吉田戦車の漫画『伝染るんです。』に登場するかわうそ君は、初期の頃、ことあるごとに自分がかわうそであることを主張していた。雨の中の職務質問には「かわうそだから、雨に濡れても平気です」と答え、フィッシュバーガーを買ってはわざわざ店に戻っていって「魚をたのんだのは、ぼくがかわうそだからです」と付け加える。『語り手の事情』の「私」も同じだ。性的妄想を抱えて屋敷を訪れる男たちを癒すのが「私」という女性(?)の役割だが、自分が「語り手」であることをたえず明言せずにはおれない。童貞喪失の定型ロマンに囚われた少年に言い寄られて「私はただの語り手に過ぎぬ身です」とはねつけ、女性化願望を抱く紳士の妄想中の子宮像の誤りを指摘して驚かれ、あなたの心が「見えているのではありません。語っているのです」と注釈し、男のSM妄想が「危険な魂胆であったら、私も語り手として事情を考えることになります」と警戒し、淫夢に悶えては「語り手は他人の奇妙な体験談を語りますが、自分で自分の体験談を語るようなことには興味がないはずなのです」と自己批判する。