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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
no.0797_2022/08/20 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
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■ 目 次 ■
1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
2.ラッセルに関する記述や発言等
編集後記
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1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2246~2298 を発行しました。
(1)「ラッセル英単語」は、n.2245,2247, n.2249
(2)「ラッセルの英文」は、n.2246, n.2248
それぞれ1つづつ再掲します。
バートランド・ラッセルの英語 (1) n2245 R英熟語
★ go away【立ち去る;出かける】
1.ラッセルの著作から
By Monday morning we had had twenty-six unexpected guests, and Keynes,
I fear, went away more tired than he came.
[月曜の朝までに、予期せぬ客の数は26人に達した。多分、ケインズは、私
の家に来た時よりももっと疲れて帰って行ったと思われる。]
出典:ラッセル『自伝』第1巻第3章「ケンブリッジ大学時代」
https://russell-j.com/beginner/AB13-280.HTM
I began the weekend by a visit to the dentist, who told me that he
thought I had cancer, and recommended a specialist, whom, however, I
could not see for three weeks, as he had gone away for his Easter
holiday.
[その週末を,歯科医を訪ねることから始めた。その歯科医は,私は癌だと思う
といい,私にある専門医を薦めた。しかし,その専門医は復活祭の休暇で不在だ
ったため,それから3週間,私はその歯科医に会えなかった。]
出典:ラッセル『自伝』第1巻第7章「再びケンブリッジ大学へ」
https://russell-j.com/beginner/AB17-030.HTM
I did not like to interrupt what seemed a serious conversation, and I
went away.
[彼らは真剣に語り合っており,邪魔したくなかったので,私は(その場を)立
ち去った。)]
出典:ラッセル『自伝』第1巻第7章「再びケンブリッジ大学へ「」
https://russell-j.com/beginner/AB17-110.HTM
2.参考
We'll go away for the weekend.
[週末には出かけるつもりです。]
出典:『英熟語図鑑』p.32
Go away and think about it, then let me know.
出典:Oxford Advanced Learner's Dictionary, 8th ed.
If you go away, you leave a place and spend a period of time somewhere
else, especially as a holiday.
出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
ed.
■ ラッセルの英語(2) ラッセルの英文:ラッセル n.3-05
https://russell-j.com/beginner/reitan-g061_go-away.htm
ラッセル『私の哲学の発展』第18章「批評に対する若干の返答」その3_スト
ローソン氏「指示について」n.05
このことは、私をさらに別の論点に導く(This brings me to a further
point.)。(即ち、)「赤」は通常はひとつの述語とみなされ、ひとつの普遍
者を指示するものとみなされる。(しかし)私は哲学的分析のためには「赤
」がひとつの主語(a subject)であるような言語の方を好む。 そして、赤を普
遍者と呼ぶことは明確な誤まり(a positive error)であるとは言わないものの
(while)、そう呼ぶことは混乱を招くとは言いたい。このことはストローソ
ン氏が私の(ラッセルの)「論理的に悲惨な結果を生む固有名理論」と言うと
ころのものと関係している( 「マインド」誌の1956年10月号, p.39)。この
理論をなぜ「論理的に悲惨な結果を生む」ものと考えるのかその理由を彼は示
そうとしない(does not deign to mention)。将来なにかの機会に、この点
について、私を啓発してくださることを期待する(注:皮肉)。
このことは、ストローソン氏が全体として意見が一致しているように見える
多くの哲学者と私(自身)との間にある根本的な(意見の)相違(a fundamental
divergence )へと(私を)導く。彼ら(ソトローソン氏の同調者達)は、日常
の話し言葉(common speech 日常言語)が日常生活にとってだけでなく、哲学
にとっても十分である(十分役に立つ)と信じている。私は、逆に、日常言語
は不明瞭かつ不正確に満ちており、精密(precise)で正確(accurate)であろ
]うとすればどうしても日常言語の修正が、その語彙についてだけでなく、
その構文(文法)についても要求される(必要である)と、私は信じている。
物理学や化学や医学がそれぞれ、日常生活のための言語でない(ところの)言
語を必要とすることは誰もが認める。哲学だけがどうして同様な精密さと正確
さを求める同様のアプローチ(接近の仕方)が禁止されるのか、私には理由が
わからない。例として、日常の言葉で最も普通な語を一つとってみよう。それ
は 「日(day)」という語である。この語の最も威厳のある用法(august use)
は旧約創世記の第一章と十戒とに見られる。神聖な安息「日」(Sabbath 'day')
を守りたいとする欲求は、正統派のユダヤ教徒をして、「日」という語に、
日常言語(一般的な話し言葉)においては与えられていない精密さ(precision)
を与えるように導いた。彼ら「日」を(ある)日没から次の日没までの期間と
定義した(のである)。天文学者は、また別の理由で精密さを求め、(もう)
3種類の日を定めた。真正太陽日(the true solar day)、平均太陽日(the
mean solar day;)、恒星日(the sidereal day)の3種類である。これらは
それぞれちがった用途を持っている。 真太陽日は、点燈時間を考える時に適
切である(訳注:夏あるいは冬は1日何時間電気をつける必要があるか)。平
均太陽日は、罰金が納められずに14日間の禁錮刑を宣告された場合に適切であ
る。恒星日は、(月の)潮汐が地球の自転速度を減ずる程度を見積る場合に適
切である。こ れら4種類の日 - 戒律上の日、真太陽日、平均太陽日、恒星
日- は全て「日」という語の目常的使用法より精密である。最近の一部の哲
学者達が明らかに好んでいるように見える(ところの)精密さの禁止というこ
とに、天文学者達が従わなければならないとしたなら、天文学全体が不可能と
なるであろう。
専門的(学術的)用途のために、日常生活のための言語とは異なる、専門的
(学術的)言語は不可欠である。言語の新規性(linguistic noveltie)に反
対する人々は、もし百五十年前に生きていたならば、フィートやオンスを固執
し、センチメートルやグラムにはギロチンの香(かおり)がすると主張したで
あろう(訳注:そんなことをしたらギロチンの刑にあってしまう)。
Chapter 18,n.3: Mr Strawson on referring, n.5
This brings me to a further point. 'Red' is usually regarded as a
predicate and as designating a universal. I prefer for purposes of
philosophical analysis a language in which 'red' is a subject, and,
while I should not say that it is a positive error to call it a
universal, I should say that calling it so invites confusion. This is
connected with what Mr Strawson calls my 'logicallly disastrous theory
of names' (page 39). He does not deign to mention why he considers
this theory 'logically disastrous'. I hope that on some future occasion
he will enlighten me on this point.
This brings me to a fundamental divergence between myself and many
philosophers with whom Mr Strawson appears to be in general agreement.
They are persuaded that common speech is good enough, not only for
daily life, but also for philosophy. I, on the contrary, am persuaded
that common speech is full of vagueness and inaccuracy, and that any
attempt to be precise and accurate requires modification of common
speech both as regards vocabulary and as regards syntax. Everybody
admits that physics and chemistry and medicine each require a language
which is not that of everyday life. I fail to see why philosophy,
alone, should be forbidden to make a similar approach towards precision
and accuracy. Let us take, in illustration, one of the commonest words
of everyday speech: namely, the word "day'. The most august use of this
word is in the first chapter of Genesis and in the Ten Commandments.
The desire to keep holy the Sabbath 'day' has led orthodox Jews to give
a precision to the word 'day' which it does not have in common speech;
they have defined it as the period from one sunset to the next.
Astronomers, with other reasons for seeking precision, have three sorts
of day: the true solar day; the mean solar day; and the sidereal day.
These have different uses; the true solar day is relevant if you are
considering lighting-up time; the mean solar day is relevant if you
are sentenced to fourteen days without the option; and the sidereal day
is relevant if you are trying to estimate the influence of the tides
in retarding the earth's rotation. All these four kinds of day --
decalogical, true, mean, and sidereal -- are more precise than the
common use of the word 'day'. If astronomers were subject to the
prohibition of precision which some recent philosophers apparently
favour, the whole science of astronomy would be impossible.
For technical purposes, technical languages differing from those of
daily life are indispensable. I feel that those who object to
linguistic novelties, If they had lived a hundred and fifty years ago,
would have stuck to feet and ounces, and would have maintained that
centimetres and grammes savour of the guillotine.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell,
chapter XVIII
More info.: https://russell-j.com/BR_MPD_18-300.HTM
■「ラッセルの言葉366_画像版」
日本語 version : n.2113-2119j を投稿
英 語 version : n.2113-2119e を投稿
1つだけ再録します。 n.2118j ( Aug. 19, 2022)
「人間性?」
誤って「人間性」と呼ばれるものは、誰かを憎むことを好み、敵の誰かが傷
つけられる場合を除いて、十分に生きているとは感じない。人類が今後存続す
るためには絶対必要である社会的結束の成長にこれまで限界を設けてきたのは
このような感じ方である。世界的規模の社会的結束に対する真の障害は個々人
の魂の中に存在している。それは、憎悪、悪意、残忍から得られる快楽である。
人類が存続するためには、そういった快楽に耽溺しない生き方を見つける必要
があるであろう。そういった生き方が成功するためには、単なる自己否定や自
制を通してであってはならず、私達の幸福の源泉や道徳的な表現(言葉遣い)
を形成している無意識の衝動を変えることによってでなければならない。
What is mistakenly called 'human nature' likes somebody to hate, and
does not feel fully alive except when some enemy is being injured.
It is this way of feeling that has hitherto set limits to the growth
of social cohesion, which is now an imperative necessity if the human
race is to continue The real obstacles to world-wide social cohesion
are in individual souls. They are the pleasure that we derive from
hatred, malice and cruelty. If mankind is to survive, it will be
necessary to find a way of living which does not involve indulgence
in these pleasures. If such a way of living is to be successful, it
must not be merely through self-denial and self-restraint. It must be
by changing the sources of happiness and the unconscious impulses
which mould our moral phrases.
Source: New Hopes for a Changing World, 1951, chapter 7: the size
of social unit.
More info.: https://russell-j.com/beginner/HUMAN-ST.HTM
<寸言>
ラッセルの言う通りですが、世界の国々に大きな経済格差があり、それぞれ
の国においても大きな経済格差がある場合は、頭で理解していても心は納得し
ない(悪しき感情は消えない)ということになりがちです。
また、競争(の原理)を第一と考え、その結果として大きな経済格差ができ
てもやむをえない(ただし、社会的再配分を申し訳程度に実施)という考え方
が支配層に広がっている場合には、中間層は部分的に救済されても、弱者は
切り捨てられるばかりです。
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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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今回もお休み
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編集後記 「短命に終わるかも知れない岸田政権」
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向こう3年間国会議員選挙がなく、次の自民党総裁選まで約2年あるため、
組閣(改造内閣)において安倍派を重用しておけばいろいろ自分がやりたいこ
とができそうだ、と岸田総理は考えたと思われます。
しかし、そんなに甘くありませんでした。まだ「自白」していない議員を含
めれば、旧統一教会と何らかの接点がある議員は自民党議員の1/3くらいい
そうです。物価高、新型コロナの収束時期不明、9月27日の安倍元総理の国葬
儀に反対する国民の増加、憲法改正、日銀のゼロ金利政策の迷走、ウクライナ
戦争、台湾情勢の緊迫、その他、重要な課題・難題が山積しています。
岸田総理はできるだけ自分の政権を長続きさせるために、「自分の総裁任期
中に憲法改正の発議を行う!」と明言し、安倍派をグリップしようとしていま
すが、現在の状況はとても憲法改正どころではありません。しかも、自民党が
掲げている憲法改正草案の中身は統一教会の主張とほとんど一緒ということな
ので、少し軌道修正しなければ袋叩きにあいそうです。
そうして、オリンピック利権・汚職の関係で電通の元専務の高橋治之氏が逮
捕されたことから、それに関連して氏名のイニシャルがHの大臣経験者(複数)
が8月末か9月上旬に逮捕されそうだと永田町に噂が流「されて」います。一
人は元デジタル大臣の平井卓也氏(岸田派)であることはまず間違いなさそう
です。
平井氏は電通の元社員であり、上司は高橋治之氏だったとのことです。そう
して、平井氏の部下の一人に独身時代の昭恵さん(後の安倍総理の妻)がいた
というのですから、「役者がそろっています」。安倍総理はオリンピック招
致に熱心でしたが、当時の官房長官の菅氏がアフリカ票を獲得するための買収
資金をセガサミーの里見治会長にお願いしたというのが周知・暗黙の事実にな
っています。(里見会長が、某料亭で、大勢の前で自慢気に公言していたとの
ことで多くの証言者がいます。)
オリンピック利権・汚職は(関連経費も含めれば)4兆円以上のお金が使われ
たということで、パンドラの玉手箱です。この関係だと思われますが、JOC
(オリンピック委員会)の当時の経理部長が電車に飛び込んで自殺しています。
お金の動きを全て知りえた立場の人物の場合は(ドラマでは)自殺を装って殺
されがちですが、真相はどうだったのでしょうか? (松下彰良)
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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