白状すると私は、ヨーロッパ文化絶対主義者である。とりわけ16世紀以降の近代ヨーロッパ科学文明というものが人類史に生じたのは、ほとんど奇跡だと思っている。生物進化の系統樹の何千と分かれた末端のうちただ一つホモ・サピエンスだけが「文明」を発達させたのと同様、何百という文明のうちただ一つ、ヨーロッパ文明だけが「科学」を発達させた。芸術や宗教に相当するものは、生物における目や爪と同様、放っておいてもどこにでも独立に自然発生するが、ただ一つ理論科学だけはヨーロッパにしか生じなかった。いま人類史をチャラにして、始めから文明の構築をやり直したとしたら、人類は重力法則や遺伝子の発見には永久に辿り着けないのではなかろうか。テレビもコンピューターも想像すらされなかっただろう。近代ヨーロッパのおかげで私たちは、かくも変化に富んだ刺激的な世界に住むことができている。科学だけではない。西洋クラシック音楽の深遠な魂の震えに触れたとき、他の文化圏の音楽など全部吹っ飛んでしまうと感じるのは私だけだろうか。極端な話、これから異星文明と交流するさいに(現代欧米文明の域に達しえた知的生物がこの大宇宙にあともう一つあるとは信じられないのだが)人類の歴史を伝えるとして、ヨーロッパ史以外の流れは一切無視してかまわないとさえ私は思っている。