三浦俊彦による書評

★ 諸岡達一『死亡記事を読む』(新潮新書)

* 出典:『読売新聞』2003年9月7日掲載


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 十行程度の訃報が、知られざる専門や組織の存在を告げ知らせる。見出し語が、過去の事件やブームを呼び起こす。記事の大きさが、暗黙の価値観を明るみに出す。主要新聞の死亡記事を比較分析するという着眼は一種の奇想だ。
 掲載はスポーツ面か社会面か。晩年の住所が老人ホームだったと明記するかどうか。生前の名文句の発掘。一面と社会面での見出しキーワードの奪いあい。等々、現場の苦吟をいきいきと伝える筆致は元新聞記者ならではの味だ。
 特に面白いのは、著名人が複数死去した日を扱う章「ランランと三遊亭円生ではどっちが偉い!」。格付けにかかわる記事の相対的大きさは、たいてい肩書が絶対価値に優先し、タテマエがホンネに勝つという。だからこそ価値判断の物差しが狂わぬよう、新聞社は欧米並みに「死亡記事部」を設けよと提言する終章は、まさに警句づくし。単語のディテールから巨視的な歴史意識まで、個的な生の境を軽やかに跳び越えてゆく。

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