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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0823_2023/02/25 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2373~2376  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語」は、n.2373,2375,2376
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2374
 
 それぞれ1つづつ再掲します。

■ ラッセルの英語 (1) n2373 R英単語/英熟語  

★ bring oneself to [do]【・・・する気になる】

* 「自分自身を・・・する状態にもってくる」→「・・・する気にさせる」
→「・・・する気になる」


1.ラッセルの著作から

I cannot bring myself to regard this fact as very regrettable, since I
see no evidence whatever that the rich are in any way superior to the 
poor.
[私は,この事実をあまり残念だと思う気になれない。金持ちのほうが,何ら
かの点で貧乏人よりもすぐれている,という証拠が私にはまったく見つからな
いからである。]
 出典:ラッセル『結婚論』第十八章「優生学」
     https://russell-j.com/beginner/MM18-020.HTM

Throughout my philosophical development since abandoning monism, 
I have retained, in spite of changes, certain fundamental beliefs, 
which I do not know how to demonstrate, but which I cannot bring 
myself to doubt.
[一元論を捨てて以来の私の哲学の発展の全体を通して、見解がいろいろな変
化したけれども、私はある一定の根本的な信念を保持し続けた。その信念は、
私にはどのようにして実証すればよいかわからないけれども、どうしても疑え
ないものである。]
 出典:ラッセル『私の哲学の発展』第14章「普遍者、個別者、固有名」
     https://russell-j.com/beginner/reitan-b105_bring-oneself-to.htm

She could not bring herself to mention it, and it was only after I had
discovered the trouble and had it cured, that she let me know how much
 it had affected her. .
[彼女は私にそのことに言及する気になれなかった。そうしてそれが,どんなに
ひどく彼女の気持ちに影響したかを私に教えてくれたのは,私がこの病気
(trouble)のことを発見し,治療を終えた後のことであった。]
 出典:ラッセル『自伝』第1巻第7章「再びケンブリッジ大学へ」
     https://russell-j.com/beginner/AB17-060.HTM


2.参考例

I couldn't bring myself to apologize to Jane for my rudeness.
[ジェーンに非礼を詫びる気にはどうしてもなれなかった。]
 出典:『知識と文脈で深める上級英単語 LOGOPHILIAロゴフィリア』p.46

Even though I mostly agreed, somehow I couldn't bring myself to say
 yes.
[私は大方賛成していたが、どういうわけかイエスと言う気になれなかった。]
 出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』p.476

She could not bring herself to tell him the news.
 出典:Oxford Advanced Learner's Dictionary, 8th ed.]

If you cannot bring yourself to do something, you cannot do it because
 you find it too painful, embarrassing, or disgusting.
 出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
 ed.


■ ラッセルの英語(2) n2374 ラッセルの英文

 ( Unpopular Essays, 1950 から)
 「知的戯言の概要}n.14

 現代の道徳は二つの要素の混合物である。即ち、一方には、一つの社会のな
かで平和に暮らす方法についての理性的な規範(rational precepta)[という要
素]があり、他方には、もともとは何らかのの古代の迷信に由来するが,直接的
にはキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教の聖典に由来する伝統的タブ
ー[という要素]がある。ある程度まではこの二つ[の要素]は一致[同意]する。
たとえば殺人や窃盗の禁止は、人間の理性によっても神の命令によっても支持
される。しかし、豚肉や牛肉[を食べること]を禁止するのはただ経典(聖典)
の権威だけであり、しかも、若干の宗教にみられるだけである。現代人は、
新しい知識をもたらし、社会生活の諸条件 を変更する道程において、科学が
はたしてきたことがらを知っているのだが、その現代人がはるか古代の、そし
て、きわめて無知な遊牧民あるいは農民の物の見方みかたを具現化したもので
ある 。神聖な性格をこのように無批判に認められている規範の多くが全く不
必要な不幸を多く与えるものであることは、人を落胆させる。もし、人間の親
切心がもっと強いものであるならば、人々はこれらの戒律は文字どおりにとら
れるべきではないと説明する何らかのの方法を発見することであろう。
(たとえば)「汝の持てるものの全てを売り、貧しき者に与えよ」という(聖
書の)命令も文字通りに受け取るべきではないのと同じである。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.14

Modern morals are a mixture of two elements: on the one hand, rational
 precepta as to how to live together peaceably in a society, and on 
the other hand traditional taboos derived originally from some ancient
 superstition, but proximately from sacred books, Christian, 
Mohammedan, Hindu, or Buddhist. To some extent the two agree; the
 prohibition of murder and theft, for instance, is supported both by
 human reason and by Divine command. But the prohibition of pork or
beef has only scriptural authority, and that only in certain religions.
 It is odd that modern men, who are aware of what science has done in
 the way of bringing new knowledge and altering the conditions of 
social life, should still be willing to accept the authority of texts
 embodying the outlook of very ancient and very ignorant pastoral or 
agricultural tribes. It is discouraging that many of the precepts 
whose sacred character is thus uncritically acknowledged should be 
such as to inflict much wholly unnecessary misery. If men's kindly
 impulses were stronger, they would find some way of explaining that
 these precepts are not to be taken literally, any more than the 
command to "sell all that thou hast and give to the poor."
 Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943
  Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
 More info.: http://www.ditext.com/russell/rubbish.html


■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2302-2308j を投稿
 英 語 version : n.2302-2308e を投稿

 1つだけ再録します。  n.2298j ( Feb. 15, 2023)
         
 「心(精神)は実体ではなく"論理的虚構"?」

(人間の魂の) 不死の信奉者は、私が使ってきたような生理学的な議論に対
して、魂と身体は全く異なるものであり、魂は身体の器官を通じて経験的に現
れるものとは全く別のものであるという理由で異議を唱えるであろう。私は、
これは形而上学的な迷信だと信じている。心も物質も、一定の目的においては
便利な言葉ではあるが、究極の実在ではない。(人間を形作る)電子も陽子も
、魂と同じように論理的な虚構である。すなわち、(魂も身体も)どちらも一
つの歴史であり(ひとつの歴史で成り立っており)、一連の出来事(の連鎖)
であって、単一の永続的な実体ではない。

Believers in immortality will object to physiological arguments, such
 as I have been using, on the ground that soul and body are totally 
disparate, and that the soul is something quite other than its
 empirical manifestations through our bodily organs. I believe this
 to be a metaphysical superstition. Mind and matter alike are for 
certain purposes convenient terms, but are not ultimate realities.
 Electrons and protons, like the soul, are logical fictions; each is
really a history, a series of events, not a single persistent entity.
Source: What I Believe, 1925

More info.: https://russell-j.com/cool/WIB_1925.pdf

<寸言>
 (人間の身体を含め)あらゆるものは、物質を構成する最小単位である(電
子、陽子、中性子などの)素粒子からできています。素粒子の大きさは、「大
きさは無い」とする理論と(非常に小さいが)「大きさを持つ」とする理論が
あるそうです(「超弦理論」においては全ての素粒子は有限の大きさを持つ
"ひも"の振動状態であるとされている、とのこと。)
 人間は亡くなっても「魂は残る」と本当に思っている人はどれくらいいるで
しょうか?「魂」を実体と考える人は、卵子と精子が受精してから一定の時間
が経過したら、個々の肉体に魂が入り込んでくると考えているのでしょうか?
 受精した後に細胞分裂が起こり、万能細胞ができ、様々な器官が作られ、神
経ができ、その一部が脳となった時点で魂が入り込んでくると考えるのでしょ
うか? その場合、魂はこれまで地球上で生まれ死んでいった人の数だけある
のか、それとも人間の魂は一つだけで、それぞれの人間はその一部を形成して
いるだけでしょうか?
 いずれにせよ、「死んでも魂は残る」と信じている人は何を信じているので
しょうか?
   ラッセルが言うように、心も肉体も別々のものではなく、どちらも「論
理的虚構」(logical fictions)であると考えたほうが理解し易いと思われます。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回はお休み

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 編集後記 成田悠輔氏に対する批判と擁護
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 テレビでひっぱりだこの「知識人」はたくさんいますが、その一人にエー
ル大学助教(asistant professor)の成田悠輔氏がいます。
(TVでは助教授として紹介されていますが、日本の助教授にあたる英語は
associate professor 准教授であり、asistant professor は「事務助手」
をのぞいた「教員系の助手」にあたりますので、誤訳と言えます。しかし、
実力はあるようなのでどちらであってもあまり問題はないと思われます。)

 成田氏の話題になっている発言の一つに「高齢者は"集団自決"(あるいは
切腹)をしたほうがよい」というのがあります。政治家やいろいろな組織の
トップに70歳以上の人間が居座っており、それが日本の成長を阻害しいろい
ろ悪影響を与えているので、リーダとしての定年制を設けたほうがよいとの
趣旨なので、もっともな指摘です。

 しかし、表現の仕方があまり適切ではありませんでした。集団自決や切腹
といえば、第二次世界大戦中における沖縄その他における「集団自決」や、
敵に捕まって辱めを受けるよりは自決(自殺/切腹)せよとの「教え」があ
り、非常に多くの不幸をもたらしました。「集団自決」や「切腹」という言
葉を聞けばまずそういった過去の悲惨な出来事が頭に浮かびますが、成田氏
はそういったものよりも、三島由紀夫の切腹事件を思い出すようです。いず
れにせよ、デリカシーのない言い方は、不快を与えるだけでなく、誤解して
悪い影響を受ける人もけっこういそうです。

 たとえば、思い出されるのは神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井や
まゆり園」の元職員であった植松聖が、同施設に刃物を所持して侵入し入所
者19人を刺殺するという悲惨な事件です。「社会に役に立たない人を殺害し
たほうが社会のためになる(そういった人間が多いと日本の成長を阻害する)」
という思いを持ち、与党の保守的な政治家(当時の安倍総理その他)なら同
じ考えを持つだろうという意識から、当時の衆議院議長に次の一文で始まる
手紙を出しています。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/syokubasanka/190412yamayuri-9.pdf

 衆議院議長大島理森様

「この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。私は障害者総勢
470名を抹殺することができます。常軌を逸する発言であることは轟々理解し
ております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生
気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動
に移した次第であります。理由は世界経済の活性化・・・
 世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでし
ょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。・・・。」

 植松被告は安倍総理の「"こんな人達"にはまけない!・・・」という発言
にも共感をもっていました。たとえ曲解であったとしても、デリカシーのな
い言い方は悪い影響をいろいろ及ぼします。

 成田氏の「集団自決」を勧める発言は、世界中のマスコミにとりあげられ、
若者の一部からは強い支持の声があがりましたが、強い非難の声も多くあがり
ました。本人はそういった(年齢差別的な)意味で言ったのではない(受け取
る方の理解の仕方の問題だ)という感覚は、政治家の失言に対する反省ない発
言同様、余りよい感じがしないものです。

 「高齢者は集団自決すべき」という発言については、本人も反省している
ということなので、今後も是々非々で、フォローしていくつもりです。
                            (松下彰良)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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