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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
no.0897_2024/08/17 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
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■ 目 次 ■
1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
2.ラッセルに関する記述や発言等
編集後記
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1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2740~2743 を発行しました。
(1)「ラッセル英単語熟語」は、2740-2733
(2)「ラッセルの英文」は、n.2741-2, 2743-2
1つずつ再掲します。
■■ ラッセルの英語 n2740:R英単語熟語 (revised)
★ commemorate (vt) [記念する,記念となる;祝する;思い出すよすがとなる;追悼する
* commemorative (adj.):記念する
* commemoration (n):記念(式);記念物
1. ラッセルの用例
The cities of Lombardy, especially Milan, were rich and commercial ;
they were at that time in the forefront of economic development, a
fact which is commemorated for Englishmen in the name "Lombard
Street." .
[ロンパルディアの都市,特に,ミラノは,裕福で商業が盛んだった。(即ち)
それらの都市は,当時,経済発展の最前線であり,そのことは,英国人にとっ
て,「ロンバード・ストリート」(* 注)という名前で記念されている。]
* ロンドンのシティにある金融街で、北イタリアのロンバルディア地方の出身
の商人が多くいたことからその名称がつけられた。
出典:ラッセル『権力』第4章「聖職者(僧侶)の権力」」
https://russell-j.com/beginner/POWER04_170.HTM
We wished to remind people of the circumstances of the nuclear bomb at
Hiroshima. We also thought that, in commemorating the British dead,
we might call attention to the fact that it was up to the living to
prevent their deaths from going for nothing.
[我々は広島の原爆(投下)の状況を,一般の人々に思い起こさせたいと願った。
我々はまた英国人の戦没者を追悼すること(注:commemorate 記念する;思い
出す)によって,彼らの死を無駄にさせないことが現在生きている者の責務で
あるということに,一般の注意を喚起できるかもしれないと考えた。]
出典:ラッセル『自伝』第3巻第3章「トラファルガー広場」
https://russell-j.com/beginner/AB33-210.HTM
Perhaps there might be some difficulty in rewarding him (= a
sensational murderer) since this might make murders so common as to be
uninteresting, but I think at least a statue might be put up to him
after his execution to commemorate his disinterested public service.
[多分,彼(注:多くの人に嫌われている人間を殺害した人)に正式に報酬を与
えることは,報酬がもらえるとしたら世間の興味を引かないほど殺人が増える
危険性があるので,いくらか困難が伴うだろう。しかし私は,少なくとも彼の処
刑後に,彼の銅像を建てて,彼の'公衆への無私の奉仕'を記念してもよいだろう
と思う(注:もちろん、冗談です)。]
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「犯罪への興味」
https://russell-j.com/CRIME-I.HTM
Bertrand Russell Commemorative Stamps
[バートランド・ ラッセル記念切手]
出典:バートランド・ラッセルの ポータルサイト, 記念切手の画像集
https://russell-j.com/cool/STAMPS.HTM
2.参考例
The students gathered to commemorate the professor's death.
[その教授の死を追悼するために学生たちが集まった。]
出典:『キクタン super 12000』p.696]
The townspeople commemorated their founder and erected his bust.
[町民は町の創立者を記念して胸像を建てた。]
出典:『究極の英単語3 上級の3000語』p.398]
In London, there is a commemorative statue to help people to remember
the First World War.
[ロンドンには,人々に第一次世界大戦を思い出させてくれる記念像がある。]
出典:『九大英単』p.47]
a festival commemorating the 400th anniversary of the birth of
Shakespeare.
出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.
■■ ラッセルの英語 n2743-2 ラッセルの英文
ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』
(Human Society in Ethics and Politics, 1954)
第5章:部分的善と一般的善 n.10
自己中心的でない欲望は、利己的な欲望と同じくらい、他人の(自己中心的
でない)欲望と衝突する可能性が高い。たとえば -- 決して突飛な例ではない
が-- ある人類の集団が全世界を共産主義にすることを望み、別の集団全世界
をカトリック(教徒)にすることを望むとする。このような場合、力の行使以外
の方法があるとすれば、それは2つの集団が1つになるような他の願望、たと
えば戦争を避けたいという願望を見つけることでしかありえない。そのような
共通の欲望がない場合、協力は不可能であり、どちらの集団も、自分達の善
(部分的善)から、双方が認めることのできる一般的な善の概念へと昇華する
ことはできない。この問題は純粋に理論的なものではない。戦争をなくし、
国際政府を樹立することができるかどうかは、この問題の解決にかかっている
のである。しかし、この問題を冷静に検討するのであれば、可能な限り抽象的
かつ理論的な方法で述べるのが賢明であろう。今から、私の能力の限りを尽く
して、取り組んでいくことにする。
Desires which are not egocentric are almost as likely as selfish
desires to conflict with those of others. Suppose, for example -- to
take an instance which is by no means far-fetched -- that one group of
mankind wishes all the world to be communist, while another group
wishes all the world to be Catholic. If, in such a case, there is to
be any method except a trial of strength, it can only be by finding
some other desire in which the two groups are at one -- say the desire
to avoid war. If there is no such common desire, co-operation is
impossible, and neither group can rise from its own good to a
conception of the general good that both sides can acknowledge.
This problem is not a purely theoretical one; it is a problem upon
whose solution depends the possibility of eliminating war and
establishing an international government. But if we are to examine it
dispassionately, it will be wise to state it in the most abstract and
theoretical manner that is possible, which I shall now proceed to do
to the best of my ability.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954,
chapter 5: Partial and General Goods, n.10
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-0510.htm
■「ラッセルの言葉366_画像版」
日本語 version : n.2841j-2847j を投稿
英 語 version : n.2841e-2847e を投稿
n.2844j (Aug. 14, 2024)
https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j2844.html
「快楽と快楽への欲求の関係」
多くの哲学者は、人は常に必ず快楽を求め、一見最も利他的に見える行為で
さえもこの目的を持っていると主張してきた。私はこれは誤りだと思う。もち
ろん、どのような欲求であれ、その目標が達成されれば一定の快楽が得られる
のは事実だが、多くの場合、その快楽は、欲求自体によるものであって、期待
される快楽への欲求に基づくものではない。これは特に、空腹や渇きといった
最も単純な欲求に当てはまる。空腹や喉の渇きを満たすことは快楽である。
しかし、食べ物や飲み物に対する欲求は、直接的なものであり、美食家を除け
ば、それらがもたらす快楽に対する欲求ではない。
Many philosophers have maintained that men always and invariably seek
pleasure, and that even the apparently most altruistic acts have this
end in view. This, I think, is a mistake. It is true, of course, that,
whatever you may desire, you will get a certain pleasure when your
object is achieved, but often the pleasure is due to the desire, not
the desire to the expected pleasure. This applies especially to the
simplest desires, such as hunger and thirst. Satisfying hunger or
thirst is a pleasure, but the desire for food or drink is direct, and
is not, except in a gourmet, a desire for the pleasure which they
afford.
出典: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics,
chapter 13: Ethical Sanctions, n.2
詳細情報.: https://russell-j.com//cool/47T-1302.htm
<寸言>
一見妥当に見える発言でも、具体的に極端な例を考えると、正しくないこと
がわかることがけっこうあります。多くの事例を思いつくことができるのも一
つの能力です。ラッセルの場合は、哲学や数学や論理学だけでなく、物理学や
化学や生理学の事例もいろいろあげることができました。
上記の「空腹や喉の渇き」の例は常識的な事柄ですが、世間的常識に欠けた
哲学者や思想家はそんなありふれた例も気づかなかったりすることがたまにあ
ります。
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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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今回もお休み
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編集後記
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編集後記、最後の夏休み。
次回から再開の予定です。
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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