(p.13)
私の知っていたある生物学者は、ノーベル賞獲得という遥かな望みをもって研究に従事していた。(中略)彼の仕事は鼠を実験室に置き、室温を次第に低くする、というものだった。その目的は、どの位寒くすれば鼠は交尾できなくなるかを知ることであった。(中略)彼の仕事はとるに足らぬものどころではなかった。(中略)おそらく世界各国の主要な政府は、最後まで生き残るべき優先権をもつ人々− これはコンピューターが決定する− のために、広大な地下迷路に食糧を貯蔵してきたのである。だがそれには鼠が大きな脅威となる。というのも、鼠は極度の低温の中でも、ほんの少し身を寄せるものがありさえすれば生き続けられるのだから。それが問題なのだ。いわゆる最良の・いわゆる科学的な・いわゆる知的エリートたちの中には、際限なき競争(ラットレース)に鼠の研究でノーベル平和賞を受けようと、際限なき競争に加わっている人々がいるのである。(pp.104〜105)
レインが、ヒロシマ・ナガサキの国の地下で鼠に変身したのは、決して偶然ではなかっただろう。視野のうちに異文化を次第にとり入れて彼の精神分析が全文化的人類の広さに拡大していこうとすればするほど、その全人類に覆い被さる核の問題が彼の潜在意識へいっそう濃い影をおとしてくることになるのは蓋し必然だ。いや、すでにしてあの『結ぼれ』が記述していたのは、極小の個人心理の中の紛糾であると同時にまた、あるいはそれ以上に、核の脅威をめぐって極大の「人類」にわだかまる心の病いの表現でもなかったか。いま因みに− あの不毛なインターアクション#1のマーヤにおいて、Jack, Jill の代りに USA(アメリカ),USSR(ソビエト) を入れてみるならば(1962年などの具体的事例を想起してケネディ、フルシチョフ等々とやってもよかろう)、現実をそれはいかに適正に描写していると感じられることであろうか。
(次ページに続く)
|