三浦俊彦「アドホック日記」(2002年12月8日) - パラドクス読者への返信

  
日記索引


 『論理パラドクス』の読者から大学に送られてきた一ハガキ――よくある「哲学=人生論」論です――(11月26日付)に対する返信を今日出しました。
 以下がその文面です。
 (しかし「人生ってしょせん遊戯」と気づいてる人ってどのくらいいるんだろうナ)

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 「人生いかに生きるべきかという解ききることのできない問い」がかりにあるとしても、いかなる問いがそれなのかを、一体誰が決めるのでしょう?
 たしかに、直観的に解けないと感じられる問題はたくさんありますね。しかし直観というのは自然現象なので、とことん保守的です。保守的な「解けない感慨」に浸り続けるのもそれはそれで貴重な快感ではありますが、本当の哲学的感動は反自然的「論理」のシステムに依拠せねば実現できないと思われます。感情にも直観にも生理にも日常言語にすら逆らう正解を暴力的なまでに強要する「論理」は、人間を否応なく謙虚にさせてくれる。「心に響く本物の」という実感がいかに当てにならないかは世紀末頭宗教諸事件で立証済み。「単なる知的遊戯」が「本物の哲学」であるのかないのかを前もって予言できる賢人など一人もいないはずですし。現に、初歩の確率論を知らないために不必要な問いを立てて深遠な形而上学のごとく真に受けてしまった哲学者の例を私は大勢知っております――滑稽かつ悲惨としか言いようがありません。最低限の基礎の論理をクリアしたうえで初めて、本当に悩むべき問題を選り分けられるのではないでしょうか。ハーバート・スペンサーの言葉をもじっていうと
――「論理パラドクスはうわべのみ、という認識は、まことにうわべだけ見た認識である」(The saying that beauty is but skin-deep is but a skin-deep saying.)

三 浦 俊 彦