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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0807_2022/10/29 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2294~2298  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語」は、n.2294,2096, 2298
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2295, 2297
 
 それぞれ1つづつ再掲します。

■ ラッセルの英語 (1) n2298 R英単語 

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  今後は、

   『<知識と文脈で深める>上級英単語 LOGOPHILIA ロゴフィリア』(アスク)

  から英単語を採取していくことにします。
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★ craft【(n) 技能、技工;工芸;手工業;(特殊の技術を要する)職業;狡
猾、悪知恵;飛行機 | (v) ~を巧みに作る】

* craftsman (n):職人;名工
* craft union:職業別組合
* crafty (adj.):悪賢い、ずる賢い


1.ラッセルの用例

Girls like dolls, constructing play houses, looking after pet animals,
 sewing, arts : and crafts, and so on.
[少女は人形を好み,玩具の家を組み立てたり,ペットの面倒を見たり,裁縫
や美術、それから工芸などを好む。]
 出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「少年と少女の知能の差」
     https://russell-j.com/BOY-GAL.HTM

He derived joy, not so much from the very genuine respect in which he 
was held by persons whose respect was not lightly bestowed, as from the
 actual delight in the exercise of his craft, a delight not wholly 
unlike that which good dancers derive from dancing.
[彼(注:活字工)は,簡単には人を尊敬しない人びとから本当に尊敬されたと
いうことから喜びを得たというよりも,むしろ,自分の技能を行使することにお
ける実際の楽しさから喜びを得た。この楽しさは,上手なダンサーがダンスか
ら得る楽しさにまんざら似てなくもない。]
 出典:ラッセル『幸福論』第10章「幸福はそれでもなお可能か?」
     https://russell-j.com/beginner/HA21-040.HTM


2.参考例

exquisitely crafted works of art
[精巧に作られた芸術作品]
 出典:『知識と文脈で深める上級英単語 LOGOPHILIAロゴフィリア』p.58

traditional craft like basket-weaving
 出典: Oxford Advanced Learner's Dictionary, 8th ed.

A craft is an activity such as weaving, carving, or pottery that 
involves making things skilfully with your hands.
 出典: Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learner's, new
 ed.


■ ラッセルの英語(2) ラッセルの英文

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  ラッセル『私の哲学の発展』の中のラッセルが執筆した部分は終了しまし
 た。巻末には、名著『バートランド・ラッセル-情熱の懐疑家』の執筆者と
 して有名な、オックスフォード大学の若きラッセル研究者アラン・ウッドの
 『ラッセルの哲学-その発展の一研究』が収録されています。たった20ペー
 ジだけですが、執筆の途中で若くして亡くなってしまいました。
  ラッセル哲学の紹介としては優れたものなので、訳出することにします。
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 アラン・ウッド『ラッセルの哲学-その発展の一研究』】

 アラン・ウッド「バートランド・ラッセルの哲学 I 概観と手引」03

 ラッセルの哲学者としての公的経歴を、簡潔かつおおざっぱに、「カントか
らカントへ」として要約することが可能であろう。*1 1897年に出版されたラ
ッセルの)『幾何学の基礎』において、彼は自分の視点(観点)が「カントの
古典的議論のある一定の制限と解釈とによって得られる」と書き*2、そして
1948年に出版された(彼の)『人間の知識』において、彼は再びカントに似た
思想と用語(述語)体系(nomenclature)に立ちもどった。しかし、それでも
なお、彼は、『人間の知識』における先天的綜合の原理(synthetic a priori)
がカントにおけるほど主観的でないと主張できることを喜んだ。それは、あた
かも、(ラッセルの)最初の著書『幾何学の基礎』」においてカントほど主観
的でなかったのと同様である。ラッセルの知的生活は、三つの主要な探究に捧
げられた。彼は非人間的かつ客観的な真理を、次々に、宗教と数学と科学とに
おいて、求めたのである。
*1 [ラッセルによる注]  私はこの公式/定式(formula)には同意できない
(cannot subscribe to)。私の最終的な見解はアラン・ウッドが考えるほど
カント的ではない。私は二点について言及しておこう。
第一: 外的世界は、恐らく、知覚の世界(五感がとらえる世界)とはあまり
にてないだろうが、知覚の世界とは相関関係(correlations,)によって結び
ついており、そのような相関関係は、時間と空間とを主観的なものだと考える
哲学においては不可能なことである。 第二: 私が主張する(擁護する)非演
繹的推論の諸原理は、確実なものまたは先天的なもの(ア・プリオリなもの)と
してではなく、科学的仮説として、提出されているのである。
*2 『幾何学の基礎』p.179

 哲学においてではなかった。彼(ラッセル)は、心の中では、普段は
(usually)、哲学は数学や科学より劣った仕事であると考えていた。彼の著
作のなかで最もしばしば繰り返される注記/暗示(notes)のひとつは、「哲学
者達」が怠惰で数学の学習(study)に取り組もうとせず、愚鈍で数学を理解で
きないために、絶え間なくちんぷんかんぷんなこと(gibery)を言っていると
いうことである。(訳注:みすず書房版の野田訳では、"for"や"at"の役割を
精確にとらえておらず、「・・・魯鈍であって数学ができない、という絶え間
ない嘲罵である」とかなりニュアンスの異なる訳となっています。)彼は哲学
者でなく科学者になればよかったと一度ならず(複数回)後悔の念を述べてい
る(たとえば1936年ビヤトリス・ウェップにそう語っている)。
 ラッセルの哲学を理解するための鍵は、それは本質的に副産物であったとい
う点にある。ラッセルの哲学をそれ自体が目的であったかのように考えること
は、哲学者にとっては極く自然な誤解ではあるが、ラッセルの哲学を無意味に
してしまいやすい。しかし、事実、ある意味で、価値ある哲学は全て副産物で
ある。(即ち、)ラッセル自身言っているように「哲学が何らかの価値をもつ
べきならば、それは、特別に哲学的ではない広範かつ確固たる知識の基礎(土
台)の上に構築されなければならない」。
*3 一つには、彼は哲学をどういうものと考えるかについて、自分の考えをき
っぱり決めたことがなかったのである。
*4 たとえば『数学の諸原理』(の多くの箇所で)。『神秘主義と論理』p.80。
『懐疑的論文集』p.72
*5 ビアトリス・ウェッブへの手紙
*6 アームソン(著)『哲学的分析』の(ラッセルの)書評

Summary and Introduction 03

One might sum up his public career as a philosopher, briefly and 
crudely, as: From Kant to Kant.*1 In the Foundations of Geometry, 
published in 1897, he wrote that his viewpoint 'can be obtained by a 
certain limitation and interpretation of Kant's classic arguments',*2 
In Human Knowledge, published in 1948, he recurred to ideas and 
nomenclature with a Kantian affinity. But he was still glad to be able
 to claim that the synthetic a priori of Human Knowledge was not so 
subjective as Kant: just as he was not so subjective as Kant in the 
Foundations of Geometry. Russell's intellectual life was devoted to 
three main quests. He sought impersonal objective truth successively 
in Religion, Mathematics, and Science.
*1 I cannot subscribe to this formula. My final views are less Kantian
 than Alan Wood supposes. I will mention two points. First: though the
 external world is probably not quite like the world of perception, it
 is connected with the world of perception by correlations, which are
impossible in a philosophy which regards time and space as subjective.
 Second: the principles of non-deductive inference which I advocate 
are not put forward as certain or a priori, but as scientific 
hypotheses.-B. R.
*2 Foundations of Geometry, page 179.

Not in philosophy.*3 In his heart he usually thought of philosophy as
 an inferior pursuit compared with mathematics and science. One of the
 most often repeated notes in his writings is the continued gibery at
 'the philosophers' for being too lazy to undertake the study of 
mathematics, or too stupid to understand it.*4 He expressed regret 
more than once (for instance, to Beatrice Webb in 1936) that he had 
not been a scientist instead of a philosopher.*5
The key to understanding Russell's philosophy is that it was 
essentially a by-product. To treat it as though it were an end in 
itself, though a natural enough mistake for philosophers to make, is
liable to render it meaningless. But in fact there is a sense in which
 any worth-while philosophy is a by-product. As Russell himself wrote,
 'A philosophy which is to have any value should be built upon a wide
 and firm foundation of knowledge that is not specifically
 philosophical.'*4
*3 For one thing, he never made up his mind exactly what he meant by
 philosophy.
*4 e.g. in Principles of Mathematics (passim), Mysticism and Logic, 
page 80, Introduction to Mathematical Philosophy, page 11, and 
Sceptical Essays, page 72.
*5 Letter to Beatrice Webb.
*6 Review of Urmson's Philosophical Analysis in The Hibbert Journal, 
July, 1956.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell.
 More info.:  https://russell-j.com/beginner/wood_br_summary-and-introduction_03.html

 
■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2183-2189j を投稿
 英 語 version : n.2183-2189e を投稿

 1つだけ再録します。 n.2184j ( Oct. 24, 2022)
         
 「自衛戦争?」

 次に考慮すべき戦争の種類は自衛(のための)戦争である。この種の戦争は、
ほとんど誰もが正当化できると認めており、キリストとトルストイだけが非難
している。私の知る限り、自衛戦争でない戦争はいまだかつてなかったのだか
ら、自衛戦争の正当化は非常に便利である。

The next kind of war to be considered is the war of self defence. This
 kind of war is almost universally admitted to be justifiable, and is
 condemned only by Christ and Tolstoy. The justification of wars of 
self-defence is very convenient, since so far as I know there has never
 yet been a war which was not one of self-defence.
Source: Justice in War Time, 1915. .
More info.: Not available

<寸言>
 引用元は、ラッセルが第一次世界大戦中の1915年に出版した Justice in 
War Time(戦時における正義)です。戦時下において自国が参加している戦争
に反対することは非常に困難なことです。反戦活動のためにラッセルは友人か
らも孤立し、1918年5月から9月までで、ロンドン郊外のブリクストン刑務所に
収監されてしまいました。

 いかなる国も侵略戦争だと公言して戦争をしかけることはありません。また
小国が大国に対して戦争をしかけることもあまりありません。「自衛のため」
という主張も要注意です。
 戦争に訴える理屈もいろいろ考え出すことができます。自国で起こったテロ
は仮想敵国のしわざだとするのは歴史上よく使われた手です。プーチンも「活
用」しています。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記  老舗 -「しにせ」と「ろうほ」
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 漢字をそのまま読むと間違っている場合もありますが、間違いではなく、そ
ういう読みもする場合が多々あります。

 老舗は通常「しにせ」と読みますが、「ろうほ」も間違いではありません。
それなのに一知半解の徒は「ろうほ」と読むと、そんなことも知らないのかと
蔑み笑い?をする人がけっこういます。

 なぜ、こんなことを書くかというと、「フリーアナウンサー有働由美子が昨
日(28日)、パーソナリティーを務めるニッポン放送「うどうのらじお」(金
曜後3・30)に生出演し、漢字の読み方にまつわる事実に驚きを口にする場面
があった。」という記事を読んだからです。

 有働アナは、「“ろうほ”ね…どうしよう。店内販売だもんね。どこかで教
えないといけないパターンだね。伝えないとね」とコメント。アシスタントの
熊谷実帆アナも「“しにせ”はさすがに大丈夫でしたけど・・・」
 と言ってしまったところ、視聴者から「ろうほ」とも読みますよと注意喚起
を受けてしまいました。(注:有働アナは私が好きなアナウンサーの一人です
、念のため・・・。)

 本来なら、老舗はなぜ「しにせ」なんて読み方をするんだろうと、その語源
を調べてみるべきですが、そういった手間をかける人はあまりいないようです。

 政治家などは、漢字を、一般の人とは異なる読み方(より「知的」に思える
読み方?)をよくします。余り教養がありそうでない政治家でもそのような読
み方をすると「知的に」見えてしまうのですから不思議です。(松下彰良)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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