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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0853_2023/09/30 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2521~2525  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語」は、n.2521,2523,2525
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2522~2524 
 
 それぞれ1つだけ再掲します。


■■ バートランド・ラッセルの英語 n2525 <ラッセル英単語熟語>
 
 ★ or rather 【いやむしろ、もっと正確に言うと、と言うより、と言っても】

* 前言を訂正する時に使う表現


1.ラッセルの例

We have come to know, or rather to believe, that boredom is not part 
of the natural lot of man, but can be avoided by a sufficiently 
vigorous pursuit of excitement. .
[私達は,退屈は人間の生れつきの運命ではなく,十分精力的に興奮を追求する
ことで避けられるということを知るにいたった,というよりもむしろ信じてい
る。]
 出典:ラッセル『幸福論』第4章「退屈と興奮」
     https://russell-j.com/beginner/HA14-030.HTM

Grave faults of character, such as cruelty, can seldom be dealt with 
by means of punishment. Or rather, punishment should be a very small 
part of the treatment.
[残酷さのような性格上の重大な欠陥は,めったに罰(を与えること)によっ
て取り扱うことはできない。いやむしろ(と言うより),そういった欠陥(欠
点)を取り扱うにあたって,罰の果たす役割は,ごく小さなものでなければな
らない。]
 出典:ラッセル『教育論』第二部_性格の教育_第9章「罰」
     https://russell-j.com/beginner/OE09-060.HTM

The most obvious example of power-morality is the inculcation of 
obedience. It is (or rather was) the duty of children to submit to 
parents, wives to husbands, servants to masters, subjects to princes,
 and (in religious matters) laymen to priests;. .
[権力道徳の最も明らかな例は,従順(服従)を教え込むこと(inculcation)
である。従順(服従)は,子供が親に,妻が夫に,召使い(使用人)が主人に,
臣民が王侯に,そして(宗教に関しては)俗人が聖職者(priests)に,従う義
務である(というよりも,むしろ,義務であった)。]
 出典:ラッセル『権力』第15章「権力と道徳律」
     https://russell-j.com/beginner/POWER15_020.HTM


2.参考例

I live in Tokyo, or rather in the suburbs of Tokyo.
[私は東京在住です。といっても、東京の郊外ですけどね。]
 出典:佐藤ヒロシ『and と as の底力』p.128

He came home very late last night, or rather very early this morning.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English. new ed.

He explained what the Crux is, or rather, what it was.
 出典: Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learner's, new
 ed.


■■  ラッセルの英語(2) n2524 ラッセルの英文

 ( Unpopular Essays, 1950 から)

 「人類に害を与えてきた思想」n.16

 信条に関する自尊心(高慢さ/うぬぼれ)は,(階級的差別感情)と同様の感
情のもう一つの変種である。私は,中国(注:1920~1921年にかけて約1年滞
在)から戻って間もない頃,アメリカの多くの婦人クラブで,中国について講
演を行った。いつも(毎回),講演中には居眠りしていたようでありながら,
終りにやや尊大に次のような質問をする一人の年配の婦人がいた(注:以下の
ことをラッセル及び聴衆に言いたいために,ラッセルが講演するところ全てに
かけつけた,と想像される)。即ち,中国人は異教徒(heathen)なんだから,
言うまでもなく有徳であるはずがないことについてなぜ私が言及しなかったか
,という質問であった。ソルトレーク・シティのモルモン教徒たちは,非モル
モン教徒が初めて仲間入りを許されたときには,同様な態度をとったにちがい
ない,と私は想像する。中世の全期間を通じて,キリスト教徒とマホメット教
徒とは,互いに相手の邪悪さを確信しており,自分たちの宗教(信条)の優越
性を疑うことができなかったのである。
 すべて以上のようなことは,自ら(or 自分たち)を「素晴らしい(grand)」
と感じる愉快なやり方である。我々は幸福であるためには,自尊心(うぬぼれ)
に対するあらゆる支えが必要である。我々は人間だ,従って,人間が天地創造
の目的である。また,我々はアメリカ人だ,従って,アメリカは神の国である
とか,我々は白人だ,従って,神は黒人であるハム族やその子孫を呪ったのだ
とか,我々はプロテスタント(あるいはカトリックだ,従って,カトリック
(あるいはプロテスタン)は嫌悪すべき対象であるとか,我々は男性だ,従っ
て,女性は理性的でない,あるいは私は女性だ,従って,男性は獣だとか,我
々は東洋人だ,従って,西洋人は乱暴であり,毛むくじやであるとか,我々は
西洋人だ,従って,東洋は衰退している,などという。(また)我々は頭脳で
労働している,従って,重要なのは教育を受けた階級であるとか,あるいは、
我々は手を使って労働している,従って,手を使った労働(筋肉労働/肉体労働)
のみが尊厳である,とかいう。最後に,とりわけ,我々の各々が,我々は「自
己」(ユニークな自己を持つ存在)であるという,まったく独自の長所を一つ
もっている。以上のような心慰める内省(熟考)をいだいて,我々は,外に出
て世間(世界)と闘かうのであり,そのような内省がなければ,吾々の勇気は
挫けるかもしれないのである。現状のままでは,そのような内省がなければ,
我々は,平等という感情を学んでいないので,劣等感を感じることだろう。もし
も我々が,自分は隣人と平等であり,彼等に優越するものでも劣るものでもな
い,ということを真に感じることができるならば,恐らく,人生はより闘争的
でなくなるだろうし,また空元気(Dutch courage)を出すために自分たちを
酔わせるような神話を必要とする度合はより少なくなるであろう。

Pride of creed is another variety of the same kind of feeling. When I
 had recently returned from China I lectured on that country to a 
number of women's clubs in America. There was always one elderly woman
 who appeared to be sleeping throughout the lecture, but at the end 
would ask me, somewhat portentously, why I had omitted to mention that
the Chinese, being heathen, could of course have no virtues. I imagine
 that the Mormons of Salt Lake City must have had a similar attitude 
when non-Mormons were first admitted among them. Throughout the Middle
Ages, Christians and Mohammedans were entirely persuaded of each 
other's wickedness and were incapable of doubting their own superiority.
All these are pleasant ways of feeling 'grand'. In order to be happy we
 require all kinds of supports to our self-esteem. We are human beings,
 therefore human beings are the purpose of creation. We are Americans,
 therefore America is God's own country. We are white, and therefore 
God cursed Ham and his descendants who were black. We are Protestant 
or Catholic, as the case may be, therefore Catholics or Protestants, 
as the case may be, are an abomination. We are male, and therefore 
women are unreasonable; or female, and therefore men are brutes. We are
 Easterners, and therefore the West is wild and woolly; or Westerners,
 and therefore the East is effete. We work with our brains, and 
therefore it is the educated classes that are important; or we work 
with our hands, and therefore manual labor alone gives dignity. 
Finally, and above all, we each have one merit which is entirely 
unique, we are Ourself. With these comforting reflections we go out to
 do battle with the world; without them our courage might fail. 
Without them, as things are, we should feel inferior because we have
not learnt the sentiment of equality. If we could feel genuinely that
 we are the equals of our neighbors, neither their betters nor their 
inferiors, perhaps life would become less of a battle, and we should 
need less in the way of intoxicating myth to give us Dutch courage.
   Source: Ideas That Have Harmed Mankind,1946
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 1
  More info.: https://russell-j.com/beginner/0861HARM-160.HTM


■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2519j-2525j を投稿
 英 語 version : n.2519e-2525e を投稿

 1つだけ再録します。n.2525j (Sept. 30, 2023)

 「特権階級は罪を免れる?」

 もしあなたがプロテスタントとして育てられるのであれば、ジャガイモを植
えるのに悪い日は日曜日ではなくて土曜日であること(注:迷信。勤勉なプロ
テスタントが土曜日に休まないようにとの配慮か?)に気づかないままにしな
ければならない。またカトリックとして育てられるなら、結婚が解消不能とさ
れているにもかかわらず、公爵や公爵夫人は、身分の低い無名の夫婦であった
ら妥当とはされそうにない証拠で、教会から結婚を無効にしてもらえるという
事実を知らされないままにしなければならない。必要とされるその愚かさの程
度は社会的に有害であり、厳格な隠蔽主義体制によってのみ、(愚かさは)温
存され得るにすぎない。

If you are brought up as a Protestant, you must be kept from noticing
 that Saturday, not Sunday, is the day on which it is wicked to plant
 potatoes. If you are brought up as a Catholic, you must remain
 ignorant of the fact that, in spite of the indissolubility of 
marriage, Dukes and Duchesses can have their marriages annulled by the
 Church on evidence which would not be thought adequate for an obscure
couple. The necessary degree of stupidity is socially harmful, and can
 only be secured by means of a rigidly obscurantist regime.
 Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics,
 (1954), chapter 1
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0112.htm

<寸言>
 その国や地域の文化を知らないと、冗談を言っても外国人や他地域の人に理
解されない可能性が大です。ここでのラッセルの発言も、プロテスタントが勤
勉であるという理解と、イギリスには「ジャガイモは土曜日に植えないほうが
よい」という迷信(俗信)があることを知らないと、何を言っているかわから
ないかも知れません。因みに、アメリカにはじゃがいもに関する同様の迷信は
ないとのことです。
 なお、蛇足ですが、「not Sunday」となっているのは、もちろん、キリスト
教徒にとって「日曜日は安息日(休むべき日)というのは常識だからです。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 なぜ維新が大阪(関西)で人気があるのか理解できず・・・
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 日本の高度成長期に行われた(1970年の)大阪万博は大成功でした。私も
万博を見学しました。しかし、当時と現在では事情が非常に異なっています。

 関西(特に大阪)では、日本維新の会が人気で、維新の政治家がいろいろな
ところで「権力」を振るっています。大阪のマスコミが同調していることが大
きいからだろうと思われますが、どうしてそんなに維新を支持する人が大阪に
多いのか、私にはよく理解できません。維新に関する不祥事が連日報道されて
いるのを、大阪の人は余り知らされていないのでしょうか?

 大阪万博や(IRという名前で美化された)カジノ構想には不都合な真実がたく
さんあります。大阪万博はだいぶ前から工事が開催に間に合わないのではない
かと言われていましたが、維新が推進した万博の準備の遅れは選挙に不利にな
るということで統一地方選が終わるまでダンマリでした。しかし、統一地方選
が終わるやいなや、維新の吉村共同代表は岸田首相に泣きつきました。それを
受けて岸田首相は「政府主導で推進」すると明言しました。これで万博が失敗
しても維新の責任は半減され、政府の責任が半分以上ということになり、多額
の税金を投入することが「可能」となりました。

 1970年の大阪万博の跡地は万博公園になっていますが、どうしてそこで開催
しないのでしょうか? 万博施設は2025年の万博が終われば全て撤去すること
になっていますので、また万博公園にもどすことができます。それとも会場の
「夢の島」(ゴミの島)を第ニ万博公園にでもするのでしょうか? 
 疑惑がたくさんでてきています。

 万博施設の建設費は当初 1,250億円とされていましたが、その後1,850億円
に増額され、また最近、人件費の高騰などを理由に2,300億円に増額されまし
た。(今後また増額が予想され、3,000億はかかるだろうと言われています。)
 建設費よりも問題なのは、軟弱地盤対策のための費用です。「夢の島」の土
壌は非常に軟弱で、巨大な杭を多数、50mの深さまで打たないとこの土地の上
に建物を建設できないとのことです。軟弱地盤対策のための費用が数千億、
もしかすると兆円単位になるかも知れません。(沖縄辺野古基地の軟弱地盤の
改良のための杭打ちには数兆円かかるということが、工事を始めた後にわかり
ましたが、国策になれば税金は使い放題です。)

 維新に関する事情に詳しい人の間で流布している真相は以下のとおりのよう
です。見当違いか、真実か、それぞれご判断ください。即ち、

 維新が本当にやりたかったのは、利権がたくさんからむ「カジノ誘致」であ
り、万博はそのための手段であったのではないか? 夢の島にカジノを建設す
る場合、(地盤沈下しても大丈夫な)交通機関(普通の鉄道ではあぶないので、
頑丈な地下鉄)を用意しないといけない。しかし、カジノのために地下鉄を引
くというのでは反対が多くなりそうだ。そうだ! 万博を誘致し、万博のため
に地下鉄を引くということならスムースにいくはずだ!(橋本、松井、菅・・
・?}

 万博やカジノ関係費用の1/3は国、1/3は大阪府+大阪市、残りの1/2を経済
界で負担することになっています。万博が終われば、杭も含めて全て建造物は
撤去されることになっています。杭は打ち込む時よりも、抜く時のほうが難し
いとのことで、壮大な税金の無駄遣いになりそうです。

 費用の超過分は大阪で負担してもらいたいものですが、そんなことにはなり
そうもありません」。(松下彰良)


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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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