三浦俊彦による書評
鶴見済『人格改造マニュアル』(太田出版)
* 出典:『文藝』1997年春季号(97年1月)
人格を変える。そう聞くと誰でも、とてつもなく大変なことだと思う。神経質にせよ涙もろいにせよ引っ込み思案にせよ、もって生まれた特定の性格こそが「自分らしさ」であり、我が本質なのだと僕らは思ってきたのだから。ヒューマニズム教育の基本公理こそ、各人特有の「個性」の尊重ということだった。
けれど考えてみると、この「個性」という呪文が、いかに僕ら一人一人の行動や心を狭める足枷となってきたことか。あの『完全自殺マニュアル』の著者が、あの通りのノリで、この足枷を虚無の果てへ微塵に砕いて捨ててみせてくれるのが本書である。
第1章・クスリ。第2章・洗脳。第3章・サイコセラピー。第4章・その他の方法(電気ショック、α波瞑想)。13年間精神科に通い続けている著者自身が「ある時は抗うつ剤で『明るい人』になり、ある時は抗不安薬で『穏和な人』になり、またある時は精神賦活剤で『元気な人』になったりし」、催眠暗示でハイになり、自己開発セミナーで洗脳を受けて絶叫を繰り返した。そういう体験に裏付けられた実用書に説得力がないわけがない。
慢性の不安に悩まされているなら、抗不安薬を「毎日続ければいい。さらにそれを一生続ければ、あなたはすでに別の人格を手に入れたことになる。要するに性格などというのはその程度のものだ。」「『クスリに頼っている自分は本当の自分ではない』などというバカなことを考えないこと。何度も言うが、もともと『本当の自分』などというものは存在しない。」全くもってその通りです。
<覚醒剤やめますか、人間やめますか>といった体制側の言説は「『真ん中』がスッポリ抜け落ちているのだ。手を出すところから……いきなり幻覚・凶悪犯罪の話になってしまう」。真ん中で「上手くやっている人は大勢いる」というのに。あるいは、こまめに達成感を感じさせてくれる「マルチ商法にハマるというのも、エネルギッシュで前向きな人間に生まれ変わる方法のひとつだ」から「夢のない仕事など放ったらかして、アムウェイで生まれ変われ!」裸の王様の論理、とでも言おうか。さらに周到にも、望みのクスリを精神科で入手するための「症状の訴え方」指南と「精神病院リスト」まで付いている。重宝この上ないマニュアルではないか。
本書はアブナサが売りの「鬼畜系」の同類なのだろうか。その一面もなくはないが、全体のトーンは真摯な人生論以外の何物でもない。能率主義と退屈の狭間で人間どうしたら幸福でいられるか、という人生論。歪んだ考えを改めて合理的思考に戻せ(認知療法)、健康的生活の気分を味わえ(生活スケジュール法)、気分なんかすぐれなくてもやるべきことをガンガンやってみろ(森田療法)。さまざまなサイコセラピーを紹介する著者の眼差しは、紛れもなく「人類にあまねく幸あれ」という宣教師の熱意に溢れている。
見えない強迫観念や憂鬱に苛まれていた読者は、本書ご推奨の諸方法を実践する必要はもはやなくなったのではなかろうか。「変わる」ことがいかに容易かを説き尽くす本書そのものが極上のサイコセラピーであり、洗脳なのだから。一日一錠、三泊四日、電流三秒、そんな簡単なことならば、人格だの人生だのなんて、脳って機械の中に取っ替え引っ替えできるCDみたいなものだと思えてくる。神も仏も魂もない恒久平和時代の伝導書、世紀末のバーリ・トゥード経典がこれなのである。