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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0635_2019/05/18 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記


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(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1621~n.1625 を発行しました。

 ・月曜日~木曜日は『私の哲学の発展』 を
 ・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
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 以下,『私の哲学の発展』から1つ、『アメリカン・エッセイ集』から
1つ再録します。

 (1) n.1621 (2019年5月13日 月曜日)
   『私の哲学の発展』第3章「最初の努力」n.2
       https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_03-020.HTM

(ラッセルの15~16歳の時の鍵付き日記帳から)
<1888年3月19日>

 今日は私が神の存在を信ずる理由(根拠)を書き下ろすつもりである(mean
to)。まず,私は神の存在を信じており、もし自分の信条に名前をつけなけれ
ばならないとすれば、私は自分を有神論者(a theist)と名乗るべきであろう、
といってよいであろう。さて(Now)神を信ずる理由(根拠)を見つけるに際
し,私はただ科学的な議論のみを考慮に入れることにする。これは、私の立て
た誓いであり、これを守り(保ち)かつあらゆる感情を退けることには大変な
犠牲を私に払わせる(私に大きな負荷をかける)。神(の存在)を信ずる科学
的根拠を発見するためには、我々(人間)は全ての物事の始めに戻らなければ
ならない。もし現在の自然法則が常に働いてきたとするなら(効力を持ってき
たとするならば)、現在宇宙にある(のとまったく同じ)量の物質とエネルギ
ーが常に存在してきたことになるということを,我々は(科学的知識として)
知っている。しかし、星雲仮説(the nebular hypothesis 星雲説:太陽の周囲
を回る星間物質が固まって惑星ができたという説。紆余曲折があったが、結局
、現在でも「新しい」星雲説が標準仮設となっている。)によると、全宇宙が
未分化の星雲状の物質(注:宇宙塵のようなもの)で満たされていた時期は、遠
くない過去の一時点である(注:ビッグバン理論が認められたのは,1929年の
エドウィン・ハッブによる宇宙の膨張を示す観測結果の報告であり,それまで
は定常宇宙が定説であった/従ってこの辺の記述はあくまでも当時の科学理論
を元にした考え)。従って現在存在する物質や(様々な)カがある時に明らか
に神的な力によってのみ可能な(世界の)創造(行為)があったという可能性
は十分にある(quite possible)(注:キリスト教では世界は神によって創造
されたとされる)。しかし,物質や力が常に存在してきたと仮に認めるとして
も、物質に対するカの作用(action)を規則づけている原因はどこから来てい
るのだろうか? 私は、それら(物質と力)は力を統御する神的なものにみに
起因しており,私は従ってそれを神と呼ぶ(名付ける)。

Chapter : First Efforts, n.2
(From Russell's Diary]

Eighteen eighty-eight. March 19th.

I mean today to put down my grounds for belief in God. I may say to
 begin with that I do believe in God, and that I should call myself a
 theist if I had to give my creed a name. Now in finding reasons for
 believing in God I shall only take account of scientific arguments. 
This is a vow I have made, which costs me much to keep, and to reject
 all sentiment. To find the scientific grounds for a belief in God we
 must go back to the beginning of all things. We know that, if the 
present laws of nature have always been in force, the exact quantity 
of matter and energy now in the universe must always have been in 
existence, but the nebular hypothesis points to no distant date for 
the time when the whole universe was filled with undifferentiated 
nebulous matter. Hence it is quite possible that the matter and force
 now in existence may have had a creation which clearly could be only
 by divine power. But even granting that they have always been in 
existence, yet whence comes the cause which regulates the action of
 force on matter? I think they are only attributable to a divine 
controlling power which I accordingly call God. 

 (2) n.1625 (2019年5月17日 金曜日)
  「口紅を使ってよい人 」(『アメリカン・エッセイ集』から)
   なお、全文を読みたい方は、次のページを見てください。
    https://russell-j.com/KUTIBENI.HTM

 「なんという馬鹿げた質問でしょう! 当然,現在では女性なら誰でも口紅を
使っていますよ」と、読者は言うかもしれない。しかし、少し考えなおしてみ
ると、誰にでも許されているこのことが許されていないある種の女性たちがい
まだ存在していることがわかる。口紅(訳注:「ネイル・アート」に読み替え
てみてください。)の使用を許されない女性は、どのような種類の人たちかを
考えるならば、多分、倫理上の価値に関する従来の考え方に対し、興味ある間
接照明を当てることになるだろう。

 女性の聖職者は、きちんとした人物であるべきであるとともに、南カリフォ
ルニア出身の女性は別として、男性を魅惑することを意図しているように想わ
れるようなおしゃれをしてはいけない(と考えられている)。彼女たちは、世
間に対し、無私の生活をするように熱心に説く以上、彼女らが説教しているそ
の教えを自ら実行していない明らかな印(証拠)があってはならない。(女性
の)社会福祉家は、彼女たちの資金を提供するご婦人方がみな口紅を使ってい
るにもかかわらず、口紅を使ってはいけない。病院の看護婦は、勤務中、患者
の健康以外は何も関心を持っていないように見えなければならない。そこで、
担当(監督)の看護婦長は、看護婦たちが勤務中に看護婦らしからぬおしゃれ
をしているのを発見すれば、確実に叱責するであろう。

 この奇妙なタブーの最大の犠牲者の集団は教師たちである。アメリカではど
うか実情を知らないが、イギリスにおいては、魅力的でありたいと願う女教師
に対しては世間の風当りが強い。

 このような制約の背後にある哲学(基本的な考え方)について少し考えてみ
よう。まず第一に -これは皆同意見だろうが- 教師は(生徒に対し)道徳的
に良い影響を与える人間でなければならない、と考えられている。第二に、女
教師は男性に無関心であるかまたは無関心を装わなければ道徳的に良い影響力
を発揮しえない、と考えられている。若い女性においては、これは偽善者であ
るかあるいは精神的な病いにかかっているか、いずれかを意味する。・・・。

 私は、最も望ましい人間については、これとは異なる考えを持っている。私
は、人間は陽気で元気で親切であるべきであり、ノーと言うよりもイエスと言
う傾向があるべきであると考えている。即ち、自分自身にノーと言いたがる人
たちは、おおむね、他人、特に子供たちに対してもノーという権利があると思
う傾向がある。そのようなわけで、若い人々との接触を職業にしている人たち
や、道徳の基準を守る職業についている人々の陽気さが罪と考えられてはなら
ないということは重要なことであると私は考える。

'What a silly question!' the reader may say. 'Of course, every woman 
uses lipstick nowadays.' But a little reflection shows that there are 
still some kinds of women to whom this otherwise universal toleration 
is not extended. Perhaps if we consider who the women are who are not 
allowed to use lipstick we shall get an interesting sidelight upon 
conventional ideas of ethical merit.
Female ministers of religion, while they should be neat in their 
person, should not have any such adornments as may be supposed 
calculated to attract the male sex, unless they hail from Southern 
California. While they are engaged in exhorting us to a life of 
self-denial, there should be no obvious sign that they do not practise
what they preach. Welfare workers should not employ lipstick, in spite
 of the fact that all the ladies from whom their funds come do so.
 Hospital nurses while on duty must appear to have no interest except
the health of their patients, and the Sister in charge would certainly
 reproach them if they were found unduly beautified during the hours 
of work.
The largest class of victims of this curious taboo are teachers. I do
 not know how it may be in America, but in England any female teacher
 who wishes to be not unattractive gets into hot water. 
Let us try for a moment to think out the philosophy underlying these
restrictions. In the first place, it is held - and so far we may 
agree - that a teacher should have a good moral influence; in the 
second place, it is
 held that no woman can have a good moral influence unless she is or
 pretends to be indifferent to the male sex. In a young woman this 
implies either hypocrisy or psychological ill-health. ...

For my part I have a different view as to the best sort of person. I
 think people should be jolly, and cheerful, and kindly, and more 
inclined to say 'Yes' than to say 'No'; those who say 'No' to 
themselves generally feel that this gives them a right to say 'No' to
 others, especially to children. 
For this reason I think it important that jollity should not be 
thought a crime in those whose profession it is to be in contact with
the young, and generally in those whose business it is to uphold moral
 standards.
Bertrand Russell's American Essays, 1931-1935, v.1 (1975))
 More info.: https://russell-j.com/ARTIFICI.HTM


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1577~1581 を発行しました

  以下,1つだけ再録します n.1581/3650(2019年5月17日 金曜日)
  R英語_類義語シリーズ r_ruigigo-c07: classic / classical
   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-c07.htm

★ classic / classical

    https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-c07.htm

 最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.76-78)から

【"classic":形容詞として使われる時は、"classical"とは別の意味を持つ。
即ち,"classic"は「定着して標準化されたもの」「典型的」「代表的なもの」
を言う。(古典とは余り関係がない)。】
【"classical":名詞の"classic"と直接の関係を持つ形容詞で,(1)古典に関
するもの,または問題の時点よりも以前を指す(時間的感覚で物を言う)場合
と、(2)ギリシア・ローマの歴史的作品を意味する場合、の2通りがある。ち
なみに、クラシック音楽は classic music ではなく classical music。】

(1-1) That's the classic reply to the question.
[そう質問されると,誰でも決まってそう答える。]
* 。

(1-2) This piece is a classic Fujita.
[これは藤田画伯の代表作品の一つだ。]

(1-3) That's a classic theory you'll find among the Victorians.
[ヴィクトリア王朝時代の人々の間によく見られる典型的な理論がそれだ。]

(2-1) The significance of Keynesianism is most apparent when it is 
compared with pre-Keynesian views; Keynes himself spoke of the 
'classical' theory.
[ケインズの経済理論の意義は,ケインズ以前の経済理論と比較すると最も明瞭
になる。ケインズ自身,'classical'理論という言葉を使っている。]

(2-2) Ulysses is supposed to be Tennyson's best known classical poem.
[ユリシーズはギリシア・ローマの古典を題材にしたテニスンの一連の詩の中
で最も有名なものである。]

(2-3) That's a classical theory attributed to the Victorians.
[それは,ヴィクトリア王朝時代の人々が建てたとされている,ギリシア・ロ
ーマ古典学理論の一形式だ。]

A.ラッセルの著作における用例
 
<用例1-1>
The classic example of subjectivity is Don Quixote.
[主観主義(主観的な態度や生き方)の古典的な例はドン・キホーテである。]
 出典:ラッセル『教育論』第三部_知性の教育_第16章「大学入学前の数年間
:後期中等教育」
     https://russell-j.com/beginner/OE16-070.HTM

<用例1-2>
The same thing occurs, though less frequently, with men; the classic 
example is the hero of that remarkable novel "Liaisons Dangereuses " 
which describes the love affairs of French aristocrats just before the
 Revolution.
[同じことは,より頻度は少なくなるが,男性の場合にも起こる。注目すべき例
(代表的な例)は、フランス市民革命直前に起こったある恋愛事件を描いてい
る『危険な関係』(Les Liaisons Dangereuses)の主人公(注:ヴァルモン子爵)
である。]
 出典:ラッセル『幸福論』第1章「不幸の原因」
     https://russell-j.com/beginner/HA11-030_2.HTM

<用例2-1>
A classical education is almost entirely critical : a boy learns to 
avoid mistakes, and to despise those who commit them.]
[古典教育(注:ギリシア語及びラテン語の教育)は,ほとんどまったく批判的
なものである。即ち,少年は,誤りを避けることと,誤りを犯す人びとを軽蔑す
ることを学ぶ。]
 出典:ラッセル『教育論』第二部_性格の教育_第6章「建設的であること」
     https://russell-j.com/beginner/OE06-060.HTM

<用例2-2>
Classical physics - a system now abandoned - worked with the 
assumption of particles that persist through time. .]
古典物理学は -現在は放棄された体系であるが- (時間の流れを越えて)永
続する粒子の仮定と連携していた。]
 出典:ラッセル「精神と物質(心と物)」
     https://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter120.HTM


B.他の参考例

<参考例1-1>
"Hamlet" is Shakespeare's classic work.
[「ハムレット」はシェークスピアの代表的作品です。]
 出典:『VITAL 3000 英単語・熟語』, p.153

<参考例1-2>
Lewis Carroll's classic children's stories
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, p.153

<参考例2-1>
classical education
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例2-2>
Classical is used to describe things which relate to the ancient Greek
 or Roman civilization.
 出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new 
ed.


★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1321~1325

1)n.1321:R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.22
         https://russell-j.com/wp/?p=4582

 ローマン・カトリック教会の「大分裂」(The Great Schism)は,教皇に対し
て敬意を払うことをなおいっそう困難にした。それは,教皇としての権利を持
っていると主張する二派のどちらが正統的なものか(合法的なものか)誰もわ
からず,両者が他方の教皇を破門にしたからである。この大分裂(の期間)全
体を通して,二人の競合者はお互いに教化的でない(非道徳的な)権力への執
着を示し(howed an unedifying tenacity of power),最も厳粛である誓い
(宣誓)をさえ拒絶するに及んだ(広がった)。多くの国々で,国家と(それぞ
れの国の)カトリック教会は,一致して,両教皇に対する服従を撤回した。
ついには(at length),カトリックの公会議(注:カトリックの全体集会)
の開催のみがこの問題を解決することができるということが明らかになった。
「ピサ公会議(総会)」は,見当違いにも,二人の教皇を異端として宣言した
けれども,二人の教皇を排除に成功することなく,ただ単に第三の教皇を創り
出しただけあった。「コンスタンス公会議」は,ついにこれら3人の教皇を取
り除くことに成功し,統一を回復することができた。しかしこの闘争は,教皇
権に対する伝統的な敬意を破壊した。この混乱の期間の最後の時期に,ウィク
リフ(注:John Wycliffe, 1320年頃~ 1384年 イングランドの宗教改革の先
駆者でオックスフォード大学教授)は,教皇権について次のように言うことが
可能となっていた。

「そのような悪魔(注:教皇)を排除することは,カトリック教会にとって,
害ではなく,むしろ有益であろう。カトリック教会がこの悪魔を打ち倒すため
に働くことにおいて,教会は,神の(大義の)ために,熱心に働いていること
になるであろう。

Chapter IV: Priestly Power, n.22

The Great Schism made it still more difficult to reverence the Pope, 
since no one knew which of the claimants was the legitimate one, and 
each claimant anathematized the other. Throughout the Great Schism, 
each of the two rivals showed an unedifying tenacity of power, 
extending to repudiation of the most solemn oaths. In various 
countries, the State and the local Church, in unison, withdrew 
obedience from both Popes. At length it became clear that only a 
general council could end the trouble. The Council of Pisa, 
misguidedly, merely created a third Pope without successfully 
getting rid of the other two, although it pronounced their 
deposition as heretics; the Council of Constance at last succeeded
 in removing all three and restoring unity. But the struggle had
 destroyed the traditional reverence for the Papacy. At the end of
 this period of confusion, it had become possible for Wyclif to say
 of the Papacy :

"To get rid of such a demon would not harm the Church, but would be
 useful to it; in working for his destruction, the Church would be
 working solicitously for the cause of God."
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER04_220.HTM

2)n.1322: R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.23
      https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_03-030.HTM

3)n.1323:R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.24
          https://russell-j.com/wp/?p=4590
      
4)n.1324: R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.25
       https://russell-j.com/wp/?p=4593

4)n.1325: R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.26
       https://russell-j.com/wp/?p=4600


★「ラッセルの言葉_画像版」

 日本語 version : n.0923j-0930j を投稿
 英 語 version : n.0923e-0930e を投稿

  一つだけ再録します。n.0913j (May 2, 2019)
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j0924.html

 「権力の追求」

 けれども,手段として権力を望むことと,権力それ自体を目的として望む
こととでは,大きな相違がある。手段として権力を望む人は,最初に(権力
自体以外の)何らかの他の欲求をもっており,それから次に、その欲求を達
成することができる地位(position 立場)に自分がいたらよいのにと願うよ
うになる(導かれる)。(これに対し)権力(自体)を目的として欲する人
は,権力を獲得する可能性によって,(自分の)目標を選択するであろう。

There is, however, a great difference between power desired as a 
means and power desired as an end in itself. The man who desires
 power as a means has first some other desire, and is then led to
 wish that he were in a position to achieve it. The man who desires
 power as an end will choose his objective by the possibility of 
securing it.
 情報源: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER17_020.HTM

 <寸言>
 自分の支持者が反対することはひかえるが、そうでなければ、(自分も
より大きな権力を獲得するために)現時点で自分よりもずっと大きな権力
を持ってい者につき従う。自分は原発に反対でも権力者が推進あるいは維
持であれば自分の意見も「ほぼ」同じだという振りをする。 

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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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 今回もお休み

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 編集後記 世論調査ー特に政治に関するNHK世論調査についての疑問
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 いろいろな媒体が政治や時の政権に関する世論調査の結果を、定期的に、
あるいは何か大きな出来事があった後に、調査し、公表している。

 世論調査の項目や聞き方や聞く対象のサンプルの取り方などは、変更する
と前回以前の調査との比較ができなくなるために、長い間変わっていない。
だから、聞き方が古臭いと思ったり、聞く方法は少し変えたりしないとまず
いのではないか、果たして実態を正確に反映しているのだろうか、といった
疑問が時々湧いてくる。

 たとえば、最近は自宅の固定電話はほとんど使わなかったり、撤去したり
して、家族が個人ごとにスマホを持つ人が増えてきている。そんな時代にお
いて聞く対象として、固定電話とスマホの割合はどうしたらよいだろうか?
 TVでも新聞でも、媒体によってアンケートの集計方法が異なるので、たと
えば政党の支持率や政権の支持率が大きく異なったりする。できるだけ細か
く分けて聞こうとするマスコミがあるかと思えば、できるだけ Yes、No に
はっきりわけて聞こうとするマスコミがある。従って、産経新聞と朝日新聞
とでは結果が随分違ったりする。

 あくまでも大体の傾向を示しているだけだと割り切ればよいのかも知れな
いが、何かバイアスや忖度がかっていないか不審に思うことも時々ある。
 たとえばNHK世論調査結果における政党支持率や内閣支持率に関する説明。
 5月13日にNHKニュースで報じられた政党支持率の調査結果は以下の通り
だった。
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190513/k10011914661000.html

 自民 35.2% 立民 4.8% 国民 0.7% 公明3.1%
 共産  3.2% 維新 2.9% 社民 0.6% ★特になし 40.2%

 普通、上記のものを合計すると100%になるだろうと思い、計算してみる
ようなことはしない。しかし、念のためにということで計算すると90.7%
になる。実に9.3%が行方不明になっている。その理由が過去に説明さ
れたことがあるのかも知れないが、毎回説明すべきであろう。
 一つ考えられるのは、電話で聞いたが回答を拒否した人が約1割近くあ
ったということかも知れない。しかし、その場合は、それを除いて、%を
計算すべきではないだろうか? 維新が多すぎるのもちょっと不思議・不
審にも思うが・・・? (松下彰良)
 日本語版 https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j-today.html
 英語版  https://russell-j.com/smart_r366/r366g_e-today.html

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 ★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com

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