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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0641_2019/06/29 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記

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(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1651〜n.1655 を発行しました。

 ・月曜日〜木曜日は『私の哲学の発展』 を
 ・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
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 (1)  n.1652 (2019年6月25日 火曜日)
   
       https://russell-.com/beginner/BR_MPD_05-010.HTM

 G. E. ムーアと私がカント及びヘーゲルに反抗したのは(反対するようにな
ったのは),1898年の終り頃(注:ラッセル26歳の時)であった。先陣を切っ
たのはムーアであるが、私も彼の歩みに密接して追従した。新しい哲学の最初
に発表したレポート(報告)は、雑誌「マインド」に掲載されたムーアの論文
「判断の本性」であったと思う。ムーアも私も今ではこの論文の所説の全てに
固守しようとは思わないが、私は −そしてムーアもそうだと思うが− 今でも
その論文の否定的な部分には同意したい。即ち、一般的に言って,事実は経験
からは独立したものであるという主張である。我々二人は意見が一致してはい
たが、新しい哲学のどの点に最も強い関心を抱いているかという点では異なっ
ていた,と思う。ムーアは観念論をしりぞけることに最も関心をもっていたと
思うが、私は何よりも一元論をしりぞけることに最も関心を持っていた。けれ
ども,この二つのことは密接に関連しており,それらは,F. H. ブラッドリ−
(1846-1924,イギリスの観念論哲学者で,主著は『現象と実在(1893年))がヘー
ゲルの哲学から(精製して)とり出した(ところの),関係についての学説に
よって繋がっていた(結び付けられていた)。私はそれを「内面的関係説」と
呼び、私自身の説を「外面的関係説」と呼んだ。「内面的関係説」というのは
.2つの項(terms)の間のあらゆる関係は,第一義的には2つの項がそれぞれに
持つ本質的な(固有の)特性であり、そうして(しかも/かつ)究極においては
その2つの項が構成する全体の持つ特性である,という主張(説)である。ある
種の関係についてはこの見方はもっともらしく見える(plausible)。たとえば,
愛あるいは憎しみをとってみよう。もしAがBを愛する(愛している)ならば
、この関係は、その関係自体を例示しており、Aのある精神状態で成り立って
いると言ってもよいだろう。無神論者でさえ、人は神を愛することが可能であ
ることを認めなければならない(認めないわけにはいかない)。そうして、神
を愛することは、愛を感ずる者の精神状態(心的状態)であり、厳密に言えば
、一つの関係的事実ではない、ということになる(注:対象がどうであれ、お
かしな精神状態になり、おかしな対象に愛を感ずることもありうる)。
 しかし私が興味をもった関係はもっと抽象的な種類の関係であった。(即ち)
たとえば,AとBは事象(出来事)であり、事象Aが事象Bより先に起ったと
仮定してみよう。このことが、Aの中に、Bとは独立に、Aをしてある特性 
ー−我々はBに言及することによってその特性を不正確に言い表わす−− を
持たせなければならない(必然的に持たせる)何らかのものがあるということ
を意味する,とは私は考えない。ライプニッツは(これについて)極端な例を
あげている。(即ち)彼曰く:ヨーロッパに住んでいるある男がインドに一人
の妻を持っていて、その妻が夫の知らないうちに死ぬとしたならば、その男は
妻の死の瞬間に(妻が死ぬやいなや)本質的な変化(intrinsic change)を蒙む
ることになる、と。これが私が(当時)戦っていた説(学説)である。私はこ
ういう内面的関係説が、特に「非対称的関係」(asymmetrical)−−もしたと
えAがBに対しては成り立つとしても,BはAに対しては成り立たない,ような
関係(if = even if)−− の場合にはあてはまらないということを発見した。
(その非対称的関係の例として)「先立つ(earlier)」という関係をとりあげ
てみよう。AがBに先立つならば、BはAに先立つことはない。この時、Aの
Bに対する関係を、(内面的関係説に従って)AとBについての(修飾する)
形容詞によって言い表わそうとするならば、我々は日付によってそれを試みな
ければならない(試みるよりほかない)であろう。即ち、Aの日付はAの特性
であり、Bの日付はBの特性である、と我々は言ってよいかも知れない。しか
し、それではあなたの助けにならない(何にもならない)。なぜなら、我々は
さらに続けて、Aの日付がBの日付「より先」であると言わなければならず、
そうして「より先」という関係から依然として脱出することができないからで
ある。もしこの関係をAとBとから成る全体の特性(注:一元論的観点)と見
ようと企てるならば、我々はもっとひどい困難に落ちこむことになる。なぜな
ら、そういう全体の中では、AとBとは順序をもたず、従って「AがBに先立
つ」と「BがAに先立つ」とを区別することができないからである。非対称的
関係は、数学の大部分の部門において欠くべからざるものであるので、この説
(内面的関係説)は重大であった(のである)。(注:内面的関係説は捨てな
ければならない,ということ。)

Chapter 5: Revolt into Pluralism, n.1

It was towards the end of 1898 that Moore and I rebelled against both
 Kant and Hegel. Moore led the way, but I followed closely in his 
footsteps. I think that the first published account of the new 
philosophy was Moore's article in Mind on 'The Nature of Judgement'. 
Although neither he nor I would now adhere to all the doctrines in 
this article, I, and I think he, would still agree with its negative
 part -- i.e. with the doctrine that fact is in general independent of
experience. Although we were in agreement, I think that we differed as
 to what most interested us in our new philosophy. I think that Moore
 was most concerned with the rejection of idealism, while I was most
 interested in the rejection of monism. The two were, however, closely
 connected. They were connected through the doctrine as to relations,
 which Bradley had distilled out of the philosophy of Hegel. I called
 this 'the doctrine of internal relations', and I called my view 'the
 doctrine of external relations'. The doctrine of internal relations
 held that every relation between two terms expresses, primarily, 
intrinsic properties of the two terms and, in ultimate analysis, a 
property of the whole which the two compose. With some relations this
view is plausible. Take, for example, love or hate. If A loves B, this
 relation exemplifies itself and may be said to consist in certain 
states of mind of A. Even an atheist must admit that a man can love 
God. It follows that love of God is a state of the man who feels it, 
and not properly a relational fact. But the relations that interested
 me were of a more abstract sort. Suppose that A and B are events, 
and A is earlier than B. I do not think that this implies anything in
 A in virtue of which, independently of B, it must have a character 
which we inaccurately express by mentioning B. Leibniz gives an 
extreme example. He says that, if a man living in Europe has a wife
 in India and the wife dies without his knowing it, the man undergoes
 an intrinsic change at the moment of her death. This is the kind of
 doctrine that I was combating. I found the doctrine of internal 
relations particularly inapplicable in the case of 'asymmetrical' 
relations -- i.e. relations which, if they hold between A and B, do
 not hold between B and A. Let us take again the relation earlier. 
If A is earlier than B, then B is not earlier than A. If you try to
 express the relation of A to B by means of adjectives of A and B, 
you will have to make the attempt by means of dates. You may say that
the date of A is a property of A and the date of B is a property of B,
 but that will not help you because you will have to go on to say that
 the date of A is earlier than the date of B, so that you will have 
found no escape from the relation. If you adopt the plan of regarding
 the relation as a property of the whole composed of A and B, you are
 in a still worse predicament, for in that whole A and B have no order
 and therefore you cannot distinguish between 'A is earlier than B' 
and 'B is earlier than A'. As asymmetrical relations are essential in
 most parts of mathematics, this doctrine was important.

 Source: My Philosophical Development, chap. 4,1959.
 More info.:https://russell-.com/beginner/BR_MPD_05-010.HTM


 (2) n.1655 (2019年6月28日 金曜日)

   ラッセル「時代の進歩に歩調をあわせる」(1931年12月16日執筆)
   https://russell-j.com/KEEPPACE.HTM

 石器時代から今日まで、人類はしだいに進歩のペースを早めてきた。もし穴
居人(a cave man)が紀元前4000年頃のエジプト近辺で生活することになったな
ら、当時の多忙な'近代的'生活には耐えられないと感じたことだろう。(当時)
人類は生活習慣を変え、狩猟生活をやめ、農業を始め、彼らの先祖が使ってい
た火打石に満足せず、金属について新規の試み(金属加工)を行いつつあった。
穴居人は、「そのようなことはやめなさい。最近の若いやつはまったく生意気
だ」と言ったかもしれない。
 それにもかかわらず、時代の流れは止まらなかった。それどころか、中世の
暗黒時代の'回復'の一時期を除き、人類は進歩し続けただけでなく、そのスピ
ードをより早めて前進を続けた。

From the Stone Age to the present day, the rapidity of human progress 
has been gradually increasing. If a cave man could have returned to 
Egypt somewhere about the year 4000 BC he would have felt that the 
hurry of modern life had become almost unbearable. Men were altering 
their habits, taking to agriculture instead of hunting, and doing
 strange things with metals instead of being content with flints like
 their ancestors. This sort of thing, he would have said, must stop;
 the younger generation is becoming altogether too uppish.
Nevertheless it did not stop; on the contrary, except for the interval
 for recuperation during the Dark Ages, men have not merely continued
 to progress, but have progressed with continually increasing speed.

 この(進歩の)プロセスには、当然の限界はないだろうか。多分その限界は
、人間の神経組織のなかに見いだされるだろうと私は思っている。現代の子供
も、石器時代の子供と本質的に同じ神経組織を持って生まれてくる。そして今
も昔も変わらないこの神経組織は、おおざっぱにいって、時々起こる戦争と私
的な争いを別にして、不変の習慣と変わり映えしない日常に適している。

s there any natural limit to this process? I think probably that the 
limit is to be found in the human nervous system. Children are born
 with essentially the same nervous system as belonged to children in 
the Stone Age, and this system is adapted, broadly speaking, to a life
 of settled habits and unchanging routine, alternating only with
 occasional outbursts of war or private vengeance.

 疑いもなく、現代人が生きているこの常に変化する環境は、神経をすり減ら
すものである。さらにこのような環境では、いかなる世代も、以前とは異なり
、老人たちからの手助けをほとんど受けずに、自分自身の習慣(形成)と将来
の予想を考え出さなければならない。若者が間違いを犯すのは当然であるが、
老人たちが若者のためを思っていろいろやってみても、さらに大きなあやまち
を犯すはめになる。思考習慣は、生活の機械技術(的側面)とは違い、そう急
には変わらないゆえに、老人たちの習慣と考え方は若者には古くさく思える。

There can be no doubt that the continually changing environment in 
which the modern man lives is fatiguing. Moreover, it means that each
 generation has to think out its own habits and its own expectations 
with very much less help from the old than was formerly the rule. 
The young, no doubt, make mistakes; but the old, when they try to
 think for them,make even greater mistakes. Habits of thought do not
 change so quickly in the individual as does the mechanical technique
 of life, so that the habits and opinions of the old seem archaic to
 the young.


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1607〜1611 を発行しました

  以下,1つだけ再録します n.1611/3650(2019年6月28日 金曜日) 
  R英語_類義語シリーズ e07
     https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-e07.htm

★ enough / adequate / sufficient

   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-e07.htm

 最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.135-137)から

【"enough":3つのなかでは最も漠然とした言い方であり、"adequate"と異な
り,"enough"はもっぱら数量が十分あることを表している。】
【"adequate":量だけでなく質も十分という意味がある場合が多い。】
【"sufficient":"sufficient"の心は「たくさんはいらない、ほんの少しでこ
と足りる」。】

(1-1) There is enough food for all of us.
[我々全部に行き渡るだけの食料がある。]

(1-2) This is a powerful poison, a smallest dose which is enough to 
kill a horse.
[これは強い毒物だ。ほんのひとつまみでも馬一頭を殺してしまう。]

(2-1) The kind of food you're eating is not adequate for a balanced 
nutrition you need.
[あなたの今の食生活はバランスのとれた栄養には「質的には」不足(不十分)
だ。]

(2-2) My knowledge of French is adequate for orthinary conversation
 but not for writing.
[私のフランス語は日常会話には間に合うが、書くためには力不足だ。]

(3) It does not take much to please him. A mere look of approval from
 his peers is sufficient to enthrall him.
[彼を喜ばせるのに多くは要らぬ。仲間からちょっとやさしくでもされれば有
頂天になる。]


A.ラッセルの著作における用例
 
<用例1-1>
Animals are happy so long as they have health and enough to eat.
[動物は,健康で食べ物が十分にあるかぎり幸福である。]
 出典:ラッセル『幸福論』第1章「不幸の原因」
     https://russell-j.com/beginner/HA11-010.HTM

<用例1-2>
But those who have enough money to be freed from the need of work have
 as their ideal a life completely freed from boredom. enough .
[働く必要がないだけのお金のある人びとは,まったく退屈しない生活を理想と
して思い描いている。]
 出典:ラッセル『幸福論』第4章「退屈と興奮」
     https://russell-j.com/beginner/HA14-010.HTM

<用例2-1>
A man of adequate vitality and zest will surmount all misfortunes by 
the emergence after each blow of an interest in life and the world 
which cannot be narrowed down so much as to make one loss fatal.
[十分な(心身の)活力と熱意のある人は,不幸に見舞われるたびに,人生と世
界に対する(新しい)興味−−それ(人生と世界に対する興味)は,1つの喪
失(敗北)のために致命的になるほど制限されることは決してない−−を見い
だすことによって,あらゆる不幸を乗り越えていくだろう。]
 出典:ラッセル『幸福論』第15章「非個人的な興味(私心のない興味)」
     https://russell-j.com/beginner/HA26-050.HTM

<用例2-2>
But democracy is not at all an adequate device unless it is 
accompanied by a very great amount of devolution.
[しかし、もしも民主主義が組織集団の構成員に大幅の権限委譲を行わなけれ
ば、民主主義も適切な工夫であるとは全く言えないものとなります。]
 出典:ラッセル『政治理想』第1章「自由と統制」
     https://russell-j.com/beginner/JIYU-C.HTM

<用例3-1>
Given sufficient folly as to ends, every increase in the skill 
required to achieve them is to the bad.
[(仮に)目的に関する十分な愚かさが与えられているとすれば,その目的を達成
するために必要ないかなる技能・技術の増大も,事態を悪化させる。]
 出典:ラッセル『科学は社会を震撼した』第7章「科学的社会は安定しうる
か?」
     https://russell-j.com/cool/43T-0701.HTM

<用例3-2>
I am earning, let us say, a salary sufficient for my needs. I should 
be content, but I hear that someone else whom I believe to be in no 
way my superior is earning a salary twice as great as mine. Instantly,
 if I am of an envious disposition, the satisfactions to be derived 
from what I have grow dim, and I begin to be eaten up with a sense of
 injustice.
[たとえば,私は必要を満たすだけの給料をもらっていると仮定しよう。私はそ
の給料で満足すべきだが,どう考えても自分より優秀だとは思えない人間が私
の2倍の給料をもらっていることを耳にする。(すると)私がねたみ深い人間
であれば,即座に,自分の持っているものから得られる満足は色あせ,不公平感
にとらわれ始める。]
 出典:ラッセル『幸福論』第6章「ねたみ」
     https://russell-j.com/beginner/HA16-050.HTM


B.他の参考例

<参考例1>
Is there enough money (for us) to get a bottle of wine?
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例2-1>
It's important to get adequate rest and exercise to stay healthy.
[健康でいるためには,十分は休養をとり、運動をすることが大切だ。]
 出典:『新版完全征服データベース5500 合格 英単語・熟語』,p.13

<参考例2-2>
Sleep, balanced diet and adequate exercise cotribute to good health.
[睡眠、バランスのとれた食事、そして十分な量の運動が健康に貢献する。]
 出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』,p.287

<参考例3-1>
The teenagers seemed to lack sufficient calcium.
[その10代の若者たちは十分なカルシウムを摂っていないようだった。]
 出典:『英単語ターゲット1900』,p.105

<参考例3-2>
A million yen will be sufficient for your plan [to buy a new car].
[10万円あれば君の計画に[新しい車を買うのに] 十分でしょう。]
 出典:『九大英単』,p.77


★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1351〜1355

1)n.1351:R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.12
        https://russell-j.com/wp/?p=4700

 アガソクレス(注:シチリアの王)は卑しい生れで,陶工(焼物職人)の息子
であった。 (原注:以下の叙述は,ディオドルス・シクルスに依拠している
(典拠としている)。現代の権威者のなかには,アガソクレスは偏見を抱いて
いたという者がおり,また,アガソクレスは賞賛すべき統治者だったという者
もいる。しかし,(アガソクレスに関する)主要な事実についてシクルスは正
しくなかった(間違っていた)と信じることは困難である。)  彼は美貌のお
かげで,デマスという裕福なシラクサ人の寵愛の対象となり,デマスは全財産
を遺した。また,彼はデマスの未亡人と結婚した。彼は戦闘で著名になり,専
制政治に野心を懐いていると思われた。そのために追放され,流刑地に向かう
途中で殺害せよとの命令が発せられた。しかし,彼はそれを予見し,ある貧乏
な男と衣類を交換し,雇われた刺客は誤ってこの男を殺害した。彼はその後シ
チリアの奥地(内陸部)で挙兵した。それはシラクサ人をとても恐怖させ,彼
らは彼と和平を結んだ。彼は再び迎えられ(readmitted 再び認められ),彼
は自分はシラクサの民主制を侵害するようなことは一切しないということをセ
レスの神殿で誓った。(注:"prejudice" はここでは法律用語の「侵害」)

Chapter VI: Naked Power, n.12

Agathocles was a man of humble origin, the son of a potter. (Note: 
What follows rests on the authority of Diodorus Siculus. Some modern
 authorities say that he was biased, and that Agathocles was an 
admirable ruler. But it is difficult to believe that Diodorus is not
 correct as to the main facts.) Owing to his beauty he became the 
favourite of a rich Syracusan named Demas, who left him all his money,
 and whose widow he married. Having distinguished himself in war, he
 was thought to be aspiring to the tyranny; he was accordingly exiled,
 and orders were given that he should be murdered on his journey. 
But he, having foreseen this, changed clothes with a poor man, who was
 murdered in error by the hired assassins. He then raised an army in 
the interior of Sicily, which so terrified the Syracusans that they 
made a treaty with him: he was readmitted, and swore in the temple of
 Ceres that he would do nothing to the prejudice of the democracy.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_120.HTM

2)n.1352: R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.13
      https://russell-j.com/wp/?p=4703
 
3)n.1353:R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.14
          https://russell-j.com/wp/?p=4707

4)n.1354: R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.15
       https://russell-j.com/wp/?p=4709
 
5)n.1355: R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.16
      https://russell-j.com/wp/?p=4713


★「ラッセルの言葉_画像版」

 日本語 version : n.0965j-0971j を投稿
 英 語 version : n.0965e-0971e を投稿

  一つだけ再録します。n.0965j (June 23, 2019)
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j0965.html

 「個人(市民) 対 国家」

 我々は,そうした消極的な(否定的な)情緒から自由になると(解放される
と),音楽や詩を通して,歴史や科学を通して,美あるいは苦痛を通して,人
間にとって真に価値があるものは(社会的なものではなく)個人的なものであ
って、戦場や政治の衝突や外部から押し付けられた目標に向かう人間集団の連
隊行進において起こるようなものではない,ということをより十全に理解する
ことができるのである。

And when we are liberated by this negative emotion, we are able to 
realize more fully, through music or poetry, through history or 
science, through beauty or through pain, that the really valuable 
things in human life are individual, not such things as happen on a
 battlefield or in the clash of politics or in the regimented march of
 masses of men towards an externally imposed goal.
 情報源: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER18_350.HTM

 <寸言>
 権力者の多くは、自分たちの欲望・欲求を国家主義の目標に偽装し、自己利
益や権力欲を偽装したり、隠したりする。従って、国民の間に経済格差を始め
いろいろな格差が生じても、国全体の富が増えればよしとする。それが「国家
主義」(者)の本質であろう。  

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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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 今回もお休み

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 編集後記 (続報) 三浦俊彦『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』
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 三浦俊彦『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)の
発売日がせまってきました。

 アマゾンの広告では,発売予定日は当初(2019年)7月5日となっていました
が、今では7月23日に修正されています。

 ただし、7月10日頃には「大型」書店に並ぶはずだとのことです。第一刷
は部数が少ないため、アマゾンで予約されるのが確実であろうと思われます。

 増刷を予定していますが、売れ行きしだいなのでいつになるかは未定です。

 なお、朗報ですが、当初約3,000円だった価格(税込み)が約2,800円(税込
み)に値下げとなっています。 
 (松下彰良)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/490978313X =====================================

 ★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com

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