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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0799_2022/09/03 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2255~2259  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語」は、n.2255,2257, n.2259
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2256, n.2258
  それぞれ1つづつ再掲します。

 バートランド・ラッセルの英語 (1) n2257 R英熟語

★ come about【(予想外のことが)起こる、生じる】


1.ラッセルの用例

But none of this can come about without love.
[しかし,これらはどれ一つとして,愛なしに生み出すことはできない。]
 出典:ラッセル『教育論』第19章(「結論」
          https://russell-j.com/beginner/OE19-020.HTM

I do not say that this state of affairs is going to come about, still
 less do I say that I desire it, for I confess that I find it 
exceedingly repugnant.
[私はこういう事態が起ころうとしていると言っているのではない。ましてや,
それを望んでいると言うのでもない。正直言って,それは,たまらなく嫌悪を
催させるからだ。]
 出典:ラッセル『結婚論』第十八章「優生学」
          https://russell-j.com/beginner/MM18-070.HTM

It has thus come about that most men have put up with a life almost 
wholly devoid of pleasure, because on any other terms life would be
 brief..
[このようにして,大部分の人間は,--そうでなければ(動物のように衝動に
従っていれば),人生は短くなるという理由で--ほとんどまったくと言って
よいほど'喜びのない生活'に我慢するということになった。]
 出典:ラッセル『教育論』第1章「近代教育理論の前提条件」
     https://russell-j.com/beginner/OE01-060.HTM

The man who is working for some much-needed reform may find all his 
efforts sidetracked by a war, and may be forced to realise that what 
he has worked for will not come about in his lifetime.
[何らかの非常に必要とされる改革のために働いている人も,戦争のために自
分の努力が棚上げされ,自分が努力してきた改革は自分の一生の間には実現さ
れないということを認めざるをえなくなるかもしれない。]
 出典:ラッセル『幸福論』第16章「努力と諦め」
          https://russell-j.com/beginner/HA27-040.HTM


2.参考例

How did such a situation come about?
[どうしてこんな状態になったのですか?]
 出典:『英熟語図鑑』p.131

How did it come about that you came so late?
[どうしてそんなに遅く来たんだ?]
 出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』p.474

Can you explain how it came about that you were an hour late?
 出典: Longman Dictionary of Contemporary English, 8th ed.

Thus it came about that, after many year as an interior designer and
 antiques dealer, he combined both businesses.
 出典: Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learner's, new
 ed.


■ ラッセルの英語(2) ラッセルの英文:ラッセル n.4-01    

 ラッセル『私の哲学の発展』第18章「批評に対する若干の返答」その4_G.ライル『心の概念』n.01

 ライル教授(Gilbert Ryle, 1900-1976)の著書『心の概念』(The Concept
 of Mind, 1949年)は非常に独創的であり、また、もし真ならば非常に重要な
説(テーゼ)を持っている(述べている)。私自身は彼の説(主張)を受け入
れることはできない。以下、その理由をあげてみよう。
 けれども、ライル教授は気づいていないように思われるけれども、まず、私
が彼の意見に似た意見を既に表明しているあるいくつかの点について述べてみ
よう。

 私が彼に同意する第一の点は、最初の章に述べられている、デカルトの二元
論 -それはこの本の最初に述べられている- に対する拒絶である。私は、彼
がこの点を強調しているのにはいくらか驚いた。デカルトの二元論は、マール
ブランシェ、ライプニッツ、パークリ、ヘーゲル、ウィリアム・ジェームズに
よって拒否された。 厳格な信条によって古風であることを強いられているマ
ルクス主義者やカトリック神学者を除いて、今日名のある哲学者でデカルトの
二元論を受けいれている人を私は思いつくことができない。 けれども、ライ
ル教授は、多くの人々が言葉ではデカルト説を退けているにもかかわらず,そ
のデカルト説と論理的に結びついている多くの信念を保持しているという理由
で、自分がその点を強調することを擁護するだろうと、私は想像している。私
は、ひとつの重要な点に関して、ライル教授自身もこのこと(訳注:否定しな
がらも多くの古い信念を保持)はあてはまると考える。この点はまもなく論ず
るであろう。

 私が彼に同意する第二の点は、「感覚所与」 (sense-data)をしりぞけると
いうことである。 私は 一時感覚所与(センス・データ)の存在を信じていた
が、1921年にそれを断固として捨てた。(ラッセル『精神の分析』p.141)
 第三の点は、かなり重要な点であるが、感覚を知識の一形態とは認めないと
いうことである。 感覚が事実に関する事柄についての我々(人間)の知識の
原因の不可欠の部分であることは、彼も私も否定しない。否定されるのは感覚
自体(そのもの)が知識であるということである。感覚が知識になるためには
、ライル教授の「観察」 (observation) と呼ぶところのもの、そして私が
「注意」 (noticing) と呼ぶところのものが追加されなければならない。
(ラッセル『意味と真理の探究』p.51)

 我々(ラッセルとライル)はこれらの点においては同意見であるので、それ
らの点についてはもうこれ以上述べないことにしよう。

Chapter 18,n.4: What is mind?, n.1

Professor Ryle’s book The Concept of Mind has a thesis which is very
 original and, if true, very important. I find myself unable to accept
 his thesis, and I propose to give my reasons in what follows.

I will begin, however, with certain points as to which I had already 
expressed opinions similar to his, although he does not seem to be 
aware of this fact.

The first point as to which I agree with him is the rejection of 
Cartesian dualism, which he sets forth in his opening chapter. I was
 somewhat surprised by his emphasis upon this point. Cartesian dualism
 was rejected by Malebranche, Leibniz, Berkeley, Hegel and William 
James. I cannot think of any philosophers of repute who accept it in
 the present day, except Marxists and Catholic theologians, who are
 compelled to be old-fashioned by the rigidities of their respective 
creeds. I imagine, however, that Professor Ryle would defend his 
emphasis on the ground that many who reject Descartes’s doctrine in 
words nevertheless retain a number of beliefs which are logically 
connected with it. I think this is true of Professor Ryle himself on
 one important point, as I shall argue presently.

A second point upon which I am in agreement with him is the rejection
 of sense-data. I believed in these at one time, but emphatically 
abandoned them in 1921 .(Analysis of Mind, page 141.)

A third matter, which is one of considerable importance, is the 
rejection of sensation as a form of knowledge. It is not denied, 
either by him or by me, that sensation is an indispensable part of 
the causes of our knowledge as to matters of fact; what is denied is
 that it is itself knowledge. There must be added what Professor Ryle
 calls 'observation' and I call 'noticing'.^

Since we agree on these points, I shall say no more about them.
 Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell, 
chapter XVIII
  More info.: https://russell-j.com/BR_MPD_18-340.HTM

 
■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2127-2133j を投稿
 英 語 version : n.2127-2133e を投稿

 1つだけ再録します。 n.2128j ( Aug. 29, 2022)
         
 「防衛のためと言いながら・・・」

 個人も群衆も国民も、大きな恐怖(心)の影響下においては、人道的に行動
したり、正気で考えたりすることを信頼することはできない。そのため、臆病
な人の方が勇敢な人よりも残酷になりやすく、また迷信に陥りやすい。このよ
うに言う時、私の念頭にあるのは、ただ死に直面した場合だけでな く、あら
ゆる点で勇敢な人のことである。多くの人は、勇敢に死ぬ勇気を持っているだ
ろうが、自分が死ぬことを求められている大義(理由)が無価値のものである
と言ったり考えたりする勇気は持っていないだろう。

Neither a man nor a crowd nor a nation can be trusted to act humanely
or to think sanely under the influence of a great fear. And for this
reason poltroons are more prone to cruelty than brave men, and are 
also more prone to superstition. When I say this, I am thinking of men
who are brave in all respects, not only in facing death. Many a man
will have the courage to die gallantly, but will not have the courage
to say, or even to think, that the cause for which he is asked to die
is an unworthy one.
  Source: An Outline of Intellectual Rubbish, 1943
 More info.: Unpopular Essays, chapter 7

<寸言>
 いずれの国も「侵略のため」と公言して他国の領土に攻め入ることはなく、
「防衛のため」と主張して他国を侵略します。
 自国に敵国が侵略してきた時には、いずれの国も撃退する権利を持っていま
す。しかし、「防衛」を理由に他国を侵略する権利はありません。他国を侵略
した場合は、相手国の軍隊や民衆によって殺害されても文句は言えません。
 他国を侵略することによって死ぬことは「ほとんどの場合無駄死に」です。
「勇気」にはいろいろありますが、「侵略によって戦死することは無駄死にだ
!」と主張する(認める)ことも「勇気」だということを、毎年靖国を集団参
拝する国会議員はどれだけ理解しているでしょうか?

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 「アメリカで活躍している「日本人」選手の明暗」

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 海外で活躍している「日本人」選手は多数いますが、大谷選手ほど活躍し
ている選手はいません。野球は、大谷「以前」と大谷「以後」の時代に分け
られると言ってもいいような状況です。野球漫画だからこそありえた空想的
な活躍がなんなく?実現してしまっています。もちろん、調子の悪い時期が
1週間くらい続くことがありますが、突然復活してしまいます。従って、安
心して試合を見ていられます。

 これに対し、一時期、大活躍して日米で話題をさらっていた大坂なおみ選
手はこの1年「絶不調」です。怪我で長く休み、数ヶ月前に復帰しましたが
以前のような覇気がなく、ここのところ、すぐに敗戦して早々と姿を消して
います。先日の全米オープンも初戦で敗退してしまいました。

 性格上の脆さも大きく影響しているように思われます。2019年末から指導
を受けてきたフィセッテ・コーチとの契約も終了させてしまい、父親が現在
コーチを務めています。今の自分に必要なのは「何をやるべきかを言ってく
れるコーチではなく、自分に自信を回復させてくれる(よい気分にさせてく
れる)コーチだ」と言っています。そんなことはいつまでも言っていられな
いはずです。

 大坂なおみはハード・コードは自信があるが、クレーコートや芝生のコー
トは自信がないということで、フィセッテ・コーチは苦手意識をなくすため
にウィンブルドン(芝生)への出場を大坂なおみに勧めました。しかし、ロ
シア選手の出場を認めるかわりに得点を選手に与えないという方式になった
ことから、「得点(ポイント)がもらえない大会には出る意味がない」とい
うことで大坂なおみは出場を辞退しました。それもフィセッテ・コーチとの
不協和音の一つの要因だろうと思われます。

 大坂なおみは9月19日から始まる東レ・パンパシフィック・オープンに出
場する予定になっています。この大会で優勝して再起をはかってもらいたい
ものです。(松下彰良)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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