哲学」ということばは、おそらく、実践哲学と対比させられた意味につかわれているのであろう。
 哲学を、理論哲学と実践哲学との2つにわけるやり方は、多くの哲学者の場合、単に便宜的なものであって、原理的なものではない。たとえば、「何をなすべきか」という実践的な問題をあつかう倫理学が、善の定義をめぐって認識論という理論的な分野と密接なつながりをもつことが多いのは、よく知られていることである。また、哲学者のなかには、理論哲学を実践哲学に従属させ、それへの準備段階にしてしまう人もいる。こういう場合には、理論哲学を実践哲学からきりはなし、それだけを単独にあつかうことには、あまり意味はない。
 しかし、ラッセルの場合は、理論哲学と実践哲学とはかなりはっきり分離している。すなわち、彼は、「我々は何をなすべきか」「自分はどういう信条にもとづいて行動するか」といった問題に関する彼自身の発言(よく知られているように、大変多い)が、理論哲学的な分野での彼の発言とは、(少くとも論理的には)何の関係もないことを、しばしば明言している。そうしてまた、客観的にみても、これは事実であるように思われる。
 だから、我々は、この小文の題目を与えられた時、安心して、彼の理論哲学だけに議論の焦点をおくことができるわけである。こうして、以下では、もっぱら彼の理論哲学だけに話をかぎるのであるから、これからは、理論哲学のことを、略して、単に、哲学とよぶことにしよう。またその方が、彼のことぱづかいや、彼の思想を論ずる際の一般の習慣にも、そう所以であると思われる。

 
 さて、哲学の分野に話を限っても、彼の著作の数がきわめて多く、あつかっている問題も実にさまざまであること、その上、同一の問題についても彼の意見は時間とともにくるくるとよくかわってきたことは、よく知られているとおりである。だから、彼の70年間以上におよぶ哲学的活動の成果を、30枚の紙数のなかでくまなく見渡すなどということは、まず不可能ないし無意味なことに近いであろう。そこで、ここでは、そのようなことは企てないことにし、ただ、彼の哲学の終始かわらぬ特徴の一つであると思われる点に読者の注意をひくことで、責をふさぐことにしたい。
 その一つの点とは、彼の哲学が、論理よりは情緒にみちびかれたものであるという点である。いいかえれば、彼は、分析家としては、きわめて不徹底な人間であるという点である。
 こういうと、そういう指摘は、彼が論理分折を重んじているという事実、また彼が自分の哲学的発展をふりかえって、自分の哲学は、知的な面では自分を満足させてくれるが、情緒的な面では失望ばかりあたえてくれた、といっているという事実、さらに彼が分析哲学の発展に大きな影響を与えたという事実とくいちがいはしないか」といわれるかも知れない。もちろん、今「  」の中であげられた事実が実際存在していることは、疑いをいれないことである。しかし、それにもかかわらず、この小文のテーゼに関しては、かなり強力な証拠が彼の哲学のなかに見いだされるように思われる。もっとも、紙数の関係上、数多くの証拠をならべたてるわけには行かない。1,2の例をひくにとどめておかなくてはならないが、それだけでも十分説得的であることをのぞみたい。

 

 まず、いわゆる「存在の問題」に関する彼のやりくちについての話から始める。

 ただし、この話に入るためには、この問題に関する一般論に少しふれておく必要がある。
 次にかかげるのは、いわゆる神の存在論的証明の一つの Version である。

・公理1 すべてのxとすべてのyとに関し、xが存在して、yが存在しないならば、xはyよりも完全である。
・公理2 すべてのxに関し、xが神にひとしくないならば、神はxよりも完全である。
・公理3 犬は神にひとしくはない。
・公理4 犬は存在する。
・公理5 すべてのxとすべてのyとに関し、xがyよりも完全であるならば、yはxよりも完全ではない。
(松下注:「よりも完全」という言葉の使い方に違和感をもつ人がいるかもしれない。「完全は、通常、不完全なところが全然ない」ということであり、「より多く」完全とか、「より少なく」完全ということはないはずであり、「完全」か「完全でない」かいずれかであるはずである。)
〇定理  神は存在する。
 ・定理の証明
   神が存在しないならば、犬は神よりも完全である。(公理4、公理1、による、)
   犬は神ではない(公理3、公理2、公理5、による。)
   故に、神が存在しないとすれば矛盾が生ずる。
   故に、神は存在する。
   証明終わり。

(松下注:もちろん、これは「論証の正しさ」だけを問題としているのであり、内容を問題とする場合は、「神」をどのようなものに考えるかでことなってくる。通常、神は「全知全能」というものであると想定されるが、人によっては定義がことなると思われる。
 以上の'論証'が正しいことについて、異論のある人はあるまい。あるいは、もう少し控えめにいうと、古典述語論理の論証法の正しさを信じている人ならば、だれでも、上記の'論証'の正しさをみてとることができるであろう。なぜなら、ごく少しの手間で、上記の論証は、述語論理における一つの正しい証明図に書きかえることができるからである。
 ただし、書きかえの際は、もちろん、次の注意を怠ってはいけない。
 1 「存在する」ということばは、存在記号プラス'しばり変項'のかたちではなく、一つの述語常項のかたちに翻訳しなくてはならない。
 2 神と犬とは、ともに個体常項に翻訳するのが適当である。
   もっとも、この2つの注意のうち、本質的なのは、1の方であり、2の方は便宜的なものである。犬や神を述語項のかたちに翻訳することもできる。ただ、個体項にとった方が、翻訳が自然にみえよう。要は、犬と神とを、タイプ理論にいう同じタイプにおけということである
 もう一つ。上記の論証が正しいからといって、「神は犬よりも偉大である」とか、「神は全知全能である」とか、「人間は犬に出会うことができるが、これと同じ意味、あるいはよりすぐれた意味で、神に出会うことができる」とかいう命題の正しさが保証されることにならないのは、いうまでもない。こういった命題の正しさを論証したいものは、神や犬についてもっと多くの公理を(「偉大さ」「全知」「全能」「出会い」「人間」等々との関連において)、提出しておかなくてはならない。しかし、もしそういう公理をうまくこしらえておけば、もちろん、上記の存在論的証明を根拠として、たとえば、神の偉大さを論証することもできるであろう。
の画像  さて、いうまでもなく、世の中には、神の存在を信じない人(無神論者)もいるし、偉大な神が存在することを信じている人で、かつその信念の根拠の1つを、上記の存在論的証明にもとめている人もいるかも知れない(こういう人を便宜上、ここでは、有神論者とよぶことにする)。無神論者はもちろん、右の論証の中の定理としてのべられている命題の正しさをみとめることはできないが、しかも彼は、右の論証の正しさをみとめるであろう。したがって彼は、右の論証の公理のうちの少くとも一つを否定しなくてはならない。また、有神論者はいくつかの公理を追加しなくては、右の論証が自分の信念の根拠となりえないこと、すなわち、自分の信念の否定である「神は偉大ではない」という命題を公理としてつけくわえても、右の論証の正しさにかわりはないことをみとめるのであろう。
 つまり、無神論者のことばつかいにおける「存在」は、我々の存在論的証明の公理群全休を満足することはない。また、有神論者のことばづかいにおける「神」や「存在」は、右の証明の公理群全体を満足するが、しかし、さらにいくつかの公理を満足することによってはじめて、有神論者があたえている意味を獲得することができる。
 以上のことをいいかえるとこうなる。無神論者から有神論者への改宗(あるいはその逆)は、我々の存在論的証明に関するかぎり、論証の正否の検討によってひきおこされることはできない。そうして、この改宗は、何によって生ずるにせよ、我々の論証の公理をみとめなかったものがみとめるようになり、さらにいくつかの公理の追加をみとめるようになること(あるいはその逆)によって表現される。
 もちろん、以上の、存在論的証明の一つの version を例にして存在論のことを論ずるやり方は、モデルを単純にとりすぎている。今どき、存在論的証明をまじめにとりあげる哲学者はあまり多くないだろうし、とりあげるにしても、上記の version よりは、もっとこみいったとりあつかいをするであろう。しかし、いずれにしても、存在論上の争いが、論証の正否をめぐってよりは、「存在」ということばを想定する公理を認めるかどうか、より一般的には、「存在」ということばをどのように使うべきであるかをめぐっておこなわれることが多いのは、事実であると思われる。
 そうして、このような争いに、たとえば、「日常言語の標準的用法」というようなものを持ち出して、決着をつけようとしても、それは無理であろうと思われる。なぜなら、神の存在の例が端的に示すように、標準的用法などというものは、ありはしないからである。有神論者と無神論者とは、たとえば、自然科学者や数学の世界においては、存在ということばのつかい方について、協定に達することはできるかも知れない。しかし、神の存在については、そうはできない。というのも、彼等にとって、神の存在は、ことばの上だけでの問題ではなく、事実(まぎらわしさをおそれないなら、存在そのものといってもよい)に関する問題だからである。

 
 さて、ラッセルは、よく知られているように、我々の存在論的証明におけるようなことばづかいでは、「存在」ということばをもちいない。すなわち、ラッセルは、あの(存在論的)証明における公理のいくつかの正しさをみとめないのである。しかし、それは、彼がみとめない公理が、事実と(彼の考えることと)ちがったことをのべているからではない。それは、述語論理に翻訳した時、「存在する」が述語項になることが、彼の気にくわないからである。彼によれば、たとえば、「神が存在する」という文句は、神の特性を列記したものと等値なものをあらわす一つの述語項をfとする時、「fxを満足するxの値が少くとも一つxの変域に属する」ことをあらわす命題によって表現されなくてはならないのである。
 彼が、このような制限を「存在する」ということばに対して課するようになったいきさつは、いわゆる「記述の理論」などに関連して、彼自身がしばしばのべており、かつ、その内容はあまりにも有名である。したがって、ここで、くだくだとくりかえしてのべるには及ぶまい。
 ただ、次のことに注意しておく必要がある。
 それは、この制限およびそのほかのいくつかの制限を存在ということばの用法に課することにより、ラッセルは、たとえば、「'黄金の山'は実在しないが存在する」などという命題が無意味であるとすることができると考え、かつ、このことを大変重大なことだと考えている、ということである。いわゆるオッカムのかみそりの効用である。ところで、実際に起きたのは、つぎのようなことなのである。オッカムのかみそりを彼がつかう前には「黄金の山は存立する」という命題も「5の平方根である実数は存在する」という命題も、ともに、ラッセルにとっては、有意味な命題だった。ところが、'かみそり'を使ったら、前者(「黄金の山」)は無意味となり、後者(「5の平方根である実数」)はそうはならなかった、そうして、'かみそり'をつかう前には、ラッセルは、「指示(denotation)の理論」についてさまざまな困難を感じたが、つかった後には感じないですむようになった。(ラッセルの 'On denoting', 1905をみよ。)
 ところが、ここに人がいて、ラッセルの感じたさまざまの困難にもかかわらず、「黄金の山は存立する」という命題に意味をみとめたがったら、どうであろう。彼にとっては、オッカムのかみそりは、使うべきではない危険な刃物になるであろう。彼は、さまざまの困難を克服しながら、「存立」の概念の有意味性の保存につとめるであろう。そうして、この試みが必然的に失敗に終るという保証を、ラッセルは、どこでも与えていはしないのである。
 あるいは、より一般的にいって、「『存在する』ということばの日常的用法のかなりの部分を述語にとることによって成立する公理論が必然的に矛盾をはらむ」ことの証明は、まだ提出されていない。
 しかるに、ラッセルは今日に至るまで頑強に、自分が「存在」の用法について課している制限が正しいものであること、(少くとも、それが、「世界について正確な陳述をするためには、ほかのものより好ましいものであること」)を主張しつづけている。(彼の、My Philosophical Developmentに収められている "Logic and ontology" をみよ。)そうして、「存在する」ということばの地位について別の考え方をする哲学者-たとえばウォーノックなど-とわたりあっている。ウォーノック達は、ラッセルが 'On denoting' を書く前に感じていた困難をさけて、しかも、ラッセルのとはちがったことばづかいをする方法を提示しているのであるから、ここまで来ると、ラッセルが自分の用法にしがみつくのは、論理的な理由によってであるよりは、心理的な理由によるのではないかと感じられて来るのである。もっとも、ウォーノック達の「日常言語に即してものをいおう」という提唱にしたところで、論理的に人をひきつける力にはとぼしく、ことに、神そのほかの形而上学的実体に関する争点をことさら避けている点は、どうもいただけないのであるが。

 
 ラッセルのオッカムのかみそりが、存在の問題以外にもふるわれたことは、もちろん、有名なことである。たとえば、W.ジェームズのやり方に影響を受けて、感覚現象における主体と客体の区別を除去しようとしたことや、ホワイトヘッドの示唆の下に、点を'事件'に還元しようとしたことなどは、いまさら、いうまでもないことだろう。そうしてアラン・ウッドが「ラッセル自身はそうはいわないが、この'かみそり'は手段にとどまらず、時として彼の哲学をみちびく情熱それ自体となる」という趣旨のことをいう時、我々も、ともすれば同感したくなる。
 しかし、よくしらべてみると、このかみそりの使い方は、ずいぶん不徹底なものである。論理的原子論をめぐってアームソンが "Philosophical analysis" の中で下した批判は、(まとはずれな点もないではないが)、ある程度、この間の消息をつたえている。つまり、ラッセルは、ある程度分析の見通しがたつと、それが完全に遂行可能かどうかみきわめないで、分析は終わったとしてしまう点がある。(松下注:「終わった」のではなく、その道具立てでどこまでいけるか、先にいってみよう、という方がより適切な表現ではないか?)
 アームソンとは少しちがった角度からこのことを論ずるために、例の「数学は論理学に還元される」とう彼の有名なテーゼを考えて見よう。このテーゼは、もちろん、ペアノの自然数に関する公理糸が、集合論的な解釈をうけうるという事実にもとづいている。つまり、彼の場合、論理学とは、集合論にほかならないのである。
 自然数論の集合論的解釈については、現在の論理学の議論は、かなり精密の度を加えてきた。たとえば、ペアノの公理系といったところで、数学的帰納法の公理をどれだけ強くとるかをきめなくては、具体的に何を意味するのかはっきりしないが、この強さについても明確な表現ができるようになった。そういうこまかな点までたちいらなくては、自然数論と集合論との関係について、きちんとした議論はできないわけである。
 しかし、ここは、そういう技術的な問題にたちいる場所ではないであろう。そこで、端的につぎの点を問題にしたい。
 公理化された自然数論が集合論的な解釈を受けることにより論理学に還元されるとラッセルはいうが、では、集合論自体が公理化され、したがって、さまざまな解釈をゆるすようになったら、事態はどうなるのであるか。たとえば、公理化された集合論が自然数論によって解釈を受けるとすれば、「基本的なのは集合論ではなく、自然数論である」ともいえることになりはしないか。
 この問は、ごく自然なものであり、たとえばレーヴェンハイム=スコーレムの定理(松下注:LS定理は、'1階'の言語にのみあてはまる由。『岩波哲学思想辞典』p.1718参照)などによって、ある程度肯定的に答えられたものであるにかかわらず、ラッセルは、この問のことをあまり真剣には考えていないようである。そのことは、たとえば、"My Philosophical Development" 第10章をみればわかる。
 そこでラッセルは、ヒルベルト達の形式主義を非難して、「形式主義者のたてる演算の規則は、零が百を意味しても、千を意味しても、あるいは一万を意味しても、同様によくあてはまるではないか。彼らの理論によれば、'この部屋に3人の人がいる'という文の意味を理解することさえ不可能になってしまう。」という趣旨のことをいっている。この発言が、ヒルベルトについてのかなり大きな誤解にもとづいていることは、今は論じない、しかし、この発言によれば、ラッセルは、彼が「世界」についてのべていること全体自体が(のぞむらくは首尾一貰した)'一つの公理論'にまとめあげられる可能性を全然考慮にいれていないように思われる。なぜなら、もしこの可能性があれば、この公理論は、別の人間が「世界」(あるいは自然数の集合、あるいは天使と神との集合、そのほか何でもよい)についてもつ意見の総体をあらわす公理論によって解釈をうける可能性が生じるからである。そうして、ヒルベルトの自然数論で「零が千になってもかまわない」ということは、一つの自然数論がもう一つの自然数論によって解釈を受けることの典型的な例にほかならないからである。
 このことをラッセルがあまり真剣には考えないというのは、彼にとって集合論的な世界(その内部構造の細目についての彼の意見が時とともに変化したことは、もちろん有名なことであるにせよ)、最終的な基盤と「感じられて」いることを意味する、ちょうど、クロネッカーにとって、自然数が神の数であったように。
 数学基礎論の問題に関連して、「彼(やラムゼイ等)が論理主義者の天国に安住している」というヴァイル(Weil:ワイル)の指摘は有名であるが、この指摘も、似たような消息をつたえているように思われる。
 あるいは、「哲学は言語について語りえても世界については語りえない」とする、一部の言語分析学派の哲学者のテーゼに対して、ラッセルが、非常に同情を欠いた態度で接しているのも、この辺に原因があるのかも知れない。もちろん、このテーゼを、常識的な意味でとれば、それは、馬鹿げたことをいっているのである。しかし、なぜ、この馬鹿げたことを人々がいいたくなるかというと、それは、(公理論の解釈を一例とする)言語の相対性という事実に人々が気がついたからである。
 とはいえ、言語が絶対的な意味をもちえないというのは、「絶村性」に強い要求を課するからである。言語体系は、さまざまな解釈の可能性にかかわらず、かなりの内的整合性をもちうる。だから、解釈を異にするもの同志も、内的整合性だけをたよりにして、かなりの程度まで話を通じ合うことができるし、そのかぎりで、一つの世界をみているのだということもできよう。グループを小さくとれば解釈それ自体においても一致することができるかも知れない。(いうまでもないが、ここの文章の意味それ自体も、もちろん相対化されることをさけえない。)日常言語学派の努力は、このようなグループ内の一つのなかでの、言語体系の整備をめざすものととれる。そうして、ラッセルも、日常言語学派の哲学者も、ともに、広い意味での経験論的な文脈で話す点では、もちろん、かなり近いところにいる。しかし、ラッセルは、グループ内で言語がどのように話されてきたかという点にはあまり重きをおかず、言語はどのように話すべきかという点についての自分の意見を強く主張する。
の画像
 では、このようなラッセルの態度には、科学の発展に即して日常言語の用法を改造して行こうとする、アメリカの再構成主義者の態度と通う点があるのであるか。たしかに、そういう一面が彼にみられることは事実である。彼はしばしば、科学の名において、日常言語学派の保守性をあざわらうからである、しかし、彼の少くとも近年の仕事が、科学の進歩に貢献しているとは、ちょっといいにくい。彼が大分得意らしい、「科学的推論に必要な5つの公準(松下注:『人間の知識』第6部第9章参照)にしたところで、トルーイズムか、さもなくば、あまりに漠然とした内容しかのべておらず、これを抽出することが科学の進歩に益する所以であるとはいえないのではなかろうか。あるいは、真理の問題に関する発言にしてもそうである。
 やはり、彼は、科学そのものを目的にするよりは、自分にとって「世界」がどうみえるかをいいあらわしたくて、苦心して来た人間のようである。そうして、他人にとって世界がどうみえるかは、彼はあまり意に介さないように思われる。(松下注:このあたりは、少し曲解気味であるように思われる。)

 
 ところで、奇妙なのは、ラッセルにとっての世界の見え方である。
 よく知られているように、彼は、1898年の終りごろまでは、一種のへーゲル主義者だった。それが、関係について新しい考え方をするようになってからは、一種のプラトン主義者になり、やがて、近代論理学の提供したオッカムのかみそりをつかって、実体の数をへらしはじめるようになる。この一連の思想の発展は、彼自身もみとめているように、主として、言語上の問題にかかずらわることによってなしとげられた。くわしくいうと、それは、言語の用法についてのある約束からでてくるように思われる困難を、約束をとりかえることにより解消するという操作によっておこなわれた。この際、困難の解消法は一義的にきまってはいなかったことに注意しよう。(前にあげた、存在論の例を考えてほしい。)
 しかも、驚くべきことには、約束がとりかえられるたびに、世界そのものが、彼にとっては、新しい姿をとってみえて来るのである。たとえば、へーゲルから離れさった直後の時代の彼にとって、さまざまなユニヴァーサルは、プラトン的な天のどこかに存在するものであった。それが、オッカムのかみそりによって、一つ一つ消えて行き、かつ、このことは彼の情緒に痛い失望を与えたといわれる。しかし、彼自身みとめているように、オッカムのかみそりは、あるものが存在する根拠とみえていたものを消し去りはするが、しかし、積極的にそのものの非存在を証明はしない。だから、たとえば、数の概念が集合論の概念だけで構成可能であるからといって、どこかのプラトン的な国に'数'が住んでいると信仰することを止めなくてはならない理由はない。逆にまた、たとえば、「集合を変域とする変項なしには集合論の公理系を書きあげることは不可能であることが証明されたとしても、だからといって、集合が住んでいるプラトン的な国がどこかにあるのだと想像しなくてはならない理由もない。「プラトン的な国がある」(このことばは、ここでは、ラッセルの語法にしたがってつかっている)という命題の真偽は、「我々の理想言語を述語論理で表現した場合、最小限、何種類の変項が必要か」という問題の答とは、まったく独立にきめることができるはずのものである。一方ではこのことを認めているラッセルの世界において、それにもかかわらず、プラトン的な国が、変更の種類のあり方によって生じたりほろびたりするというこの事情のなかに、小文のテーゼの証明をみいだそうとするのはあやまりであろうか。
 もう少し別の面からいうと、ラッセルは、幼年時代にもっていながら、少年時代にすてざるをえなかった宗教の代用品をもとめて哲学(松下注:当初は「数学」)におもむいた人間である。そうして、少年時代に彼が宗教をなげすてたのは、それがもっているとみえた論理的な根拠づけが無効なものであることをみやぶったからである。この、「みかけ上の論理的な根拠づけが実は不在であること」をみやぶることにより、一つの世界観をなげすてるやり方は、「絶対的な確実性」をもとめる情緒にもとづいている。この情緒は、かなり後まで、彼が、自分の古い学説をすてさる時にはたらく。ところで、新しい学説へ彼をみちびくのは、この情緒ではなくて、「こっちの学説の方が当面の困難を回避できる」とする、もう少し理論的な見とおしである。けれども、もちろん、この見とおしは「あらゆる困難が回避できるはずだ」という確たる見とおしではない。つまり、絶対確実性を保証するものではない。にもかかわらず、しばらくの間、彼は新しい世界に安住する。つまり、哲学は、宗教の代用品をしてくれるのである。(松下注:これは「言いすぎ」あるいは「不適切な表現」と思われる。理論的な納得による精神の安定と絶対神の信仰による情緒の安定とは別物であろう。)しかし、やがて、新しい困難が生じたり、オッカムのかみそりが運動をはじめたりして、彼の世界は変化して行くのである。この過程は、明らかに、論理的なものというよりは、心理的なものであるというべきであろう。そうして、彼が、その時々の自分の世界をいいあらわすのに適したことばづかいに執着したがる気持の強さからおして、この心理的なものには、情緒という名をあたえるのが適当かと思われる。

 
 もちろん、こういったからといって、ことば乃至論理の方が彼の情緒をひきずって行った面のあることを否定しようというのではない。ただ、そういう面については、これまでにもしばしば語られてきたから、ここでは、あえて異をたててみたのである。
 というよりは、彼の情緒は、論理そのものを有力な触発因として働くものであるといった方が適切であろうか。とにかく、彼の哲学の発展のしかたに、論理的という形容詞をつけるのは、ある程度までは妥当なことであるかも知れない。しかし、一時そうとられた程に徹底した意味では、論理的ではないとするのが正しいように思われる。
 そうして、最近の彼は、「非論証的な推論の有効性」を大はばにみとめだしたりして、次第に、絶対的な確実性をもとめる情緒をふりおとしてきたようにみえる


 さて、以上のことは、ラッセルの哲学としての価値を云々することを目的として書かれたものではない。情緒にみちびかれて哲学を発展させることそれ自体は、別に、恥とすべきことでもなければ、誇りとすべきことでもないであろう。
 この発展をながめる人が哲学のあるべき姿をどうとるかによって、評価はおのずからかわってこよう。日常言語学派に属する人々は、かつて、ラッセルをきわめて論理的な哲学者であると買いかぶりすぎていたのではなかったか。そうして、後期のヴィトゲンシュタインなどの感化によって、ラッセルの哲学の情緒的でしたがってドグマ的な性格をみぬくや否や、失望のあまり、(日常言語学はの哲学者達は、)ラッセルのみならず、論理学それ自体についても、きわめて否定的な評価をくだすようになってしまったと思われる節がある。
 これに反して、アラン・ウッドのようなベルグソン主義者は、ラッセルが情緒にみちびかれて、さまざまの角度から世界をながめる旅に出ての結果を我々に報告してくれるので、よろこぶことになるのであろう。(松下注:A.ウッドをベルグソン「主義」者である、と言うのは決めつけではないか?)

 筆者の感じを最後に一言つけ加えることをゆるされるなら、次のようにいいたい。ラッセルが、「'ことば'は世界について何ごとかをのべるためにあるのだ」と強調したがる気持ちはよくわかる。しかし、「世界について何ごとかをのべる正しいやり方は、一つしかない」と彼が確信しているらしいのはなぜなのか、私には、どうしても了解できないのである。
 そうして、実はこの疑問を、筆者は、ラッセルをその一人とする、伝統的哲学者全体につつしんで捧げたいと考えているものである。