★ バックナンバー索引 ★
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
no.0846_2023/08/12 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
バートランド・ラッセルのポータルサイト: https://russell-j.com/index.htm
同上 スマホ用メニュー : https://russell-j.com/index.html
「ラッセルの言葉366_画像版」:
https://russell-j.com/smart_r366/br366g-j_home.html
https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j-today.html
R英単語・熟語_総索引: https://russell-j.com/beginner/reitan-idx.htm
Twitter : https://twitter.com/russellian2
★Rホームページ利用制限コンテンツ閲覧用パスワード: 1872Y0518
ポータルサイト専用掲示板: http://249.teacup.com/bertie/bbs
[★投稿歓迎:ラッセルに関係するものであれば,ご意見,ご要望,エッセイ,
ちょっとした情報提供等,何でもけっこうです。投稿は,
matusitaster@gmail.com 宛,お願いします。
◆◆◆
◆お願い◆ 楽天で買い物をしている方も多いと思われます。
◆◆◆ ラッセルのポータルサイト(トップページ)の検索ボックス経由
あるいは,ポータルサイトに掲載した個々の楽天取扱商品のリンク
経由でご購入いただければ幸いです。
収益はラッセルのホームページのメンテナンス費用や早稲田大学
のラッセル関係資料コーナ寄贈資料の購入に充当させていただきま
す。]
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ 目 次 ■
1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
2.ラッセルに関する記述や発言等
編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.ラッセルの著書や発言等から
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■「ラッセルの英語」n.2488~2491 を発行しました。
(1)「ラッセル英単語」は、n.2488, 2490
(2)「ラッセルの英文」は、n.2489, 2491
それぞれ1つづつ再掲します。
■■ ラッセルの英語 (1) n2487 R英単語/英熟語/英構文
バートランド・ラッセルの英語 (1) n2488 R英構文
It (so) happens that S + V ...【 たまたまSはVする(である)】
* "so"は省略される場合あり
* It often happens that ...:・・・がよく起こる
1.ラッセルの用例
It happens that this case is American, but it might just as well have
been English, since the law in England is practically the same as in
America.
[この訴訟事件(case)は、たまたまアメリカのものであるが、ちょうどまった
く同様のことが、英国で起こった可能性もあるであろう。英国の法律は、実際
上,アメリカの法律とほとんど同じだからである。]
出典:ラッセル『権力』第八章「性知識に関するタブー」
https://russell-j.com/beginner/MM08-030.HTM
However ardently a man may desire children, if it happens that his
wife is barren he has no remedy in Christian ethics.
[どんなに熱心に男(夫)が子供を望んだとしても、妻がたまたま不妊症(子
どもを産めない体)であったら、キリスト教倫理にはその男性(夫)には救済
策はまったくない。]
出典:ラッセル『結婚論』第五章「キリスト教倫理」
https://russell-j.com/beginner/MM05-080.HTM
But it so happened that at that moment the most crucial baseball
results were coming through on the radio; he forgot me, literature,
and all the other sorrows of our sublunary life, and yelled with joy
as his favourites achieved victory.
[しかし,そのとき,野球の最も重要な(決定的な)結果がラジオから偶然流れ
てきた。彼は,私(の存在)も,文学も,その他この世の生活の悲しみをすべて
忘れ,そうして,ひいきの球団が勝利を得たとき,喜びのあまり歓声をあげた]
出典:ラッセル『幸福論』第10章「それでもなお幸福は可能か?」
https://russell-j.com/beginner/HA21-060.HTM
She asked me whether I had ever read a certain German book called
Ekkehard, and it happened that I had finished it that morning.
[彼女(アリス)は,『エックハルト』というドイツ語の本を読んだことがある
かと私(=ラッセル)に尋ねた。偶然にも私は,その朝,その本を読み終えてい
た。]
出典:ラッセル『結婚論』第1巻 第4章「婚約期間」
https://russell-j.com/beginner/AB14-020.HTM
2.参考例
It happened that I saw Kate in the street.
[私はたまたま通りでケートに会った。]
出典:『解体英熟語 改訂第2版』p.28
It often happens that railway traffic is suspended by a heavy
snowfall.
[大雪のために鉄道が不通になることはよくある。]
出典:鈴木長+伊藤和夫(共編)『新・基本英文700選』p.44
It happened that I was out of London at the time.
[たまたま、その時私はロンドンにいませんでした。]
出典:伊藤和夫(編)『英語構文詳解』p.72
It happened that they were out when we called.
出典: Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.
If it happens that I'm wanted badly somewhere, my mother will take
care the call and phone through to me here.
* "phone through to" :電話を取り次ぐ
[もし私がどこかでひどく必要とされているようなことがあれば、母が電話を
取り次いでくれるでしょう。]
出典: Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learner's, new ed
■ ラッセルの英語(2) n2486 ラッセルの英文
( Unpopular Essays, 1950 から)
「知的戯言の概要」(1943年発表)」n.61(最後の段落です)
そういった信仰が、冷徹な科学によってすっかり置き換えられてしまえば、
恐らく世界は、その興味のいくつかと多様性を失うことであろう(Pehaps +
would)。もしかすると(Pehaps)、私達は、アブセダリアンズ(Abecedarians)
のことを喜ぶことを自分自身に許してしまうかも知れない。彼らは、あらゆる
冒涜的な(profane 神聖を汚す)学習を拒否し、ABCを学ぶのは邪悪であると
考えたために、そう呼ばれたのである。そうして、私達は、ナマケモノがノア
の洪水以後どうやってアララト山からペルーまでの旅 -大洪水以降、旅行は
移動の極度の遅延によってほとんど信じられないほどになった(はずである)
- ができたのか疑問に思ったイエズス会士の当惑を楽しむかも知れない。 賢
明な人間は、豊富に供給される財貨(goods)を享受するだろうし、知的なゴ
ミのようなもの(財貨)からも、 他の時代と同様、現代においても、豊富な
食事(味わうもの)を見つけるだろう。
(参考:助動詞のmayの意味を使い分ける!知っておくべきポイントとは?
→ https://kimino-school.com/study/post-2660/ )
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.61
Perhaps the world would lose some of its interest and variety if such
beliefs were wholly replaced by cold science. Perhaps we may allow
ourselves to be glad of the Abecedarians, who were so called because,
having rejected all profane learning, they thought it wicked to learn
the ABC. And we may enjoy the perplexity of the South American Jesuit
who wondered how the sloth could have traveled, since the Flood, all
the way from Mount Ararat to Peru -- a journey which its extreme
tardiness of locomotion rendered almost incredible. A wise man will
enjoy the goods of which there is a plentiful supply, and of
intellectual rubbish he will find an abundant diet, in our own age as
in every other.
Source: Outline of Intellectual Rubbish (1943)
Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
More info.: https://russell-j.com/cool/UE_07-610.HTM
■「ラッセルの言葉366_画像版」
日本語 version : n.2470j-2476j を投稿
英 語 version : n.2470e-2476e を投稿
1つだけ再録します。n.2474j (Aug. 10, 2023)
「ヘーゲルの哲学の概略」
ヘーゲルの哲学の概略は以下の通りである。実在はパルメニデスおよびプラ
トンの場合と同様、時間を超越する。しかし一方、みかけ上の実在も存在し、
それは時間及び空間内の日常的世界からなっている。実在の性格は論理学によ
ってのみ規定することができる。というのは、自己矛盾的でない実在として可
能なものはただ一種類あるのみだからである。これは「絶対的理念」と呼ばれ
る。 ・・・。 ヘーゲルはすでにこのように証明してしまっていたく満足であ
った。こ れでは少し面白くないとみる人々もあるかもしれない。彼らは言う
かもしれない。「私はホーン岬や南極やエヴェレスト山やアンドロメダ大星雲
のことを考えるのが好きだ。・・・。」 そしてこうした言葉をもって彼らは
哲学におさらばをつげ、以後ずっと幸福に暮らすことであろう。
Hegel’s philosophy, in outline, is as follows. Real reality is
timeless, as in Parmenides and Plato, but there is also an apparent
reality, consisting of the every-day world in space and time.
The character of real reality can be determined by logic alone, since
there is only one sort of possible reality that is not
self-contradictory. This is called the “Absolute Idea.” ... Hegel
has already proved to his satisfaction that all Reality is thought,
from which it follows that thought cannot think about anything but
thought, ... Some people might find this a little dull; they might
say: “I like thinking about Cape Horn and the South Pole and Mount
Everest and ...." And with these words they would say goodbye to
philosophy and live happy ever after.
Source: Bertrand Russell: Bertrand Russell: Philosophy and Politics,
(1947)
Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
More info.:https://russell-j.com/cool/UE_01_philosophy_and_politics-160.HTM
<寸言>
「部分に真理はなく、真理は全体(絶対的理念)にある」と考える人と、
「部分に価値がなければ全体にも価値がない」と考えるラッセルのような人と
では、発想は正反対です。
国家主義的な人達(たとえば、自民党の右寄りの保守層)は前者の立場に立
つ人が多く、国体(天皇を中心とする体制など)を維持することがいちばん重
要であり、そのためには多くの国民(ただし、原則として、自分や自分の家族
は除く)が犠牲になっても仕方がないと考えます。
ヘーゲルは常に全体のことを考えていたので、「現在の分断を救う思想だ」
と持ち上げる人もいるようですが、理屈はなんとでもつきます。
麻生副総裁は、先日台湾を訪れ、こう言ったそうです。「今ほど日本、台湾
、アメリカをはじめとした有志の国々に非常に強い抑止力を機能させる覚悟が
求められている時代はないのではないか。★戦う覚悟だ。いざとなったら、台
湾の防衛のために防衛力を使うという明確な意思を相手に伝えることが抑止力
になる。★」
麻生氏も安全地帯から言いたい放題言うだけでなく、最後の(国への)ご奉
公として、台湾の西海岸に居を構え、(戦う覚悟をしっかり持って)「台湾有
事」に備えたらどうでしょか? そうすれば、台湾政府は麻生氏亡き後、きっ
と銅像をたててくれるはずです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(2) ラッセルに関する記述や発言等
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今回もお休み
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記 歳をとったら・・・感覚器官の衰えに対処する?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
残念というより、当たり前のことですが、歳(年)を取るにつれて感覚器官
が衰えていきます。五感は衰えても第六感は衰えないなどと強がっても、それ
は錯覚のようです。
視覚の衰えは若いうちからやってくる人が多くいます。味覚の衰えは、60歳
台から舌にある味蕾の数が減ることや味覚に関わる神経の機能低下によるそう
です。聴覚も衰え、臭覚も衰え、触覚(皮膚感覚)も衰えていきます。
そういうことで、歳を取ってきたら自分の感覚機能の衰えに対処する必要が
でてきます。年寄りは暑さを感じにくくなっていくので、室温が28度以上にな
ったら、暑く感じなくてもエアコンを適切に使いましょうと、テレビで注意喚
起がしきりになされます。しかし、エネルギー代金の高騰もあり、節約の精神
からエアコンの使用は極力さける年寄りが少なくありません。
夏場は食欲が減退するだけでなく、年配者の場合は味蕾の数が減少し続けて
いきますので、食欲がわかず、体力も衰えていってしまいます。
そういうことで、歳を取ってきたら自分の感覚をあまり信用せずに、頭を使
って、エアコンを使ったり、食事をしたりする必要があります。
「暗い話題」になってしまいましたが、現実を直視し、対処したほうがよさ
そうです。 (松下彰良)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com
■登録・解除・変更はこちら: https://russell-j.com/R3HOME.HTM
■WEBサイト: https://russell-j.com/
( top page: https://russell-j.com/index.htm )
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
|