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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
no.0827_2023/03/25 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
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■ 目 次 ■
1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
2.ラッセルに関する記述や発言等
編集後記
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1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2392~2396 を発行しました。
(1)「ラッセル英単語」は、n.2392,2394,2396
(2)「ラッセルの英文」は、n.2393, 2395
それぞれ1つづつ再掲します。
■ ラッセルの英語 (1) n2392 R英単語/英熟語
★ interfere in【~に干渉する】
* interfere with (~の邪魔をする)と混同しないように注意
1.ラッセルの著作から
The priesthood were able to interfere in daily life to a very great
degree.
[(当時)司祭(聖職者達)は(市民の)日常生活に非常に大きな干渉をする
ことができた。]
出典:ラッセル『権威と個人』第2講「社会的結合と政治(統治)」
https://russell-j.com/cool/AI_1949.pdf
But although, as we have just seen, theology still tries to interfere
in medicine where moral issues are supposed to be specially involved,
yet over most of the field the battle for the scientific independence
of medicine has been won.
[かし,今見てきたように(考察したように),今日でも神学は,道徳的な問
題が特に含まれていると思われる場合には医学に干渉しようとしているけれど
も,ほとんどすべての領域において,医学の科学的独立のための戦いは勝利し
てきた。]
出典:ラッセル『宗教と科学』第4章 「悪魔研究と医学」
https://russell-j.com/beginner/RS1935_04-210.HTM
The State, in every civilized country, is far more active now than at
any former time; in Russia, Germany, and Italy it interferes in
almost all human concerns. .
[国家は,全ての文明国において,昔と比較して今日,はるかに活動的である。
(たとえば)ロシアやドイツやイタリア(注:第二次世界大戦直前の1938年の
状況)においては,国家は殆んど全ての人間の関心事(人間に関わること)に
干渉している。]
出典:ラッセル『権力』第11章「組織体の生物学」
https://russell-j.com/beginner/POWER11_140.HTM
2.参考
You have no right to interfere in other people's affairs.
[あなたには他人のことに干渉する権利はありません。]
出典:『解体英熟語-改訂第2版』p.82
The government should not interfere in what is taught in the home.
[政府は家庭での教育に口を出すべきではない。]
出典:『英単語ターゲット1900』p.82
Don't interfere in my affairs.
[私のことに干渉するな。]
出典:『九大英単』p.21
The UN cannot interfere in the internal affairs of any country.
出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
ed.
■ ラッセルの英語(2) n2395 ラッセルの英文
( Unpopular Essays, 1950 から)
「知的戯言の概要」(1943年発表)」n.22
誤った信念には、自惚れ(うぬぼれ)の他にも、多くの源泉がある。 その
一つは驚くべきものに対する愛である。私はかつてある科学的な精神を持った
マジシャン(奇術師/手品師)(conjuror)を知っていた。彼は少数の観客の
前で自分の手品をやってみせ、その後で(then)、観客に一人一人別々に
(separately)、何が起こっているかそれぞれが見たことをいつも書き下ろさ
せた(訳注:「to write down what they had seen happen: what happen の
間に"they had seen"が挿入されているので訳し方に注意が必要」)。ほとん
ど常に、観客は、実際(に起こったこと)よりもずっと驚くべきことを、そし
て、たいていはどんなマジシャンもなしとげることのできなかっただろうこと
を、書き留めた。にもかかわらず、彼らは皆本当に自分の眼で見たことを報告
していると考えた。この種の誤魔化しは、噂話についてはなおさら真実である。
(たとえば)AはBに、昨夜著名な禁酒論者の某氏が少し酒に酔っていていつ
もより見苦しかったと語る。BはCにあの善良な人が酔っ払ってよろめきなが
ら歩いているのを見た(そうだ)と語り、CはDに自分は意識を失って溝のな
かに落ちていたのを拾い上げられた(picked up)と語り、DはEに自分は毎
晩気絶しているで有名だと語る。ここには、別の動機、即ち、悪意が入ってき
ていることは確かである。我々は隣人を悪く言うのが好きであり、ほとんど証
拠がなくても(隣人について)最悪のことを信じる用意がある。しかし、その
ような動機がない場合でも、何か強い偏見に反しない限り、驚異的なものは、
容易に信じられる。十八世紀までの全歴史は、現代の歴史家が無視する非凡な
人々(prodigies)や不可思議なことに満ちている。それは、そういった不可
思議が歴史達の受け入れる事実に比べて十分に証明されることが少ないからで
はなく、学識ある人達の間にある現代的な趣味が科学が可能性があると見なす
ものを好むからである。 シェイクスピアはシーザーが殺害される前夜がどう
であったかを、次のように語っている。
一人の市の奴隷がですね、あなたも顔はよく御存じのはずだが、
それが左手を高く挙げたところが、ぱっと火を発して、
まるで松明(たいまつ)の二十本も合せたように、炎炎と燃え上がった
それでいて手は少しも火を感じない、むろん火傷ひとつしないのです。
そればかりじゃない――いや、私はそれからずっと、この身のままでいるので
すが、私が丁度キャピトルの前へかかると
一頭の獅子がやって来ました、しかも私の頭をぎょろりと睨むと、
そのままなんの危害も加えずのっそり行ってしまった。
かと思うと恐怖に顔色を変えた、この世の人とは思えない女が百人ばかり一団
になって、なんでも全身火になった男が、
街々を練り歩くのを見たと、そう断言するのです。
シェイクスピアがこれらの驚嘆すべき事柄を発明したのではない。彼はそれ
らを評判のある歴史家 -我々がジュリアス・シーザーに関する知識を得るた
めに頼りにする歴史家達- のなかに見つけたのである。この種のことは偉大
な人間が死んだ場合、あるいは、重大な戦争の開始において、常に起こってい
たのである。1914年のように最近においてさえ、「モンスの天使達」(注:
angels of Mons :第一次世界大戦の「モンスの戦い」の最中に起きた超常現
象といわれているが、実際はアーサー・マッケンの短篇小説「弓兵」(The
Bowman) 内容そのままの話) がイギリス軍を励ました(のである)。そのよ
うな出来事の証拠は直接手にはいるということはまずめったにない。そうして
、現代の歴史家達はそれをみとめることを拒否する。もちろん、その出来事が
宗教的意義をもつものであるばあいは例外であるが(キリスト教などの証拠の
ない話が信じられているという、ラッセルの皮肉)。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.22
There are many other sources of false belief besides self-importance.
One of these is love of the marvelous. I knew at one time a
scientifically-minded conjuror, who used to perform his tricks before
a small audience, and then get them, each separately, to write down
what they had seen happen. Almost always they wrote down something
much more astonishing than the reality, and usually something which
no conjuror could have achieved; yet they all thought they were
reporting truly what they had seen with their own eyes. This sort of
falsification is still more true of rumors. A tells B that last night
he saw Mr.____, the eminent prohibitionist, slightly the worse for
liquor; B tells C that A saw the good man reeling drunk, C tells D
that he was picked up unconscious in the ditch, D tells E that he is
well known to pass out every evening. Here, it is true, another
motive comes in, namely malice. We like to think ill of our neighbors,
and are prepared to believe the worst on very little evidence. But
even where there is no such motive, what is marvelous is readily
believed unless it goes against some strong prejudice. All history
until the eighteenth century is full of prodigies and wonders which
modern historians ignore, not because they are less well attested than
facts which the historians accept, but because modern taste among the
learned prefers what science regards as probable. Shakespeare relates
how on the night before Caesar was killed,
A common slave -- you know him well by sight --
Held up his left hand, which did flame and bum
Like twenty torches join'd; and yet his hand,
Not sensible of fire, remain'd unscorch'd.
Besides -- I have not since put up my sword --
Against the Capitol I met a lion,
Who glar'd upon me, and went surly by,
Without annoying me; and there were drawn
Upon a heap a hundred ghastly women, Transformed with their fear, who
swore they saw
Men all in fire walk up and down the streets.
Shakespeare did not invent these marvels; he found them in reputable
historians, who are among those upon whom we depend for our knowledge
concerning Julius Caesar. This sort of thing always used to happen at
the death of a great man or the beginning of an important war. Even
so recently as 1914 the "angels of Mons" encouraged the British
troops. The evidence for such events is very seldom first-hand, and
modern historians refuse to accept it -- except, of course, where the
event is one that has religious importance.
Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943
Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
More info.: http://www.ditext.com/russell/rubbish.html
■「ラッセルの言葉366_画像版」
日本語 version : n.2330-2336j を投稿
英 語 version : n.2330-2336e を投稿
1つだけ再録します。 n.2330j ( Mar. 19, 2023)
「合理性とは?」
実際面における(実際問題としての)合理性とは、その瞬間に最も強いと思
われる欲求だけでなく、関連する全ての欲求を念頭において行動する習慣と定
義することができる。意見における合理性と同様、それは程度問題である。完
全な合理性は間違いなく達成不可能な理想であるが、ある人間を精神障害者
(精神異常者)と分類し続ける限り、ある人間を他の人間よりも合理的だと考
えていることは明らかである。世の中の確かな進歩は、実際面においても、理
論面においても、合理性を高めることにあると、私は信じている。
Rationality in practice may be defined as the habit of remem bering
all our relevant desires, and not only the one which happens at the
moment to be strongest. Like rationality in opinion, it is a matter
of degree. Complete rationality is no doubt an unattainable ideal,
but so long as we continue to classify some men as lunatics it is
clear that we think some men more rational than others. I believe
that all solid progress in the world consists of an increase in
rationality, both practical and theoretical.
Source: Sceptical Essays, 1928, chapter 4: Can me be rational?
More info.: https://russell-j.com/cool/SE_1928.pdf
<寸言>
日頃「自分の気持に正直でありたい」と強く思っている人、それとともに
「他人の気持ちも同様に大事に」したいと思っている人、できるだけ「感情に
流されないように合理的に考えよう」と思う人など、人様々(三者三様)です。
漱石の『草枕』の冒頭の言葉のように「(山路を登りながらこう考えた。)
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人
の世は住みにくい」というのが現実です。そうであっても、ラッセルは、「世
の中の確かな進歩は、実際面においても、理論面においても、合理性を高める
ことにある」と信じていました。しかし、だからと言って、よく誤解されまし
たが、ラッセルは「理性の奴隷」ではありませんでした。生涯における恋愛の
多彩さをみるだけでもわかります。
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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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今回はお休み
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編集後記 WBCは日本が優勝-現実がフィクションを超えた決勝戦?
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WBCは日本がアメリカに勝利して優勝しました。日本が出る試合は全て
見ましたが、準決勝(対メキシコ戦)と決勝(対米国戦)は、現実がフィク
ション(虚構)を凌駕した,これまでにない試合経過でした。漫画で同様のス
トーリーを描いたら、「漫画だからこんな非現実的なストーリを描ける」
「もっとありえそうなストーリーを描いて欲しい」と、冷めた見方をする人
もけっこう出てきそうです。
冷めた目で見ることももちろん必要です。
3対2で日本がリードしていた9回表のアメリカの攻撃。これでアメリカ
に点が入らなければ日本が勝利する重要な局面で大谷翔平がクローザー(試
合を締めくくる投手)として登場し、(ダブルプレーで)ツーアウトをとり、
最後の打者として登場したのがMVPを3回とっている最強の打者(の一人の)
トラウトでした。トラウトは大谷のエンゼルスの同僚であり、「絵的には」
最高の取り合わせです。ツーストライク・スリーボールとなり、あと1球で
決まる可能性大となり、世界中の野球ファンが注目した最後の1球。高速の
スライダーがトラアウトの手元で最大43cmもカーブし、トラウトは三振。
日本チームはこれを見て感激し、マウンドに全員がかけつけました。大谷
も自分のヘルメットを高く飛ばし喚起の声をあげました。
今回のWBCは興行的に大成功であり、大谷が投げ捨てたヘルメットは米
国の野球博物館行きが決まりました。MLBとしても、エンゼルスとしても、
日本の野球界としても「目出度し、目出度し」ということで、この試合の映
像は長い間、収益源として「活用」されるはずです。
蛇足ですが、ラッセルが野球について言ってることをご紹介しておきます。
ラッセルはファンと言えるほど野球に興味を持っていたわけではないと思わ
れますが、アメリカには通算6年以上住んだことがあるので、ラッセルの著
書の読者へのリップサービスとして?、以下のように言及しています。
(1)『ラッセル幸福論』第10章から
https://russell-j.com/beginner/HA21-060.HTM
あるいは,また,野球ファンの熱狂的な喜びを考えてみるとよい。彼は,新聞
をむさぼるように読み,(実況中継をしている)ラジオから最大限のスリルを
得る。私は,アメリカの代表的な文学者に初めて会ったときのことを覚えてい
る。私は彼の著作(作品)から,この人は'メランコリー状態'にあると想像し
ていた。しかし,そのとき,野球の最も決定的な結果がラジオから偶然流れて
きた。彼は,私(の存在)も,文学も,その他この世の生活の悲しみをすべて忘
れ,そうして,ひいきの球団が勝利を得たとき,喜びのあまり歓声をあげた。
(Or consider again the passionate joy of the baseball fan: he turns
to his newspaper with avidity, and the radio affords him the keenest
thrills. I remember meeting for the first time one of the leading
literary men of America, a man whom I had supposed from his books to
be filled with melancholy. But it so happened that at that moment
the most crucial baseball results were coming through on the radio;
he forgot me, literature, and all the other sorrows of our sublunary
life, and yelled with joy as his favourites achieved victory.)
(2)『ラッセル教育論』第5章から
https://russell-j.com/beginner/OE05-070.HTM
人間の本能は,非常にぼんやりしたものであり,種々さまざまな方法で満足
させることができる。本能の大部分は,満足させるためにはある種の技術を必
要とする。クリケットと野球は同じ本能を満足させるが,男の子は,どちらか
自分の覚えたほうをやるだろう。(Human instincts are very vague, and
can be satisfied in a great variety of ways. Most of them require,
for their gratification, some kind of skill. Cricket and baseball
satisfy the same instinct, but a boy will play whichever he has
learnt. ) (松下彰良)
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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