外二蕎麦(そとにそば)?

 そば粉とつなぎ(の小麦)の割合によって、十割そばと言ったり、二八そばと言ったりします。一昨日だったか、テレビを見ていたら「外二そば」という言葉がでてきました。何を言っているのか最初よくわかりませんでした。
 蕎麦屋の主人?の説明によると「(そば粉とつなぎの割合が10:2となる)二八そばの一種」とのことでした(説明図参照)。

 しかし、この説明には以下のような理由で納得できません。

 1.「七三そば」も「十割そば」も「そば粉」に対して「つなぎ」がどれだけの割合かを言っているのに、「二八そば」は逆(つなぎ二に対しそば粉八)になっており、一貫性がない。(「八二そば」と言うべきところ)

 2.流布しているので「二八そば」という言い方を認めるとしても、「税金の外税と内税」とは性格が異なるので、「内二」はよいが「外二」という言い方はやめたほうがよい

 3.「内二」の比率を「8:2」、「外二」の比率を「10:2」としているが、それぞれ、「4:1」及び「5:1」と考えるのが自然。

 4.「二八そば(外二)」の「そば粉とつなぎ」の割合(10:2 → 5:1)に固有の名前をつけたいのなら「五一そば」とでも言うべきもの。そうすれば一貫性がでてくる(まさか、そば粉83.3%、つなぎ16.7%なんて言う人はいないですね?)。
 5.「そば粉10に対し、つなぎを2にします」という言い方を平気でする人は、算数や数学のセンスがない





“more than one meaning”の日本語訳

 以下は、明日配信予定の(メルマガ)「バートランド・ラッセルの英語 」(n2539)の原稿です。  

 早とちりで不用意な日本語訳をしないように注意 – たとえば、
  ”more than one meaning”を文字面だけで日本語にしたりしいない」===================================================
英語学習の某参考書から引用
 次の英文のなかの ###以降の部分を日本語に訳しなさい

Equivocation means using words ambiguously. Often done with
intent or deceive, it can even deceive the person who is
using the expression. ### Equivocation occurs when words are
used with more than one meaning, even though the soundness of
the reasoning requires that the same use be kept throughout.

 ”Equivocation”は難しい単語ですが、その説明が最初に書かれていますので、この単語の意味が分からなければ解答できないということはありません。”ambiguously”(曖昧に)は意味を知っていなければいけない単語ですが、###以降で言い換えられています。

  ”more than”を「・・・以上」と訳すのは間違いです。「1つ以上」は「1つ」を含みます。従って「複数(←2つ以上)」と訳さないといけません。すると、次のような訳になります。

 「論理の健全性のためには同じ(意味での)使い方を続けることが必要であるにもかかわらず、単語が複数の意味で使用される場合、曖昧さが生じる。
==================================================

 ”more than one” “not more than one” について見ると・・・

1.ラッセルの用例

I think all the great religions of the world – Buddhism, Hinduism,
Christianity, Islam, and communism – both untrue and harmful. It is
evident as a matter of logic that, since they disagree, not more than
one of them can be true.
[世界の全ての偉大な宗教 – 仏教,ヒンズー教,キリスト教,イスラム教及び共産主義(注:ラッセルから見れば狂信的な「共産主義」も宗教の一種)- は,真理でない(虚偽である)と同時に有害である,と私は考える。論理の問題として見れば明らかなことであるが,それらの偉大な宗教はお互い意見が合わない以上(注:いずれも自分たちが「絶対に正しい」と言っている以上),正しい可能性のある宗教は,せいぜい一つだけである(=「可能性」なので,全ての宗教が誤りであることも十分ありうるというニュアンス)。
 出典:ラッセル「なぜ私はキリスト教徒ではないか」
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/reitan-n013.htm

It is also now generally known by those who have taken the trouble to
look into the matter that only an international government can prevent
war, and that civilization is hardly likely to survive more than one
more great war, if that.
[また,問題を(真摯に)研究する労をとった人々の間では,国際的な政府(を創ること)のみが戦争を妨止できるのであり,もし戦争が起これば,さらなる世界大戦が複数回起こった後には,文明が存続することはほとんどありそうもない。]

  • 1回と訳すのと2回と訳すのでは非常に大きな違いがでてきてしまいます。残念ながら、定評のある市井三郎先生の訳(理想社刊『人類の将来』)でも「1回以上」となっています。
     出典:ラッセル「人類に害を与えてきた思想」
     詳細情報:https://russell-j.com/beginner/0861HARM-200.HTM

Such functions can only be generated by the sort of relation which I
call ‘one-many’ – i.e. the sort of relation which not more than one
term can have to any other.
[「一対多」の関係とは、任意の他の項に対して、ただ1つの項のみ(not more than one)が持つことができるような(2つ以上の項を持ち得ない)関係である。]

  • 残念ながら、評判のよい野田又夫先生の訳(みすず書房『私の哲学の発展』でも「1つ以上の項を持ち得ない」と訳されています。これでは「1」つの項しか持っていない「1対多」の関係は存在しなくなります。
     出典:ラッセル『私の哲学の発展』第8章 「数学原理ーその数学的側面」
     詳細情報: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_08-050.HTM

2.参考

  • 現在の版では修正されているでしょうが、下記の評判の良い英和辞典では不適切な誤訳をしています。2年は経過をしていないのなら、1年よりも長く滞在した」とする必要があります。因みに、同じ研究社の英和大辞典ではそんな不注意な訳はしていません。
     She stayed in Paris (for) more than one year.
     「彼女はパリに1年以上滞在した。」
     出典:『研究社中辞典-第4版』p.986

    More than three books 
     [4冊以上の本]
     出典:『研究社新英和大辞典』

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ラッセル「哲学と政治」(1947)n.2

 

大部分の文明諸国においては、大部分の時代において、哲学は、当局(authorities 政府、行政府)がその公的見解を持っている問題(注:a matter 事柄、考慮すべきこと)であったし、自由民主主義が普及しているところを除いて、現在でもそうである(this is still the case.)。 カトリック教会はトマス・アクィナスの哲学と関係があり(注:be connected to 結びついている)、ソビエト政府はマルクスの哲学と関係がある。ナチスはドイツ観念論を支持したが、カント、フィヒテ、及びヘーゲルのそれぞれに与えられる忠誠(allegiance )の程度は、明確には、定められなかった(注:lay down 規則などを定める)。 カトリック教徒、 共産主義者、及びナチス党員は皆、実際政治に関する自分たちの見解は理論哲学に関する自分達の見解と固く結びついている(be bound up with )と考える。民主的自由主義は、それが初期の成功においては、 ロックによって発展させられた経験主義哲学と結びついていた。私はこうした哲学と政治体制との関係をその実際にあったがままの姿において考察し その関係はどの程度まで論理的に妥当なものであるか、そうして、たとえ論理的ではないにしても、一種の心理的な必然性(psychological inevitability)をどの程度まで持っているか、探求したい。論理的あるいは心理的な関係がどちらかある限り、一人の人間のもつ哲学は実際的な意味を持っており、一つ の支配的な哲学は人類の大部分の幸不幸と関係を持つ可能性がある(のである)。
Philosophy and Politics, (1947), n.2
In most civilized countries at most times, philosophy has been a matter in which the authorities had an official opinion, and except where liberal democracy prevails this is still the case. The Catholic Church is connected to the philosophy of Aquinas, the Soviet Government to that of Marx. The Nazis upheld German idealism, though the degree of allegiance to be given to Kant, Fichte or Hegel respectively was not clearly laid down. Catholics, Communists, and Nazis all consider that their views on practical politics are bound up with their views on theoretical philosophy. Democratic liberalism, in its early successes, was connected with the empirical philosophy developed by Locke. I want to consider this relation of philosophies to political systems as it has in fact existed, and to inquire how far it is a valid logical relation, and how far, even if not logical, it has a kind of psychological inevitability. In so far as either kind of relation exists, a man’s philosophy has practical importance, and a prevalent philosophy may have an intimate connection with the happiness or misery of large sections of mankind.

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ラッセル「哲学と政治」(1947) n.1

 イギリス人は、近代ヨーロッパの国民のなかで -- 一方で自国の哲学者達が優れていることで、他方で哲学を軽蔑することで -- 際立っている。両方の点で、彼ら(イギリス人)の知恵を示している。 しかし、哲学に対する軽蔑も、それが体系的になるところまで発展すると、それ自身一つの哲学となる。 (即ち)アメリカにおいて、「道具主義(instrumentalism)」とよばれる哲学がそれである。私が示唆しようとしているのは、哲学はもしそれが悪しき哲学であるならば危険である可能性があり、それゆえ、我々が雷や虎に与える(accord to)のと同程度の否定的な尊敬(negative respect 尊敬の反対 → 敬遠)に値する、ということである。 「良い」哲学に対してどのような尊敬が払われるべきかは、しばらくの間は、未解決のままにしておこう。
 私の講演の主題である,哲学と政治との関係は、(これまで)イギリスにおいては、(ヨーロッパ)大陸諸国ほど、明らかではなかった。経験主義は、大ざっぱに言って、自由主義(リベラリズム)と結びついているが、しかし、(経験主義者の)ヒューム は保守主義者であった。また哲学者が「観念論」と呼ぶものは、一般的に、保守主義との同様の結びつきを持っているが、(観念論者の)T. H・グリーンは自由主義者(リベラル)であった。ヨーロッパ大陸では、イギリスよりももっと区別がはっきりしており、、その学説の部分部分を批判的に吟味することなく、一塊の学説を一つの全体として、受け入れるか拒否する傾向が(これまで)ずっと強く存在している。
Philosophy and Politics, (1947), n.1
The British are distinguished among the nations of modern Europe, on the one hand by the excellence of their philosophers, and on the other hand by their contempt for philosophy. In both respects they show their wisdom. But contempt for philosophy, if developed to the point at which it becomes systematic, is itself a philosophy; it is the philosophy which, in America, is called “instrumentalism.” I shall suggest that philosophy, if it is bad philosophy, may be dangerous, and therefore deserves that degree of negative respect which we accord to lightning and tigers. What positive respect may be due to “good” philosophy I will leave for the moment an open question.

The connection of philosophy with politics, which is the subject of my lecture, has been less evident in Britain than in Continental countries. Empiricism, broadly speaking, is connected with liberalism, but Hume was a Tory; what philosophers call “idealism” has, in general, a similar connection with conservatism, but T. H. Green was a Liberal. On the Continent distinctions have been more clear cut, and there has been a greater readiness to accept or reject a block of doctrines as a whole, without critical scrutiny of each separate part.
 Source: Philosophy and Politics, (1947), n.1
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 1
  More info.:https://russell-j.com/cool/UE_01_philosophy_and_politics-010.HTM

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(22)」(終)

 現代の世界は,二種類のことを必要としている(注:stands in need 必要な状態にある)。一方では,組織が必要であり,戦争をなくすための政治的組織,特に戦争によって荒廃させられた国々において,人々を生産的に働かせるような経済的組織,健全な国際主義を産み出すための教育的組織が必要である。他方で,現代世界は,ある種の道徳的特性(注: moral qualities 倫理的素質/倫理的優良性) -長年の間,モラリストたちによって唱道されてきたけれどもこれまでほとんど身につかなかったような諸特性(素質)- を必要としている。もっとも必要な(倫理的)特性は,慈愛と寛容とであり,種々の激しい主義が提供するような,何らかの形態の狂信的な信念ではない。
私はこれら二つの目的,すなわち組織の目的と倫理的な目的とは,相互に密接に織り合わされていると考える。いずれか一方が与えられれば,他方は間もなく生じてくるであろう。しかし,実際には,もしも世界が正しい方向に動くべきであるとするならば,両面が同時に動かねばならないであろう。戦争の自然な余波である悪しき情熱が,徐々に減少してゆかねばならないであろうし,また人類が相互に助けあえるような組織を,徐々に増やしてゆかねばならないであろう。我々の全てが一つの家族であり,この家族のどの部分の幸福も,他の部分の荒廃の上にしっかりと築くことはできないという, 知的であると同時に道徳的な認識がなければならないであろう。現代においては,道徳的欠陥が明噺な思考を妨げており(注:stand in the way of clear thinking),混乱した思考(明晰な思考ができないこと)が道徳的欠陥に拍車をかけている。私はあえてそれを望もうとするものではないが,ことによると(perhaps)水素爆弾が人類を恐怖させ,人類を正気と寛容さとに追いこむだろう(注:perhaps なので、可能性が大きいわけではない。)。もしもそのようなことになれば,我々は水爆の発明者を祝福していい理由をもつことになろう(注:水爆の存在を評価してわけではなく,「もし万が一でもそういう結果をもたらせば・・・」という,逆説的な言い方をしている)。(終)
The world at the present day stands in need of two kinds of things. On the one hand, organization – political organization for the elimination of wars, economic organization to enable men to work productively, especially in the countries that have been devastated by war, educational organization to generate a sane internationalism. On the other hand it needs certain moral qualities – the qualities which have been advocated by moralists for many ages, but hitherto with little success. The qualities most needed are charity and tolerance, not some form of fanatical faith such as is offered to us by the various rampant isms. I think these two aims, the organizational and the ethical, are closely interwoven; given either the other would soon follow. But, in effect, if the world is to move in the right direction it will have to move simultaneously in both respects. There will have to be a gradual lessening of the evil passions which are the natural aftermath of war, and a gradual increase of the organizations by means of which mankind can bring each other mutual help. There will have to be a realization at once intellectual and moral that we are all one family, and that the happiness of no one branch of this family can be built securely upon the ruin of another. At the present time, moral defects stand in the way of clear thinking, and muddled thinking encourages moral defects. Perhaps, though I scarcely dare to hope it, the hydrogen bomb will terrify mankind into sanity and tolerance. If this should happen we shall have reason to bless its inventors.
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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(21)」

しかもそのこと(多数決原理)を民主主義者が信じるのは,普通の人の英知に関するいかなる神秘的概念からではなく,専制的暴力の支配のかわりに法の支配を代置するための,最良の実際的方策としてである。また民主主義者は,民主主義がいかなる時にもいかなる場所においても最良の体制であると必ずしも信じているわけではない。議会制度が成功するために必要な自制心と政治的経験とを欠いている国民は多くあり,そのようなところにおいては,民主主義者は,自分が必要な政治教育を手に入れることを望む一方,挫折することがほとんど確実であるような(民主主義)体制を,時機尚早に,その国民に無理に押し付けることは無益である,と認識するであろう。他の事においてもそうだが,政治においても物事を絶対的に取り扱うことは適切ではない(it does not do :適切ではない)。ある時期やある場所において良いものも,時と所を変えれば悪いものとなるかもしれないし,ある国民の政治的本能を満足させるものが他の国民にほまったく無益なものに思われるかも知れない。民主主義者の一般的意図は,力による政治を一般の同意による政治で置き換えることであるが,これには,ある種の一定の訓練を経験した民衆が必要となる。ある国民が,相互に憎みあっているようなほぼ同数の二つの部分にわかれていて,互いに相手ののど笛にとびかかりたがっているような状態があるとすれば,半数より少し少ない方の側は,他の側の支配におとなしく従わないであろうし,また半数より少し多い方の側は,勝利のあかつきには,両者の不和を癒やすような穏健な態度を示さないであろう。
And this he believes not from any mystic conception of the wisdom of the plain man, but as the best practical device for putting the reign of law in place of the reign of arbitrary force. Nor does the democrat necessarily believe that democracy is the best system always and everywhere. There are many nations which lack the self-restraint and political experience that are required for the success of parliamentary institutions, where the democrat, while he would wish them to acquire the necessary political education, will recognize that it is useless to thrust upon them prematurely a system which is almost certain to break down. In politics, as elsewhere, it does not do to deal in absolutes; what is good in one time and place may be bad in another, and what satisfies the political instincts of one nation may to another seem wholly futile. The general aim of the democrat is to substitute government by general assent for government by force, but this requires a population that has undergone a certain kind of training. Given a nation divided into two nearly equal portions which hate each other and long to fly at each other’s throats, that portion which is just less than half will not submit tamely to the domination of the other portion, nor will the portion which is just more than half show, in the moment of victory, the kind of moderation which might heal the breach.
Source: Ideas That Have Harmed Mankind,1946
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 1
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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(20)」

 道徳的な観点から純粋に知的な観点へ移ることにして,我々は,政治家が政治的決断をする際に助けとなるような因果法則を確立する方向(途上)において社会科学は何をなしうるかと,自問自答しなければならない。現実的な重要性を持つ若干のこと -たとえば前の戦争(注:第二次世界大戦)の後に世界を苦しめたような不況や大規模な失業はどうすれば回避できるか- はすでに認識され始めている。また,問題を(真摯に)研究する労をとった人々の間では,国際的な政府(を創ること)のみが戦争を妨止できるのであり,もし戦争が起これば,さらなる世界大戦が複数回起こった後には,文明が存続することはほとんどありそうもない(注:人類は絶滅しなくても,文明は再生しそうもない,といったニュアンス: more than one more great war :more than one 1回より多く=2回以上→複数回/ more than one more great war : さらなる大戦が複数回/従って「1回以上」(再び)と訳してはいけない),ということは一般に理解されている。しかし,これらのは知られてはいるが,その知識は有効な効果を及ぼしていない。その知識は巨大な大衆には惨透しておらず,また(J. ベンサムの言う)邪悪な利益(注:sinister interests 支配する少数者の既得権益)をコントロールするほどの力をもっていない。実際のところ,政治家たちが進んで適用しようとするあるいは適用できる以上に,多量の社会科学が存在している。このような欠陥を,民主主義のせいにする人々もいるが,私には,独裁主義国(専制主義国)における方が他のどの国よりも,その欠陥が顕著であると思われる。けれども,他のいかなる信念とも同様に,民主主義を支持する信念も,それが狂信的であり従って有害であるような地点にまで,運ばれていってしまうかも知れない(しまうことがありうる)のである。過半数が常に賢明な決定をおこなう,などと民主主義者は信じる必要はない。彼が信じなければならないのは,過半数の決定をそれが賢明であると否とにかかわらず,過半数が異なった決定をする時がくるまで,受け容れなければならない,ということである。
Passing from the moral to the purely intellectual point of view, we have to ask ourselves what social science can do in the way of establishing such causal laws as should be a help to statesmen in making political decisions. Some things of real importance have begun to be known, for example how to avoid slumps and largescale unemployment such as afflicted the world after the last war. It is also now generally known by those who have taken the trouble to look into the matter that only an international government can prevent war, and that civilization is hardly likely to survive more than one more great war, if that. But although these things are known, the knowledge is not effective; it has not penetrated to the great masses of men, and it is not strong enough to control sinister interests. There is, in fact, a great deal more social science than politicians are willing or able to apply. Some people attribute this failure to democracy, but – it seems to me to be more marked in autocracy than anywhere else. Belief in democracy, however, like any other belief, may be carried to the point where it becomes fanatical, and therefore harmful. A democrat need not believe that the majority will always decide wisely; what he must believe is that the decision of the majority, whether wise or unwise, must be accepted until such time as the majority decides otherwise.
Source: Ideas That Have Harmed Mankind,1946
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 1
  More info.: https://russell-j.com/beginner/0861HARM-200.HTM

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(19)」

 私的な生活におけると同様に,公的な生活においても,重要なことは,将来を読みとる超人間的な能力を仮定しない(注:without the presumption of a superhuman ability 超人的な能力があると言う僭越さのない)寛容及び優しさ(親切心)である。
 この小論を「人類に害を与えてきた思想」と名づけるかわりに,「思想は人類に害を与えてきた」と端的に名づけた方が,おそらく,よかったかもしれない。というのは,未来は予言できないこと,また未来に関する可能な信念にはほとんど果てしないと言える多様性があるということ,を理解すると,ある人間が抱くかも知れないいかなる信念も,それが真となりうる見込みはきわめてわずか(slender)であるからである。10年後に起こるであろう,と(我々が)どのようなことを考えても,それが人間関係とはまったく関係がない「明日も太陽が昇る」といったようなことでない限り,我々の考えが誤まりであることはほぼ確実である。私自分自身が性急に行ったいくつかの陰うつな予言を思い出す時,このような考えは,私の心を慰めるものであると感じるのである。
 しかしあなたは言うだろう。将来がある程度予言できるという仮定に立たないとすれば,政治的手腕(政治家の手腕)はどのようにして可能になるのか,と。私は,ある程度の予知(先見)が必要であることを認める。また,我々はまったく無知だということを示唆しているつもりもない。もし諸君がある人に向かって,お前は悪党(knave)で愚かだと言えばその人はあなたを愛さないであろう,というのはまともな予言である。また諸君が同じことを七千万の国民(注:英国民のこと?)に言えば,その国民はあなたを愛さないであろう,というのも正当な予言(fair prophecy)である。お互いの生命を脅やかすような競争が,競争者の間に良い仲間意識(連帯感)という感情を産まないだろう,と仮定することは安全である。もしも,近代的な武装を有する2つの国家が前線で対峙していて,両国の指導者が互いに他を侮辱しあうことに専念するとしたら,両方の国民がそのうちに神経質になり,一方の側が他方の側からの攻撃を恐れて攻撃を始めるということも,とてもありそうなことである。(それから)現代における大規模な戦争は戦勝国側においてさえ繁栄の水準を上げないであろう,と仮定することも安全である。こういった一般化を理解することは,難しいことではない。難しいのは,具体的な政策が長期的にどのような結果をもたらすか,といったことを詳細に予見することである。ビスマルク(注:ドイツの鉄血宰相)は異常な機敏さによって,三度の戦争に勝利してドイツを統一した。(しかし)彼の政策の長期的結果は,ドイツが二度のとてつもなく大きな敗北(注:第一次世界大戦tと第二次世界大戦での敗戦)を被った,ということであった。そのような結果が生じたのは,ビスマルクがドイツ人たちに,自国以外のすべての国々の利害(国益)に無関心であれと教え,侵略的精神を生み出し,そのことが世界中を結束させ,ビスマルクの後継者たちに敵対させるにいたったからである。限度を越えた利己心は,それが個人の場合であれ国家の場合であれ,賢明とはいえない。その利己心が運よく成功をもたらすこともありうるが,それが失敗した場合には,その失敗は恐るべきものとなる。理論によって支えられない限り,このような危険を冒す人々はごく少ないであろう。というのは,人々を完全に慎重でなくさせるものは,理論だけだからである。
In public, as in private life, the important thing is tolerance and kindliness, without the presumption of a superhuman ability to read the future.
Instead of calling this essay ‘Ideas that have harmed mankind’, I might perhaps have called it simply ‘Ideas have harmed mankind’, for, seeing that the future cannot be foretold and that there is an almost endless variety of possible beliefs about it, the chance that any belief which a man may hold may be true is very slender. Whatever you think is going to happen ten years hence, unless it is something like the sun rising tomorrow that has nothing to do with human relations, you are almost sure to be wrong. I find this thought consoling when I remember some gloomy prophesies of which I myself have rashly been guilty.

But you will say: how is statesmanship possible except on the assumption that the future can be to some extent foretold? I admit that some degree of prevision is necessary, and I am not suggesting that we are completely ignorant. It is a fair prophecy that if you tell a man he is a knave and a fool he will not love you, and it is a fair prophecy that if you say the same thing to seventy million people they will not love you. It is safe to assume that cutthroat competition will not produce a feeling of good fellowship between the competitors. It is highly probable that if two States equipped with modern armament face each other across a frontier, and if their leading statesmen devote themselves to mutual insults, the population of each side will in time become nervous, and one side will attack for fear of the other doing so. It is safe to assume that a great modern war will not raise the level of prosperity even among the victors. Such generalizations are not difficult to know. What is difficult is to foresee in detail the long-run consequences of a concrete policy. Bismarck with extreme astuteness won three wars and unified Germany. The long run result of his policy has been that Germany has suffered two colossal defeats. These resulted because he taught Germans to be indifferent to the interests of all countries except Germany, and generated an aggressive spirit which in the end united the world against his successors. Selfishness beyond a point, whether individual or national, is not wise. It may with luck succeed, but if it fails failure is terrible. Few men will run this risk unless they are supported by a theory, for it is only theory that makes men completely incautious.

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(18)」

 神に与えられた使命だと信じることは,これまで人類を苦しめてきた確信の多くの形態の一つである。恐らく,今までに言われた言葉のうちで,もっとも賢明なものの一つは,ダンバーの戦いの前に,クロムウェルがスコットランド人に言った次のような言葉だと思う。「キリストの慈悲において,あなた(方)に懇願します。自分(たち)が間違っていることもありうる,と考えてください。」しかし,スコットランド人は,そうは考えなかったので,クロムウェルは戦いで彼等を打ち破らねばならなかった。しかし,クロムウェルが,同じ言葉(物言い)を一度も自分自身に対して言わなかったのは,残念なことである。人間が(同じ)人間に対して行ってきた最大の悪の大部分は,実際は誤まっている何事かについて,まったく確実だと感じた人々によって(を通して)行なわれてきたことである。真理を知ることは,大部分の人々が考えるよりももっと難しいことであり,真理を独占するのは自分たちの党派だ,と信じて無慈悲な決意を持って行動することは,大きな災害を招くことである。現在におけるある種の悪は,将来におけるいくらか疑わしい利益のためにあえて行う価値がある,という長期的な推定(計算)は,常に疑いを持って眺めなければならない。なぜなら,シェイクスピアが言っているように,「将来というものは,いまだ確実ではない」からである。最も洞察力のある人でさえ,十年もの将来を予言するような場合には,ひどく外れがちである。このような説を不道徳だと考える人がいるかも知れないが,結局のところ,「明日を思い煩うことなかれ」と述べているのは聖書なのである。
Belief in a Divine mission is one of the many forms of certainty that have afflicted the human race. I think perhaps one of the wisest things ever said was when Cromwell said to the Scots before the battle of Dunbar: ‘I beseech you in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken.’ But the Scots did not, and so he had to defeat them in battle. It is a pity that Cromwell never addressed the same remark to himself. Most of the greatest evils that man has inflicted upon man have come through people feeling quite certain about something which, in fact, was false. To know the truth is more difficult than most men suppose, and to act with ruthless determination in the belief that truth is the monopoly of their party is to invite disaster. Long calculations that certain evil in the present is worth inflicting for the sake of some doubtful benefit in the future are always to be viewed with suspicion, for, as Shakespeare says: ‘What’s to come is still unsure.’ Even the shrewdest men are apt to be wildly astray if they prophesy so much as ten years ahead. Some people will consider this doctrine immoral, but after all it is the Gospel which says ‘take no thought for the morrow’.
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「疑似関係詞としての”as”(as の直後が名詞が欠落した構造のもの)」

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 佐藤ヒロシ『andとasの底力』(プレイス、2015年刊)pp.133-1344から引用

 ”as”の訳語を考えるにあたっては、まず品詞(前置詞か、接続詞)を確認する必要があります。・・・。
 ”as”が(次の例のように)後続に名詞(主語か目的語)の欠落した文を伴う場合は「関係代名詞」とされますが、これ”which”や”who”などの純粋な関係
詞とは異なり、本来の用法である接続詞的な性格が残っています。(よって、疑似関係詞と呼ばれます。) As ● is evident form his accent, he is a German.
(なまりからも明らかだが、彼はドイツ人だ。主語●が欠落k
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 ラッセルの用例

Happiness, as is evident, depends partly upon external circumstances
 and partly upon oneself.
[幸福は--明らかなことであるが--一部は外部の環境に、一部は自分自身に依存している]
 出典:ラッセル『幸福論』第17章「幸福な人」
 詳細:https://russell-j.com/beginner/HA28-010.HTM

Love is an experience in which our whole being is renewed and refreshed
as is that of plants by rain after drought. In sex intercourse without
 love there is nothing of this.
[草木が日照りの後の雨で生きかえるように,愛は,私たちの全存在が新しくよみがえり,生き生きとさせる1つの経験である。]
 出典:ラッセル『幸福論』第4章「退屈と興奮」
 詳細:https://russell-j.com/beginner/HA14-070.HTM

The qualities most needed are charity and tolerance, not some form of
fanatical faith such as is offered to us by the various rampant isms.
[もっとも必要な(倫理的)特性は,慈愛と寛容とであり,種々の激しい主義が提供するような,何らかの形態の狂信的な信念ではない。]
 出典:ラッセル「人類に害を与えてきた思想」
 詳細:https://russell-j.com/beginner/0861HARM-220.HTM

Fear is the source from which all these evils spring, and fear, as is
apt to happen in a panic, inspires the very actions which bring about
 the disasters that are dreaded.
[恐怖(心)はこれらのあらゆる害悪が生じる源泉であり、そうして(しかも)恐怖心は、パニックに陥った時に起こりがちなように,恐れられている惨害をもたらす当該行為を起こさせる(のである)]
 出典:ラッセル「オーウェルの『1984年』の徴候」
 詳細:https://russell-j.com/beginner/1070_SoO-090.HTM

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2022年はラッセル生誕150年