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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0651_2019/09/14 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(1) ラッセルの著書や発言等から
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1700〜n.1704 を発行しました。

 ・月曜日〜木曜日は『私の哲学の発展』 を
 ・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
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(1) 『私の哲学の発展』第7章 「数学原理ーその哲学的側面」n.9
      【「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」n.1701 (2019年9月10日 火曜日)

 技術的な詳細に立ち入ることなく、型の理論(タイプ理論)の大まかな原理
(the broad principles)について説明することは可能である(注:ちなみに、
みすず書房刊の野田氏の訳書では「主要原理」と訳されている。「主要」なら
"main”であろう")。タイプ理論に近づく(アプローチする)最もよい方法は
多分、「集合(class)」が何を意味するかを調査(吟味)することによって
であろう。ありふれた例(homely illustration)から始めよう。(即ち)食事
の終りに主人(食事に招いてくれたホスト)が、三つの異なるお菓子のなかか
ら選ぶように言い、どれか一つまたは二つまたは三つ(全部)と、好きなよう
に選んでくださいと促したとしよう。このとき何種類のやり方(courses of
conduct 行為のコース=選択の種類)があなたに許されているか?(可能か?)
あなたは三つともいらないと言うかも知れない。これは一つの選択(肢)であ
る。あなたは(三つの中から)一つをとるかも知れない。これは三つの異なる
仕方で可能である。従って、さらに三つの選択肢をあなたに与える(注:1+3
でここままで計4通り)。次に二つを選ぶかも知れない。これもまた三つの仕
方で可能である(注:三つの中から二つ選ぶやり方は三通りあるということ)。
あるいはあなたは、三つとも選ぶことが可能である。これは最後の一つの(選
択の)可能性である。このようにして、選択可能なやりかたの合計は8、即ち
、23(2の3乗)となる(注:1+3+3+1 = 8)。この手続き(手順)を一般
化することは容易である。あなたの眼の前に n個の対象物(もの)があり、こ
の中から、ひとつも取らない、何個かとる、全てを取るというやり方(選び方)
が全部でいくつあるかを知りたいと思っていると仮定しよう。あなたはその方
法の数が23あることを知るであろう。論理的な言葉を使おう。(即ち)n個の
要素(項目)からなる集合は、23個の部分集合を持つ。この命題は、n が無限
大であってもやはり(still)真である。カントールが証明したことは,この場合
においても(訳注:n が無限大であっても") 2nはn より大であるということ
であった。私がやったように、これを宇宙に存在する全てのもの(things)に適
用すると、(宇宙に存在する)「もの(things)」よりもより多くの「ものの集
合()classes of things」がある、という結論に達する(訳注:宇宙に存在する
ものの総数よりも、それらの物の部分集合の数の方が多い=大きい、というこ
と)。従って「集合」は「もの」ではないことになる(訳注:「もの」の数なら
同数にならないといけないはず)。しかしこの陳述において、「もの(thing)」
という語が何を意味するかは誰も十分に知らないので、一体何が証明されたの
かを正確に述べることはそう簡単ではない。私の達した結論は、集合は言語使
用上の便宜にすぎないということであった。『数学の諸原理』(The Principles
 of Mathematics)を書いた時代に、すでに私は、集合の問題についていくらか
困難を感じていた。けれども、私は、当時、今適切だと考えるよりももっと実
在論的な(スコラ哲学の意味において)言葉で自分の考えを述べていた。私は
その本の序文で次のように言っている。

「定義不可能なものについての論議 −それが哲学的論理学の主要部分をなす
− は、問題となっている存在(entities)を、明瞭に見、かつ他人に明瞭に見
させようとする努力であり、精神が赤さとかパイナップルの味とかに対しても
つような種類の『直接知(直知)』(acquaintance)を、それらの存在者(注:
現在のところよくわからないもの)に対しても持つにいたらしめようとするこ
とである。しかし今の場合のように、定義不可能なものが、主として分析の過
程を通じて得られる必然的な残存物である場合には、そういう存在がなければ
ならぬと知ることの方が、そういう存在を現実に知覚することよりも、多くの
場合容易である。ここにはかの海王星の発見を生んだものと似た過程がある。
ただ異なる点は、最後の段階−推理された存在者を精神の望遠鏡によって探す
ことが、多くの場合、仕事の最もむずかしい部分であるということだ。集合の
場合には、私は、集合という概念の要求する諸条件を満足するような何らかの
観念を知覚することができなかった、と告白せざるを得ない。そして第十草で
論じた矛盾は、何かがまちがっているということを示すが、それが何であるか
を私は今までに発見できなかった。」

Chapter 7: Principia Mathematica: Philosophical Aspects, n.9

Without going into difficult technical details, it is possible to
 explain the broad principles of the theory of types. Perhaps the best
 way of approaching the theory is by examination of what is meant by a
 'class'. Let us start with a homely illustration. Suppose, at the end
 of dinner, your host offers you a choice of three different sweets, 
urging you to have any one or two or all three, as you may wish. How 
many courses of conduct are open to you? You may refuse all of them. 
That is one choice. You may take one of them. This is possible in 
three different ways and therefore gives you three more choices. You
 may choose two of them. This again is possible in three ways. Or you
may choose all three, which gives you one final possibility. The total
 number of possibilities is thus eight, i.e. 23. It is easy to 
generalize this procedure. Suppose you have n objects before you and
 you wish to know how many ways there are of choosing none or some or
 all of the n. You will find that the number of ways is 23. To put it
 in logical language: a class of n terms has 23 sub-classes. This
 proposition is still true when n is infinite. What Cantor proved was
 that, even in this case, 2n is greater than n. Applying this, as I 
did, to all the things in the universe, one arrives at the conclusion
 that there are more classes of things than there are things. It 
follows that classes are not 'things'. But, as no one quite knows what
 the word ‘thing' means in this statement, it is not very easy to 
state at all exactly what it is that has been proved. The conclusion 
to which I was led was that classes are merely a convenience in 
discourse. I was already somewhat bewildered on the subject of 
classes at the time when I wrote The Principles of Mathematics. 
I expressed myself, however, in those days, in language which was more
 realistic (in the scholastic sense) than I should now think suitable.
 I said in the preface to that work:

‘The discussion of indefinables - which forms the chief part of
 philosophical logic - is the endeavour to see clearly, and to make
others see clearly, the entities concerned, in order that the mind may
 have that kind of acquaintance with them which it has with redness or
 the taste of a pineapple. Where, as in the present case, the 
indefinables are obtained primarily as the necessary residue in a 
process of analysis, it is often easier to know that there must be
 such entities than actually to perceive them; there is a process 
analogous to that which resulted in the discovery of Neptune, with the
 difference that the final stage - the search with a mental telescope
 for the entity which has been inferred - is often the most difficult
 part of the undertaking. In the case of classes, I must confess, 
I have failed to perceive any concept fulfilling the conditions 
requisite for the notion of class. And the contradiction discussed in
 Chapter X proves that something is amiss, but what this is I have 
hitherto failed to discover.'
 Source: My Philosophical Development, chap. 6:1959.
 More info.:https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_07-090.HTM


(2) 「少年と少女の知能の差」(『アメリカン・エッセイ』から)
  【「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」n.1704 (2019年9月13日 金曜日)】

 ・・・前略・・・。
 初期のフェミニストは,男女は生まれながらにして一様であり,訓育によっ
てのみ差が生じると考えた点で誤っていたと思う。しかし,男女が平等である
べきであり,人類の文明に同等の貢献をすべきだと考えた点で,彼女ら(及び
彼ら)は正しかった。女性はこれまで自由でなかったので,女性が本来可能な
貢献をこれまで行うことができなかった。女性は男性向けに立案(意図)され
た教育を課せられてきた上に,上品な淑女たらんとする気持ちのために,女性
本来の能力を最大限に伸ばす教育を受けないままでいる。しかしこの事態は急
速に改善されつつあり,遠からぬうちに男性の能力よりも女性の能力に適した
重要な点において,女性は,もはや制限を受けず,また(男性の)物真似ではなく
,真に創造的な立場にたてるようになると期待してよいだろうと,私は考えて
いる。

 The older feminists were wrong, I think, in supposing men and women
 to be alike by nature and differing only by training, but they were
 right in thinking that men and women should be equals and have an 
equal contribution to make to civilisation. The contribution which 
women's nature would enable them to make, they have not yet been able
 to make, because they have not been free. They have been exposed to
 an education designed for men, and they have been debarred by prudery
 from the kind of education which would have most developed their 
faculties. This state of affairs, however, is rapidly improving, and
 I think we may hope that before many decades have passed women will
 be in a position to be no longer either restrictive or imitative but
 genuinely creative in important ways for which their faculties are
 more adapted than those of men.

 Source:"On mental differences between boys and girls" 
[From: Mortals and Others: Bertrand 
Russell's American Essays, 1931-1935, v.1 (1975)]
 More info.: https://russell-j.com/BOY-GAL.HTM


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1656〜1660 を発行しました
  以下,1つだけ再録します
       n.1660 (2019年9月13日) 
    R英語_類義語シリーズ p01

★ permit / allow

   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-p01.htm

 最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.261-263)

【"permit":公式な許可という含みを持つ言葉。】
【"allow":非公式に個人としての判断や裁量によって認めること(許すこと)
を匂わせる言葉。また、止める力がないかあるいは職務怠慢のために、よくな
い事態の発生を防ぐことができなかったという意味にも使う。】

(1/2) The professor allowed students to use the stack room of the 
library after 9 a.m., though it was not permitted.
[学生が図書館の書庫を夜の9時以後使うことは禁じられていたにもかかわら
ず、教授はそれを使うことを許した。]

(2) Tennis was his one hobby and it played a more significant part in
 his life than his biographer allows.
[テニスは彼の唯一の趣味だった。そうして、このことは彼の伝記作者が認め
ているよりもずっと重大な役割を彼の人生において演じていた。]


A.ラッセルの著作における用例
 
<用例1-1>
During the war, the Nazis did not permit Germans to listen to British
radio, but nobody in England was hindered from listening to the German
 radio because our faith in our own cause was unshakable.
[第二次大戦中,ナチスはドイツ人にイギリスのラジオを聞くことを許さなか
ったが,我々自身の大義に信念は不動のものであったので、イギリスでは誰も
ドイツのラジオを聞くことを妨げられなかった。]
 出典:ラッセル「オーウェルの『1984年』の徴候」
     https://russell-j.com/beginner/1070_SoO-080.HTM

<用例1-2>
Modern feminists are no longer so anxious as the feminists of thirty 
years ago to curtail the "vices" of men; they ask rather that what is
 permitted to men shall be permitted also to them. Their predecessors
 sought equality in moral slavery, whereas they seek equality in moral
 freedom.
[現代のフェミニスト(女権拡張論者)たちは、もはや、30年前のフェミニスト
たちほど、男性の「悪徳」を削減したがってはいない。彼女たちは、むしろ、
男性に許されるものは、自分たちにも許されることを要求する。彼女たちの先
輩が、道徳的な奴隷状態の中での平等を求めたのに対して、彼女たちは、道徳
的な自由の中での平等を求めているのである。]
 出典:ラッセル『結婚論』第7章「女性の解放」
     https://russell-j.com/beginner/MM07-040.HTM

<用例2-1>
One tutor I had was an agnostic, and used to allow me to discuss 
religion with him.
[ある家庭教師は不可知論者であったが,彼はいつも,宗教について彼と議論す
ることを許してくれた。]
 出典:ラッセル『自伝』第1巻第2章「青年期」
     https://russell-j.com/beginner/AB12-080.HTM

<用例2-2>
It is generally held, especially in America, that a man should not 
allow love to interfere with his career, and that if he does, he is
 silly.
[男は恋愛のために出世(キャリア)がさまたげられるようなことを許すべき
ではなく,もし許すようなら,その男は愚かである,と一般に−特にアメリカ
では−考えられている。]
 出典:ラッセル『結婚論(結婚と性道徳)』第9章「人生における恋愛の位
置」
     https://russell-j.com/beginner/MM09-030.HTM


B.他の参考例

<参考例1-1>
The fatalities of 1985 must not be permitted to occur again.
[1985年の惨事を繰り返すことは許されない。]
 出典:『英単語ターゲット1900』p.11

<参考例1-2>
Please permit me to ask you some questions.
[いくつか質問させてください。]
 出典:『ジーニアス英単語2500 改訂版』p.25

<参考例2-1>
Her pride did not allow her marry him.
[彼女のプライドのせいで、彼女は彼と結婚することができなかった。]
 出典:『ジーニアス英単語2500 改訂版』p.23

<参考例2-2>
Her parents allowed her to go to the movies.
[彼女の両親は彼女が映画に行くことを許した。]
 出典:『VITAL3000英単語・熟語』p.23

 

★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1400〜1404

1)n.1400:R『権力−その歴史と心理』第8章 経済的な権力 N.6
          https://russell-j.com/wp/?p=4865
         
2)n.1401: R『権力−その歴史と心理』第8章 経済的な権力 N.7
      https://russell-j.com/wp/?p=4868

 一国家内における経済力(経済的権力)は,究極的には,法と世論(の支持)
に由来するが,それは容易に一定の自立性を獲得する。一国家内の経済力(経
済的権力)(例:個々の大企業や経済団体)は,贈収賄(汚職)によって法に影
響を及ぼすことができるし,宜伝によって世論に影響を及ぼすこともできる。
(また)一国家内の経済力(経済的権力)は,政治家たちの自由を阻害する債務
(obligations)を彼ら(政治家たち)に負わせることもできる(注:みすず書
房刊の東宮訳では「政治家の自由に干渉する★義務を彼らに追わせることもで
きる」となっている/ここでは政治家を「借金漬けにして支配下に置くことを
言っている)。それは財政上の危機を引きおこすぞと威嚇することもできる。
しかし,それ(一国家内における経済力(経済的権力))がやり遂げることが
できることにはきわめて明瞭な(力の)限界がある。シーザーは却って債権者
(資金を提供してくれた人たち)に助けられて権力を得たが(was helped to
 power by),債権者たちはシーザーが(権力獲得に)成功しなければ返済の
希望がないと思っていた。しかし,シーザーは(権力獲得に)成功すると,
彼は債権者たちを無視するほど強力になった(強力になり債権者たちを無視
した)。シャルル五世(フランス王)は皇帝の地位を買収するのに必要な金
をフッガー家から借りたが,皇帝になるとフッガー家を無視して(snapped his
 fingers at),フッガー家の人々は貸した金を失ってしまった(原注参照)。
シティ・オブ・ロンドン(ロンドンの金融街)も,今日,(第一次世界大戦後
の)ドイツの復興を援助してこれと似た経験をした。ティッセン(注:Fritz 
Thyssen, 1873-1951:ドイツ最大の鉄鋼トラストの会長で,国家社会主義ドイ
ツ労働者党(ナチ党)の最大のパトロン)もヒットラーの政権獲得を援助して,
同様の経験をしている。

(* 原注:フッガ一家(の人々)は,決してハプスブルク家の借り手に抵抗す
ることができなかった。フッガー家が金を貸した相手は,シャルル五世だけで
なく,彼に貸す前に皇帝マキシミリアンに,彼に貸した後にスペイン系ハプス
ブルク家の子孫に金を貸した。『フッガー(家)ニューズレター』の序文には
,こう書かれている。「少なくとも四百万ダカット金貨を(ハプスブルク系の)
スペインの王たちはフッガー家から借りたが,まったく返済しなかった。たと
え,西方と東方のハプスブルク家との商取引から生じる損失は八百万フローリ
ンにのぼると見積もっても(注:accrue from 生じる/if = even if),過大
評価ではない。・・・。もし彼ら(フッガー家)が存在しなければ,ドイツに
おける宗教改革は,おそらく何の抵抗も受けずに勝利したであろう。このフッ
ガー家の最も有能な人々は,一世紀に渡って努力した。しかし(それにもかか
わらず),同家(注:貸し手)の多くの後継者たちに残されたものは,法外なほ
ど高価な羊皮紙の山と,二重にも三重にも抵当に入った不動産だけであった)
(注:つまり,抵当権がいっぱいついていたので、そんなものがいくらあって
も処分できないのでどうしようもなかった,ということ)。

Chapter VIII: Economic Power, n.7

Economic power within a State, although ultimately derived from law 
and public opinion, easily acquires a certain independence. It can 
influence law by corruption and public opinion by propaganda. It can
 put politicians under obligations which interfere with their freedom.
 It can threaten to cause a financial crisis. But there are very 
definite limits to what it can achieve. Caesar was helped to power by
 his creditors, who saw no hope of repayment except through his 
success; but when he had succeeded he was powerful enough to defy
 them. Charles V borrowed from the Fuggers the money required to buy
 the position of Emperor, but when he had become Emperor he snapped 
his fingers at them and they lost what they had lent (* see note).  
The City of London, in our own day, has had a similar experience in 
helping German recovery ; and so has Thyssen in helping to put Hitler
 into power.

(note: The Fuggers never could resist a Habsburg borrower. They lent
 money, not only to Charles V, but to the Emperor Maximilian before
 him, and to his Spanish descendants after him. The Introduction to 
the Fugger News Letters says: "At least four million ducats had been
 borrowed from the Fuggers by the Spanish kings and never repaid, and
 it is not exaggeration if the losses accruing from their business 
transactions with the Hapsburgs (Habsburgs) in the west and east are
 estimated at eight million florins.... But for them (the Fuggers) the
 Reformation in Germany would probably have triumphed without 
opposition. The most capable members of this House strove for a 
century, but nothing remained to their innumerable heirs but an 
inordinately costly pile of parchments and heavily mortgaged landed
 property.)
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER08_070.HTM
 
3)n.1402: R『権力−その歴史と心理』第8章 経済的な権力 N.8
          https://russell-j.com/wp/?p=4873

4)n.1403: R『権力−その歴史と心理』第8章 経済的な権力 N.9
       https://russell-j.com/wp/?p=4877

5)n.1404: R『権力−その歴史と心理』第8章 経済的な権力 N.10
       https://russell-j.com/wp/?p=4881
 

★「ラッセルの言葉_画像版」

 日本語 version : n.1042j-1048j を投稿
 英 語 version : n.1042e-1048e を投稿

  一つだけ再録します 1046号 
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j1046.html

 「金権政治と世論操作」

 即ち,問題(の論点)が単純で世論がはっきりしている場合は,金権政治は
無力である。しかし,世論が定まっていない場合(わかれている場合)には
,あるいは,問題が複雑であるために世論が当惑している場合には,金権政
治は思いどおりの政治的な結果を確保することができる。

That is to say, where the issue is simple and public opinion is 
definite, the plutocracy is powerless ; but where public opinion is
 undecided, or baffled by the complexity of the issue, the plutocracy
 can secure a desired political result.
 Source: Power, 1938.
 More info.: https://russell-j.com/beginner/POWER08_080.HTM

<寸言>
 こういった状況においては、金権政治化は大金をつぎこんで宣伝の力を借り
て世論を操作できる。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休みです。

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 編集後記 第4次安倍"第2次"改造内閣誕生についての井戸端会議
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Aさん:「第4次安倍"第2次"改造内閣」ていうのは変な言い方だね

Bさん:第4次安倍内閣が2回目の内閣改造したからだろうけど、同じ「次」
という言葉は使わないほうがいいね

Cさん: だからわかりやすいように「在庫一掃+改憲シスト内閣」といった
愛称?をつけて区別するんだよ

Aさん: それにしても、どうして疑惑の人(加計問題の萩生田)やセクハラ
で訴えられた人(菅原)、教育勅語を礼賛している人(高市、萩生田、衛藤他)
など、どうかと思われる人がこんなに多く大臣になれたんだろうか? セクハ
ラやモラハラは安倍内閣にとって大臣になるための障害にはならないのか?

Bさん: 大臣を選ぶ人自体が同じようなことを「足がつかないように」上手
にやってるから、そんな選考基準はもうけられないんだよ。それに自分をかば
って泥をかぶってくれた人に対しては、最後の組閣では報わないといけないと
考えたんだろうね。

Cさん: 教育勅語を礼賛している萩生田氏が文科大臣になるなんてブラック
・ユーモだけど、加計事件の時に萩生田氏から指示があったというメモが公表
された時、「自分の名前を使った人がいる」って文科省の役人のせいにした人
だから恨みをかってるんじゃないか? 文科省の誰かが萩生田氏の不都合な事
実をリークするかも知れないね。

Bさん: 経産大臣になった菅原氏は 国会を「ずる休み」して、「愛人とハ
ワイ旅行」に出かけていたことが週刊文春に大々的に報じられた人だよ。その
際、愛人A子氏に「女は25歳以下がいい。25歳以上は女じゃない」「子どもを
産んだら女じゃない」などと暴言をはき、モラル・ハラスメントを繰り返して
いたと報道されていたけど、もう国民は多分忘れてしまっている人が多いんだ
ろうね?

Aさん: それから、IT担当大臣は、このところIT音痴の人がなっているけど
、今度竹本直一氏が科学技術・IT担当大臣になったね 竹本氏のホームページ
が閲覧できなくなっているが原因がわからず、業者に至急復旧するように依頼
しているということで今話題になっているね。竹本氏は、電子印鑑(電子認証)
に変えていかないといけないという時代に、従来のはんこも大事にしようと言
っている、通称「はんこ議連」の会長だね、こんな人を科学技術・IT担当大臣
にして本当に大丈夫かね? PC使わないけどスマホは「駆使しています!」
と胸を張った櫻田元大臣よりはましかもしれないけど・・・?

Bさん: 衛藤晟一氏なんかは(極右集団と言われている)日本会議の中心メ
ンバーで、日本の旧い家族道徳を復活させようとしている人だけど、この人は
「一億総活躍」担当大臣ということで、「戦前回帰」のような、なにか不気味
な感じがするね。

Cさん: そういったメンバーばかりだから、総理もそちらに国民の目がいか
ないように、小泉進次郎を入閣させて目くらましに使っているけど、将来進次
郎が総理になったら、安倍総理は自分が進次郎を育てたなんていうだろうね。

Aさん: いずれにしても、確実にスキャンダルが明らかになりそうな人が3
人はいるので、「週刊誌の種はつきまじ」と言ったところだよ。

Bさん: 10月からの消費税アップ、英国の Brexit、米中貿易戦争、日韓対立
、もしかすると(どこが震源になるかわからないが)突然の世界経済大恐慌、
その他、いろいろな大事件が起こりそうで、ボンヤリしていると「チコちゃん
に、ボーットして生きてんじゃないよ!」と叱られそうだね。 (松下彰良)

 ★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com

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