三浦俊彦による書評

丹治信春『クワイン』(講談社)

* 出典:『論座』1998年3月号,pp.272-273.
* 現代哲学のカリスマの明快な手引き 1998


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 いま刊行中の「現代思想の冒険者たち」シリーズの第19巻である。知的好奇心旺盛な社会人の中にも、「クワイン? 聞いたことないな……」という人が多いかもしれない。しかし、ことし90歳になるアメリカの哲学者ウィラード・ファン・オーマン・クワインこそは、今世紀後半の哲学界で最も過激なテーマセッティングを行ない、常に議論の中心となり、最も尊敬されてきた現代哲学のカリスマなのである。現存最大の哲学者を五指、三指と絞っていって、最後にひとり挙げろと言われたら、ほとんどの事情通はこのクワインに投票するに違いない。
 それなのになぜ日本でクワインの名が広く知られていないかというと、一つには知の市場のネットワークがフランス思想中心にできあがっていて英語圏の哲学はまだまだ認知度が低いということ、もう一つは、英語圏の哲学の中でもクワインは、ウィトゲンシュタインや日常言語学派のようなソフトな哲学ではなく、数学・自然科学と記号論理学の体系に即した緻密な言語分析を展開していて、その思想の中心が門外漢には掴みにくいということがあるだろう。
 それでもクワインの著作は主著『ことばと対象』『論理的観点から』(ともに勁草書房)をはじめ少なからず邦訳されており、雑誌『現代思想』88年7月号では増頁特集「クワイン」が組まれていた。そして一昨年に京都賞を受賞、クワインは二度目の来日をし、受賞記念ワークショップで活発な討論を巻き起こした。ジャーナリスティックには目立たないが、日本の学界でも確実な知的中軸を今もって形成している人なのである。
 そして実際、クワインの数理論理学は棚上げするにしても、それの応用成果である言語論や認識論を観賞することは、決して難しいことではない。科学哲学者丹治信春によるこの明快な解説書が、その最良の手引きであろう。大波のうねりにも似たクワイン哲学の変遷・改良を時代順に克明に追っていくのであるが、各章の頭にこれまで知られていなかったクワインの生い立ちやヨーロッパの哲学者たちとの知的格闘・相互影響のありさま、さらには日本の哲学者との交流といった情報をまぶして、実に立体的な「クワイン伝」になっている。
 とりわけ、論理実証主義の首領ルドルフ・カルナップへの傾倒・崇拝がしだいに疑惑、批判、そして反逆へと移ってゆく過程の筆致はわくわくさせられる。批判・反逆とはいっても断絶するわけではなく、相互吟味、反省、撤回、修正、説得から成るスリリングで熱っぽい議論が最後まで続けられたという。一人一家の文学的直感に頼った名人芸のようなフランス現代思想との最大の違いがここにみられる。英米のアカデミック哲学は、常に理科系的な相互批判と討論の中で一歩一歩はぐくまれてきたのである。
 といってもクワインは決して、視野を狭く限った専門的議論に没頭するわけではない。驚いたことに三十年前の論文で「五頭の牛」「三本の鉛筆」などというときの「頭の」「本の」という日本語独特の分類辞の分析を行なっているのである。その理論が京都賞ワークショップで蒸し返され、飯田隆の指摘を受けてクワインが自説を撤回したというくだりなどは、英米哲学と日本語との意外に親しいつながりを垣間見ることができるだろう。
 「ホーリズム(全体論)」「刺激意味」「翻訳の不確定性」「指示の不可測性」「存在論的コミットメント」「認識論の自然化」といった概念の絡み合いで織りなされるクワイン哲学の骨子は、俗っぽい言葉で言ってしまえば、「真実の姿をただ一通りに捉えることはどんな認識・言語をもってしても不可能である」ということだ。結論だけみれば、ポスト構造主義のお手軽なポップ哲学と大差ないように思われるかもしれない。しかしクワインの場合は背後に数学と論理学の厳密な体系が控えており、その基盤の上に積み重ねられた端正な論証の産物であるだけに、その説得力は一桁違う。哲学の限界を哲学自身が論証しているこの自己言及的洞察は、数学が数学自身の限界を証明してしまったあの衝撃的なゲーデル不完全性定理にも匹敵する業績ではないだろうか。人間自身が自然現象なのだから、哲学的な「知識の基礎づけ」などという自然を超越したような離れ業は人間には決してなしえない、というクワインの人間観・世界観は感動的ですらある。
 近年の犯罪や社会問題、コンピューター技術、医学、遺伝子生物学の進歩などは、クワイン流「自然主義的人間観」の正しさを示唆している、と著者は最後の六頁で述べている。これも、科学的な世界観を極限まで押し進め、科学という人間的認識自体を徹底して自然の中に相対化した謙虚なクワイン哲学ならではの印象だろう。
 巻末にはキーワード解説に加えて、年譜と主要著作ダイジェスト、読書案内が付いている。「アメリカ哲学はこんなに面白いのだ、カッコいいのだ!」と大声で布教したい私としては、格好の一冊。ぜひ多くの人に読んでもらいたい教養書である。