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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0803_2022/10/01 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

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 1.ラッセルの著書や発言等から
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■「ラッセルの英語」n.2275~2279  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語」は、n.2275,2077,2279
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2276, 2278
 
 それぞれ1つづつ再掲します。

■ ラッセルの英語 (1) n2277 R英単語 

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  今後は、

   『<知識と文脈で深める>上級英単語 LOGOPHILIA ロゴフィリア』(アスク)

  から英単語を採取していくことにします。
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★ subsequent【後の、その後の;後に起こる】

1.ラッセルの用例

The change in these years was a revolution; subsequent changes have 
been of the nature of an evolution. .
[この期間(注:1899-1900)に起った変化は一つの革命(革新)であった。
(また)その後の変化は進化の性質を帯びていた。]
 出典:ラッセル『私の哲学の発展』第1章「 概観」
          https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_01-010.HTM

Most of what I learned in philosophy has come to seem to me erroneous,
 and I spent many subsequent years in gradually unlearning the habits 
of thought which I had there acquired.
[哲学について(ケンブリッジ大学で)学んだ事の大部分は,誤っていたように
思われるようになり,私は,その後の長い年月を,ケンブリッジで身につけた思
考習慣を徐々に捨て去ることに時間を費やした。]
 出典:ラッセル『自伝』第1巻第3部「ケンブリッジ大学時代
          https://russell-j.com/beginner/AB13-340.HTM

The doubt as to the premisses (premises) of mathematics which I felt 
at that moment remained with me, and determined the course of my 
subsequent work.
[その時感じた数学の前提に関する疑問が私に残ることになった。(松下注:こ
こではユークリッド幾何学が,5つの公準=前提から出発していることをいっ
ている。)そうしてそれがその後の私の勉強の方向を決定した。]
 出典:ラッセル『自伝』第1巻第1章「幼少時代
          https://russell-j.com/beginner/AB11-290.HTM

What I dictated to her was subsequently published as a book with the 
title Our Knowledge of the External World as a Field for Scientific
 Method in Philosophy.
[私が彼女に口述したものは,後に単行本として,「哲学における科学的方法の
一適用分野としての,外界についての知識」(1914)という書名で出版された。]
 出典:ラッセル『自伝』第1巻第7章再びケンブリッジ大学に
          https://russell-j.com/beginner/AB17-120.HTM


2.参考例

Subsequent studies confirmed his prediction.
[後の研究が彼の予測を裏付けた。]
 出典:『知識と文脈で深める上級英単語 LOGOPHILIA ロゴフィリア』p.33

Japan's defeat in the war and the subsequent occupation by America had
 a tremendous impact on the country.
[戦争(第二次世界大戦)での敗北とその後のアメリカによる占領は、日本に
途方もない衝撃を与えた。]
 出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』p.624

We made plans for a visit, but subsequent difficulties with the car 
prevented it.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

You use subsequent to describe something that happened or existed 
after the time or event that has just been referred to.
 出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
 ed.


■ ラッセルの英語(2) ラッセルの英文:ラッセル n.4-09    

 ラッセル『私の哲学の発展』第18章「批評に対する若干の返答」
  その4_G.ライル『心の概念』について n.09

 ライル教授は、オックスフォード学派(←その学派)とともに、生じる諸問
題に対して言語的な形態を与えるという情熱的な決意を飾り立てている。(訳
注:みすず書房版の野田又夫訳は次のようになっています。「ライル教授は、
彼が花形役者となっている学派の共通の傾向として、問題が起るとそれに言語
的形式を与えるという強い決心をもっている」。←なぜ「花形役者」なのか?
野田氏は、'adorn'は'the school'にかかり、'passionate determination'を
'share with'するととっているようです?)
【参考:share A with B が通常の形ですが share with B A の形は可能でし
ょうか?
「Yahoo 知恵袋」より
 Irregular ですが、Aが長い場合、可能です。これはShareにかぎらずですが
英語では誤解を避けるために、長い節は後ろに倒置することが度々あります。
例えば、
「あなたが昨晩完成したレポートを私に共有してくれませんか」は、
Can you share the report that you completed last night with me? では
なくて、
Can you share with me the report that you completed last night? とす
るほうがわかりやすくなりますし、実際にこのように表現されます。】

 たとえば、彼は、視覚対象の知覚について次のように言っている。
 つまり、問いは、「どうやって我々は駒鳥を見るか」という機械論の
 (para-mechanical 力学に関する) 形式の 問いではなく、「どうやって我々
は『島を見た』と機械論のうな記述を用いるか」という問いである (p.225)。
 これは、言語上の些細なこと(とるにたらないこと)を優先して(in favour
 of 支持して)、重要な科学的知識を無視している(involve dismissing 無
視を伴っている)と私には思われる。「いかにしてわれわれは駒鳥を見るか」
という問いは、物理学と生理とが結合して、答を与えている問いであり、その
答は興味もあり重要でもあり、かつ、いくらか奇妙な帰結をもっている。 視
神経におけるある種のプロセスは -知覚者の身体の外部の何らかのものによ
って引き起こされたのではなくても- 「駒鳥を見る(見える)」こと(とい
う現象)をどうやら引き起こすようである。私はかつて、生理学者が他人の脳
を調べている時にその生理学者が見ているものは、その生理学者自身の脳の中
にあるのであって、彼が調べている脳の中にあるのではないと言ったことで咎
められてきている(訳注:人の脳の中の現象を観察しているように見えても、
実際は他人の脳に起こっていることが自分の目から入り、自分の神経を通して
、自分の脳に反映されたものを見ているのだといういうこと)。この私の陳述
(statement)を十分に理由づけるためには、「見る(see)」という語と「中に
(in)」という語についての長い議論が必要だろう。特に、「中に(中で)(in)」
という語は普通考えられているよりはるかに複雑かつ曖昧な言葉である。 し
かし、これらの問題は別の場所で論じているので、ここではそれに立ち入らな
いことにする。

Chapter 18,n.4: What is mind?, n.9

Professor Ryle shares with the school that he adorns a passionate 
determination to give a linguistic form to the problems that arise. 
He says, for example, in regard to our perception of visual objects:

The questions, that is, are not questions of the para-mechanical form
'How do we see robins?' but questions of the form, 'How do we use such
 descriptions as "he saw a robin"?' (page 225).

This seems to me to involve dismissing important scientific knowledge 
in favour of verbal trivialities. The question, 'How do we see robins?'
is one to which physics and physiology, combined, have given an answer
 which is interesting and important, and has somewhat curious 
consequences. It appears that certain processes in the optic nerve 
will cause you 'to see a robin' even if these processes have not been
 caused, as they usually are, by something outside the body of the 
percipient. I have been taken to task for saying that what a 
physiologist sees when he examines another man's brain is in his own 
brain, and not in the other man's. To justify this statement fully 
would require a long discussion of the word 'see' and the word 'in'.
This latter word, in particular, is much more complicated and ambiguous
 than is usually supposed. But I will not go into these questions here
 as I have dealt with them elsewhere.
 Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell, 
chapter XVIII
  More info.: https://russell-j.com/BR_MPD_18-420.HTM
 Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell, 
chapter XVIII
  More info.: https://russell-j.com/BR_MPD_18-420.HTM

 
■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2155-2161j を投稿
 英 語 version : n.2155-2161e を投稿

 1つだけ再録します。 n.2160j ( Sept. 30, 2022)
         
 「何でも慣れてしまえば怖くない?」

WYATT: 水爆(原爆の1000倍以上の威力あり)は、全く異なる性格の兵器であ
ることは確かです。同じ分野の兵器が大きくなっただけでなく、全く別の種類
の兵器になったのです。

RUSSELL: はい、しかし人は恐ろしいほど早く物事に慣れるものです。広島と
長崎に原爆が投下された時、世界は恐怖に襲われ、「なんと恐ろしいこか!」
と思いました。ところが、今や、原爆は戦術兵器として数えられ、誰もそのボ
タン(核ボタン)を気にしていません。原爆は弓矢のようにちょっと古くて素
敵なものなのです。

WYATT: Surely the H-bomb is a weapon of an entirely different character.
It's not just a larger weapon in the same field, but something which 
makes it an entirely different sort of instrument.

RUSSELL: Yes, but people get used to things so frightfully quickly. 
When the atomic bomb was dropped at Hiroshima and Nagasaki the world 
was struck with terror, and they thought, "How very dreadful this is."
 Well, now the atomic bomb is counted as a tactical weapon and nobody
 cares a button about it. It's a nice little old thing like bows and
 arrows.
 Source: Bertrand Russell Speaks His Mind, 1960, interview 12

<寸言>
 どんなことでも時間が立てば人は慣れてしまいます。
 2011年の福島の原発事故も、被害にあわなかった人の多くは慣れてしまった
ようです。もし、再び原発の大事故が起こるとしても、ほとんどの人が多分自
分達は大丈夫だろうと思っています。
 東京の電力のかなりの割合が、過去、福島や新潟の原発から供給されていま
した。つまり事故が起こっても、人口の少ない地域の人々が被害を受けるだけ
という(本音を言えない)安心感がありました。
 原発はなくてはならないと言うのであれば、エネルギーも地産地消の原則で
、原発も津波事故の恐れがある海岸沿いではなく、地盤がしっかりした東京の
武蔵野台地(あなたが住んでいる東京!?)に「世界で最も厳しい安全基準で」
原発を建設すべきではないかなどといったら(それは危険すぎる!と)気狂い
扱いされてしまいます。
 核兵器も同様です。プーチンも「国が存亡の危機に陥ったら戦術核(小型の
核兵器=原爆)の使用の可能性もありうる」と言っています。アメリカも絶対
に使用しないとは言っていません(つまり、あらゆる選択肢を持ってていなけ
ればならない、と言っています。)。被爆国日本の指導者はもちろんそんなこ
とは言いません(言えません)。
 米ソや中国も、ニューヨーク、モスクワ、北京(あるいは上海)に核兵器が
投下されれば、核兵器使用絶対反対を唱えることは間違いないでしょう。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 「安倍元総理への菅元総理の弔事は感動的だった?」
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 私も安倍元総理の国葬をNHKで1時間半ほど視聴しました。(友人代表とし
ての)菅元総理の弔事は、菅氏にしてはよい出来だと思いました。しかし、こ
れまでの菅氏の演説のまずさや発言から考えて、この弔事の原稿は菅氏が全て
用意したものではないのではないか(秘書や官僚の協力?)、と思ってしまい
ました。

 仮に、安倍昭恵氏に頼まれて、今回は菅氏が時間をかけて頑張って弔事をま
とめたとしてみましょう。それでも、菅氏が引用した岡義武『山県有朋』(岩
波文庫)からの一節「かたりあひて 尽くしゝ人は 先立ちぬ 今より後の世
をいかにせむ」は感動を呼んだと多くのマスコミが伝えていますが、私はそれ
には少し違和感を覚えてしまいました。この一節を菅氏が引用した意図や込め
た感情はは、多くの人々が感動したという内容と同じでしょうか? 

 山県有朋は軍人宰相(軍人で2度総理大臣に就任)であり、かっこよい死に
場所を見つけることに一種のあこがれを持っており、岡義武『山県有朋』にも
山県有朋は「(伊藤博文は)良い死に場所を見つけたといって羨ましがった」と
何度も周辺に語ったという記述があります。

 伊藤博文は中国のハルビンで、朝鮮人の安重根(あん・じゅうこん)によっ
て銃殺(暗殺)されました。日本占領下の韓国では、安重根は英雄と讃えられ
その後記念館も建設されています。

 これに対し、菅官房長官(当時)は2014年1月20日に談話を発表し、安重根
は「日本の初代首相を殺害し、死刑判決を受けたテロリストだ」と指摘し遺憾
の意を表しています。
 https://jp.yna.co.kr/view/AJP20140120002500882

 常識的に考えれば - 菅元総理は実際にはそう思わなかったかも知れません
が- 安倍元総理を伊藤博文にたとえ、山上容疑者を安重根にたとえ、山県有
朋を自分(菅元総理)にたとえていると受け取るのが普通であり、そうであれ
ば、山県有朋(菅氏)が伊藤博文(安倍元総理)は「よい死に場所を見つけた
(羨ましい)」と言った上で、故人を懐かしんでいることになります。

 山県有朋は、その後、枢密院の議長となり、政界のフィクサーとなり、国政
に影響力を持ち続けました。そうして、天皇の命令によって国葬にはなりまし
たが、国民から嫌われていたため、国葬の会場は人が集まらず惨めな情景だっ
たと岡義武は書いています。

 以上の見方があたっているとしたら、菅氏の弔事は不気味(ブラック・ユー
モア)です。そうではなく、前後関係を無視して「かたりあひて 尽くしゝ人
は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」の字句の表面的な意味だけにこだ
わって(使えそうだ/感動を呼びそうだとして)言っただけというのであれば、
とても薄っぺらなものになってしまいます。

 菅元総理が弔事に込めた本当の気持ちや意図はどんなものだったのでしょう
か?                           (松下彰良)


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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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