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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
no.0882_2024/04/27 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
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■ 目 次 ■
1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
2.ラッセルに関する記述や発言等
編集後記
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1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2664~2668 を発行しました。
(1)「ラッセル英単語熟語」は、2664-2668
(2)「ラッセルの英文」は、n.2664-2, 2666-2, 2668-2
1つずつ再掲します。
■■ ラッセルの英語 n2667:R英単語熟語 (revised)
★ be endowed with [~を与えられている、授けられている]
* endow (vt):(基金などを)寄付する、~に財産を贈る;
(通例 p.p.で)~に才能を授ける、付与する
* endowment (n):寄贈、寄付;基本財産;寄付金;(通例 p.p.で)才能
(natural endowments 天賦の才)
* 言い換えると "be gifted with"
1.ラッセルの用例
Many rich ladies, although nature has not endowed them with any
spontaneous pleasure in literature or art, decide to be thought
cultured, and spend boring hours learning the right thing to say about
fashionable new books.
[多くの裕福な婦人は、文学や芸術に対する自発的な喜びを生まれながらに与
えられていないのにもかかわらず、教養があるように思われたいと決意し、流
行の新刊書について適切なことを言うことを学ぶことに退屈な時間を費す。]
出典:ラッセル「幸福に至る道」
https://russell-j.com/beginner/1952_RtoH-030.HTM
Those (children) who are imaginative or timid must be sheltered longer
than those who are stolid or endowed with natural courage.
* stolid (adj.):無感動な,鈍感な;感情を見せない
[想像力に富む子供や臆病な子供は,鈍感な子供や生まれつき勇気に恵まれた
子供よりも,長い間保護してあげなければならない。]
出典:ラッセル『教育論』「愛情と同情」
https://russell-j.com/beginner/OE11-130.HTM
The Conciliation Committee should have only an advisory capacity, but
it may be hoped that it would in time acquire such moral authority as
would make resistance to its proposed solutions difficult. If it
achieved success and had been appointed by the United Nations, the
United Nations should take up its work and might lead the way to the
creation of a real World Government endowed with the only powerful
armed forces in the world. In any case,only a World Government
affords a long term hope of the survival of the human race.
[(私が提案した)和解委員会は,勧告をする権限(資格)のみを有するべきであ
る。しかし,この委員会は,やがて,道義的権威を持つようになり,それによって
,委員会の提案事項を拒否することを困難にさせるようになることが期待され
るかも知れない。もし,この委員会が成功し,国際連合から委員任命が行なわれ
れば,国際連合は仕事にとりかかるべきであり,世界で唯一の強力な軍事力(軍
隊)をもった本物の世界政府を創設する道に進むことができるかもしれない。
とにかく,この世界政府のみが,人類生存の長期的希望を与えることができるの
である。]
出典:ラッセル「東西緊張の心理(1961)]
https://russell-j.com/cool/east-west_conciliation.htm
2.参考例
He is endowed with many talents.
[彼は多くの才能に恵まれている (多くの才能が与えられている)。]
出典:森一郎『試験にでる英熟語』p.135
At birth the human infant is endowed with a large number of possible
abilities.
[生まれたとき、人間の子供は多くの潜在的な才能を授けられている。]
出典:『英単語ターゲット1900 4訂版』p.399
The boy was endowed with a special power to heal others by just
touching them.
[少年は触れただけで人を治療する特殊な力を生まれつき持っていた。]
出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』p.455
She is endowed by nature with a voice of unusual compass.
[彼女は,生まれつき,まれに見る音域の広い声にめぐまれている。]
出典:Shogakukan Random House English-Japanese Dictionary, 1982
She is endowed with both beauty and brains.
出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.
She was endowed with intelligence and wit.
出典:Oxford Advanced Learner's Dictionary, 8th ed.
You say that someone is endowed with a particular desirable ability,
characteristic, or possession when they have it by chance or by birth.
出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, 3rd ed.
■■ ラッセルの英語 n2668-2 ラッセルの英文
ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』
(Human Society in Ethics and Politics, 1954)
第2章 道徳規範 n.6:
伝統的道徳は、「罪」を避けることや、「罪」を犯した場合の、浄化の儀式
(儀礼)に、あまりにも関心を持ちすぎている。 こういう視点(注:罪を避
け、罪を犯したら浄化の儀式を行うべし)は、キリスト教倫理には一般に(広
範に)見られるところであるが、キリスト教以前にさかのぼるものである(先
行するものである。)(即ち、)そういう視点は、オルフェウス教徒の間にも
あり、それに関する記述は、プラトンの『国家』の冒頭に見出される。キリス
ト教会の教えにおける「罪」とは、特定の行為でなっており、(それらの行為
の中には)社会的に有害なもの、害も益もない中立的なもの、積極的に有益な
もの(たとえば、適切な歯止めを設けての安楽死)がある。罪は心からの懺悔
がない限り、神による処罰を招く。心からの懺悔があれば、 たといそれが取
り返しのつかない弊害を引き起こしたとしても、その罪は赦され得る(のであ
る)。罪の意識や、罪に堕ちる恐怖は、それが強烈な場合には、内省的で自己
中心的な精神構造を形成する。そしてその精神構造は、自然発生的な愛情や視
野の広さを妨げ、臆病で、いくぶん不快な卑下を生み出しがちである。最良の
生活が鼓舞されるのは、決してそのような精神状態によってではない。
Traditional morality is too much concerned with the avoidance
of "sin" and with the ritual of purification when "sin" has occurred.
This point of view, though prevalent in Christian ethics, antedates
Christianity; it existed among the Orphics, and an account of it is to
be found at the beginning of Plato’s Republic. "Sin" as it appears
in the teaching of the Church, consists in acts of certain specified
kinds, some socially harmful, some neutral, some positively useful
(e.g. euthanasia under proper safeguards). Sins incur Divine
punishment unless there is sincere penitence ; if there is, they can
be forgiven, even if it is impossible to undo any harm they may have
caused. The sense of sin, and the fear of falling into sin, produce,
where they are strong, an introspective and self-centred frame of
mind, which interferes with spontaneous affection and breadth of
outlook, and is apt to generate a timorous and somewhat disagreeable
kind of humility. It is not by such a state of mind that the best
lives are inspired.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954,
chapter 2: moral codes, n.6
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-0206.htm
■「ラッセルの言葉366_画像版」
日本語 version : n.2728j-2734j を投稿
英 語 version : n.2728e-2734e を投稿
1つだけ再録しますn.2733j (April 25, 2024)
「原理原則主張よりも結果の予測がより重要」
こうして、どのような行為が承認されるかということよりも、私達が目指す
べき結果(効果)について人類の間でより多くの合意が存在しているという結
論に導かれる。承認される行為とは幸福や快楽をもたらす可能性が高い行為で
あるというヘンリー・シジウィックの主張は、大ざっぱに言って真実だと考え
る。 以前は違反すると破滅的だと考えられていた古代のタブーが、そのタブ
ーを生み出した信仰が忘れ去られてから長い間、慣習や伝統の力によって生き
残っていることも稀ではない。しかし、そのような場合、タブーは不安定な生
命を持ち、旅行や勉強(学習)を通じて、自分が育った環境とは異なる習慣に
出会った人々によって投げ捨てられる傾向がある。
We are thus led to the conclusion that there is more agreement among
mankind as to the effects at which we should aim than as to the kinds
of acts that are approved. I think the contention of Henry Sidgwick,
that the acts which are approved of are those that are likely to bring
happiness or pleasure, is, broadly speaking, true. Not infrequently,
an ancient tabu, which it was formerly thought disastrous to infringe,
may survive, through the force of custom and tradition, long after
the beliefs which gave rise to it have been forgotten. But in such
cases the tabu has a precarious life, and is apt to be thrown over by
those who come across, by travel or by study, customs different from
those in which they have been brought up.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics,
(1954), chapter 9:Is there ethical knowledge ?
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0913.htm
<寸言>
私達は多くの「思い込み」をしています。同じ地域に住む多くの人が「こう
したほうがよい」とか「こうあるべきだ」と思っていても、別の土地(特に海
外)にいくと、自分たちと異なる考え方の人々が不幸になっていなかったり、
あるいはむしろ、より幸福だったりする姿を目にしたりします。
この事実から、旅行や勉強(学習)や異なる地域で暮らす体験などの重要性
がよく理解できます。なぜなら、それらの経験によって、様々な「結果」を知
ることができ、「結果」については、「原理原則論」よりも、多くの(国々の)
人々の間に合意があるからです。
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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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今回もお休み
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編集後記 国立大の授業料を3倍にすべきと主張する慶應の伊藤公平塾長
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慶應義塾の現塾長(学長)の伊藤公平氏が政府の中央教育審議会の部会で
「国立大の授業料を3倍にすべき」と主張しているということで、話題になる
とともに、批判を浴びています。部会で出された資料は次のページに掲載され
ています。
https://www.mext.go.jp/content/2020327-koutou02-000034778-5.pdf
このなかで批判を浴びているのは、提案要旨2の主張です。その部分を以下
転載しておきます。
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【2.国立・公立・私立大学の協調と競争を促す学納金体系の確立
- 国立大学の学納金を(現在の約3倍の)150万円/年程度に設定すること
で、国立大の収入体系の中で利益者負担率を上げながらも、運営費交付
金のレベルを調整することで全体収入は現状からの増加を目指す。公立
大も同様の扱いとする。- このことで大学生の8割近くが通う私立大と
短大は、公平な土壌で建学の精神に基づく経営努力に取り組むことがで
きる。- その上で、学生それぞれの事情に応じた経済的負担軽減のため
の奨学金および貸与制度を、国公私大を通じて共通の土壌で整備する。】
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伊藤公平氏は、自分の名に相応しく?「公平」ということを強調しますが、
「公平」の中身が問題です。(伊藤氏は伊藤忠の創業者の孫であり、慶應幼稚
舎から大学院まで慶應で、カリフォルニア大学の大学院も修了しています。
スタート地点から「公平」ではないではないかと思われますが、それは伊藤氏
にとっては、ご先祖様が頑張ったご褒美なので、問題外と考えているのではな
いでしょうか?
いや、「奨学金を充実すれば問題ない」との主張でしょうが、返還義務のな
い奨学金はそれほど多くないでしょうし、(無利子であっても)返還義務のあ
る奨学金を充実しても、大きな借金を考えれば、大学院進学を躊躇する人が少
なくないと思われます。
それにしても、150万円という金額はどうして出てきたのでしょうか? 伊藤
氏は「高度な大学教育を実施するためには、学生一人当たりの収入として300万
円/年は必要」ということを根拠にしていますが、本当のそのような計算からの
発想でしょうか?
慶應の1年間の授業料は約140万円(医学部は約400万円)だそうです。とい
うことは、国立大学の授業料が慶應の授業料と同じなら、多くの学生が慶應を
選ぶはずだ! とでも「無意識に(意識下で)」思ったのでしょうか?
因みに、私立大学の医学部の授業料は年2000万くらいしているそうですが、
慶應医学部の学生の授業料が安いのは他学部の学生の授業料収入を回している
からだ! と揶揄する他学部生も少なくないそうです。
いずれにせよ、伊藤「公平」氏の主張は、返還義務のない奨学金をもらえる
優秀な学生なら気にする必要がないものでしょうが、そこそこ優秀だが返還義
務のある奨学金しかもらえない学生にとっては、国公立大学の授業料3倍化は
深刻な事態です。
日本の文科省の大学や研究機関への投資額はEUの半分くらいしかないそうで
すが、経済発展や軍事強化に結びつかない教育投資は厳しく査定したがってい
る政府にとっては、「歓迎すべき」意見なのかも知れません。(松下)
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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