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(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
no.0657_2019/10/26 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
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■ 目 次 ■
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
編集後記
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(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
n.1727〜n.1731を発行しました。
・月曜日〜木曜日は『私の哲学の発展』 を
・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
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(1) 『私の哲学の発展』第8章 「数学原理ーその数学的側面」 n.12
【「ラッセルの言葉366」n.1729 (2019年10月16日 木曜日】
論理学における選択の理論はいかなる点においても「数」の概念には依存し
ておらず、『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』では、私たち(ラッセ
ルとホワイトヘッド)は、その理論を数の定義の前に展開した。同じことが,
もうびとつの非常に重要な概念、即ち、通常(日常)の言葉では「以下同様」
(and so on)と表現される概念についてもあてはまる。
「祖先」という概念を「親」という概念によって(in terms 〜に関して、
〜の観点で)定義したいと思っているとしてみよう。(その場合)あなたは、
AはBの親であり、BはCの親であり、以下同様にして有限な数の何段階かを
経た後、Zの親であるYという人に達するならば、我々はAはZの祖先である
と言ってよいであろう。これは、そこに「有限」という語が含まれておらず、
その語は定義されなければならないということ(事実)がなければ、万事うま
くいくであろう(しかし、実際は、「有限」が前提で、定義もされなければな
らない/"but for" は「〜がなければ」) そして「有限」という語の定義は
、任意の全く一般的な概念、即ち、任意に与えられる関係から生ずる(得られ
る)ところの「祖先関係」という概念を、特殊な場合に適用することによって
のみ可能なのである。「祖先関係」というこの概念は、既に1879年というかな
り前に、フレーゲによって最初に展開されていたが、ホワイトヘッドと私がそ
れを展開するまでフレーゲの仕事は全く誰にも気が付かれなかった(注意を受
けなかった)。我々が定義しようと望んだ概念は、さしあたり(in a
preliminary way 予備的な・準備的なやりかた/=本格的ではないやり方;)
次のように説明できるであろう。xがyに対して関係Rを持つ時、xからyへの
一歩をRステップ(R-step)と呼ぼう。するとさらにyからzへさらにRステッ
プ(R-step)進むことができるであろう。(そこで)Rという関係を持つxの
「子孫」(posterity)を、xから出発してRステップを何回か進むことによっ
て達しうる全てのものと定義しよう。(この場合、)「有限な数(回数)のR
ステップによって」達しうる全てのもの,と我々は言うことはできない。なぜ
なら、我々が「有限(finite)」という語を定義しておらず、かつそれは、
「子孫」という概念を用いてのみ定義しうるものだからである。さてRという
関係を持つその子孫は、次のように定義される。第一に、Rに関する「遺伝
的」(hereditary)集合というものを我々は定義する。これは、その(集合
の)一つの要素(成員)からRステップ前進することによって達せられるもの
がやはりその集合の一要素(成員)であるという特性をもった集合である
(注:その手続きによってその集合の外に出ることはない、ということ)。
たとえば、「スミス」と呼ばれるという特性は、父と息子との関係において遺
伝的であり(注:姓を引き継ぐ社会に限定)、また人間であるという特性は親
と子との関係において遺伝的である(注:親から猿が生まれることはないとい
う前提あり)。さて、そこで私は次の定義をする。(即ち)「もしxが属してい
るRという関係を持ったあらゆる遺伝的集合にyが属しているのならば、yはR
という関係を持ったxの子孫に属する。」 さてこれを、普通の全ての整数
(whole numbers)に適用し、Rの関係の代りに、ある整数がその直後の整数
に対してもつ関係を置くことにしよう。そして今、この関係に属する0(とい
う整数)の子孫を考えると、1はこの子孫(注:後継者)に属することは明ら
かである。というのは、1 = 0 + 1 であるからである。そしてこのように1が
0の子孫に属するがゆえに、2もまたそれに属する(注: 2 = 1 + 1)。さら
に2がそうであるがゆえに、3もまたそうである(注:3 = 2 + 1 / あるいは
、3 = 1 + 1 + 1)。このように進むと、我々は0の子孫(後継者)に属する
ところの諸数の集まりの全体を得る。これら全ての数に対して、我々はいわゆ
る「数学的帰納法」を用いる証明を適用することができる。数学的帰納法とは
、もしひとつの特性が0に属し、かつこの特性をもつ任意の数の直接の後続数
にも属するならば、その特性は全ての有限な数に属する、という原理である
(注:n = (n-1) + 1)。「有限」な数を、0の子孫であると定義するならば
、数学的帰納法は、この定義の直接の帰結である。以前には、全ての数は有限
でなければならないと考えられていたので、数学的帰納法はひとつの「原理」
であると考えられるのが常であった。しかしこれは誤まりであった。数学的帰
納法はびとつの「原理」ではなくてひとつの「定義」なのである。それはある
数には当てはまるが、他の数には当てはまらない。そしてそれが当てはまると
ころの数が「有限」な数(有限数)であると定義されるのである。たとえば、
有限な数はそれに1を加えることによって増大する。しかるに無限な数はそう
でないのである。(注:無限数に1を加えても1増えるわけではない!!)
Chapter 8 Principia Mathematica: Mathematical Aspects, n.12
The logical theory of selection does not depend at any point upon the
concept ‘number’, and we developed it in the Principia before
defining ‘number’. The same thing applies to another very important
concept, namely, that expressed in ordinary language by the words
‘and so on'.
Suppose you wish to define the concept 'ancestor' in terms of the
concept 'parent'. You may say that A is an ancestor of Z if A is a
parent of B, B is a parent of C, and so on and, after a finite number
of steps, you reach some person Y who is a parent of Z. This would be
all very well but for the fact that it contains the word 'finite' and
that this word has to be defined. The definition of the word 'finite'
is only possible by means of a particular application of a completely
general notion, namely, that of the ancestral relation derived from
any given relation. This notion of the ancestral relation was first
developed by Frege as long ago as 1879, but his work remained quite
unnoticed until Whitehead and I developed it. The notion that we
wished to define may be explained in a preliminary way as follows:
if x has the relation R to y let us call the step from x to y an
R-step. You may then be able to make another R-step from y to z.
We shall define as the 'posterity' of x with respect to R everything
that you can reach by R-steps starting from x. We cannot say
everything that you can reach by a 'finite number of R-steps' because
we have not yet defined the word 'finite', and we can only define it
by means of the conception of 'posterity'. The posterity of x with
respect to R is defined as follows. We will first define a
'hereditary' class with respect to R. This is a class which has the
property that anything reached by an R-step from one of its members
is, again, a member of it. For example, the property of being called
'Smith' is hereditary in the relation of father to son, and the
property of being human is hereditary in the relation of parent to
child. I now define 'y belong to the posterity of x with respect to R,
if y belongs to every hereditary class with respect to R to which x
belongs'. Now let us apply this to ordinary whole numbers, putting in
the place of R the relation of a number to its immediate successor.
If we now consider the posterity of 0 with respect to this number, it
is obvious that 1 belongs to this posterity, since 1=0+1; and, since
1 belongs to the posterity of 0, so does 2; and, since 2 does, so
does 3. Proceeding in this way, we get a whole set of numbers all
belonging to the posterity of 0. To all these numbers, we can apply
proofs using what is called ‘mathematical induction'. Mathematical
induction is the principle that, if a property belongs to 0 and to
the immediate successor of any number which has this property, then
it belongs to all finite numbers. Defining ‘finite' numbers as the
posterity of 0, this is an immediate result of the definition.
It used to be thought that mathematical induction is a principle,
since it was thought that all numbers must be finite. This was a
mistake. Mathematical induction is not a principle but a definition.
It is true of some numbers and not of others. Those of which it is
true are defined as the finite numbers. For example, a finite number
is increased by adding 1 to it; an infinite number is not.
(2)「教化・善導について」(『アメリカン・エッセイ』から)
「ラッセルの言葉366」 n.1728 (2019年10月22日 火曜日
https://russell-j.com/EDIFY.HTM
・・・。
自分の思うままに自然に振る舞える職業は,概して,かなりの欺瞞を必要とす
る職業に比べて,金銭的利益が少なくなるのは当然のことである。企業の顧問
弁護士,腐敗した政治家や人気のある精神科医はごく真面目に道徳的な感想(や
意見)を頻繁に述べなければならないが,こういった困難な仕事の見返りに,彼
らはそれ相応の報酬が与えられる。
けれども,世の中には,高い水準の教化(善導)活動(訳注:特定の政治や宗教
等の価値観を学習する立場の者に教え込むこと)を要求されていながら,その
道徳的及び知的負担に応じた報酬が与えられない職業が2つある。即ち,教育
と説教に関連した職業である。・・・
The professions in which a man is allowed to behave in a natural
manner are, of course, on the whole less lucrative than those in which
a high standard of humbug is required. The corporation lawyer, the
corrupt politician, and the popular psychiatrist are expected to utter
moral sentiments with profound earnestness and great frequency, but in
return for this hard work, they are allowed a suitable remuneration.
There are, however, two professions in which a high standard of
ediffication is demanded without being paid for in proportion to the
moral and intellectual damage it entails: these two are the
professions of teaching and preaching.
ここで教化(善導)とは何かについてまず明確にしておこう。私が子供に向か
って,「毒ほおずき(deadly night shade)を食べてはいけないよ。食べたら
死んでしまうからね。」と言っても,教化(善導)にはならない。だが私が彼に
,「チョコレートをたくさん食べてはいけないよ,食べ過ぎると,'大食の罪'を
犯すことになるよ」と言うならば,それは教化(善導)になる。・・・
Let us first be clear as to what edification consists of. If I say to
a child: "Do not eat deadly night shade because if you do, you will
die", that is not edifying. But if I say to him: "Do not eat too many
chocolates because if you do, you will be guilty of the sin of
gluttony", that is edifying.
・・・人々が良い感情を持つことを保証することは大変望ましいことであるが
,それは説教によっては達成できない。それどころか,'罪人'を後悔させたいと
いう願いを口実にその'罪人'への悪意を正当化することは,罪(の存在)を信
ずることの影響の一つである。我々が罪に関する信念を放棄すれば,道徳を楯
にして罪人に対する冷酷な感情を偽装する(隠す)ことは,ずっと難しくなる。
心の道徳律は,主に思いやりの感情と気だての良さからなると,私は思う。しか
しこれらの性質はお説教によっては生み出されず,十分な消化力と健全な分泌
腺と恵まれた環境によって生みだされる。 「関係者がみな不愉快な思いをし
たとしても,自らの義務を果たせ」というのは教化(善導)であり,迫害本能に訴
えるものである。「もっと青い野菜をたくさん食べれば隣人への憎しみが減る
だろう」というのは,科学的な道徳律であり,けっして'教化(善導)'ではない。
To ensure that people should have good feelings is extremely
desirable, but it cannot be achieved by preaching. On the contrary,
one of the effects of a belief in sin is to justify malevolence
towards the sinner under the guise of a wish to bring him to
repentance. When we get rid of the belief in sin, it becomes much
harder to disguise our unkind feelings, under a cloak of morality.
The morality of the heart, as I see it, consists in the main of kindly
feelings and good nature. But these cannot be produced by sermons:
they are produced by good digestion, sound glands, and fortunate
circumstances. "Do your duty, however unpleasant it may be for all
concerned" is edifying and appeals to your sadistic instincts. "Eat
more green vegetables, and you will hate your neighbours less" is
scientific morality but is by no means edifying.
■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
n.1683〜1687 を発行しました
以下,1つだけ再録します
n.1686 (2019年10月24日)
R英語_類義語シリーズ s08
★ slim / slender
https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-s08.htm
最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.329-331)
【"slim":比喩的な意味に使う場合は、"slender"と"slim"は同じような意味
で使われることが多い。】
【"slender":"slender"にあって"slim"に必ずしもあると言えないのは美的要
素。】
(1-1) The boy is slim but he will fill out in a few years.
[少年はまだ肉がつかず貧弱だが、2,3年すれば肉がついてくる。]
(1-2) How do you keep yourself so slim and nice.
[そんなにすらりと、体重をいつもうまくやっとくなんて、どうしたら出来る
の?]
(2-1) He was a slender man with a sensitive face.
彼は感じやすい顔をした、すらりとした人物だった。(松下注:「感じやすい
顔」の意味わからず。)]
(2-2) We have a slender hope of success.
[成功の望みはまずない。]
A.ラッセルの著作における用例
<用例1-1>
It was a slim hope, and still is, but none-the-less it was, and is, a
hope.
[それは望み薄なことであったし,今でもそうである。しかし,それにもかかわ
らず,それは'一つの希望'であったし,現在でも希望である。]
出典:ラッセル『自伝』第3巻第3章「トラファルガー広場」
https://russell-j.com/beginner/AB33-050.HTM
<用例1-2>
He was in those days beautiful and slim, with a look almost of
inspiration, and with an intellect as deeply passionate as Spinoza's.
[その当時彼は,美青年で,痩せており,霊感に満ちた風貌をしており,スピノザ
と同様,深い情熱的な知性を身につけていた。]
出典:ラッセル『自伝』第1巻第3章「ケンブリッジ大学時代」
https://russell-j.com/beginner/AB13-160.HTM
<用例2>
It is perhaps a slender hope, but let us make the best of it.
[これは心もとない希望であるが,我々はその機会を無駄にせずに最大限利用
しよう]
出典:ラッセル『宗教と科学』第8章「宇宙の目的」
https://russell-j.com/beginner/RS1935_08-220.HTM
B.他の参考例
<参考例1>
Our chances of winning are slim.
出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.
<参考例2-1>
He explained why a camel's body is so slender.
[彼はラクダの体がなぜあんなにほっそりしているかを説明した。]
出典:『英単語ターゲット1900』p.299
<参考例2-2>
The spider hung suspended on its slender thread.
出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.
★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1426〜1431
1)n.1426:R『権力−その歴史と心理』第9章 世論に対する力 n.9
https://russell-j.com/wp/?p=4962
2)n.1427: R『権力−その歴史と心理』第9章 世論に対する力 n.10
https://russell-j.com/wp/?p=4969
3)n.1428: R『権力−その歴史と心理』第9章 世論に対する力 n.11
https://russell-j.com/wp/?p=4965
4)n.1429: R『権力−その歴史と心理』第9章 世論に対する力 n.12
https://russell-j.com/wp/?p=4972
4)n.1430: R『権力−その歴史と心理』第10章 権力の源泉としての信条 n.1
https://russell-j.com/wp/?p=4977
4)n.1431: R『権力−その歴史と心理』第10章 権力の源泉としての信条 n.2
★「ラッセルの言葉_画像版」
日本語 version : n.1084j-1090j を投稿
英 語 version : n.1084e-1090e を投稿
一つだけ再録します 10号 n.10j (Oct. 14, 2019)
https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j1078.html
「新しい形態の迫害」
古い形態の迫害の減衰に満足気に喜ぶよりも、迫害の新しい形態に抵抗する
ことこそ、科学者や科学的知織を尊ぶ全ての者の明確な義務である。・・・科
学者が望むだけの知的自由をほぼ勝ち得ている国々においては、科学者は、自
由が抑圧される教説が何であろうとも(世界のどこにおいてあっても(あるい
はどの分野においてであても)、知的自由が削減されることを嫌悪することを
、公平な(偏見のない)非難によって示すべきである。
It is the clear duty of men of science, and of all who value
scientific knowledge, to protest against the new forms of persecution
rather than to congratulate themselves complacently upon the decay of
the older forms. ... In the countries in which men of science have won
almost as much intellectual freedom as they desire, they should show,
by impartial condemnation, that they dislike its curtailment elsewhere
whatever may be the doctrines for the sake of which it is suppressed.
Source: Religion and Science, 1935, chapt. 10: Conclusion
More info.: https://russell-j.com/beginner/RS1935_10-050.HTM
<寸言>
どこの国の科学者も、ローカルな真理を探求しているのではなく、地球上の
どこにあっても真理であるものを探求している。そうして、現代においては、
特に自然科学分野においては「共同」研究がますます重要になっている。そう
であるならば、科学者にとって非常に重要な「知的自由」は自国においてのみ
確保されていればよいのではなく、世界中のどこにおいても確保されなければ
ならず、「知的自由」が損なわれている国があるならば、科学者はその国の科
学者を支援するために発言をし続ける必要がある。
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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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<「ラッセル落穂拾い−初級篇」2019年 No.6>
https://russell-j.com/beginner/ochibo-2019.htm#2019-06
★「浪漫6(バートランド・ラッセル− 心をロジック化しようと試みた男)」
(2019.10.25) 情報源:隠居道:伊藤久雄-I
https://function5.biz/blog/h-ito/2019/06/3096.php
「・・・私が、ラッセルを人生の目標としたいのは、実はこういう天才科学者
としての生き方ではないのです。・・・人生の晩年、彼はそれまで発見・提唱
してきた論理学や数学といった分野から、人間の行動に基づく社会構造や教育
理論にそれを応用し多くの思想や哲学を創出し発表しました。
研究の対象を科学から人間、それも「心」の領域に科学者で始めて踏み込ん
だ人なのです。
その多くの理論の中でも特に有名なのが、私も一時期大興奮して徹夜で読み
耽っていた「パラドックス理論」や「階型理論」があります。
これらは当時閉塞感のあった数学や物理学に、新たなる思考の方向性をもた
らしました。
特に「階型理論」は、その後にAIの言語分析という領域において基本アル
ゴリズムとして君臨し続けています。
当時の科学者の多くの思考の壁は、実は自分自身の「心」にあったのです。
それを自らの体験を基に、体系的にまとめ論文として発表し続けました、
したがって科学者でラッセルを慕う人は非常に多いのです。
彼は当時では驚きの98歳まで生きました、しかしそれでも「もっと時間が
欲しい」と最後まで言い続け研究に没頭していたのです。
もっと多くの時間が彼にあったら、もっとAIが早く発展したかもしれませ
ん。
クールな科学という分野を生き、「人間」や「心」を科学で解明しようとし
たホットな大天才、もっと多くの人に「バートランド・ラッセル」を知って欲
しいと思うばかりです。」
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編集後記 melma のメルマガ発行サービス終了に伴う無料メルマガ廃刊
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melma の無料のメルマガ発行サービスが来年1月末で終了するとのアナウン
スがだいぶ前にありました。当初12月末にmelma 版の「ラッセルの言葉366−
カレンダー版」を廃刊しようと考えていましたが、手を広げすぎて負荷が大き
くなっていることもあり、この際、10月末に発行をやめることにしました。
ただし、ラッセルのポータルサイトに掲載しているものは引き続き投稿して
いく予定です。以下のURL上にありますので、興味のある方はご覧ください。
https://russell-j.com/wp/
こういったインターネット上の無料サービスは遅かれ早かれサービス停止に
なるものが多く、Google +(グーグル・プラス)というSNSも今年の8月末にサ
ービスが停止になり、Google + 版の「ラッセルの言葉366」の投稿も中止せざ
るを得ませんでした。幸い、facebook 上でも同様の投稿を毎日続けているため
、読者が減るだけですみました。
いずれにせよ、インターネット上の無料サービスはいつ終了するかわからな
いので、いつ終了してもよいようにバックアップをとっておく必要があるとい
うのが教訓です。これまでのところ大きな被害を受けずにすんでいます。
まあ、やめるからこそ、新しいサービスを利用する時間ができるというもの
ですが・・・。(松下彰良)
★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com
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