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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0865_2023/12/23 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

https://youtu.be/0ClrdvxJyGA

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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2579~2583  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語」は、2579-2583
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2579. 2581, 2583
 
 1つずつ再掲します。

■■ バートランド・ラッセルの英語 n.2582  ラッセル英単語熟語

★ absurd (adj.) [馬鹿げた,こっけいな;不合理な]

* 語源:ラテン語の「absurdus」(不合理な、「筋の通らない)に由来。
「ab-(反対)」+「surdus(聞こえない、耳鳴り)→「聞こえない」」
* absurdity (n):不条理,不合理;ばかげたこと(不合理なばかばかしさ)
* the height of absurdity : 愚の骨頂


1.ラッセルの用例

To say that it is as bad to kill yourself as to kill someone else 
seems to me absurd.
[自殺は殺人と同様の犯罪行為だとする見解は,馬鹿げていると私は思う。
 出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ』の中の「自殺は違法か?」]
     https://russell-j.com/ILLEGAL.HTM

It is absurd to suppose that moments of weakness give more insight 
than moments of strength.
[弱っているときのほうが,元気なときよりもより洞察力が与えられると考える
のは,馬鹿げている(不合理である)。
 出典:ラッセル『幸福論』第7章「罪悪感」]
     https://russell-j.com/beginner/HA17-060.HTM

The fact that an opinion has been widely held is no evidence whatever 
that it is not utterly absurd; indeed, in view of the silliness of the
 majority of mankind, a widespread belief is more likely to be foolish
 than sensible.
[ある意見が広く支持されているという事実は,その意見がまったく馬鹿げたも
の(不合理なもの)ではないという証拠にはならない。実際,大多数の人間が
愚かであることから考えると,広く支持されている'信念'は賢明であるよりも
愚かである確率の方が大きい。
 出典:ラッセル『結婚論』第5章「キリスト教倫理」]
     https://russell-j.com/beginner/MM05-100.HTM

 <コメント:ラッセルの「自由恋愛( free love )」(恋愛の自由ではなく,
自由恋愛であることに注意)や「試験結婚( trial marriage 」の主張は,第二
次世界大戦前においては,米国においても「進みすぎて」いると考えられ,そ
のために,いったん決まったラッセルのニューヨーク市立大学教授就任は,裁
判により,キャンセルされてしまいました。(それだけでなく,家族を抱えて,
経済的にかなり厳しい状況におかれてしまいました。)しかし,現在において
は,恋愛や結婚に関するラッセルのような考え方は多くの人々によって受け入
れられています。時代に先んじた考えを持つと,迫害を受ける(大衆の意見に
迎合しておいた方が楽に生きられる)よい例です。>

Whenever you begin to feel remorse for an act which your reason tells
 you is not wicked, examine the causes of your feeling of remorse, and
 convince yourself in detail of their absurdity.
[自らの理性が悪くないと告げる行為について、あなたが後悔を感じはじめる
ようなときには、いつでも、後悔の感情の原因を調べ、その不合理性について
、細部においてまで確信をもつべきである。
 出典:ラッセル『幸福論』第7章「罪悪感」]
     https://russell-j.com/beginner/HA17-060.HTM

Having been lonely so long, I devoted somewhat absurd amount of 
affection to FitzGerald.
[私は,非常に長い間孤独だったので,いくらかばかげているほど彼に愛情を注
いだ。
 出典:ラッセル『自伝』第1巻第2章「青年期」]
     https://russell-j.com/beginner/AB12-120.HTM


2.参考

The history of thought shows that many people were totally committed
 to absurd belief.
[思想史は多くの人々がばかげた(不合理な)信念に完全にとらわれていたこ
とを示している。]
出典:『英単語ターゲット1900-大学入試出る順』p.272

It is absurd to believe that your blood type determines your character.
[人の血液型が性格を決定すると信じるなんてばかげている。]
出典:『東大英単』p.526

It's absurd not to wear a coat in such cold weather.
[ 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.)]


■■  ラッセルの英語(2) n2583-2 ラッセルの英文
 ( Unpopular Essays, 1950 から)

 「哲学と政治」n.28

 経験主義(者)の認識論(知識論)は -私はいくらか留保付きでそれに固執
するが- 独断と懐疑主義の中間にある。ほとんど全ての知識はある程度疑わ
しい、と経験主義の知識論は考える。ただし、その疑いは、かりにそれがある
としても、純粋数学や現在の感覚による認知(sense-perception)の事実に関
しては無視できる、というのがその主張である。 知識として通っているもの
の持つ疑わしさは程度問題である。(たとえば、)私は最近、アングロサクソ
ンのブリテン侵攻に関する本を読んで、今ではヘンギスト(注:5世紀後半の
イギリスでアングロ・サクソンのブリタニア大挙移住を最初に率いた伝説的首
長)が存在したことには確信を持っているが、ホルサ(注:ヘンギストの弟)に
ついては大いに疑問を持っている。(また)アインシュタイン の一般相対性理
論は多分概して真理であるだろうが、宇宙の外周(大きさ)(the circumference
 of the universe)を計算するようになれば、後世の研究がいくらか異なる結
果を与えると期待することも許されるかも知れない(注:最新の研究では宇宙
の大きさは約138億光年/多分もっと大きくなると予想されます)。現代の原
子理論は実用的な真理を持っている。なぜなら、それは原子爆弾の製造を可能
にするからである。この理論の帰結は道具主義者がふざけて(facetiously)
「申しぶんなし」と呼ぶところのものである(注:道具主義とは、科学理論を
、観察可能な現象を組織化・予測するための形式的な道具・装置であると見な
す立場で、観察可能な現象の背後にある観察不可能な隠れた実在の真の姿は知
りえないとする。 この点で科学的実在論と対立する。)。しかし、何かまっ
たく異なる理論がやがて(in time)発見されて、観察される諸事実をもっと
よく説明するようになることもありえないことでではない。科学理論は、さら
なる調査研究を示唆する有力な仮説として、また何らかの真理の要素をもち、
それによって(in virtue of そのおかがで)既存の観察結果をつなぎ合わせ
る(colligate くくる)ことができるものとして、受け取られる。しかし、分
別ある人なら、科学理論を不変で完全なものだとは決して見なさない。

Philosophy and Politics, (1947),n.28
The empiricist’s theory of knowledge -- to which, with some 
reservations, I adhere -- is half way between dogma and scepticism.
Almost all knowledge, it holds, is in some degree doubtful, though the
 doubt, if any, is negligible as regards pure mathematics and facts of
present sense-perception. The doubtfulness of what passes for knowledge
 is a matter of degree; having recently read a book on the Anglo-Saxon
 invasion of Britain, I am now convinced of the existence of Hengist,
but very doubtful about Horsa. Einstein’s general theory of relativity
is probably broadly speaking true, but when it comes to calculating the
 circumference of the universe we may be pardoned for expecting later
 investigations to give a somewhat different result. The modern theory
 of the atom has pragmatic truth, since it enables us to construct 
atomic bombs: its consequences are what instrumentalists facetiously 
call "satisfactory." But it is not improbable that some quite different
 theory may in time be found to give a better explanation of the 
observed facts. Scientific theories are accepted as useful hypotheses
 to suggest further research, and as having some element of truth in 
virtue of which they are able to colligate existing observations; but
 no sensible person regards them as immutably perfect. 
 Source: https://russell-j.com/cool/UE_01_philosophy_and_politics-280.HTM
 
 
■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2603j-2609j を投稿
 英 語 version : n.2603e-2609e を投稿

 1つだけ再録します。 n.2604j (Dec. 18, 2023)

 「集団の利益と客観的な正しさ」

 道徳(倫理)の主な目的は、単に個人の利益だけでなく、集団の利益に資す
る行動を促進することである。私は、「客観的に正しい」行為とは、倫理的に
支配的とみなされる集団の利益に最も貢献する行為だと考える。難しいのは、
この集団の定義が人によって、また状況によって、異なることである。それは
家族であったり、会社であったり、国家であったり、教会であったり、人類全
体であったりするかもしれない。集団は人類よりも大きく、あらゆる感覚を持
つ存在かもしれない。「客観的な正しさ」を定義するためにどの集団が選ばれ
るかは、その定義を行う人間の集合体が何であるかによって決まる。・・・。
生体解剖を規制する法律では、(法律上の)一つのフイクションによって、動
物が自分の言い分を述べることが可能であると想定されなければならない。

The main purpose of morals is to promote behaviour serving the 
interests of the group, and not merely of the individual. I think that
 the "objectively right" act is that which best serves the interest of
 the group that is regarded as ethically dominant. The difficulty is 
that this group will be differently defined by different people and in
 different circumstances. It may be the family, the firm, the nation,
the Church, or mankind as a whole; it may even be larger than mankind,
 and include all sentient beings. Which of these groups is chosen to
 define "objective rightness” will depend upon what is the collection
 of human beings that is making the definition. ... In laws regulating
vivisection, the animals must, by a fiction, be supposed to be capable
 of stating their case.
 Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 
(1954), chapter 5
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0617.htm

<寸言>
 今行っている道徳的判断は、どういった集団の観点から行っているか反省し
てみる必要があります。
 日本に関係していることだから日本人(あるいは日本という国家)の観点か
ら道徳的あるいは法的判断をしていたが、実際は、他国(の人々)も関係して
おり、それらの人々も含めた道徳的あるいは国際法の観点から判断すべきであ
る(すべきであった)ということがわかるかも知れません。しかし、指摘や批
判を受けるまでは、現在権利や権限を持っている人が自ら言い出すことはあり
ません。
 領土の問題でも、日本の国家が成立した時から日本の領土が決まっていたわ
けではなく、また、いかなる国家も盛衰があります。どの国家も都合のよい歴
史的事実や時代を選んで、自国の領土の範囲を主張します。
 国内の個人の土地の所有権も同様です。土地の所有権に関する法律がない昔
に、武力で獲得した土地は、(罪刑法定主義のもと)、過去に遡って、土地の
所有権を剥奪されることはありません。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 ラッセル『怠惰への讃歌』への讃歌-楠木建氏のエッセイ
 楠木建「現代にも示唆を与える90年前のラッセルの名著」
  出典:日経 BOOK PLUS, 2023年12月21日付
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/121200323/121200003/

 著者は一橋ビジネススクールの特任教授をされていて、読書家としてもしら
れているそうです。
 楠木氏のこの文章は、少し眺めで、読み応えのある良いエッセイです。
 少しだけ、引用しておきます。
   
・ 1932年から35年にかけて書かれた15編のエッセイが収録されています。仕
事場の本棚を整理していて、はるか昔に読んだ本書が出てきたので再読してみ
ました。表題作『怠惰への讃歌』はラッセルの思想が凝縮されている名文とし
て有名です。議論が上手い巧い。
・ ラッセルは仕事を3つに分類しています。第1のタイプは、「地球の表面上
、またはその近くにある物体の位置を相対的に変えること」。要するに肉体労
働なのですが、こういう定義を与えるところが数学者らしい。第2は、人々に
そのような仕事を命令する人。第3に、土地を所有しているために、人々に居
住し働くことを許可する代わりにその対価を支払わせる地主階級。
 地主は怠惰で仕事をしていないのですが、彼らはラッセルの礼賛の対象とは
なりません。怠惰でいられるのは他人の勤勉のおかげだからです。歴史的に見
ると、彼らの怠惰への熱望が勤労至上主義を生み出している。
・ 言うまでもなく、ラッセルの怠惰礼賛は彼の自由、平等、平和を希求する
反権力的社会主義についてのひねりを利かせた主張です。相当のヒマがないと
人生の最も素晴らしいもの――文明と教育――と縁がなくなる。この素晴らし
いものを奪われている理由はヒマがないということにある。ばかげた禁欲主義
に突き動かされて犠牲的に働く必要がなくなった1932年でも、過度に働く必要
があると思い込んでいる。

 後は、興味のある方は上記のURLをクリックしてお読みください。

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 編集後記 年賀状の将来 ー 電子年賀状が普通になるのはいつ?
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 プリンタ故障のため、2024年の年賀状は既成の印刷済みのものを使うこと
に決めました。従って、宛名書きや差出人住所氏名は「手書き」となります。
今年はそれで仕方がないとしても来年はどうしようか思案しています。

 年齢を重ねるに従い、「年賀状じまい」にする人や、電子年賀状に変更す
る人が少しずつ増えてきました。来年から、郵便物が大幅に値上げするとの
報道がありましたので、ますます年賀状の発行数が減り、そうしてますます
年賀状の発行枚数が減るという Death Spiral(デス・スパイラル)状態が進
みそうです。

 普段会わないけれども仲が良かった人やお世話になった人にはできるだけ
年賀状を出し続けたいと思いますが、それほど親しいわけではない人宛の年
賀状は、プリンタ故障及び年賀状の値上げをきっかけに出すのはやめにしよ
うと思っています。

 メールアドレスが分かる人に対しては、電子年賀状にしていきたいところ
ですが、年上の人に対しては失礼にあたりそうなので、紙媒体の年賀状を続
けるほうがよさそうです。

 電子年賀状なら、体が動く限り続けられますが、電子年賀状が普通になる
のはいつのことでしょうか?

 政府がマイナンバーカード普及のため、よからぬことを考えるかも知れま
せん。
「マイナンバーカードを持っている人は、相手の住所や電話番号を登録する
だけで相手のスマホ宛に電子年賀状が出せます!」
 と言い出したりして・・・?
 
 まさか! (松下彰良)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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