★ バックナンバー索引 ★
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
no.0722_2021/02/20 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
バートランド・ラッセルのポータルサイト: https://russell-j.com/index.htm
同上 スマホ用メニュー : https://russell-j.com/index.html
「ラッセルの言葉366_画像版」:
https://russell-j.com/smart_r366/br366g-j_home.html
https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j-today.html
R英単語・熟語_総索引: https://russell-j.com/beginner/reitan-idx.htm
Twitter : https://twitter.com/russellian2
★Rホームページ利用制限コンテンツ閲覧用パスワード: 1872Y0518
ポータルサイト専用掲示板: http://249.teacup.com/bertie/bbs
[★投稿歓迎:ラッセルに関係するものであれば,ご意見,ご要望,エッセイ,
ちょっとした情報提供等,何でもけっこうです。投稿は,
matusitaster@gmail.com 宛,お願いします。
◆◆◆
◆お願い◆ 楽天で買い物をしている方も多いと思われます。
◆◆◆ ラッセルのポータルサイト(トップページ)の検索ボックス経由ある
いは,ポータルサイトに掲載した個々の楽天取扱商品のリンク経由で
ご購入いただければ幸いです。
収益はラッセルのホームページのメンテナンス費用や早稲田大学の
ラッセル関係資料コーナ寄贈資料の購入に充当させていただきます。]
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ 目 次 ■
1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
2.ラッセルに関する記述や発言等
編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.ラッセルの著書や発言等から
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
n.2001〜2005 を発行しました。2つ再掲します。
(1) 「ラッセルの英語」n.2005
https://russell-j.com/beginner/reitan-i132.htm
ラッセル英単語・熟語 instil [英] ; instill [米] [(vt) (主義などを)
徐々に教え込む;・・・を染み込ませる]
* instill ... into :・・・を徐々に教え込む
* instillation (n):滴下;(思想など)教え込むこと;滴下物;点滴(法)
1.ラッセルの著作から
The desire to instil what are regarded as correct beliefs has made
educationists too often indifferent to the training of intelligence.
[正しい信念だとみなされているものを教えこみたいという欲求のために,教育
者は,知性の訓練に対してあまりにもしばしば無関心になった。]
出典:ラッセル『教育論』第一部_教育の理想_第2章「教育の目的」
https://russell-j.com/beginner/OE02-180.HTM
Wherever there is autocracy, a set of beliefs is instilled into the
minds of the young before they are capable of thinking.
[独裁制が存在しているところでは、若者はまだ自分で考えられるようになる
前に、ひとそろいの信念が精神に注入される。]
出典:ラッセル『権力』第18章「権力を手懐けること」
https://russell-j.com/beginner/POWER18_320.HTM
The beliefs are instilled, not by giving any reason for supposing them
true, but by parrot-like repetition, by mass hysteria and mass
suggestion. .
[こうした信念は、その信念が真実だと想えるような理由を与えることによっ
てではなく、オウムのような繰返しや集団ヒステリーや集団的な暗示によって
注入されるのである。]
出典:ラッセル『権力』第18章「権力を手懐けること」
https://russell-j.com/beginner/POWER18_320.HTM
2.参考
She instilled both austerity and civility in her children.
[彼女は質素と礼儀正しさの両方を子どもたちに徐々に教え込んだ。]
出典:『究極の英単語<SVL>Vol.4_超上級の3000語』p.214
We instilled the need for discipline and obedience into the new
recruits.
出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.
If you instil an idea or feeling into someone, especially over a
period ot time, you make them think it or feel it.
出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
ed.
(2)「ラッセルの英語」n.2004-2 (旧「ラッセルの言葉」に該当するもの
https://russell-j.com/beginner/keikenshugi_tetsugaku.htm
ラッセル「経済的公正」
Source: Authority and the Individual, 1949, Lecture 5: Control and
Initiative: their respective spheres
牧野力(編)『ラッセル思想辞典』索引
下記は牧野力氏による要旨訳(注:ただし、少し字句を修正)に原文を追加
したものです。
経済的公正(economic justice 経済的正義)は、ごく最近になって、政府
の目的(governmental purpose 政治の目的)となった。公正は平等(と同じ
である)として解釈されるに至っている。(ただし、特別な功績のある者は例
外的だが適度な報酬(ほうび)は必要と考えられる場合は別である。)
政治的公正,即ち,民主政治(民主主義)は、アメリカ合衆国独立やフランス
市民革命以降、目指されてきたが(目的とされてきたが)、経済的公正はより
新しい目的であり、それにはより多くの政治上の統制が必要である。
社会主義者は経済的公正(実現)のためには主要産業の国有やかなりの外国
貿易の規整を必要とすると考えるが、私はそれは正しいと考える。社会主義に
反対する者は、経済的公正(の実現)はあまりにも高価なもの(過大な犠牲を
伴うもの)と主張するかもしれないが、もし、社会的公正(正義)が達成され
るべきものであるとしたなら、産業と財政に対するかなりの国家統制は不可欠
であることは誰も否定できない。
けれども、経済的公正には限度があることは、最も熱心に経済公正を唱える
西欧の人々によってさえ、少なくとも暗黙裡には、認められている。たとえば
、世界の恵まれない地域の地位を改善することによって,経済的平等に近づい
ていく方法を見つけ出すことは最重要なことであるが、それは救済されるべき
膨大な量の不幸が存在しているという理由だけでなく、まぎれのない不平等が
存続する間は(while glaring inequalities persist)、世界は大規模な戦争
を阻止して安心安全を確保することはできないからである。しかし、西洋諸国
と東南アジアの間に経済的平等をもたらそうとする試みは、漸進的な方法以外
にいかなり方法によっても、より繁栄している国民をより貧しい国民の水準に
引き下げることになるだろうし、後者にたいした利益をもたらすこともないで
あろう。
公正は、安心安全(security 治安,セキュリティ確保)と同様、ずっと高い
程度にまで各種の制限の対象となる原則である。万人が等しく富んでいる所に
だけでなく、同様に、万人が等しく貧しい所にも公正は存在している。しかし
、富んでいる者をより貧しくしても、それによって貧しい者がより豊かになる
ということでないのであるなら、富める者を貧しくしても、無益と思われるで
あろう。平等を追求しても、結果として貧しい者を一層貧しくさえすることに
なるならば、公正を願っても一層悪いものに終わる。このことは、教育の全般
的低下や科学研究成果の減少が伴うところでは、十分起こる可能性があるであ
ろう。・・・。
Justice, especially economic justice, has become, in quite recent
times, a governmental purpose. Justice has come to be interpreted as
equality, except where exceptional merit is thought to deserve an
exceptional but still moderate reward. Political justice, i.e.
democracy, has been aimed at since the American and French
Revolutions, but economic justice is a newer aim, and requires a much
greater amount of governmental control. It is held by Socialists,
rightly, in my opinion, to involve State ownership of key industries
and considerable regulation of foreign trade. Opponents of Socialism
may argue that economic justice can be too dearly bought, but no one
can deny that, if it is to be achieved, a very large amount of State
control over industry and finance is essential.
There are, however, limits to economic justice which are, at least
tacitly, acknowledged by even the most ardent of its Western
advocates. For example, it is of the utmost importance to seek out
ways of approaching economic equality by improving the position of the
less fortunate parts of the world, not only because there is an
immense sum of unhappiness to be relieved, but also because the world
cannot be stable or secure against great wars while glaring
inequalities persist. But an attempt to bring about economic equality
between Western nations and South-east Asia, by any but gradual
methods, would drag the more prosperous nations down to the level of
the less prosperous, advantage to the latter. without any appreciable
advantage to the latter.
Justice, like security, but to an even greater degree, is a principle
which is subject to limitations. There is justice where all are
equally poor as well as where all are equally rich, but it would seem
fruitless to make the rich poorer if this was not going to make the
poor richer. The case against justice is even stronger if, in the
pursuit of equality, it is going to make even the poor poorer than
before. And this might well happen if a general lowering of education
and a diminution of fruitful research were involved. If there had not
been economic injustice in Egypt and Babylon, the art of writing
would never have been invented. There is, however, no necessity, with
modern methods of production, to perpetuate economic injustice in
industrially developed nations in order to promote progress in the
arts of civilization. There is only a danger to be borne in mind, not,
as in the past, a technical impossibility.
■「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1744〜1748
1) n.1744:ラッセル『宗教と科学』第7章 神秘主義 n.2
https://russell-j.com/wp/?p=6119
2) n.1745:ラッセル『宗教と科学』第7章 神秘主義 n.3
https://russell-j.com/wp/?p=6123
3) n.1746:ラッセル『宗教と科学』第7章 神秘主義 n.4
https://russell-j.com/wp/?p=6127
4) n.1747:ラッセル『宗教と科学』第7章 神秘主義 n.5
https://russell-j.com/wp/?p=6131
5) n.1748:ラッセル『宗教と科学』第7章 神秘主義 n.6
https://russell-j.com/wp/?p=6134
■「ラッセルの言葉366_画像版」
日本語 version : n.1567j-1573j を投稿
英 語 version : n.1567e-1573e を投稿
一つだけ再録します。
n.1571j ( Feb. 18, 2021)
https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j1571.html
「率直に言えないこともあるー名誉毀損罪」
1944年の年のうちに,第二次大戦が終わりつつあること,しかもドイツの敗戦
で終わりつつあることがしだいに明白になった。・・・。
帰国後の生活は,以前と同様,公的および私的のさまざまの出来事の混じった
ものであったが,私的な部分の方がますます重要なものとなった。そうして,私
は,ずっと以前に済んでしまった私的あるいは公的な出来事と,今なお続いてい
てそのまっただ中に自分が生きている出来事とを同列に語ることはできないと
いうことに気づいている。そのことがもたらす取り扱い方の違いに,読者のな
かには驚かれる方もいるかもしれない。私としては,読者が取り扱い方が多様
になることは避けられないことを理解していただき,「文書による名誉棄損」
の法律のために,やむをえず口が重くなるのも仕方がないと認めてくれること
を望むことしかできないのである。
During the year 1944, it became gradually clear that the war was
ending, and was ending in German defeat. ...
My life in England, as before, was a mixture of public and private
events, but the private part became increasingly important. I have
found that it is not possible to relate in the same manner private and
public events or happenings long since finished and those that are
still continuing and in the midst of which I live. Some readers may be
surprised by the changes of manner which this entails. I can only
hope that the reader will realise the inevitability of diversification
and appreciate the unavoidable reticences necessitated by the law of
libel.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB30-PREF.HTM
<寸言>
名誉の質や量は、人によってかなり異なると考えられています。偉い人や権
力者は、一般人に比べ、けた違いの「名誉」を持っているとされ、そういった
人が「自分の名誉を傷付けられた」といって裁判に訴えると、有罪になってし
まう可能性が少なからずあります。
それに比べ、一般庶民はほとんど名誉を持っていないので、誰か偉い人や権
力者から罵倒されたということで「名誉毀損」で訴えても敗訴することは火を
見るよりも明らかです。従って、通常、そんなことはしません。もちろん、裁
判費用の問題もありますが・・・。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(2) ラッセルに関する記述や発言等
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今回もお休みです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記 愛知県大村知事リコール署名偽造事件
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「たかすー、ク〜リニック」のCMで知られている高須クリニック院長の高須
氏と,名古屋市長の河村氏が中心となって行われた,大村愛知県知事リコール署
名の偽造事件が話題になっています。高須氏も河村氏も当初「自分達には責任
はない、むしろ被害者だ!」と強気でしたが、ここにきてそうは言っていられ
なくなってきました。
たとえ、不正を直接指示していなかったとしても、リコール運動の中心人物
として活動してきた以上、監督責任はまぬがれません。それにもかかわらず自
己弁護をし続けてきたお二人の姿は見苦しいと言わざるを得ません。
広告関連会社(名古屋市)の男性社長の証言が以下のように報道されていま
す。
「広告関連会社は事務局からアルバイト募集を指示され、数百万円で受注。昨
年10月、佐賀県内の貸会議室にアルバイトを集め、用意した名簿を基に、署
名簿に他人の住所や氏名を書かせた。事務局から広告関連会社に宛てた「発注
書」が残っているという。」
一番責任があるのは、リコール運動事務局の事務局長なのか、それとも河村
氏や高須氏のどちらかが(あるいは両方が)少しくらい「水増し」(アルバイ
トに署名偽造をさせること)をしてもよいといった意向を事務局長などに伝え
ていたのか、知りたいところです。
今回は不正が発覚したからよいものを、もし大量の偽造署名でリコールが成
立するようなことがあれば、(たとえそのあと住民投票があるとしても)民主
主義を否定する事態であり、徹底的な解明が望まれます。(松下彰良)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com
■登録・解除・変更はこちら: https://russell-j.com/R3HOME.HTM
■WEBサイト: https://russell-j.com/
( top page: https://russell-j.com/index.htm )
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
|