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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0915_2024/12/22 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
 
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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記


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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2825~2829  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語熟語」は、2825-2829
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2825-2, 2827-2, 2829-2
 
 1つずつ再掲します。

■■  ラッセルの英語1 n2829 R英単語熟語

★ crude (adj.) [(人・態度などが)粗野な、下品な;露骨な;加工してい
ない、天然のままの]

* crude (raw) petroleum 原油
* crude behavior 下品な行為; crude manners 不作法(無作法)
* crudity (n):生、未熟;粗雑;粗野な行為(言葉)


1.ラッセルの用例

But many never become civilized, and retain through life the crude, 
persecuting instincts of the schoolboy.
[しかし,多くの人は決して文明化されず,生涯,小中学生の持つ,粗野な迫害本
能を保持し続けます。]
 出典:ラッセル『自由とは何か』の中の「政治的自由, 経済的自由, 精神的
自由」
     https://russell-j.com/cool/0984_what_is_freedom.htm

Even if the highest education were desirable for all, which I doubt, 
it is impossible that all should have it at present, and therefore a 
crude application of democratic principles might lead to the conclusion
 that none should have it.
[たとえ最高の教育が全ての人にとって望ましいとしても--私はそれを疑わ
しく思っているが--,現在のところ,全ての人がそういう教育を受けられるわ
けではない。それゆえ,むやみに'民主主義の原理'を機械的に(荒っぽく)適
用すれば,誰も最高の教育を受けてはならないという結論を導く可能性もある
だろう。]
 出典:ラッセル『教育論』第一部_教育の理想_第1章「近代教育理論の前提
条件」
     https://russell-j.com/beginner/OE01-020.HTM

To the sophisticated Occidental the faith of the young Russian may seem
 crude, but, after all, what is there to be said against it?
[洗練された西欧人には,若いロシア人の信条は粗野に思われるかもしれないが,
しかし結局のところ,彼らの信条に対し,異議を唱えるべきものとして何がある
というのだろうか?]
* Occidental (adj.):西洋(人)の | (n) 西洋人
 出典:ラッセル『幸福論』第10章「幸福は今でも可能か?」
     https://russell-j.com/beginner/HA21-030.HTM

The extent to which the crudity of this analogy is misleading will 
emerge later.
[このアナロジー(類推/比喩)の粗雑さがどの程度まで誤解を招くものである
かは、後に明らかになるであろう。]
 出典:アラン・ウッド『ラッセルの哲学』のなかの「概観と手引き」
https://russell-j.com/beginner/wood_br_summary-and-introduction_06.html


2.参考例

His behavior is very crude.
[彼の振る舞いは非常に無作法である。]
 出典:宮川幸久『英単語ターゲット1900』p.293

The price of crude petroleum has been rising sharply because of the 
war.
[その戦争のため,原油価格は急騰し続けている。]
 出典:『新版完全征服データベース5500 合格 英単語・熟語』p.309

He made a crude comment that others did not like.
[彼は他の人が好まないような下品なコメントをした。]
 出典:『キクタン super 12000』p.129

Don't be so crude!


■■   ラッセルの英語2: R英文

 バートランド・ラッセルの英語 n2829-2 R英文(2)  
  ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』
  (Human Society in Ethics and Politics, 1954)

  第7章:罪 n.7

 原罪の教義は、アダムが犯した罪のゆえに私たち全員が罰を受けるべきだと
いうもので、現代ではほとんどの人が不当だと感じている。けれども、似たよ
うな教義が政治において主張されても、不当だと思わない人も多い。たとえば
、1939年以降に生まれたドイツの子供たちは、両親がナチスに反対しなかった
ために飢えるべきだと考えられている。けれども、その支持者たちでさえも、
これは人間的な正義であり、神に帰すべきものではないと認めている。現代の
リベラル神学者の立場は、テナント博士の著書『罪の概念』によく示されてい
る。彼によれば、罪とは、既知の道徳律に意識的に反対する意志の行為から成
り、その道徳律は啓示によって神の意志として知られている。従って、宗教を
持たない人間は罪を犯すことはできない:

 「もし仮に我々が、罪の概念に宗教的要素が不可欠であることを強調し、宗
教の心理学的定義を採用するならば、無宗教の人、つまり、神や超自然的なも
のに対する観念を持たず、いかなる宗教的感情も感じないことを告白するよう
な人は、その人の人生がたとえ自分から見て道徳的に悪であったとしても、私
たちがその言葉を使うことに同意する意味では、罪人とはみなされないことに
なる」。	
The doctrine of original sin, according to which we all deserve 
punishment because of Adam's transgression, is one which strikes most
 people at the present day as unjust, although there are many who see
 no injustice when analogous doctrines are proclaimed in politics -- 
for example, when it is thought right that German children born since 
1939 should starve because their parents did not oppose the Nazis. 
This, however, even by its supporters, is recognized as rough human 
justice, and not of a sort to be ascribed to the Deity. The standpoint
 of modern liberal theologians is well set forth by Dr. Tennant in his
book The Concept of Sin. According to him sin consists in acts of will
 that are in conscious opposition to a known moral law, the moral law 
being known by Revelation as God’s will. It follows that a man 
destitute of religion cannot sin:

“If we press the indispensableness of the religious element in the 
concept of sin, and if we adopt the psychical definition of religion,
 then it will follow that persons, if any there be, possessing no 
religion -- who would confess, that is to say, to entertaining no 
ideas of deity or of the supernatural, and to feeling no religious
 sentiment of any sort -- cannot be accounted sinners at all, in the
 sense in which we agree to use that term, however morally evil, even
 from their own point of view, may be their lives."
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954,
 chapter 7: Sin, n.7
  More info.: https://russell-j.com/cool/47T-0707.htm


■「ラッセルの言葉366_画像版」
   日本語 version : n.2967j-2973j を投稿
   英 語 version : n.2967e-2973e を投稿

    n.2973j (Dec. 21, 2024)
 
  「想像的な信念とは?」

 私は、想像的な信念が常にそのようなもの(注:願望や恐怖に根付くもの)であると主張するつもりはない。その中には、特に大きな感情的な内容を持たず、信じる者にとっては「まあそうだろう」と思えるようなものもある。例えば、・・・アリストテレスは、トガリネズミの噛み傷が馬にとって危険であり、特にそのネズミが妊娠している場合には危険だと信じていた。・・・。
 また、相当数のイギリス人は、イギリス人が失われたイスラエルの十支族(の子孫)であると信じている。このような信念の例は無限に挙げることができるが、それらが深い感情に根ざしていない場合、通常は社会的に重要ではない。

I do not pretend that this is always the case with imaginative beliefs. Some of them have no great emotional content, but feel to the believer the sort of thing that one might expect. ... 
Aristotle believed that the bite of the shrew-mouse is dangerous to horses, especially if the mouse is pregnant. ... A considerable percentage of English people believe that the English are the Lost Ten Tribes. Instances of such beliefs could be multiplied indefinitely, but where they have no roots in some deep emotion, they are as a rule not socially important.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954, part II: The Conflict of Passions, chapter 4: Myth and Magic, n.4
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-2_0404.htm

<寸言>
 わざわざ引用するような部分ではないですが、次のChatGPTとのやりとりが面白かったので、採取してみました。

私:
「imaginative beliefs」を「想像的な信念」と訳していますが、信念には「想像的な」もの以外に、どういった信念がありますか? imaginative は通常、「想像力に富んだ」といった意味で使われると思われます。「想像力に富んだ信念」というのはおかしいですが、何かそんなニュアンスは含まれていないでしょうか?

ChatGPT:
 鋭いご指摘ですね。「imaginative beliefs」を「想像的な信念」と訳す場合、その「想像的」という表現がどういう信念を指しているのか、具体的なニュアンスを考慮する必要があります。まず、「想像的な信念」に対比される可能性がある信念を整理したうえで、この文脈での "imaginative" のニュアンスを深掘りします。

 信念の種類について:信念(beliefs)は大きく以下のように分類できます:

実証的な信念(empirical beliefs)
 経験や観察に基づいた信念。たとえば、「火は熱い」という信念。

論理的な信念(logical beliefs)
 推論や論理に基づく信念。たとえば、「全ての人間は死ぬ」という普遍的な真理に関する信念。

宗教的・霊的信念(religious/spiritual beliefs)
 宗教や精神的な枠組みに基づいた信念。たとえば、「神が存在する」という信念。

想像的・空想的な信念(imaginative beliefs)
 想像や直感、文化的背景などによる信念。たとえば、「月の満ち欠けが天気に影響を与える」という信念。

"imaginative" のニュアンスについて

 "imaginative" には通常、「想像力に富んだ」や「創造的な」というポジティブな意味がありますが、この文脈では少し異なるニュアンスが含まれているようです。この文脈での "imaginative beliefs" は、以下のような特徴を持つと考えられます:

根拠の不確かさ
 これらの信念は実証的根拠や論理的根拠に欠け、むしろ個人の直感や文化的な伝承、誤解、あるいは想像力に基づいて形成されている。例として挙げられている信念(例:トガリネズミの噛み傷)には、科学的根拠がない。

非現実性・奇抜さ
「ベッドに体の跡を残すのは危険」といった内容には、現代的な合理性から見ると奇抜で非現実的な性質があります。

文化的影響や感覚の自然さ
「信じる人にとっては当然のように思える」という部分から、"imaginative" には「想像力に基づいたが、その人にとってはごく自然な信念」といったニュアンスがあることが読み取れます。

 翻訳の選択肢について

「想像的な信念」は直訳的ですが、日本語として少し違和感がある場合、以下のような訳が考えられます:

「空想的な信念」
 非現実的で、想像の産物として形成された信念を強調。

「非合理的な信念」
 実証や論理から外れた信念として、批判的なニュアンスを強調。

「想像に基づく信念」
 直訳に近い形で、想像の作用をニュートラルに表現。

「発想の産物としての信念」
「想像力に富む」という創造的なニュアンスを排除しつつ、発想の一部としての性質を捉える。(長いので後はカット!)// 

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 「ChatGPTへの依頼―「落語の小言幸兵衛さんについて」
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【落語の小言幸兵衛さんは、「何か叱ることはないか」と、朝から叱ることを探して長屋中 を見回ったりする。
 老人の胸の内には、不平や不満やわだかまりが渦巻いて常に満タンになっている。
 ガス湯沸かし器の種火がいつもついているようなもので、ちょっとしたきっかけさえあれ ばただちにボッと沸騰する。
 だがこういうふうに、人間を相手に叱っているうちはまだ症状が軽い。
(「東海林さだお『85歳。老いてなお、ケシカランことばかり』p.9」)】

私:ChatGPTへの依頼
  上記の文章について、800字くらいで、面白いコメントを生成してみてください。

ChatGPTからの回答:
 東海林さだおの一節は、ユーモアと洞察を交えて、老人特有の「不平不満スイッチ」に焦点を当てています。この描写には、年を重ねる中で人間が抱える心理的な傾向が鋭く表現されており、笑いと共感を誘います。特に、「ガス湯沸かし器の種火」という比喩は秀逸です。種火が常についているという状態は、不平や不満が常に心の片隅で燃え続け、些細な出来事がその火を燃え上がらせるきっかけになる様子を見事に捉えています。
 このような具体的で日常的なイメージを用いることで、読者は「ああ、いるいる、こういう人!」と共感せずにはいられないでしょう。
 また、「叱っているうちはまだ症状が軽い」という一文はさらに興味深いです。「叱る」という行動は、相手への関心や期待の裏返しであり、ある種のコミュニケーションでもあります。しかし、ここで示唆されているのは、人間を相手に不満をぶつけることすらなくなり、自分の内側にその不満が凝り固まる状態の方が深刻だということです。こうなると、不平不満は他者とのやり取りを通じて発散されることなく、本人を内側から侵食する負のエネルギーとなりかねません。
 この文章が面白いのは、単なる老人批判にとどまらず、人間の普遍的な心理をユーモラスに描き出している点です。老いに伴う孤独感や疎外感、不満が蓄積する原因を考えると、それは決して老齢に限ったものではありません。現代社会では、若い世代でもSNSや職場環境で不平不満を募らせることが多く、種火を抱えた「ガス湯沸かし器」のような状態に陥る人も少なくないでしょう。
 さらに、落語の「小言幸兵衛」というキャラクターを引用している点にも注目したいです。小言幸兵衛は、本来笑いを提供する存在ですが、その裏には、長屋という共同体での人間関係の濃密さや、そこに生じる摩擦が描かれています。この引用を通して、東海林氏は、長屋と現代社会を重ね合わせているようにも感じられます。つまり、不満の種火は、孤立や疎外感によって育まれるのではなく、むしろ人間関係が密接であればあるほど燃えやすくなるのかもしれません。
 結局のところ、この文章は、「不満を抱えること」そのものを否定しているわけではなく、それが人間らしさの一部であることを認めています。同時に、それを笑い飛ばす視点を提供している点で、どこか救いが感じられるのです。
4o

私:
 内容は申し分ないですが、東海林さだおが自分の文章にコメントしているような、「軽妙な感じ」をだせないでしょうか? つまり、批評自体がエッセイ作品にもなるようなものはできませんか?
ChatGPT:
 了解しました!それでは、東海林さだおさん自身が自作にコメントしているような、軽妙洒脱なエッセイ風の批評を試みますね。

いやはや、自分の書いた文章をこうして眺めてみると、あらためて「老人の不満は種火のごとし」というのはなかなか絶妙な表現だったな、とちょっと鼻が高い。だってどうです? 不満なんて、そんじょそこらのガス湯沸かし器よりよっぽどエコじゃないか。年をとって「ボッ」とくる回数が増えると、そのたびに「ああ、自分はまだ熱くなれるんだ」と変な感慨が湧いてくるわけです。まあ、叱られる方はたまったもんじゃないでしょうけどね。
でもね、ここで僕が本当に言いたかったのは、「叱ってるうちはまだ軽症」ってとこなんですよ。叱るっていうのは、相手に興味がある証拠なんです。たとえば電車で前の若者が脚を広げて座ってるのを見たとき、文句を言いたくなる人はまだ大丈夫。問題は、それを見ても「どうでもいいや」と思い始めたら、そのときこそ危険信号。人間、叱る気力をなくしたら、ただの冷めた湯沸かし器になっちゃいますからね。
でもまあ、「叱る」ってのもほどほどがいい。毎日怒鳴り散らしてばかりだと、ガス湯沸かし器の中のガスが尽きる。で、次第にターゲットが変わるんですよね。家族→隣人→世の中全般→挙げ句の果てに自分の人生そのものに。こうなると笑い話にもなりません。だから、せめて僕たちは「叱るポイント」を減らしていきましょうよ。たとえば、床に落ちた髪の毛を見て「年取ったなあ」と嘆く代わりに、「あれ、まだこれだけ生えてるじゃないか」と前向きに考える、とかね。
とはいえ、僕だって不平不満の種火を抱えてないわけじゃない。原稿を書くたび、「締め切りなんてものがなければなあ」と湯沸かし器がボッと火を噴くこともある。でも、そうやって湧き出てきた不満も、書き上げた瞬間に「ああ、湯が沸いたぞ!」と少し嬉しくなるから面白いもんです。不満の種火があるからこそ、人間は湯を沸かせるわけで、もしかしたらそれが人生の「醍醐味」ってやつなのかもしれませんね。
さあ、あなたも湯沸かし器を眺めつつ、自分の種火と上手に付き合ってみてください。燃えすぎたら困るけど、消えちゃったらもっと寂しいですからね。

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私:非常によくなったと思います。東海林さだおはもう85歳ですが、東海林さだお専用生成AIができれば、永遠に東海林さだおの作品(エッセイ集)を出し続けることができるかもしれないですね。そうしたら、東海林さだおさんの遺族が著作権を得ることになるのでしょうか? それとも私(ChatGPT)が創作しているのだから、私を創った開発者に著作権がある!ということになるのでしょうか?

ChatGPT:
 これは非常に興味深い、そして法的・倫理的に複雑な問題ですね!まず、「東海林さだお専用生成AI」がどのように機能するかによって、著作権の所在が変わってきます。
1. 東海林さだおさんの遺族が著作権を得る場合
もしそのAIが東海林さだおさんの既存の作品をベースにして、彼の文体や発想を学習したモデルであれば、それは「東海林さだおさんの表現スタイル」を活用していることになります。この場合、AIが生成した文章が「東海林さだおさんの作品の派生物」とみなされる可能性が高いです。したがって、著作権は東海林さだおさん(またはその遺族)に帰属する可能性があります。
2. 開発者に著作権が帰属する場合
一方で、AIの生成物が完全に新しいものであり、特定の個人の作品に基づかないと解釈される場合、著作権はAIを設計した開発者、またはその企業に帰属する可能性があります。ただし、現在の多くの法律ではAI自身には著作権を主張する権利がないため、生成された文章に対する権利は開発者側が持つとされます。
3. 曖昧な状況と法的なグレーゾーン
しかし、ここでの大きな問題は、AIが「特定の個人の作風を模倣する」という点にあります。これは、単なる模倣であれば著作権の侵害にはならない場合もありますが、模倣の精度が高すぎる場合や、あまりに「本人らしい」表現が生成される場合、倫理的・法的に議論を呼ぶでしょう。
4. AIと創作の未来
仮に「東海林さだお専用生成AI」が普及し、そのエッセイが「永遠に新作」として出続けた場合、それは東海林さだおさんのファンにとって夢のような話でもあります。しかし、これが「オリジナル作品と同じ価値を持つかどうか」という問題も浮かびます。ファンは「本人の生身の思考」が宿った作品を求めている場合も多いですからね。
5. 哲学的視点から
最後に、東海林さだおさんのような作家の「魂」とは、文体だけではなく、経験や感情、人生の一部そのものと言えるかもしれません。AIがいくらその文体を真似ても、それが「本人の作品」とみなされるかどうかは、読者が「何を真実の創作と考えるか」に依存します。
どちらにしても、AIが生み出す作品の権利や価値は、今後の社会的な議論によって形成されていくことでしょう。東海林さだおさんがこの話を聞いたら、「ほほう、これまたケシカラン話じゃないか」と湯沸かし器の種火を点けながら、興味津々で茶化してくれそうですね!
 (松下)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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