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(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
no.0659_2019/11/9 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
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■ 目 次 ■
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
編集後記
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(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
n.1736〜n.1740を発行しました。
・月曜日〜木曜日は『私の哲学の発展』 を
・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
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(1) 『私の哲学の発展』第8章 「数学原理ーその数学的側面」 n.16
【「ラッセルの言葉366」 n.1737 (2019年11月5日 火曜日)
https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_08-160.HTM
第8章 「数学原理ーその数学的側面」 n.16
順序数(Ordinal numbers )は関係数の(一つの)部分集合(a sub-class)であ
る。即ち,「整列された」系列('well-ordered' series)の関係数である。
「整列された」系列とは、その部分集合(注:ただし空集合を除く)が全て第
一項(初項)を持つ系列である。超限順序数(Transfinite ordinal numbers)は
カントールによって研究されたが、関係数一般は、私の知る限り、(ラッセル
とホワイトヘッドの)『プリンキピア・マテマティカ』においてはじめて定義
され研究された。(訳注:「無限」は「無限」であって一種類しかないと思っ
てしまいがちであるが、カントールは無限には種類がある(「濃度」が異なっ
ているいろいろな無限がある)ことを発見し、それを超限数と名付けた。超限
数は aleph (アレフ)の記号を用いて表記され(注:テキストでは表示でき
ません!)、最も濃度が小さいものはアレフ・ヌル、またはアレフ・ゼロで表
される。)
一つか二つ例をあげると理解に役立つであろう。たとえば,対(つい/カップ
ル)の系列があるとしてそれらの対から、選択の公理に関連して前述したのと
同じ意味における,(新たな)選択の系列を作ろうとしているとしてみよう。そ
のやり方(procedure 手続き)は基数の算術(cardinal arithmetic)における
やり方(手続き)とよく似たものであり、違っているのは(except that)、
以前は選択(したもの)を集合として関心をもっていただけであったが、今度
は選択(したもの)をある順序に並べることに関心をもっているということだ
けである。そこで再び、さきの選択したもの集合を検討する時にやったように
、三つの集合(x1, x2, x3) (y1, y2, y3) (z1, z2, z3)があるとして、これ
らのものから選択したものでひとつの系列を作りたいと望んでいる、と想定し
よう。このやり方にはいろいろある(多様な方法でやることができる)。多分
、その最も単純なやり方(手順)は次のやり方であろう。(即ち)x1をふくむ
選択は、x1を含まないものより先にくる(comes before 先立つ)。そして,二
つの選択のなかで(二回選択行為をした時に)、そのどちらの選択でもx1を含
む場合もx1を含まない場合も,y1を含むものが、y1を含まないものよりも先
に置かれる(先立つ)。(次に)二つ選択したもののなかで、いずれもx1と(y1
とを含むかいずれもx1と(y1とを含まない場合には、z1を含む選択が、z1を含
まない選択より先に置かれる。同様の規則を、x2,y2,z2,についても、、
x3,y3,z3についてもたてることにする、このようにすれば、あらゆる可能な
選択が、x1,y1,z3ではじまり、x3,y3,z3で終わる系列に並べることができ
る。この系列が27の項をもつことは明らかである(注:3×3=29)。しか
しこの場合27という数はもはや以前の例におけるように基数ではなく、順序数
すなわち特別な種類の関係数である。順序数は基数と異なるのは、順序数が選
択の間に順序を定めることよってであり、基数の方はそういうことしない。
我々が有限数だけを考えている限り、順序数と基数との間に重要な形式的相違
は存在しない。しかし、無限数を考慮に入れると、交換法則が成立しなくなる
ために、両者の相違は重要なものとなる。
Chapter 8 Principia Mathematica: Mathematical Aspects, n.16
Ordinal numbers are a sub-class of relation-numbers, namely, those
that apply to 'well-ordered' series, 'well-ordered' series being
those series in which any sub-class that has members has a first term.
Transfinite ordinal numbers were studied by Cantor, but
relation-numbers in general were, so far as I know, first defined and
studied in the Principia.
One or two illustrations may be useful. Suppose for example, that you
have a series of couples and you wish to form a series of selections
from these couples in the sense explained above in connection with
the axiom of selection. The procedure is much akin to that in cardinal
arithmetic except that we are now concerned to put the selections in
an order, whereas before we were only concerned with them as a class.
Suppose, again, as we did in considering class-selections, we have
three sets, (x1, x2, x3) (y1, y2, y3) (z1, z2, z3), and we wish to
make a series out of selections of these. There are various ways in
which this can be done. Perhaps the simplest is as follows: any
selection containing x1 comes before any selection which does not
contain it. Among selections of which both or neither contain x1,
those containing y1 come before those which do not. Among selections
of which both or neither contain x1 and y1 those containing come
before those which do not. We make similar rules for the suffix 2 and
the suffix 3 . In this way we get all the possible selections arranged
in a series which begins with ( x1, y1, x1) and ends with ( x3, y1,
z1). It is obvious that the series will have twenty-seven terms, but
here the number twenty-seven is no longer a cardinal number, as in our
earlier example, but an ordinal number - i.e. a particular kind of
relation-number. It differs from a cardinal number by establishing an
order among the selections, which a cardinal number does not. So long
as we confine ourselves to finite numbers, there are no important
formal differences between ordinal and cardinal numbers; but, when we
allow infinite numbers, the differences become important, owing to
the failure of the commutative law.
(2)「身代わりの禁欲主義について」(『アメリカン・エッセイ』から)
「ラッセルの言葉366」n.1740 (2019年11月8日 金曜日)
https://russell-j.com/KINYOKU.HTM
・・・ 自分に興味のあることを追求するための暇(時間)をつくる目的で,
自発的に素朴な生活を送ることは大いに推奨すべきことであるが,裕福な人間
の大部分は,疑いもなく,もし彼等が幸福を賢明に追求するならば費やすであろ
う時間以上の時間を,物質的な財貨の獲得のために費やす。
The voluntary simple life, chosen in order to have leisure for
interesting pursuits, has much to recommend it, and no doubt many of
the rich spend more on the acquisition of material possessions than
they would if they pursued happiness wisely.
しかし贅沢に反対する議論は,貧乏人を与えられた分け前で満足させるため
に,あるいはさらに自発的に賃金の切下げに応じるように,金持ちから貧乏人に
対しなされる場合には,かなり違った香りを持つことになる。19世紀初めのイ
ギリスにおいては,上流階級の宗教の全勢力は,貧乏人は低賃金によってのみ徳
性を保つことができ,また徳性は全ての'善'の中で'最善'のものであるゆえに,
キリスト教徒である雇用者は,貧乏人の賃金を可能な限り最低線まで下げる義
務がある,ということを国民に納得させることに専心した。比較的暮らし向きの
良い賃金労働者は,彼らの富ゆえに邪悪な怪物として描かれた。・・・。
But arguments against luxury have a rather different flavour when they
are addressed by the rich to the poor with a view to making them
contented with their lot, or even willing to accept lower wages.
In the early nineteenth century, in England, all the forces of
upper-class religion were devoted to persuading people that the poor
could only be kept virtuous by low wages and that, since virtue is the
greatest of goods, it was the duty of Christian employers to reduce
wages to the utmost possible extent. The more prosperous wage earners
were portrayed as monsters of wickedness because of their wealth.
・・・このような考え方に変化をもたらした原因はただ一つ,民主主義の到来
であった:即ち,民主主義の当来により,労働者は選挙権を獲得し,政治家は彼
ら労働者に対しても敬意払いながら話しかけなければならなくなったが,しだ
いにこの慣行は他の様々な公的発言に拡がっていった。ただし金持ちは,私的
には,あいかわらず,貧乏人は過度の富により堕落したと考え続けた。・・・。
The only thing that produced a change was the coming of democracy :
when working men acquired the vote, politicians had to speak of them
with respect, and gradually this practice spread to other public
utterances, though in private the rich still continued to think that
the poor were corrupted by too much wealth.
民主主義が不可欠である理由は,このような人間性にひそむ本能の強さのた
めである。民主主義が望ましいのは,普通の選挙民が政治的叡知をもっている
からではなく,権力を独占するいかなる集団も,必ず自分たち以外の人々はある
特定の生活の便益を享受しないほうが望ましいと証明する理論を発明するがゆ
えに,そのことを予防するために必要なのである。このような傾向は,人間本性
の中でも最も可愛げのないものの一つであるが,全ての階級及び男女両性への
権力の公正な分配以外に十分な防護策はないことは,歴史が示している。
It is the strength of this impulse in human nature that makes
democracy necessary. Democracy is desirable, not because the ordinary
voter has any political wisdom, but because any section of mankind
which has a monopoly of power is sure to invent theories designed to
prove that the rest of mankind had better do without the good things
of life. This is one of the least amiable traits of human nature, but
history shows that there is no adequate protection against it except
the just distribution of political power throughout all classes and
both sexes.
■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
n.1693〜1696 を発行しました
以下,1つだけ再録します
n.1695 (2019年11月7日)
R英語_類義語シリーズ s17
★ supply /provide
https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-s17.htm
最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.356-357)
【"supply":必需品が不足しないように支給または補充することで、焦点は品
物にある。】
【"provide";必要なことをおもんばかって用意しておいてあげるということ
に焦点があり、将来に備えるという含みがある。】
(1) Well's were drilled to supply the town's water system.
[町の水道の水不足の補充用に井戸がいくつか掘られた。]
(2-1) The widow was well provided for by her late husband.
[その未亡人は、死んだ夫の残してくれた金でちゃんと生活できた。]
(2-2) The man may be a good lover but he is definitely a poor provider.
[あの男は恋人としてはいいかもしれないが、妻子の面倒を見る甲斐性はあま
りない。]
A.ラッセルの著作における用例
<用例1-1>
It was this book chiefly which, in 1940, supplied material for the
attack on me in New York. >
[1940年にニューヨークにいた私に対する攻撃材料を提供したのは,主にこの本
であった。]
出典:ラッセル『自伝』第2巻第4章「再婚」
https://russell-j.com/beginner/AB24-100.HTM
<用例1-2>
This would require, on the one hand, a training in judicial habits of
thought; and, on the other hand, access to impartial supplies of
knowledge.
[このことは一方では(裁判官のように)公平な思考習慣の訓練を,また,他
方では知識の偏らない供給を,必要とする。]
出典:ラッセル「ジョン・スチュアート・ミル」
https://russell-j.com/beginner/1097_JSM-230.HTM
<用例2-1>
People may agree that others ought to provide cannon fodder, but they
are not attracted by the prospect of having their own children used in
this way.
[人びとは,他人に対し雑兵(cannon fodder ぞうひょう)を供給すべきだとい
うことには賛成するかもしれないが,我が子がこのように利用されるという見
通しには魅力を感じない。]
出典:ラッセル『幸福論』第12章「家族」
https://russell-j.com/beginner/HA24-050.HTM
<用例2-2>
But while the amusements which grown-up people provide should be kept
within certain limits, those which the infant can enjoy for itself
should be encouraged to the utmost.
[しかし,大人の与える楽しみは一定の限度内にとどめるべきであるが,一方,赤
ん坊が自分で(独力で)楽しむことができることは,最大限奨励すべきである。]
出典:ラッセル『教育論』第二部_性格の教_第3章「生後第一年」
https://russell-j.com/beginner/OE03-060.HTM
B.他の参考例
<参考例1-1>
The army supplied food to the people.
[軍隊は人々に食糧を与えた。]
出典:『英単語ターゲット1900』p.21
<参考例1-2>
The sun supplies us with light and heat.
[太陽は私達に光と熱を供給している。]
出典:『VITAL3000 英単語・熟語』p.117
<参考例2-1>
This book will provide you with necessary information.
[この本はあなたに必要な情報を供給する。]
出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』p.70
<参考例2-2>
This hotel doesn't provide a laundry service.
[このホテルはクリーニングのサービスを提供していない。]
出典:『VITAL3000 英単語・熟語』p.205
★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1437〜1440
1)n.1437:R『権力−その歴史と心理』第10章 権力の源泉としての信条 n.8
https://russell-j.com/wp/?p=5003
2)n.1438: R『権力−その歴史と心理』第10章 権力の源泉としての信条 n.9
https://russell-j.com/wp/?p=5008
3)n.1439: R『権力−その歴史と心理』第10章 権力の源泉としての信条 n.10
https://russell-j.com/wp/?p=5011
4)n.1440: R『権力−その歴史と心理』第10章 権力の源泉としての信条 n.11
https://russell-j.com/wp/?p=5015
★「ラッセルの言葉_画像版」
日本語 version : n.1098j-1104j を投稿
英 語 version : n.1098e-1104e を投稿
一つだけ再録します n.1099j (Nov. 4, 2019)
https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j1099.html
「クオリア?」
我々は「精神(こころ)」を記憶の連鎖によって前後両方向に互いに結合
されている事象群であると定義してもよいであろう。我々(人間)はそうい
う事象群のひとつ −即ち,自分自身を形成しているもの− について、世界
の他の何ものについてよりも、内的にかつ直接的に知っている。自分自身に
起こることに関しては、我々は(その出来事の)抽象的な論理的構造だけで
なく、それらの特質(qualities)も知っている。・・・これは物理的世界
においては,我々の知りえない種類のものである。
We may define a 'mind' as a collection of events connected with each
other by memory-chains backwards and forwards. We know about one such
collection of events - namely, that constituting ourself - more
intimately and directly than we know about anything else in the world.
In regard to what happens to ourself, we know not only abstract
logical structure, but also qualities ... This is the sort of thing
that we cannot know where the physical world is concerned.
Source: My Philosophical Development, chap. 2,1959.
More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_02-120.HTM
<寸言>
そういえば昔のネスカフェのコーヒーのCMにあった。「(コーヒーの味の)
違いがわかる男・・・ネスカフェ ・・・ブレンド」とかなんとか。舌触り、
肌触りとかいった微妙な感覚は本人しかわからないということよく「クオリア
(qualia)」が問題にされるが、そんなものはあるのかそれとも人間の勘違い
なのか・・・?
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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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<R落ち穂拾い−初級篇>
★「?多多(Pinduoduo ?はJIS外字)の創始者・黄崢氏の素顔、中国の若手創業
者富豪ナンバーワン」
https://www.afpbb.com/articles/-/3252728
「中国民間経済研究で知られる英国人経済コンサルタントのルパート・フーゲ
ワーフ氏が運営する胡潤研究院が先月28日、「2019年80年代生まれ創業者富豪
ランキング」を発表。1位はEコマースの新勢力・?多多(Pinduoduo)の創始者
、39歳の黄崢(Huang Zheng)氏だった。・・・。創業4年目で、この一年間、
毎日1億元(約15億3304万円)以上ずつ資産を増やした計算となり、資産総額
は前年から400億元(約6132億1600万円)増の1350億元(約2兆696億円)とな
った。黄氏は「フーゲワーフ中国長者番付」にもベストテン入りしている。
・・・。
当時最も影響を受けた書籍にバートランド・ラッセルの『幸福論』を挙げて
いる。「ある場所の非主流が別の場所の主流となる」と言う格言が、のちの市
場に対する考え方の根底をなしており、22歳で「田忌競馬式市場競争(訳:全
体的に能力が劣っていても、局所で勝つことで最終的に勝利する)」「金は手
段であって目的ではない」といったビジネス哲学にたどり着いていたという。
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編集後記 何のための英語の民間試験の導入だったのか?
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大学入試における英語の民間試験の導入延期が決まりました。まずはよか
ったと思います、これまで推進してきた利権グループ(下村元文部科学大臣
などの政治家、ベネッセなどの教育関連企業、文科省からの教育・受験関係
企業への天下り高級官僚等)が排除されない限り、批判が激しいので冷却期
間を置くだけで、(ある程度妥協を行って)2024年度には「強行」というこ
とになりかねません。
従来の英語教育は読解や文法が中心で、長い間英語を勉強してきても簡単
な英語さえも話すことができないので大幅な改善をしなければならない、と
いうのは確かに正論です。国際化に対応した英語教育に変えていく必要はあ
ります。それは、たとえば、日本人の1,000万人くらいは英語を流暢に操れ
るような人材を養成するために、いろいろな環境整備や制度設計をしよう、
というのならわかります。しかし、実用英語重視で、「全」受験生に「読
む」「書く」「聞く」「しゃべる」という4技能を「同等の」評価点のも
とで選抜を行おう、という発想はいただけません。
実用英語がどんなに必要であっても、大部分の日本人にとって英語は「外
国語」であり、バイリンガルでない限り思考のための言語にはなりません。
英語ができるようになったら、できなかった数学もできるようになることは
通常はありません。ましてや、英語を操る能力によって人間を序列化するよ
うなことはあってはならないと思います。
大企業にとってはそういった人物を欲しがるのはわかります。そういいう
企業は、楽天や三井物産のように、英語が◯点以上でないと部長になれない
とかいうルールを作って社員を刺激すればよいことです。そうすれば、強制
されなくても、英語の点数アップのために頑張る社員はたくさんでてくるで
しょう。そういうことは、産業界が中心になってやればよいことであり、国
が産業界の要請を受けて、人材の促成栽培につながるような大学教育に変え
ていくようなことがあってはなりません。
◯◯は21世紀を生きる全国民にとって重要なので、◯◯の能力の養成に努
め、◯◯の能力がわかるような試験制度を充実すれば、努力目標ができてよ
いと考える人も少なくないでしょう。しかし、それなら、たとえば、今後は
言われたことをただやるのではなく、論理的な思考能力や創造能力が必要で
あり、そのためには、数学の試験も英語の試験と同じような共通テストを設
け、全受験生に課すことにしよう、ということを言い出せば、まず政治家が
大反対することでしょう。政治家は文系出身が多く、数学ができない人のほ
うが圧倒的に多いでしょうから。
世界を席巻している米国のGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、
アップル)の社員はみな数学ができ、英米で哲学科に進む人は数学や論理学
のできる人たちです。日本では、数学ができないということで文学部に入っ
て哲学を専攻したりします。だから、日本ではGAFAのような世界的企業が存
在しないんだ、と「説得力をもって」主張できそうです。
それはさておき、何らかの国家目的とか、企業に都合にとって都合のよい
人材養成といった観点で義務教育や大学教育が設計されることは悲劇です。
あくまでも個人の成長のために必要な教育であって欲しいと思うしだいです。
(松下彰良)
★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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