★ バックナンバー索引 ★
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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
no.0694_2020/08/01 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
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■ 目 次 ■
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
編集後記
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(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
n.1864〜1871 を発行しました。2つ再掲します。
(1) ラッセル英単語・熟語
fervour , fervor
https://russell-j.com/beginner/reitan-f083.htm
★ fervour , fervor【 (n) 熱情、熱烈、白熱状態】
1.ラッセルにおける用例
The woman-hating man is a very different type from the man-hating
woman. He lacks her self-assurance, her ferocity, her lofty ethical
fervour.
[女を憎む男は,男を憎む女とくらべると,かなり違うタイプの人間である。彼
は,男を憎む女が持っている自信と狂暴さと崇高な倫理的情熱を持ち合わせて
いない。]
出典:ラッセル『アメリカン・エッッセイ集』の中の「女嫌いについて」
https://russell-j.com/HATE-W.HTM
When the Romantic Movement was still in its first fervor (fervour), it
was a common matter of debate whether people should marry for love or
for money.
[浪漫主義運動がいまだ初期の熱狂的段階にあった頃、「我々は、結婚におい
ては愛情を重視すべきか、あるいは金銭を重視すべきか」というのは、世間一
般の共通の議論の主題であった。]
出典:ラッセル『アメリカン・エッッセイ集』の中の「愛情と金銭」
https://russell-j.com/LOV-MONE.HTM
This kind of intoxication, like others, is hard to resist when its
delights have once been experienced, but leads in the end to apathy
and weariness, and to the need for a stronger and stronger stimulus if
the former fervour is to be reproduced.
[この種の陶酔は,他の(種類の)陶酔と同様に,一度その喜びを経験した者
にとっては抵抗することが困難であるが,それは,結局は,無関心と倦怠へと
導き,また,もし以前の熱情が再び再生されれば、さらにより強い刺激の必要
性へと導く。]
出典:ラッセル『権力論』第2章 指導者と追従者
https://russell-j.com/beginner/POWER02_180.HTM
2.参考例
speak with fervor.
[熱意を持って話す]
出典:『究極の英単語 v.4 超上級の3000語』p.133
She kissed him with unusual feroour .
出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.
Fervour for something is a very strong feeling for or belief in it.
出典:COLLINS COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
ed.
(2)「ラッセルの英語 」n.1861-2 (旧「ラッセルの言葉」に該当するもの)
https://russell-j.com/beginner/EDU-KAJO.HTM
ラッセル「過剰教育の害」
出典: Education and the Social Order, 1932, chap. 12:
Competition in Education
以下は、牧野力氏による要旨訳(ただし、少し修正)に英文を付加したもの
です。
我々の社会機構は、ますます訓練された、見聞の広い知性(well-informed
intelligence)を必要としている。・・・科学の進歩から、次代の人々は25歳
までに、現在最高度に達している知識人の段階に達することが必要となる。
( Our social structure increasingly depends upon tained and
well-informed intelligence. ... The advancement of science -- to take
another illustration -- cannot continue at anything like its present
rate unless a man can reach the frontiers of existing knowledge by
the time he is twenty-five, since few men are capable of profond
originality aftter the age of thirty.)
(ただし)過剰教育の害として注目すべき点が3つある。
第一に、知識習得に伴う感情的疲労を軽減させること、第二に、従来学習さ
せて来た教科をただそれだけの理由から十年一日の如く学ばせないこと、第三
に、すべてのより高度な教育は、問題に一定の'正解'を(教師が生徒に)分け
与える(imparting)という観点からでなく、'探求の精神と技術'とを指導す
る観点から与えなければならない。
( There must be sufficient instruction, and there must not be the
evils of over-education. This demands three things.
First and foremost, there must be as little emotional strain as
possible in connection with the acquisitio nof knowledge; ...
The second thing required is a drastic elimination of instrcuciton
that serves no useful purpose ... they (children) should not learn
things merely because they always have been learnt. ...
The third thing required is that all higher instruction should be
given with a view to teaching the sprit and technique of inquiry
rather than from the standpoint of imparting the right answer to
questions. ...)
生徒の調査研究(リサーチ)を'定説'に一致するか否かで、既に到達した結論
に合うか否かで判断評価せずに、'知識の広さと進め方'が合理的か否かで評価
すべきである。
(And the pupil's research should not be judged by the orthodoxy or the
conclusion arrived at, but by the extent of knowledge and the
rasonableness of the argument. ...)
・・・。今、世界が必要としているのは'組織(化)'と'協力'であり、'競争'
ではない。(注:牧野氏も "organization"を「組織」と訳しているが、「組
織化」としないと意味を取り違え易い!/特定の組織が必要と言っているので
はなく、バラバラになっているものを有機的に組織化していくことが必要だと
いうこと) 競争の効用を信ずる一切の信念は'時代錯誤'である。・・・経済
的にだけではなく、倫理的にも、青年を競争的に教育するのは望ましくない。
過剰教育はこの望ましくない傾向から生れたものである。
( What the world now needs is not competition but organization and
co-operatin; all belief in the utility of competition has become an
anarchronism. And even if competition were useful, it is not in itself
admirable, since the emotions with which it is connected are the
emotions of hostility and ruthlessness. ... Ethically, therefore, no
less than economically, it is undesirable to teach the young to be
competitive.)
■「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1607〜1614
1)n.1607:R『権力−その歴史と心理』第18章 権力を手懐けること,n.20
https://russell-j.com/wp/?p=5614
2)n.1608: R『権力−その歴史と心理』第18章 権力を手懐けること,n.21
https://russell-j.com/wp/?p=5622
3)n.1609: R『権力−その歴史と心理』第18章 権力を手懐けること,n.22
https://russell-j.com/wp/?p=5625
4)n.1610: R『権力−その歴史と心理』第18章 権力を手懐けること,n.23
https://russell-j.com/wp/?p=5629
5)n.1611: R『権力−その歴史と心理』第18章 権力を手懐けること,n.24
https://russell-j.com/wp/?p=5632
3)n.1612: R『権力−その歴史と心理』第18章 権力を手懐けること,n.25
https://russell-j.com/wp/?p=5635
4)n.1613: R『権力−その歴史と心理』第18章 権力を手懐けること,n.26
https://russell-j.com/wp/?p=5638
5)n.1614: R『権力−その歴史と心理』第18章 権力を手懐けること,n.27
https://russell-j.com/wp/?p=5641
★「ラッセルの言葉_画像版」
日本語 version : n.1357j-1370j を投稿
英 語 version : n.1357e-1370e を投稿
一つだけ再録します。
https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j1357.html
「ラッセルの言葉366_画像版」n.1357j (July 19, 2020)
「新しい道徳律を古い道徳律に代替させること」
新しい道徳律を古い道徳律に代替させることは,新しい道徳を我々の意識的
思考を構成する最上層で受け入れるだけでなく,全人格で受け入れない限り、
完全に満足すべきものには決してなりえない。大部分の人々にとって,もし彼
らが幼年時代を通して古い道徳にさらされてきたのであるならば,これは非常
に困難なことである。それゆえ,新しい道徳はそれを年少者の教育(早期の教
育)に適用されるまで公正に判断することは不可能である。
The substitution of a new moral code for the old one can never be
completely satisfactory, unless the new one is accepted with the whole
personality, not only with that top layer which constitutes our
conscious thought. To most people this is very difficult if throughout
their early years they have been exposed to the old morality. It is
therefore impossible to judge a new morality fairly until it has been
applied in early education.
Source: Marriage and Morals, 1929, by Bertrand Russell
More info.: https://russell-j.com/beginner/MM21-100.HTM
<寸言>
頭で表面的に理解しているだけで新時代の倫理観や道徳観を身に着けていな
い人は少なくない。幼少期の育ち方が悪いと、また幼少期のトラウマは一生そ
の人を支配し続けてしまう場合もある。
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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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★「 David Bowie の曲 Law の冒頭で引用されたラッセルの言葉」
先週土曜日夜、NHK-TVで放映された「たけしのその時カメラは回っていた_
世界を震わせた音楽」のなかで、デビット・ボウイがベルリンの壁の前で(東
ベルリンの若者に聞こえるように)コンサートを開いた映像が流されました。
そこで、多分、ラッセルはデビット・ボウイに影響を与えているだろうと思
い、Googleで検索してみたところ、下記のブログの某ページに、デビット・ボ
ウイが“LAW (EARTHLING ON FIRE)という曲の冒頭にラッセルの言葉を引用し
ている、と次のように紹介しているのを発見しました。(EARTHLING は地球人)
https://ameblo.jp/tokyoplayer/entry-11428429223.html
「最後になるが、前回のブログでは、バートランド・ラッセル著『幸福論』の
言葉を紹介したが、先述したアルバム9曲目に収録された(デビット・ボウイ
の)ナンバー“LAW (EARTHLING ON FIRE)”の冒頭の歌詞には、ラッセルの言
葉が引用されているのだ。この一節を初めて耳にした当時、世界一知的なロッ
クスターであるボウイの、「らしからぬ」歌詞だと思ったのは、俺だけだろう
か。
"僕は知識など欲しくない 僕は確信が欲しいんだ"」
デビット・ボウイが歌詞の冒頭に挿入しているのは以下の言葉(英文)です。
ただし、上記の「"僕は知識など欲しくない 僕は確信が欲しいんだ"」と
いう訳は誤訳です。
ラッセルが言っているのは、単なる知識ではなく、(数学や論理学のような)
「確実性(確実な知識や真理)」を探求によって獲得したいという強い願望で
す。
David Bowie - Low (1977年)の冒頭
“I used what I believe is a Bertrand Russell quote, ‘I don’t want
knowledge, I want certainty’, which appealed to me ‘cos that’s how
we feel some of the time ? we just want the answers, we don’t want
to go through all this shit to find them! To me, it’s the avenue to
insanity, to presume that if you keep studying you’ll find the
answers. As I got older, I was more able to accept the idea that you
don’t have certainty on this earth; rather than make you more
perplexed and worried, it actually lightens the load when you realise
there are no certainties. It’s much easier to let go of things and
not see them in such a serious light all the time. You realise that
life is created by the things you do each day, that it’s nothing more
than the sum of the things you’ve done in the last 24 hours. That's
life!
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編集後記 今週の小話3つ −「大阪で黄信号2」「アベノマスクは一応鼻
は覆える(厚労省)」「経済がたちいかなくなれば自殺者が増えるという
脅かし」
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★小話1:「大阪で黄信号2」
大阪での感染「確認数」の急増を受けて、あくまで黄信号のままにするか、
赤信号を出すか、どちらかだろうと思っていたら、大阪の吉村知事は突然「黄
信号2」と言い出した。
「黄信号2」があるなら、「黄信号3」もあるのか?(呼称は、コントグル
ープの「コント赤信号」から着想?)
政府も Society 5.0 とかなんとか言ってるので、「黄信号5」までは政府お
墨付きか? (Google Chrom のバージョンは現在84 !)
吉村知事と松井市長とがコントのペアだとしたら、どちらがボケで、どちら
がツッコミか? 松井知事がボケ、タ?)
★小話2:「アベノマスクは、一応鼻は覆える(厚労省担当官)」
国会内で28、29日に開かれた野党合同ヒアリングで野党議員側が厚生労働省
を追及。8千万枚のマスク追加配布は30日にも始めるということに対し議員側
は延期を要求。
配布を続ける理由として政府が繰り返し主張してきた「需要抑制効果」に
ついてその根拠を示すよう迫ったところ、担当官は「(アベノマスクは)一応鼻
は覆える」と回答(失笑を買った)。
★小話3:「経済がたちいかなくなれば自殺者が増えるという脅かし」
失業者が増えれば自殺者が増えるということは確かであろう。しかし、同
じことを主張しても、言う人によってニュサンスはかなり異なる。即ち、2つ
のグループが存在する。
Aグループ:リスクを冒しても働かなければならないエッセンシャルワーカ
の人達、貧困層、施設等の高齢者たち(いわゆる弱者)
対
Bグループ:危険を冒して働かなくても、Aグループの人達を働かせること
によって、あるいは資産の運用によって文化的な生活ができる人達、富裕層、
年金だけで暮らせる人達など
Aグループの人達が「経済も"命”であり、経済がたちいかなければ自殺者
も増えてしまう!」と言うのは切実な声だと感じられるが、Bグループの人達
が、Aグループを働かせることによって自分達の収入や資産を減らしたくない
との気持ちから言っていると思われる場合には「嫌な気分」になる。
「君たち働けないと困るよね、失業で増える自殺者数以下の人がコロナで死
んでも、制限をあまりしないほうがずっといいよね。若い人たちは重症化する
人は少ないんだから、若者は自由に行動させて、高齢者や持病がある人は外を
出歩かないようにするべきだよ、「最大多数の最大幸福さ」といったところ。
(松下彰良)
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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