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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0652_2019/09/21 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記

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(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1705〜n.1708 を発行しました。

 ・月曜日〜木曜日は『私の哲学の発展』 を
 ・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
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(1) 『私の哲学の発展』第7章 「数学原理ーその哲学的側面」n.12
      【「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」n.1705 (2019年9月17日 火曜日)

 先に言及した「記述の理論(記述理論)」は、1905年に、雑誌「マインド」
掲載の私の論文「指示について(On Denoting)」のなかで初めて述べられた
(ものである)。この説(理論/学説)は、当時の「マインド」の編集者には
とても馬鹿げたものと映ったため、彼は私に再考を求め、そのままで(as it
 stood)発表することを要求しないようにと懇願してきた。けれども、私はそ
の説(理論)が妥当であること(soundness)を確信していたので、折れること
(give way 申し出に従うこと)を断った。この説(理論)は後に一般に受け
いれられ、論理学に対する私の最も重要な貢献であると考えられるようになっ
た。確かに、現在では、固有名とそれ以外の語との区別の存在を信じない人々
の側に、この理論(記述理論)に対する反発(reaction 反動)が存在している。
しかし、この反発は、数学的論理学をまったく研究したことのない人々の間に
のみ存在していると考えている。ともかく(いずれにせよ)、私はそういう人
々の批判に、これまでまったく妥当な点を見出すことができなかった(できて
いない)。けれども、私は固有名についての私の理論が、一時期私が考えてい
たよりも、多分、少し、より困難な点をもつかもしれない、ということは認め
よう。しかし、当面、そういう困難(問題)を無視し、普通に使われている日
常の言語を取り扱うことにしよう。

Chapter 7: Principia Mathematica: Philosophical Aspects, n.12
The theory of descriptions, mentioned above, was first set forth in my
 article 'On Denoting' in Mind, 1905 . This doctrine struck the then 
editor as so preposterous that he begged me to reconsider it and not 
to demand its publication as it stood. I, however, was persuaded of 
its soundness and refused to give way. It was afterwards generally
 accepted, and came to be thought my most important contribution to 
logic. It is true that there is now a reaction against it on the part
 of those who do not believe in the distinction between names and
 other words. But I think that this reaction exists only among those
 who have never attempted mathematical logic. At any rate, I have been
unable to see any validity in their criticisms. I will admit, however,
 that perhaps the doctrine of names is a little more difficult than 
I thought at one time. For the moment, however, I will ignore these 
difficulties and deal with ordinary language as commonly employed.
 Source: My Philosophical Development, chap. 6:1959.
 More info.:https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_07-120.HTM


(2) 「菜食主義者の獰猛さ」(『アメリカン・エッセイ』から)
  【「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」n.1708 (2019年9月20日 金曜日)】

 ・・・前略・・・。
 これらの人たちよりももっと面倒な人間は、菜食主義者(ベジタリアン)であ
る。菜食主義者は、蠅一匹(虫一匹)殺さないおだやかで礼儀正しい人間だと
いう通俗的な観念がある。多分菜食主義者は、蠅一匹(虫一匹)殺さないであ
ろう。これに関しては私ははっきり言えないが、彼らが蝿(虫)に示す思いや
りを、人間にまでは及ぼさないことは確かである。・・・。

More troublesome than any of these is the vegetarian. There is a 
popular notion that vegetarians are mild and gentle folk who would not
 hurt a fly. Perhaps they would not hurt a fly. As to this, I cannot 
speak, but their charity towards flies certainly does not extend to 
human beings.

・・・。パトリック・キャンベル夫人(Patrick Campbell, 1865-1940:英国の
舞台女優)が、バーナード・ショーによるリハーサル後(下稽古の後)に,「(菜
食でさえこうなんだから)あの人がビフテキを食べたならば、どうなったこと
でしょう。」と叫んだ,ということを皆知っている。彼女は間違いなく、菜食
主義者とつきあった経験がなかったのだ。もしも経験があったならば、ビフテ
キが彼女の最大の救いだと理解したであろう。このようなことは、世界史にお
いて目新しい現象ではない。皆知っているように、(温厚な)アベルは肉食で
あったが、(アベルを殺害した)カインは食事についてはバーナード・シヨー
と同意見だった。

 ... Everybody knows how Mrs Patrick Campbell, after being rehearsed 
by Bernard Shaw, exclaimed: 'If he should ever eat a beefsteak, God 
help us.' She evidently had little experience of those who live upon a
 vegetable diet. Otherwise she would have known that a beefsteak would
 constitute her best hope. This is not a new phenomenon in the world's
 history. Abel, as we know, was a meat eater, but Cain agreed with Mr
 Bernard Shaw on the subject of diet.

 Source:"On the fierceness of vegetarians"  [From: Mortals and 
Others: Bertrand Russell's American Essays, 1931-1935, v.1 (1975)]
 More info.: https://russell-j.com/VEGETABL.HTM


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1661〜1664 を発行しました
  以下,1つだけ再録します
       n.1664 (2019年9月20日) 
    R英語_類義語シリーズ p04

★ plan / plot / scheme / project

   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-p05.htm

 最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.267-269)

【"plan":4つの単語のなかでは最も包括的で大まかな意味での「計画」や
「青写真」を意味する。】
【"plot":小説やドラマの筋(プロット)や陰謀を企てることの意味でよく使
われるが、本来は layout すること。】
【"scheme":組織だった案に従って行動することを暗示する言葉で、「悪巧
み」もその一つ。】
【"project":通常はグループによって行われる大きな事業計画を意味するが
、個人のそれほど大規模でない計画にも使われる。】

(1) The architect showed us the ground plan for the new building he 
has designed.
[その建築家は、自分のデザインになる新しいビルの平面図を我々に見せた。]

(2-1) The drama is full of action but there is no clearly defined plot
 to it.
[そのドラマはアクションは派手だが、はっきりしたプロット(筋)がない。]

(2-2) They were plotting to unseat the company's president.
[彼らは社長をその地位から引きずりおろそうとたくらんだ。]

(3-1) A man ought to strive to attain his rightful place in the scheme
 of things.
[人間は自分が当然占めるべき場所を勝ち取るために努力すべきだ。]

(3-2) This is a scheme, I suspect, to get us to do the dirty work he 
doesn't want to do himself.
[これは、彼が自分にしたくない汚れ役を我々にやらせる(→ 自分がしたくな
い汚れ役を、彼が我々にやらせる)計略だと私はにらんでいる。]

(4) The entire project is doomed.
[この企画は全然成功の見込みなしだ。]

A.ラッセルの著作における用例
 
<用例1>
I have found, for example, that if I have to write upon some rather 
difficult topic the best plan is to think about it with very great 
intensity - the greatest intensity of which I am capable - for a few 
hours or days, and at the end of that time give orders, so to speak, 
that the work is to proceed underground. .
[たとえば,あるかなり難しい話題について書かなければならないとした場合,
私が発見した最良の方法(やり方/案)は,その話題について,非常に強烈に,自
分に可能なかぎりの最大級の強度(集中力)をもって数時間ないし数日間考え
,その期間の最後に,いわば,この作業を地下で続行せよと命令する,というやり
方である。]
 出典:ラッセル『幸福論』第5章「疲労」
     https://russell-j.com/beginner/HA15-050.HTM

<用例2-1>
My intellectual friends, most of whom are passionate readers of 
detective stories, assure me that what they like is the ingenuity of
 the plot and the detection.
[私の知的な友人たちは,−−その多くが探偵小説の熱烈な読者であるが−−,
探偵小説の興味の理由は筋書と探偵(推理)の巧妙さ(独創性)だとはっきりと
言う。]
 出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「犯罪への興味」
     https://russell-j.com/CRIME-I.HTM

<用例2-2>
At my first meeting rats were let loose to frighten the ladies, and 
ladies who were in the plot screamed in pretended terror with a view 
to disgracing their sex. .
[私が参加した最初の集会の時,女性たちを驚かせるため鼠が放たれ,そうして
その謀略に加わっていた女性たちは,自分たちの'性'を辱めるために,故意に恐
怖をよそおって叫び声をあげた。]
 出典:ラッセル『自伝』第1巻第6章「プリンキピア・マテマティカ」
     https://russell-j.com/beginner/AB16-160.HTM

<用例3-1>
Finally I hit upon the scheme of moving from Ffestiniog and taking a 
house to share with my son and his family in Richmond.
[最終的に私は,フェスティニオグから引っ越して,リッチモンドに一軒の家を
借りて,長男とその家族と一緒に暮らす計画を思いついた。]
 出典:ラッセル『自伝』第3巻第2章「国の内外で」
     https://russell-j.com/beginner/AB32-080.HTM

<用例3-2>
Apart from such considerations, children and young people feel 
instinctively the difference between those who genuinely wish them 
well and those who regard them merely as a raw material for some 
scheme.
[こういった考察はさておき,子供たちや若者たちは,彼らの幸せを純粋に願う人
びとと,彼らを何らかの計画のための原材料(素材)としか考えない人びとと
の違いを,本能的に感じとる。]
 出典:ラッセル『教育論』第一部_教育の理想_第2章「教育の目的」
     https://russell-j.com/beginner/OE02-090.HTM

<用例4>
After some years of work, spring tides proved that the project was not
 feasible and all the money that had been spent was as completely lost
 as if it had been thrown into deep water.
[何年か工事(work)をした後,その事業は'(何度か)大潮(spring tides 高潮)
が襲ったため実行不可能となり,投資された資金はあたかも全て深海に捨てら
れたかのようにまったく無駄になってしまった。]
 出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「我々の貯金から利益を
得る者」
     https://russell-j.com/MONEY.HTM

B.他の参考例

<参考例1>
I have no plans for this evening.
[今夜は何も予定はありません。]
 出典:『VITAL3000英単語・熟語』p.13

<参考例2>
The plot was so complicated that I couldn't follow it.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例3-1>
We have to present a business scheme at the conference.
[私達は会議で事業計画を提示しなければならない。]
 出典:『英単語ターゲット1900』p.319

<参考例3-2>
He's scheming against me behind my back.
[彼は私に反対して陰で策動している。]
 出典:『京大学術語彙データベース 基本英単語1110』p.37

<参考例4>
The purpose of this project is to help homeless people.
[この計画(プロジェクト)の目的はホームレスの人々を助けることです。]
 出典:『VITAL3000英単語・熟語』p.217
 

★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1405〜1408

1)n.1405:R『権力−その歴史と心理』第8章 経済的な権力 N.11
          https://russell-j.com/wp/?p=4884
         
2)n.1406: R『権力−その歴史と心理』第8章 経済的な権力 N.12
      https://russell-j.com/wp/?p=4887

3)n.1407: R『権力−その歴史と心理』第8章 経済的な権力 N.13
          https://russell-j.com/wp/?p=4890

4)n.1408: R『権力−その歴史と心理』第8章 経済的な権力 N.14
       https://russell-j.com/wp/?p=4894


★「ラッセルの言葉_画像版」

 日本語 version : n.1049j-1055j を投稿
 英 語 version : n.1049e-1055e を投稿

  一つだけ再録します 1050号 
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j1050.html

 「死後の自分?」

 もし,我々が肉体の死後に(自分という)人格が生き残ることを信じようと
するなら,我々は記憶の継続性(注:死後も生前と同じ記憶を保有しているこ
と)あるいは少なくとも習慣の継続性を想定しなければならない。なぜなら,
もしそうでないとしたら,同一人物が継続して存在すると想定する理由がまっ
たくないからである。・・・さて,習慣と記憶を生じさせる肉体への影響は死
と腐敗によって消失する。また −ほとんど奇跡であるが− それらの肉体への
影響が,我々があの世でその中に住むと想定される新しい肉体にどのようにして
移されるかを理解することは困難である。もし,我々が肉体から遊離した霊で
あるとすると困難は増すのみである

If we are to believe in the survival of a personality after the death
 of the body, we must suppose that there is continuity of memories or
at least of habits, since otherwise there is no reason to suppose that
 the same person is continuing. .. Now the effects on the body, which
give rise to habits and memories, are obliterated by death and decay,
 and it is difficult to see how, short of miracle, they can be 
transferred to a new body such as we may be supposed to inhabit in the
next life. If we are to be disembodied spirits, the difficulty is only
 increased.
 Source: Religion and Science, 1935, chapt. 5:
 More info.: https://russell-j.com/beginner/RS1935_05-250.HTM

<寸言>
 死後、自分の「たましい」が生き残ると思っている人がいるが、それはどう
いう意味でなのか相手が理解できるように説明できる人はあまりいない。生き
ている時の記憶をまったくもっていない(つまり自分とは思われない)「自分」
が他人あるいは他の動物の肉体のなかに復活するというのか,それとも・・・?

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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<R落穂拾い- 中級篇>
★ ジミー・ソニ,ロブ・グッドマン(著),小坂恵理(訳)『クロード・シャノン
− 情報時代を発明した男』(筑摩書房,2019年6月刊)(2019.09.18)
 https://russell-j.com/cool/br_inyo-2019.html

* クロード・シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916年4月30日- 2001年2月24
日:米国の電気工学者、数学者。情報理論の考案者であり、情報、通信、暗号
、データ圧縮、符号化など、今日のコンピュータ技術の基礎を作り上げ、今日
の情報社会に必須の分野の先駆的業績を残した。

 シャノンは,通信工学のパイオニアとして有名ですが、その生涯については
まったくというほど私は知りませんでした。現代のデジタル情報時代の一番の
立役者なので、興味をいだき、公共図書館で借りて読んで見ました。

 すると、最後の章「第32章 余波」の冒頭にラッセルの「数学の研究」(1907
年発表/ Mysticism and Logic, 1918に再録)からの引用が掲げられていました
。それは次の訳文ですが、ラッセルはこんなことを言うはずはない、少なくと
もこういった表現をするはずはない、と感じました。

  心の底から喜び、精神が高揚し、自分を人間以上の存在に感じられること
  は卓越した才能の持ち主の試金石である。このような人物は詩の世界だけ
  でなく、数学の世界にも確実に見いだされる。(バートランド・ラッセル)

 そこで原文を参照したところ次のような英文でした。

The true spirit of delight, the exaltation, the sense of being more 
than man, which is the touchstone of the highest excellence, is to be
 found in mathematics as surely as in poetry.

 やはり誤訳でした。「数学の世界にも見いだされる」のは小野さんの訳文に
ある「このような人物」ではなく、「真の喜び、精神の高揚、人間以上の存在
(になったかごとく)の感覚」のことであることは、原文(の構文)をみれば
明らかです。
 読者は誤訳に気づかずに、意味がよくわからないと思いながらも、気にしな
いで読み進むすすほかありません。しかし、訳者は、よく意味がとれない時は
わかりそうな人に聞いてみるべきでしょう。

 なお、「はじめに」のp.14にもラッセルの名前が出てきます。 

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 編集後記 「賢く力強い」指導者を「演じる」権力者をサポートする社会
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 総理や官房長官に質問する場合、誰でも答えられるような事柄は別として、
側近や官僚が解答・回答を作成する時間がないといけないので、事前に質問票
を出さないと受け付けてもらえません。そうしないといけない理由はある程度
わかりますが、日本の場合は行き過ぎではないでしょうか?

 独立系のメディアなどは官邸や各省の記者クラブに入ることが許されず、ニ
ュースになる記事をもらいたい記者(大手マスコミ)と、できるだけ効果的に
国民にアピールしたい官邸とは、いわば「ウィン・ウィン」の関係にあります
。だから、東京新聞の望月記者のように、官邸が定めているルールからはずれ
ると、無視されるか、排除されてしまいます。。

 記者会見では、総理は「堂々と」「(自分の)意見をのべている」ように見え
ます。しかし実際は、事前に質問を出させ、側近や官僚に「模範」解答をまと
めさせ、記者会見の際には、左右に置かれた透明のプロンプター(ディスプレ
イ)に流れる文章を"横目で"見ながら、さも自分で考えながら発言してるかの
ように「演じて」います。プロンプターは左右にあり、同一の情報が流される
ので、首を左右にふり、あたかも総理が真剣に考えながらしゃべっているかの
ごとく見せることができます。ただし、万一、事前に出されていなかったこと
を聞かれるようなことがあると、総理は時々パニックに陥り、激高して支離滅
裂なことを言ってしまうことがあります。

 記者クラブ制度は、所管事項のことをほとんど知らない無能な大臣が大臣と
して務まる、彼らにとってとてもありがたい制度です。欧米には記者クラブの
ようなものはないので、時々、海外のメディアに揶揄されています。

 いろんな分野の指導者はいろんな機会にいろんな問題について自分の考え
を責任をもって明らかにしないといけません。特に、総理大臣や大統領などは
「森羅万象」(安倍総理の言葉)について見解を問われるので、いろいろな情報
を収集し、理解した上で適切な判断や発言を行う必要があります。

 ということで、そういった責任と権限を持った人には、サポートする人が非
常にたくさんつきます。総理大臣でなくても、会社の代表取締役でも、各種団
体の代表でも、皆、情報を収集し、種々の質問に対する模範解答をまとめてく
れる取り巻き(官僚やスピーチライタ、その他)がついています。

 日本は集団や組織の「和」を大事にする社会だとよく言われますが、実際は
支配者(支配層)にとって不都合な事実には目をつむり、議論はさけて、権限
のある者におまかせする、支配者の立場に立つ人が有利な社会になっています。
話の内容や範囲を限定し、幅広い対話によって議論をすすめることができない
ので、そういったやり方や慣例は、進歩を阻害する大きな要因の一つと言えま
す。  (松下彰良)

 ★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com

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