三浦俊彦による書評

★ 井田茂『異形の惑星』(NHK出版)

* 出典:『読売新聞』2003年7月13日掲載


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 この夏、火星大接近。五万何千年ぶりだとか。ほどよいこのスケール。素粒子とビッグバンという両極端の中間でこそ、やはり科学は最も科学らしい知識の実感を与えてくれるようだ。
 最近の系外惑星(太陽系外の惑星)発見について本書は言う。「『銀河宇宙の果て』へと外に広がったわけでも、脳や精神といった『内宇宙』へ分け入ったわけでもなく、『宇宙の奥行き』が深まったとでもいえるだろうか」。
 奥行き。名言だなあ。十光年内外の近隣太陽系に著者は最高のロマンを見ている。木星質量でありながら中心星すれすれを数日で高速周回するホット・ジュピター。極端に細長い楕円軌道上で灼熱と酷寒を繰り返すエキセントリック・プラネット。それらが混在する多重惑星系。既発見の系外惑星百個以上のどれもが、私たちの太陽系とは似ても似つかぬシステムを形作っているらしいのだ。太陽系を基準に組み立てられた従来の惑星形成標準モデルは崩れ去り、新たな統一理論が模索され始めたという。
 惑星は恒星よりずっと暗く小さいので、その発見自体が大仕事。プラネット・ハンターたちの野心、失意、職人芸的な創意工夫をからめた解説が迫真的なのだが、そこへ「汎惑星系形成」統一理論の大研究がかぶさるのだからもうたまらない。惑星学の殿堂で大小幾層の作業音が大交響楽を奏でているような壮観である。
 異形の惑星だらけの銀河宇宙。それでは私たちの太陽系は特殊なのか。大宇宙で高等生物が住むのは地球だけなのか。本書の情報に導かれるかぎり全くそうだと言いたくなる。だが意外にも本書終盤は「地球は奇跡の惑星ではない」という方向へ収束してゆく。これは……?
 率直にいってこの結末は、啓蒙モードの伝統的コペルニクス宇宙観を律儀に押し通しすぎた印象である。惑星学の新たな冒険に感嘆させられた反面、地球の地位の評価については疑問符。微妙に不安定な快楽に満ちた読後感だった。

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