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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0800_2022/09/10 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2260~2264  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語」は、n.2260,2262, n.2264
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2261, n.2263
  それぞれ1つづつ再掲します。

 バートランド・ラッセルの英語 (1) n2260 R英熟語

★ carry away 【運び去る、持ち去る;(通例受動態で)・・・に我を忘れる
;・・・の命を奪う】


1.ラッセルの著作から

The only reason we do not condemn him so severely is that he is much 
less common, and that only a man of somewhat rare abilities is likely
 to be carried away by absorption in so intellectual a game.
[私たちが彼(=チェス愛好家)をそれほど厳しく非難しない唯一の理由は,チ
ェス愛好家はずっと少数であり,また,こういう知的ゲームに夢中になって没頭
するのは,いくらかまれな才能の持ち主のみであるからである。]
 出典:ラッセル『幸福論』第11章「熱意」
          https://russell-j.com/beginner/HA22-050.HTM

It will be different where medical science and hygiene are effective in 
producing a low death-rate from what it would be where plagues and 
pestilences carry away a large proportion of the population before it
 becomes adult.
[医学と衛生が効果を挙げて死亡率の低下に寄与している場所は、人口の大部
分が大人になる前に疫病や流行病のために命を奪われてしまうような場所とは
異なるであろう。]
 出典:ラッセル『結婚論』序論
          https://russell-j.com/beginner/MM-INTRO020.HTM


2.参考例

The thief carried away the jewels.
[泥棒が宝石を運び去った。]
 出典:『英熟語図鑑』p.162

He got carried away with the ridiculous campaign against "It's me."
[彼は,"It's me." という表記に反対する馬鹿げた運動に夢中になった(我を
忘れた)"。]  出典:『新版データベース5500合格英単語・熟語』p.109

Marsha got so carried away when arguing with her husband that she hit
 him.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

I got carried away and started shouting at the television.
 出典:Oxford Advanced Learner's Dictionary, 8th ed.

If you get carried away or are carried away, you are so eager or 
excited about something that you do something hasty or foolish.
 出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
 ed.


■ ラッセルの英語(2) ラッセルの英文:ラッセル n.4-03    

 ラッセル『私の哲学の発展』第18章「批評に対する若干の返答」その4_G.ライル『心の概念』n.03

 ラッセル『私の哲学の発展』第18章「批評に対する若干の返答」
  その4_G.ライル『心の概念』について n.03

 私は、同様な論理的地位をもつ他の形容詞がどうしてライル教授によって
「心的」であると考えられないのか、理解することができなかった。彼のお気
に入りの例のひとつは「もろい/壊れやすい(brittle) 」という形容詞である。
 我々が(一片の)ガラスを「壊れやすい(もろい/割れやすい)」と言う時、
それは(いつか)壊れる(割れる)だろうと言っているのではなく、一定の条
件があれば壊れるであろうと言っているのである。それは、ある人を「賢い」
と言うとき、その人がたとえその時にたまたま眠っていたとしても、適当な条
件の下に知性(知力)を発揮するであろうならば(その人は)「知的」と言っ
てよいと言うのと同じである。しかし ライル教授は、「壊れやすい」と「知
的」(という形容詞)について、後者を心的とし前者をそうではない(心的な
ものではない)としているところの両者の間の相違が何であるかを決して説明
せず、また、説明する必要があると考えているようには思えない。単純な人間
(aA plain man)なら、「壊れやすい」は物体の性質を指し示し、「知的」は
精神(心)の性質を指し示す、と言うであろう。つまり、その二つの形容詞は
ちがった種類の「質料」 (stuff)に適用される、と言うであろう。しかし、ラ
イル教授は(理論上)そのように言うことはできないはず である(not open
 to ~の余地がない)。彼がどう言うであろうか、私にはよくわからない。

 ライル教授は - 他人なら話を聞かないでは知りえないことを- 人は自分
自身については 直接知りうるということを、原理的に、否定することによっ
て、(彼が)あらゆる心的「素材(stuff)」を拒否することを支持する
(backs up 援護する)。もちろん、彼は、実際に、全てのことが、(物事を)
を経験する者(the patient)にとってと同様、観察する者 observers)にと
っても等しく知られる、と言おうとしているのではない。(たとえば)あなた
が(誰かが)荒野にひとりいて他に聞く人がい ないときに雷鳴を聞くかも知
れない。しかし、これは偶然的な私的性質(an accidental privacy.)と呼ん
でよいであろう。ライル教授が否定しようとするのは、「本質的に私的な出来
事があってそれはひとりの人にだけ知られ他人は証言による他は絶対に知り得
ない、ということ」である(訳注:"could not possibly know "は、みすず書
房版の野田訳では「おそらく知ることができない」となっているが、これは強
い否定であり「とても~できない」の慣用句。I can't possibly live without
 you. 「君なしではいきられない」)。この点については、また他の多くの点
と同様に、彼は驚くべきほどぞんざいに(astonishingly slap-dash)、反対説
に対する反論の代りに独断的な主張を置くだけで満足しているのに気づく
(I find that)。私は全く明白な例をひとつ挙げよう。それは「夢」の例で
ある。旧約聖書「出エジプト記」を除けば、他人が夢みることは、その人から
話を聞かなければ知りえないものだ、と一般的には認められている。しかし、
ライル教授は夢については何も言わない。彼の本の事項索引に夢は出ていない
し、夢についてのわずかな言及も全くおざなりのものである。奇妙なことであ
るが、彼は(著書の中で)わき道をしてフロイトを褒めているけれども夢につ
いてのフロイトの著書には言及しておらず、その著書(訳注:フロイト『夢の
分析』)を知っているのかどうかさえ見当がつかない。彼は、流行に従って、
腹痛や歯痛のようなことについては論ずるが、そういうことは痛みを感じてい
る人の唸り声によって観察者にも知られると主張する(訳注:他人の痛みはわ
からないはずだ!)。彼の友人にはストア派(禁欲主義者)はいないのは明ら
かである。

Chapter 18,n.4: What is mind?, n.3

I have failed to understand why other adjectives having a similar 
logical status are not considered by Professor Ryle to be 'mental'.
One of his favourite examples is the adjective 'brittle'. When you say
 that a piece of glass is brittle, you do not say that it will break,
but only that in certain circumstances it would break, just as you may
 call a man ‘intelligent' even though he happens to be asleep at the
 moment, if he would exhibit intelligence in suitable circumstances. 
But Professor Ryle never explains, or seems to think it necessary to 
explain, what is the difference between 'brittle' and 'intelligent'
 that makes the latter mental and the former not. A plain man would 
say that ‘brittle' denotes a disposition of bodies and ‘intelligent'
denotes a disposition of minds? in fact, that the two adjectives apply
to different kinds of 'stuff'. But it is not open to Professor Ryle to
 say this, and I do not quite know what he would say.

Professor Ryle backs up his rejection of all mental 'stuff' by denying
 that, in principle, there is anything that a man can know about 
himself which another cannot know unless he is told. He does not, of 
course, mean that in fact everything is known to observers as well as
 to the patient. You may hear a clap of thunder when you are alone in 
the desert and when no one else hears it, but this may be called an 
accidental privacy. What he means to deny is that there are occurrences
 which are essentially private, which are known to one person but are 
such as others could not possibly know except through testimony. On 
this point, as on a good many others, I find that he is astonishingly
 slap-dash and is content to let dogmatic assertion take the place of
refutation of adverse theories. I will take one quite obvious example:
dreams. Except in the Book of Exodus it is generally accepted that one
 man cannot know what another dreams unless he is told. But Professor
 Ryle has nothing to say about dreams. They do not occur in the index
and his few allusions to them are entirely perfunctory. It is singular
 that, although he goes out of his way to praise Freud, he does not 
allude to Freud's work on dreams and no one could guess that he even
 knows of it. He does deal, after a fashion, with such things as 
stomachaches and toothaches, but such things, he maintains, become 
known to the observer through the patient's groans. Evidently none of
 his friends are Stoics.

 
■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2134-2140j を投稿
 英 語 version : n.2134-2140e を投稿

 1つだけ再録します。 n.2140j ( Sept. 10, 2022)
         
 「民主主義と個人の自由」

 民主主義と個人の自由との結びつきは、時折考えられているほど密接ではな
い。理論的には、また定義の問題として、民主主義は少数派の自由が完全に欠
如していることと両立する。多数派が共産主義者を嫌っている国で、共産主義
者を非合法化することは、厳密には非民主的と言えるものではない。

The connection of democracy with individual liberty is not as close as
 is sometimes thought. Theoretically, and as a matter of definition,
 democracy is compatible with a complete absence of liberty for 
minorities. There is nothing that can be called strictly undemocratic
in outlawing Communists in a country where the majority dislikes them.
 Source: What is Democracy, 1953, by Bertrand Russell
Reprinted in : Fact and Fiction, part II: Politics and Education, 
chapter 2
 More info.: https://russell-j.com/1020_What-is-Democracy.htm

<寸言>
 ラッセルはあくまでも民主主義は「平等な個人の集まりである集団による多
数決でものごとを決めるやり方」であり、少数派(マイノリティ)の自由や権
利を(多数決の結果によって)制限しても定義上は「非民主的」とは言えない
と言っているだけです。
 少数派の意見はもちろんよく聴く必要がありますが、そのことは民主主義と
いう言葉や概念には含まれておらず、民主主義の意味を勝手に拡張すると議論
がおかしくなります。
 自由の概念も同様です。個人の自由には他人の自由を侵害する権利は(常識
上は)含まれていませんが、何が他人の自由を侵害するかは最初からわかって
いるわけではありません(世の中は複雑に絡み合っているので、他人には無関
係と思っていても影響を与えることは多々あります)。
 即ち、自由と民主主義はお互いを補完するものであり、自由民主党は「自
由」と「民主主義」を尊重する政党ということですが、名前と実態(現実)
がかなり乖離していると言わざるを得ません。
 名称変更、自民統一公明連合政権?

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 「来週はいろいろなことが起こりそう?」
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 9月27日の安倍元総理の国葬儀に向けていろいろなことが起こりそうです。

 エリザベス女王が亡くなり「国葬」が予定されており、バイデン大統領も出
席の予定です。国葬とはこういうものであり、内閣の一存でやるものではない
という気分が醸成されていきそうです。

 ところで、内閣設置法の第三条「(内閣の)任務」第33項に「国の儀式並び
に内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するも
のを除く)、と書かれています。つまり、国によって決定した儀式の「事務」
を行うと書かれています。内閣が誰を国葬の対象にしてよいか単独で決定して
よいとは書かれていません。それでは決定主体である「国」とは何かですが、
三権の内、国の最高決定機関は立法府ということになっています。国というの
は国民の集合でなりたっており、国民の半数が反対あるいは疑問を持っている
ことを内閣あるいは総理大臣が決めてはならないということは常識的な見解で
あるはずです。法律で決められていないことは内閣で決めてよいなどと主張す
る愚かな人がいますが、それでは独裁国家と変わりがありません。

 来週、大きな出来事がいくつか起こりそうです。

 ・オリンピック利権・汚職関係でH元大臣が逮捕されるか、あるいは少なく
とも名前がでてきそうです。
 ・自民党における自己「点検」で何らかの接点がある国会議員179名のうち
121名の名前が公表されましたが、名前が公表されなかった残りの議員の名前
の多くが「週刊文春」あるいは「週刊新潮」で「公表」されそうです。
 ・1ドル150円に向けて円安が進みそうです。
 ・国葬儀関係への反対行動が増えそうです。(自分達が支持していた自民党
保守が実は反日カルトの旧統一教会とズブズブの関係があることがわかり、そ
ろそろ右翼が行動にでるかも知れません。国葬儀の当日に武道館前で右翼がシ
ュプレヒコールを行い、世界に発信されるかも知れません。)

 安倍元総理の国葬儀が終わるまでは、自民党もめだった行動をしないでしょ
うが、国葬儀の後は、党を割る可能性があるような動きがでてくるかも知れま
せん。

 上記以外の大きな事件も起こる可能性があり、遅くとも年末にかけて、自民
党あるいは政界にとって大変動が起こるだろうと想像されます。(松下彰良)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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