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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0894_2024/07/27 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
 
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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記


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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2725~2729  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語熟語」は、2725-2729
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2725-2, 2727-2, 2729-2
 
 1つずつ再掲します。

■■  ラッセルの英語 n2726:R英単語熟語 cling (revised)

★ cling (v) [くっつく;しがみつく;固執する]

* (動詞変化) cling - clung - clung
* clinging (adj.):粘着性の;(子どもなどが)まといつく;(服などが)
ぴったりつく
* cling to one's opinion 自説に固執する


1.ラッセルの用例

But if the child is starved of pleasures, he will, of course, cling 
tenaciously to those that are attainable.
[しかし,子供が楽しいことに飢えている場合は,自分が手にすることができる
楽しみに頑固にしがみつくのは当然であろう。]
 出典:ラッセル『教育論』第二部_性格の教育_第7章「自己本位(わがまま)
と所有権」
     https://russell-j.com/beginner/OE07-060.HTM

Although I clung to my pacifist convictions, I did so with increasing
 difficulty.
[私は,平和主義者としての信念を固守していたが,そうすることの困難さがし
だいに増していった。]
 出典:ラッセル『自伝』第2巻第5章「テレグラフ・ハウス時代末期」
     https://russell-j.com/beginner/AB25-030.HTM

In girls it was not recognized as an evil, because (if they were 
well-to-do) it was thought desirable to make them helpless and 
dependent, and it was hoped that after marriage they would cling to
 their husbands as they had formerly clung to their mothers.
[女の子の場合は,それは弊害とは認められなかった。その理由は,女の子は
(もし裕福ならば)無力で人を頼りにする人間にしておいたほうが望ましいと
考えられたからであり、また,これまで母親にすがりついていたように,結婚
後は,夫にすがりつくようになればよい,と思われたからである。]
 出典:ラッセル『教育論』第ニ部_性格の教育_第11章「愛情と同情」
     https://russell-j.com/beginner/OE11-050.HTM


2.参考例

Many people are unaware that they are clinging rigidly to a false 
belief.
[自分が間違った信念に固執していることに気づかない人は多い。]
 出典:宮川幸久『英単語ターゲット1900』p.257

There are many people who cling to traditional sex roles.
[伝統的な男女の役割に固執するひとがたくさんいます。]
 出典:『ジーニアス英単語2500 改訂版1』p.149

Because the woman clung to an ideal image of a husband, she never got
 married.
[その女は,理想の夫像に固執したため,結婚しなかった。]
 出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』p.44

Children sometimes cling to their mothers when they start school for
 the first time.
[子どもは,初めて学校に行く時に,母親のもとを離れないことが時々ある。]
 出典:『九大英単』p.6

His wet shirt clung to his body.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.


■■  ラッセルの英語 n2727-2 ラッセルの英文

 ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』
  (Human Society in Ethics and Politics, 1954)

  第5章:部分的善と一般的善 n.1

 前章で、善とは欲望の満足であると定義した。一般的な善とは、誰によって
享受されようと、欲望の充足の総体(総量)である。人類のある部分の善はそ
の部分の欲望の満足であり、個人の善はその個人の欲望の満足である。様々な
部分的善が対立する可能性があることは明らかである。大統領選挙で二人の人
間が争えば、どちらか一人は自分の欲望を満足させることができなず、落選し
た人に投票した選挙民も、程度の差こそあれ、欲望を満足させることができな
いだろう。この例が示すように、個人や集団の欲望が、どちらか一方に何ら罪
がなくても、衝突することはあり得るだろう。欲望の衝突は、人間生活に不可
欠で避けられない事実である。法と道徳の主な目的のひとつは、それを緩和す
ることであるが、完全になくすことはできない。
CHAPTER V Partial and General Goods

In the last chapter we defined the good as satisfaction of desire. 
The general good will be the total of satisfaction of desire, no matter
 by whom enjoyed. The good of a section of mankind will be the 
satisfaction of the desires of that section, and the good of an 
individual will be the satisfaction of the desires of that individual.
 It is obvious that the various partial goods may conflict: when two
 men compete in a Presidential election, one of them will fail to have
 his desire satisfied, and so, in a lesser degree, will the percentage
 of the electorate that voted for him. As this illustration shows, it
 is possible for the desires of individuals or groups to conflict 
without any culpability on either side. Conflicts of desire are an 
essential and inescapable fact of human life. One of the main purposes
 of law and morality is to mitigate them, but they can never be wholly
 abolished.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954,
 chapter 5: Partial and General Goods, n.1
  More info.: https://russell-j.com/cool/47T-0501.htm


■「ラッセルの言葉366_画像版」
   日本語 version : n.2819j-2825j を投稿
   英 語 version : n.2819e-2825e を投稿

    n.2820j (July 21, 2024)
    https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j2820.html

 「文明に対する貢献」

 個人は、自分の人生だけに、あるいは自国や自分の時代だけに視野を限定す
ることは、無益であり、ありえないことである。私達一人ひとりは、遠い動物
の祖先から予測できない未来へと続く長い鎖の一部である。人類は、希少で悲
惨な狩られる獲物の状態から徐々に脱してきた。しかし、もし人類にこれ以上
の(進歩への)旅路はなく、将来達成されるべきより偉大な完成もなく、行き
止まりに近づいているするならば、深く本能的で計り知れないほど重要な何か
が枯れ、死んでしまうだろう。・・・。このような理由から、ある国や時代を
判断する際には、関係する個々人の日々の幸福だけでなく、その国の文明に対
する貢献度を私は重視する。

An individual cannot, without becoming sterile, confine his purview to
 his own life, nor even to his own country or his own age. Each of us
 is part of a long chain from our remote animal ancestry into an 
unforeseeable future. The human race has emerged slowly from the 
condition of a rare and miserable hunted animal, but if we suppose 
that it has no further journey to make, that there are no greater 
perfections to be achieved in the future, and that we are approaching
 a dead-end, something deeply instinctive and immeasurably important
 will wither and die.... It is for this reason that in judging of a 
country or a period I should attach importance, not only to the 
day-by-day happiness of the individuals concerned, but to its 
contribution to civilization, ...
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics,
 (1954), chapter 11:
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-1110.htm

<寸言>
 アメリカ南部在住のキリスト教原理主義の人々のなかには進化論を信じてい
ない人がけっこういるそうです。進化論を信じている我々も、人類の祖先であ
る類人猿や猿人がライオンなどの猛獣の餌食になっていた時代に思いをはせる
ことはほとんどありません。
 自国中心ではなく、世界の幸福のことをより考えるようになって、人類は進
歩してきました。しかし、近年では、トランプの「アメリカ第一主義」や「米
国を再び偉大にする」のキャッチフレーズに表れているように、「自国第一主
義」がまた復活し始めているようです。しかし、言葉の表面的な意味に騙され
てはいけません。小国が「自国第一主義」を唱えても世界に悪い影響を与える
ことはほとんどなく、大国の「自国第一主義」は大国以外の国々に大国の「自
我を押し付けること」に他ありません。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 人口は多いほうがよい? 適正な人口は?
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 人口は多いほうがよいかどうか、また、日本の適正な人口はどれくらいかは、
立場によって、見解は異なりそうです。
 国家(官僚)から見れば、人口が増えれば税収が増えるので、やれることも
増えますので、人口を増やしたがります。人口が減って税収が減れば、何を支
出カットするか悩むことになります。
 国力(生産力、資源の豊富さ、国土の広さ、その他)や時代によっても、適
正な人口は違ってくるはずです。しかし、人口が極端に増えれば窮屈になり、
競争も厳しくなります。ベビーブーマー(世代)は厳しい競争を経験しました
が、数が多いので発言力もそれなりに強いといえます。

 適正な人口はわからないですが、国土も狭いので、適正人口を(在日外国人
も含めて)1億人くらいに設定できればいろいろな対策がとりやすくなりそう
です。人口を一定に保つのは非常に難しいとのことですが、減った分を外国人
の数で調整するというのが、人口を一定にしたいのであれば、一番効果的なよ
うに思われます。たとえば、日本の人口が1億人になった時点で新しい人口政
策を導入します。即ち、その前年に(死亡者と出生者の差し引きで)80万人
日本人が減ったら、翌年日本で定住できる外国人を約80万人f増やします。
もちろん、日本に定住したくなるような特典を何かもうけます。ただし、犯罪
的行為を繰り返す場合は、国外追放するという条件をつけて受け入れることに
します(これは一つの契約です)。いかがでしょうか?     (松下)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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