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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0638_2019/06/08 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1636〜n.1640 を発行しました。

 ・月曜日〜木曜日は『私の哲学の発展』 を
 ・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
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 今週は、優先してやることがあったため、全て『アメリカン・エッセイ集』
からの紹介となりました。そこで、今回は『アメリカン・エッセイ集』から
2つ再録します。

 (1) n.1636 (2019年6月3日 月曜日)
   
       https://russell-j.com/CRIMINAL.HTM

 ラッセル「犯罪者は一般人より悪人か?」(1931年10月29日執筆)

歴史や社会学を学ぶ者は皆,世の中に最も害悪を流す人間は刑務所に入れられ
る罪人の類(たぐい)ではなく,銅像となって馬上で雄姿を見せる種類の人物で
あるという事実を知りビックリするにちがいない。そこで,我々は,次のように
深く自問せざるを得なくなる。即ち,罪人はほかの人間にくらべて本当に悪人
だろうか? もし罪人が他の人間に比べて特により悪い人間ということでない
のなら,彼らを刑務所に追いやるような特徴としてはどのようなものがあるだ
ろうか?

 戦時中(第一次世界大戦中),私は一時期刑務所で囚人と常習的につきあっ
た経験がある(訳注:ラッセルは反戦活動のために1918年5月から9月までブ
リクストン監獄に収監された。)私は,彼らに特に嫌悪すべき点を何も発見す
ることができなかった。彼らの中には,いろいろな種類の人間がいた。法廷で
彼らの支払い能力を超えた額の支払いを命ぜられた'債務者たち'がおり,その
ために(支払えず支払わないために)'法廷侮辱罪'で刑務所に入れられていた。
'重婚'の罪に問われて刑務所に入った70歳になる裕福な盲目の弁護士がいた。
立派で正直な兵士がいた。彼は,休暇から5分遅れて軍隊にもどったことで不
当な厳しさで処罰させられ,二度と権力者たち(当局)のために戦わないと誓
った。即ち,そのことを貫くために彼は釈放されると必ずウィスキーを盗んで
いた。けれども,彼はそれもしだいにやらなくなった。それから,太って陽気で
性格のよい囚人がいた。彼は刑務所の事情に通じていて,いつも慎重に刑務所
を選んで入っていた。彼が罪を犯し続ける理由は,刑務所だけが妻から逃れる
唯一の場所であったからであった。'救世軍'の将校(幹部)を17年もやってい
た人物がいた。彼の息子は学校に遅刻したという理由で罰金を化せられた。
その将校は悪意で自分の息子に罰金が科せられたと判断し,罰金の支払いを拒
否した。けれども,彼は神の思慮深い意図により自分は刑務所に入れられたと
信じていた。このような極めつきの悪漢連中に加えて,ソヴィエト政府の関係
者3人と,(キリストの)'山上の垂訓'の教えに従うことが自分たちの務めで
あると信じていた多数の人たちがいた。(編者注:ラッセルとともに'良心的反
戦運動活動家'が多数刑務所に入れられていた。/松下注:彼らはキリストの'
山上の垂訓'「汝の敵を愛せよ」を実践したという皮肉。)私が刑務所で会った
人たちは,おおむねイギリスの一流クラブの会員よりも気持の良い連中のよう
に思えた。 けれども,犯罪を犯した人間のなかには,確かに好ましくない2つ
のタイプがある。即ち,極端に凶暴な者と,きわめて狡猾な連中である。殺人犯
と偽造犯は,この2つのタイプの代表と言ってよいだろう。'殺人犯'の場合に
は,もちろん運が悪くて殺人を犯したという要素がある。人間は誰も,殺人を誘
引する条件が十分にそろった状況においては殺人を犯しかねない。しかし,ほ
とんどの人は幸いにも決してそのような状況下におかれることはない。人を暴
力犯罪に走らせるのに必要な挑発の程度は人によってかなり異なる。御しがた
い激しい怒りは,心理学上の精神異常であるゆえに精神科医にまかせるべきで
ある。それは,悪意のものというよりは,病気の一兆候である。

 偽造犯や詐欺的な会社設立発起人は,これとは別の種類の人間である。彼ら
は,主にずっと楽天的であるという事実において,他の人間と異なっている。
性格的に彼らは,自分にとって有利な可能性を過大評価するために,他の人間と
異なり,簡単に,露見するかもしれなくても機会をのがさずにやってのける。
このような精神構造は,一つには窃盗(たとえば'万引き')における訓練で培
われるが,また一つには彼らのきわめて健康な体質による。彼らから楽天主義
と良好な消化機能を同時に取り去るには,彼らにショーペンハウエルの著書を
読ませ,'伊勢えびのサラダ'を食べさせる以外に方法がない。
 それゆえ,犯罪防止には,2つの必要不可欠な条件があることがわかる。第一
の条件は,犯罪を引き合わぬものにすることであり,これは刑法と警察に係わる
事柄(問題)である。第2の条件は,自分の利益を考えた上で行動がとれるよ
うな自制心と十分な判断力を各自に持たせることであり,これは心理学者が係
わる事柄(問題)である。しかし,いずれの場合も,道徳家の出る幕などはどこ
にもない。

Every student of history or sociology must be struck by the fact that
 the men who do the most harm are not the sort of criminals who are 
sent to prison but the sort to whom equestrian statues are put up. 
And so one is led to ask oneself in all seriousness: are criminals any
 worse than other people ? And if not, what is the peculiarity which
 leads to their being sent to prison?
 There was a period during the war when I associated habitually with
 criminals. I cannot say that I found anything peculiarly dislikeable
 about them. They fell into various classes. There were debtors who 
had been ordered by a judge to pay more than they possessed and had 
therefore been sent to prison for contempt of court. There was a rich,
 blind lawyer, seventy years of age, who had gone to gaol for bigamy.
 There was a fine, upstanding soldier who had been sentenced with what
 he thought undue severity for returning five minutes late from leave
 and had thereupon vowed that he would not do another hand's turn of
 fighting for the authorities: in order to keep this vow, he had made
 a point of stealing whisky whenever he was released from prison, 
which, however, occurred with increasing rarity. Then there was a fat,
 cheerful, good-natured fellow, who was a connoisseur in prisons and 
always chose his gaol with care; his reason for a criminal career was
 that only in prison could he escape from his wife. Then there was a 
man who had been for seventeen years an officer of the Salvation Army,
 whose boy had been fined for coming late to school; the Salvationist
 considered that the fine had been inflicted from malice and therefore
 refused to pay it ; he was, however, persuaded that the Lord had led
 him to that place for a wise purpose. In addition to these desperate
 ruffians, there were three members of the Soviet Government and a 
large number of men who considered it their duty to obey the precepts
 of the Sermon on the Mount.(Note: Some of the people imprisoned with 
Russell were conscientious objectors) On the whole, the people I met
 in prison seemed to me more agreeable companions than the members of
 the best clubs. 
 There are however, two types of criminals who certainly are 
undesirable: they are the men who are exceptionally violent and the
 men who are exceptionally cunning. Murderers and forgers may be 
taken as representing these two types. In the case of the murderer
 there is, of course, an element of bad luck ; almost anybody might
 become a murderer given sufficient provocation, but most of us have
 the good fortune never to be sufficiently provoked. Men differ 
greatly, however, as regards the degree of provocation necessary to
 lead them to crimes of violence. Ungovernable rage is a psychological
 aberration and should be treated by the psychiatrist ; it is a mark
 of disease s rather than of wickedness.
 The forger and the fraudulent company promoter belong to a different
 category; they differ from other men chiefly by the fact that they 
are more optimistic; they take the chance of detection more readily 
than other men because temperamentally they overestimate the 
probabilities in their favour. This is attributable partly to an 
education in boosting(shoplifting) and partly to unduly healthy 
grounds. The treatment to which they should be subjected is a course
 of Schopenhauwer and lobster salad, to cure them simultaneously of
 optimism and good digestion. 
 To prevent crime there are therefore two requisites : one is to make
crime contrary to self-interest, and this is a matter for the criminal
 law and the police ; the other is to give men that degree of 
self-control and sound judgement which will enable them to act in 
accordance with their own interests - this is a matter for the 
psychologist. But in neither department has the moralist anything
 useful to contribute.


 (2) n.1640 (2019年6月7日 金曜日)

 ラッセル「優等生について」(1931年11月18日執筆)
   https://russell-j.com/BEING-G.HTM

 少年と接する機会の多い人なら誰でも、いつも「良い」子でいる少年よりも
、時々「悪い」子になる少年の方が、結局は、好きになるものである。(たと
えば)教師の机を蛙で一杯にしたり、お手伝いさん(メイド)の通るところに
ネズミをおいたり、まだ熟していない果樹園のリンゴを盗んだり、サーカスが
町に来ると学校をさぼるような少年は「悪い」子としてよく罰を与えられる。
(ただしこの種の罰はありきたりで愚かなものに過ぎないが。)。しかし、もの
分りのよい教師ならば必ずこの種の「悪い」子を罰しながらも(罰しているま
さにその最中においても)、文字通り言いつけを全て守り、状況に応じていつ
も「はい」あるいは「いいえ」と模範的な返事をする「良い」子よりも好きに
なるものである。
 男の子ならば気概を持つべきであり、時と場合によっては権威(権力)に反
抗する勇気を持ち、行動の結果には責任を持つべきである、とわれわれは信じ
ている。少なくとも、良家の子弟に関してはこのように信じられている。他方
で権力者側が賃金労働者の勇気をあまり高く買わないことも確かである。

 「悪い」子が持つこの種の性質は、大人の世界においては年々ますます歓迎
されなくなってきている。ネルソン(将軍)は一生悪い子で通したし、ジュリア
ス・シーザーも同様であった。しかし、今日の若者のほとんどは、巨大な組織
の末端の地位から職業人生を始めなければならない。彼の上司が経験豊かな学
校の先生が持っている'寛容の精神の持主'であるのは稀であり、組織の中の
「良い」子に昇進の道を与えがちである。
 不幸なことに,従順という性質は創意(イニシアティブ)と指導力を持った人
間が持っていることは稀である。かなり昔、多分古代ローマの愚かな人間が、
「人の上に立つ人間はまず人に服従することを知らなければならない」と言っ
ているが、真理はそのまったく逆である。人に従うことを覚えた人間は、自分
の個人的創意を全部失うか、権力に対する怒りでいっぱいになり、破壊的かつ
残忍な人間となる。
 それゆえ、最良の人間は指導者には滅多になれない。そのような人間はたい
ていの場合、権力に服従せず、上司に批判的になり、いかなる有力な組織の一
翼をになうことをやめるであろう。
 一例として、政治機構をとりあげることができるだろう。奇妙なことではあ
るが、すぐれた政治家が国民によって選ばれるはずの民主主義国家では、政治
家(松下注:ニュアンスとしては、statesman 政治家ではなく、politician 
政治屋)は'下らない奴ら'だとほとんどの一般大衆が思っている。政治家(屋)
はあまりにもくだらない人間であるため、「政治家(屋)」という言葉は軽蔑の
ニュアンスを持つに至っている。政党の規律の硬直性(厳格さ)が、このよう
な事態の主な原因ではないかと私は思う。政党はいかなる時にも一連の見解と
政策を持ち、現役の党員はすべて、本当は別の考えを抱いていても、党の見解
と政策には忠実でなければならない。誠実さや鋭い洞察力よりも、党の綱領に
忠実であることが重視され、その結果、ひとかどの若い党員はほとんど皆、党
務全体が耐えられなくなり、指導者になる機会が生ずる前に党の実務から身を
引くことになる。
 組織が現代社会において不可欠である以上、要職にある人たちが若者のとっ
ぴな考えを大目に見る心を養わないかぎり、この不幸から抜け出す道はまった
くない。人は重要なポストにつくと忠告の言葉に耳を傾けなくなるので、自分
の考えを改める望みがなくなる。不幸なことに通例、若者の(資質や能力の)
向上は、年をとり要職についた人たちの手で行なわれている。30歳以上の人
間を学校の校長にしてはいけないと私は提案したい。しかし、この賞賛すべき
改革案が採用されることはほとんどないだろうと思う。

 Everybody who has much to do with boys comes, in time, to prefer the
 boy who is sometimes 'bad' to the boy who is invariably 'good'. 
The boy who fills the master's desk with frogs, puts mice in the way 
of the maids, steals the apples in the orchard before they are ripe 
and absents himself from class when there is a circus is a 'bad' boy 
and is likely to be frequently punished, though such punishment is 
merely a conventional folly. But in the very moment of punishing him
 any sensible schoolmaster will prefer him to the 'good' boy who obeys
 every precept to the letter and always says 'yes, sir', or 'no, sir',
 as circumstances demand.
We believe a boy ought to show spirit and should on occasion have the 
pluck to defy the authorities and take the consequences. At any rate,
 this is the belief where the sons of the well-to-do are concerned ;
 courage in wage-earners is less admired by the authorities.
The adult world is growing less and less suitable to the qualities of
 the 'bad' boy. Nelson was a bad boy to the end of his days; so was 
Julius Caesar. But nowadays almost every young man has to begin with a
 very subordinate post in some vast organisation. His superiors seldom
 have the tolerance of the experienced schoolmaster and are likely to
 give promotion to the 'good' boy.
Unfortunately docility is not a quality which is often found in the 
man capable of initiative or leadership. Some fool, long ago - 
probably a Roman - said that to know how to command, a man must first
 learn how to obey. This is the opposite of the truth. The man who has
 learnt to obey will either have lost all personal initiative or will
 have become so filled with rage against the authorities that his 
initiative will have become destructive and cruel. 
It seldom happens, therefore, that the best men rise to the top.
In the great majority of cases they will have proved themselves so 
insubordinate or so critical of their superiors that they will have 
ceased to form part of any powerful organisation.
One may take the political machine as an illustration. It is an odd 
fact that, in a democracy, where the eminent politicians are chosen by
 the people, there is almost everywhere a general agreement that 
politicians are a poor lot, so much so that the very word 'politician'
has acquired a flavour of contempt. The chief reason for this state of
 affairs, I should say, is to be found in the rigidity of party 
iscipline. A party has, at any given moment, a set of opinions and 
policies which must be adhered to by all its active members, however
 little they may agree at heart. Orthodoxy is more valued than either
 honesty or acumen, with the result that most young men who are not 
mediocre find the whole business intolerable and abandon it before 
they have had a chance to become leaders.
Since organisation is inevitable in the modern world, there is every 
no way out of this trouble except to imbue the men in important 
positions with toleration for the vagaries of the young. When men have
 already become important there is, of course, no hope of improving 
them, since they will no longer listen to advice. Unfortunately, the
 improvement of the young is generally left to those who have already
 become old and important. I can only suggest that no school should 
have a head more than thirty years of age. But I hardly expect to see
 this admirable reform adopted.


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1592〜1596 を発行しました

  以下,1つだけ再録します   n.1594/3650(2019年6月5日 水曜日) 
  R英語_類義語シリーズ r_ruigigo-d05:depressed / distressed
   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-d05.htm

★ depressed / distressed

   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-d05.htm

 最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.106-107)から

【"depressed":気分が滅入って落ち込んでいる状態を表すが,原因は外にあ
るというよりは自分にある場合が多い】
【"distressed":苦悩している状態あるいは経済的困窮状態を表し,ちゃんと
した外的な原因がある場合に使う言葉】

(1) 本書には用例があげられていません。 

(2-1) She was distressed over the decision she had to make, since 
there was no getting away from it.
[のっぴきならぬ立場で,何とか決断しなければならないことを思うと心が痛
んだ。]

(2-2) I'm deeply distressed to learn the passage of your mother.
[母上のご逝去を知り,痛恨の限りです。]


A.ラッセルの著作における用例
 
<用例1-1>
As a patriot I am depressed by the downfall of England, as yet only 
partial, but likely to be far more complete before long.
[一人の愛国者として 英国の没落に意気消沈している。まだそれは部分的なも
のであるが,遠くない将来,英国はもっとずっと完全に没落していきそうであ
る。]
 出典:ラッセル『自伝』第2巻第4章「再婚」
     https://russell-j.com/beginner/AB24-130.HTM

<用例1-2>
Even the most depressed of the unemployed, in England, have a life 
which is almost a paradise in comparison with that of the average 
Chinese peasant.
[英国においては,失業者中の最も意気消沈した者でも,中国の平均的な小農
民の生活と比べれば,ほとんど天国に近い生活を送っている。]
 出典:ラッセル『権力−新しい社会分析』第13章「組織と個人」
     https://russell-j.com/beginner/POWER13_050.HTM

<用例2>
Even enemies themselves, and every sober man, could not but pity the 
miserable condition of these distressed people.".
[味方の人々だけでなく,敵方の者たちさえも,また穏健な人々は皆,これら
の痛ましい人々のみじめな状況について憐れまざるを得なかった。]
 出典:ラッセル『権力−新しい社会分析』第6章「むきだしの権力」
     https://russell-j.com/beginner/POWER06_130.HTM


B.他の参考例

<参考例1-1>
I have never seen him so depressed as he is today.
[彼が今日ほど落胆しているのをこれまで見たことがない。]
 出典:『ジーニアス英単語2500 改訂版』, p.193

<参考例1-2>
You look rather depressed.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例2-1>
We were distressed to find that the children had not returned.
[。]
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例2-2>
If someone is distressed, they are upset or worried.
 出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
 ed.


★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1336〜1340

1)n.1336:R『権力−その歴史と心理』第5章 王権 n.7
         https://russell-j.com/CRIMINAL.HTM

2)n.1337: R『権力−その歴史と心理』第5章 王権 n.8
      https://russell-j.com/wp/?p=4645

3)n.1338:R『権力−その歴史と心理』第5章 王権 n.9
          https://russell-j.com/wp/?p=4649

 商業は,王(君主)が封建的無政府状態に対抗するのを支援(支持)したけ
れども,自分たちが十分強力だと感した時には,常に共和主義的であり続けて
きた(注:共和制は,独裁的かつ世襲的な君主を認めない政体)。それは,古
代においてそうであり,中世の北イタリア及びハンザ同盟の諸都市においても
,また,最もさかんな頃のオランダにおいても,そうであった。従って  王
(君主)と商業との同盟は不安定な同盟であった。王(君主)は「神権(王権
神授説)」に訴え,できるかぎり,自分の権力を,伝統的なものや準宗教的な
ものにしよう(注:王権は神から授けられたということにしよう)と努めた。
この点では王(君主)は部分的に成功した。チャールズ一世(注:イングラン
ド王)の処刑は,不敬と感ぜられたのであって,単に(殺人という)普通の犯
罪に過ぎないと考えられたのではなかった。フランスでは,聖ルイ(注:サン=
ルイ。ルイ九世のこと。高潔で敬虔な人格から理想のキリスト教王と評価され
た。)は伝説的な人物へと格上げされ,彼の信仰心の幾分が(王が身にまとう)
外套としてルイ十五世までも伝わり,ルイ十五世は今までどおり「最大のキリ
スト教信者の王(君主)」であった。王(君主)は,新しく宮廷貴族階級を創
り上げたので,ブルジョアジーよりは宮廷貴族階級の方を好んだ。イングラン
ドでは高位の貴族階級とブルジョアジーが結びついて,単に議会での肩書だけ
をもった王(君主)を就任させたので,王(君主)は昔の威厳のある魔術的な
属性をまったく持っていなかった。たとえば,ジョージ一世は,(昔)アン女王
にはできたところの,瘰癧(注: king's evil るいれき。リンパ腺の病気の
ことで,昔,王に触れられると治ると考えられた)を治すカをもっていなかっ
た。(また)フランスでは,王(君主)は貴族を味方に引き入れ,そうして,
王(君主)の首も貴族の首も,ともにギロチン台の下に転げ落ちた(断頭台で
断首された)。

Chapter 5: Kingly Power, n.9

Commerce, though it supported kings against feudal anarchy, has always
 been republican when it has felt sufficiently strong. It was so in 
antiquity, in the North Italian and Hanseatic cities of the Middle 
Ages, and in Holland during its greatest days. The alliance between
 kings and commerce was therefore an uneasy one. Kings appealed to 
"divine right," and sought, as far as possible, to make their power
 traditional and quasi-religious. In this they were partially 
successful: the execution of Charles I was felt to be an impiety, not
 merely an ordinary crime. In France, St. Louis was erected into a 
legendary figure, some of whose piety descended as a cloak even to
 Louis XV, who was still "the most Christian King." Having created a
 new Court aristocracy, kings tended to prefer it to the bourgeoisie.
 In England, the higher aristocracy and the bourgeoisie combined, and
 installed a king with a merely parliamentary title, who had none of
 the old magic properties of majesty: George I, for instance, could 
not cure the king's evil, though Queen Anne could. In France, the king
 won over the aristocracy, and his and their heads fell together under
 the guillotine.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER05_090.HTM
      
4)n.1339: R『権力−その歴史と心理』第5章 王権 n.10
       https://russell-j.com/wp/?p=4653

4)n.1340: R『権力−その歴史と心理』第5章 王権 n.11
      https://russell-j.com/wp/?p=4661


★「ラッセルの言葉_画像版」

 日本語 version : n.0944j-0950j を投稿
 英 語 version : n.0944e-0950e を投稿

  一つだけ再録します。n.0950j n.0950j (June 8, 2019)
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j0950.html

 「自分の偏見を充たす新聞しか読まない人たち」

 種々な意見を代表する種々な新聞があるよりも,一つの新聞が種々な政党に
種々なページを割り当てるほうが望ましいということがわかるかも知れない。
これ(この方法)は,読者はあらゆる意見を見る(see 読む/理解する)こと
ができるとともに,今日,自分と意見が一致しない新聞は見よう(読もう)とも
しない人よりも一方的な見方に陥ることがより少なくなりそうだという長所が
ある。

It might be found desirable, instead of having diffrerent newspapers 
representing different points of view, to have only one, with 
different pages allocated to different parties. This would have the
 advantage that readers would see all opinions, and would tend to be
 less one-sided than those who, at present, never see in a newspaper
 anything with which they disagree.
 情報源: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER18_260.HTM

 <寸言>
 そう、朝日、毎日、日経、読売、産経、これにNHKも加えて、各社の中堅ど
ころが集まって、「総合新聞」を創刊し、各新聞社出身の記者に自由に記事
を書かせ(ただし、fake news や偏見に満ちた記事は審査部門で最低限のチ
ェック実施)、それとは別に、各新聞社出身の中心メンバーで総合ページを
特別編集チームが執筆・掲載する方式をとるとよいのではないか? 画期的
だということで売れるような気がする。もちろん、Web版(電子版)も同記事
を提供する。 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(2) ラッセルに関する記述や発言等
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 今回もお休み

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記 イージス・アショア(迎撃ミサイル)「適地」調査の「不適切」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の秋田県への配備
計画に関する適地調査において誤り(山口他での調査も含めれば9箇所の同様
の誤り)があった問題で、岩屋毅防衛相は先日、衆院安全保障委員会で「大変
申し訳なく思っている」と陳謝。

 手違いでたまたま「9カ所全てで実際より過大な数値を出してしまった」
という説明を信じる「従順な」国民はどれくらいいるだろうか? 当初から、
山口に配備するものはグアムに向け北朝鮮から発射されるミサイルを撃ち落と
すため、秋田に配備するものはアメリカ大陸に向けに北朝鮮から発射されるミ
サイルを撃ち落とす目的のもの(即ち、アメリカのためのもの)と言われてい
た。
 つまり最初から結論ありきの候補地選定。北朝鮮からグアムに線をひくと山
口のイージス・アショアの基地の上空を通るのも、秋田経由でアメリカ本土に
線がひけるのも「たまたま」ひけるだけで「いいがかりだ」との反応?
 そうでないとしたら、調査にあたった防衛省の方々はボンクラばかりという
ことになる。国民はボンクラではないということではないが・・・。

 そうして本日、その続報が「防衛省報告書、グーグルアースプロと酷似 ★
初歩的ミスか★」という記事。 「初歩的」ミス!?

 確かに、その可能性はあるかも知れない。しかし、そうだとしたら、グーグ
ルの断面図作成機能は「強調して」作図していることは素人でもわかるはずな
ので、「防衛省はとてもいいかげんな仕事をしている」ことになる。

 秋田と山口に基地を決めるために意図的にやったにしろ、そうではなくてグ
ーグルマップの断面図作成機能を使ったにしろ、どちらにしてもいいかげん。
 「グーグルマップの断面図作成機能のあらっぽさのせい」というのがよい弁
解理由になりそうだと思いついたかも知れない、と「勘ぐる」こともできる。

 「由らしむべし知らしむべからず」(=大衆に難しいことを説明しても理解
せずに誤解する者が多いので、できるだけ大衆=国民には情報を与えないほう
が良い、との基本的考え方)。政治家だけでなく、日本全国のお偉方は、何か
問題発言をして炎上すると、「誤解を与えたというのであれば、申し訳ない」
と答えて国民の理解力の不足を暗に指摘するのが慣例となっている。
 やれやれ。 (松下彰良)
     
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 ★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
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