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■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン no.0634_2019/05/11 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行) バートランド・ラッセルのポータルサイト: https://russell-j.com/index.htm 同上 スマホ用メニュー : https://russell-j.com/index.html 初心者向けページ: https://russell-j.com/beginner/ R落穂拾い: https://russell-j.com/beginner/ochibo-2013.htm R落穂拾い(中級篇): https://russell-j.com/cool/br_inyo-2013.html R関係文献紹介: https://russell-j.com/cool/kankei-bunken_shokai2013.htm 「ラッセルの言葉366(Word Press 版)」: https://russell-j.com/wp/ 「ラッセルの言葉366(短文篇)」: https://russell-j.com/beginner/sp/BR-KAKUGEN.HTM 「ラッセルの言葉366_画像版」: https://russell-j.com/smart_r366/br366g-j_home.html https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j-today.html R英単語・熟語_総索引: https://russell-j.com/beginner/reitan-idx.htm Twitter : https://twitter.com/russellian2 ★Rホームページ利用制限コンテンツ閲覧用パスワード: 1872Y0518 ポータルサイト専用掲示板: http://249.teacup.com/bertie/bbs Blog 1 (Google Blogger): http://russell-j.blogspot.com/ Blog 2 http://365d-24h.jp/ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ [★投稿歓迎:ラッセルに関係するものであれば,ご意見,ご要望,エッセイ, ちょっとした情報提供等,何でもけっこうです。投稿は, matusitaster@gmail.com 宛,お願いします。 ◆◆◆ ◆お願い◆ アマゾンで買い物をしている方も多いと思われます。 ◆◆◆ ラッセルのポータルサイト(トップページ)の検索ボックス経由ある いは,ポータルサイトに掲載した個々のアマゾン商品のリンク経由で ご購入いただければ幸いです。(PCを起動した後,最初にクリックし たのがラッセルのポータルサイト上のアマゾンの個別商品のリンクで あれば,アマゾンのどの商品を購入されても大丈夫です。) 収益はラッセルのホームページのメンテナンス費用や早稲田大学のラ ッセル関係資料コーナ寄贈資料の購入に充当させていただきます。] ■ 目 次 ■ (1)ラッセルの著書及び発言等からの引用 (2)ラッセルに関する記述や発言等 編集後記 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (1) ラッセルの著書や発言等から ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」 n.1617~n.1621 を発行しました。 ・月曜日~木曜日は『私の哲学の発展』 を ・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。 =============================== 以下,『私の哲学の発展』から1つ、『アメリカン・エッセイ集』から 1つ再録します。 (1) n.16174 (2019年5月7日 水曜日) 『私の哲学の発展』第3章「最初の努力」n.1 https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_03-010.HTM 私は15歳の時に哲学的問題について考え始めた。その時から、3年後にケン ブリッジ大学に行くまでの間、私はただひとりで(孤独に),全く素人風に考 え続けた。というのは、トリニティ学寮(注:ケンブリッジ大学の学寮の一つ /「学」寮は単なる「寮」施設ではなく,教師 tutor もいる,住み込みで勉 強するところ)に入る前の最後の数ケ月間にJ. S. ミルの『論理学』を読むま では、哲学書をまったく読まなかったからである。私の時間の大部分は数学に 費やされ、そうして数学が私の哲学的思索の試みを大いに支配したが,私の思 索(思考)を駆動した(駆り立てた)感情的推進力は主として宗教の根本的な ドグマ(教義/教理)についての疑問であった。私が自分の神学上の(いろいろ な)疑問(疑い)に注意を払ったのは、それまで宗教に慰め(comfort 精神的 心地よさ)を見出していたためだけでなく、それらの疑問(疑い)を人に打ち 明けたら(if I revealed them)、(それを聞いた)人々に苦痛を与え、また それらの人々の嘲笑を招くであろうと感じたためであった。そうして,それゆ えに,私はとても孤立し、孤独になった。私は自分の16歳の誕生日の直前及び 直後に、人に知られないようにギリシャ文字と表音式綴り法(phonetic spelling)とを使って、自分が信ずることと信じないこと書き記した。以下は ,そういった内省(reflections 熟考,省察)のなかからいくつか抜粋したも のである。 <1888年3月3日> 私は(これから/今から)私の興味を引くいくつかの主題(subjects テーマ) 、特に宗教に関する主題について書くことにする。私は,(私をとりまく)様 々な環境(事情)の結果として、自分がその中で育てられてきた宗教のまさに その基礎について吟味しようとするに至った(至っている) 私は今私の興味 をひく或る種の問題、特に宗教の問題について書くことにする。さまざまな事 情の結果、私は自分がその中で育てられてきた宗教の基礎そのものを吟味しょ うとするにいたった。ある点においては、私の達した結論は以前の自分の信条 を確証する結果となったが、他の点については、家族にショックを与えると思 われるだけでなく、自分自身に多くの苦痛を与えたところの結論に、抗しがた いほどに(irresistibly)導かれた。私はごくわずかの事柄においてしか確実 な結論に達しなかったが、私の意見は、確信がない場合でさえも、いくらかの ことに関してはほとんど確信に近いものである。私は自分がほとんど不死を信 じないことを家族に語る勇気を持っていない。 Chapter 3: First Efforts, n.11 I began thinking about philosophical questions at the age of fifteen. From then until I went to Cambridge, three years later, my thinking was solitary and completely amateurish, since I read no philosophical books, until I read Mill's Logic in the last months before going to Trinity. Most of my time was taken up by mathematics, and mathematics largely dominated my attempts at philosophical thinking, but the emotional drive which caused my thinking was mainly doubt as to the fundamental dogmas of religion. I minded my theological doubts, not only because I had found comfort in religion, but also because I felt that these doubts, if I revealed them, would cause pain and bring ridicule, and I therefore became very isolated and solitary. Just before and just after my sixteenth birthday, I wrote down my beliefs and unbeliefs, using Greek letters and phonetic spelling for purposes of concealment. The following are some extracts from these reflections. Eighteen eighty-eight. March three I shall write about some subjects, especially religious ones, which now interest me. I have, in consequence of a variety of circumstances, come to look into the very foundations of the religion in which I have been brought up. On some points my conclusions have been to confirm my former creed, while on others I have been irresistibly led to such conclusions as would not only shock my people, but have given me much pain. I have arrived at certainty in few things, but my opinions, even where not convictions, are on some things nearly such. I have not the courage to tell my people that I scarcely believe in immortality. . . . (2) n.1620 (2019年5月10日 金曜日) 「人為性称賛(人為性と自然) 」(『アメリカン・エッセイ集』から) なお、全文を読みたい方は、次のページを見てください。 https://russell-j.com/RONEN.HTM 過程(プロセス)に喜びがあるところにはスタイルがあり,生産活動はそれ自 体美的特質を持つに至るだろう。しかし,人間が機械に同化し,仕事自体ではな く仕事の結果のみを価値あるものとするならば,スタイルは消え,機械に同化し た人間には(同化していない人間)より自然に思えるが,実際はただずっと野蛮 なものがそれに取って代わる。 このような不運は,人間が機械化されるにつれて避けられないものであろう か? 私はそうは思わない。我々は今まで余りにも仕事に支配され続けており ,肉体労働や頭脳労働の束縛からの解放手段として機械を十分に活用してこな かった。我々はその気になれば,もっと余暇が持てる。(また)我々は皆,その気 になれば,子供を軍隊組織の便利な構成単位(歯車)にしてしまわないで,彼ら の衝動に芸術的表現を与えることができるように教育できる。そうしないのは ,我々は美よりも力(権力)を愛するからである。しかし,ひたすら権力のみを 追及することが幸福への最良の道であろうか。人間性には他に色々な要素があ り,それらは少なくとも同等に尊重されるべき価値がある。機械時代がそれら の人間性の諸要素にも然るべき場所を与えるようになるまでは,新しい文明は 完全に正常だとは言えないだろう。 Where there is delight in a process, there will be style, and the activity of production will itself have aethetic quality. But when men assimilate themselves to machines and value only the consequences of their work, not the work itself, style disappears, to be replaced by something which to the mechanised man appears more natural, though in fact it is only more brutal. Is this misfortune inevitable as men become more mechanised? I do not think so. We have allowed ourselves to be too much dominated by work and have not sufficiently used machines as a means of liberation from the thraldom of manual and mental labour. We could, if we chose, all have more leisure. We could, if we chose, educate our children so as to enable them to give artistic expression to their impulses, rather than so as to be convenient units in a regiment. We do not do this because we love power more than we love beauty. But I doubt whether the exclusive pursuit of power is the best road to happiness. Human nature contains other ingredients, which are at least equally worthy to be honoured. Until the machine age learns to give them their due place, the new civilisation will not be completely sane. Source: "In praise of artificiality" (In: Mortals and Others: Bertrand Russell's American Essays, 1931-1935, v.1 (1975)) More info.: https://russell-j.com/ARTIFICI.HTM ■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」 n.1573~1576 を発行しました 以下,1つだけ再録します n.1576/3650(2019年5月10日 金曜日) R英語_類義語シリーズ r_ruigigo-c02: care / mind https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-c02.htm ★ care / mind 最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.67-68)から 【"care":肯定的に「気にかける」こと。】 【"mind":否定的に「気にかける」こと,つまり,「嫌がる」あるいは「気に する」こと。】 (1-1) Do you care to meet him. [よろしければ)彼をご紹介しましょうか?] * Do you like to meet him? とほぼ同じ意味であり,紹介してほしければ 「Yes, please」,紹介してほしくなければ「No, thanks」 (1-2) She writes with care. [彼女は心をこめた文章を書く。] (2) Do you mind sitting next to him? [あの人の隣に席をとってかまいませんか?(=あの人の隣ではお嫌ですか?)] * この場合、Yes というと「いやです(Yes, I do mind)」ということになる。 A.ラッセルの著作における用例 <用例1-1> Gradually, however, I became increasingly turbulent, because I felt that she did not care for me as much as I cared for her. [けれども,徐々に,私が彼女のことを思うほど彼女は私のことを思っていない ということを感じとり,私の感情はますますかき乱されていった。] 出典:ラッセル『自伝』第1巻第7章「再びケンブリッジへ」 https://russell-j.com/beginner/AB17-060.HTM <用例1-2> Those whose outlook on life causes them to feel so little happiness that they do not care to beget children are biologically doomed. [自らの人生観のためにほとんど幸福が感じられなく,子供をもうける気になれ ないような人たちは,生物学的に見て不幸な結末を運命づけられている。] 出典:ラッセル『自伝』第3章 競争 https://russell-j.com/beginner/HA13-050.HTM <用例2-1> There was only one thing that made me mind being in prison, and that was connected with Colette.] [自分が獄中であることを嫌に思った(←嫌だと思わせた)ことがたった一つ あった。それはコレットに関係したものであった。] 出典:ラッセル『自伝』第2巻第1章「第一次世界大戦」 https://russell-j.com/beginner/AB21-310.HTM <用例2-2> If I had been adequately endowed with a sense of humour, I should not have minded this, but, alas, I am that extremely rare being, a man without a sense of humour. [私に十分なユーモアのセンスがあったならば.私はこのようなことにこだわら なかっただろうが、不幸にして私はユーモアを解せない、極端に希少な存在で ある(注:冗談です)。] 出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「ユーモアのセンス」 https://russell-j.com/HUMOUR.HTM B.他の参考例 <参考例1-1> I don't care how much it costs. I'm going to buy it anyway. [いくらかかってもかまいません。とにかくそれを買うつもりです。] 出典:『ジーニアス英単語2500 改訂版』, p.70 <参考例1-2> The only thing he cares about is money. 出典::Longman Dictionary of Contemporary English, new ed. <参考例2-1> I don't mind doing the laundry. [私は洗濯をするのは嫌いではない。(この場合は、「mind to do」は使えな い)。] 出典:『キクタン TOEIC TEST SCORE 800』p.419 <参考例2-2> Do you mind if I smoke here. [ここで煙草を吸っていいですか?] 出典:『ジーニアス英単語2500 改訂版』p.12 ★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1317~1320 1)n.1317:R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.18 https://russell-j.com/wp/?p=4566 教皇権と皇帝フリードリッヒ二世との間の長期の争いの中で,最終的に教皇 が勝利を得たのは,主として,二つの理由のおかげである。(即ち)一つは, ロンバルディアだけでなくトスカーナ(Tuscany)も含めた,北イタリアの商業 精神(利益追求の精神)を持った諸都市が封建制度に反対したからである。も うひとつは,フランシスコ会の人々によってかきたてられた敬虔な熱意があっ たからである(as well as の用法について。 https://www.enago.jp/academy/as-well-as/ )。 聖フランシスコ(注:アッシジのフランチェスコ, 1182-1226:フランシスコ会 の創設者/日本のカトリック教会ではアシジの聖フランシスコと呼んでいる。 )は使徒的な清貧と普遍的な愛を説いた。しかし,彼の死の数年たたずして, 彼の信奉者たちは,教会財産を守るのための激しい戦争において(いわゆる) 新兵を補充する代理下士官として活動していた。皇帝が敗北をしたのは,主と して,彼が自分の大義(主義主張)に敬虔なあるいは道徳の衣を着せることが できなかっからである。 同時に,この争いを通じて教皇が採用した戦時措置(war measures)は,多 くの人々を,道徳的理由で,教皇権に対して批判的にさせた。皇帝フリードリ ヒ二世が死ぬまぎわまで争っていた教皇イノセント四世について,『ケンブリ ッジ(大学)中世史』(第6巻p.176)は次のように述べている。 「教皇イノセント四世の教皇権についてのの考えかたは,彼以前のどの教皇の 考えよりも世俗的なものであった。彼は自分の弱点を政治上のものだと考えた から,その矯正策もまた政治上のものであった。彼は精神的な影響力を使い, 常に,味方を買収し,敵を傷つけ,その無節操さによって,いたるところに教 皇権に対する敬意の消えうせた敵意をかきたてた。彼が特免(特別な恩赦)を 行えば,それはスキャンダル(醜聞)となった。彼は自分の霊的義務及び地方 的な権利を軽視して,教会の基本財産を,教皇の収入及び政治的報償の手段と して使った。聖職禄(給)付きの聖職が一つに対し,続々と,4人の教皇候補 者が出てきたものである。そのような制度にあっては,誤った任命が多くなさ れるのは自然な結果であった。その上,戦争と外交のために選ばれた教皇の使 節は,どちらかと言えば,まったく俗物的な人格(性格)の者であった(が選 ばれた)。・・・。自ら招いた教皇権の威信と精神的影響力の喪失については 彼は気づかなかった(無意識であった)。彼は良い意図をもっていたが原理原 則は持っていなかった(欠けていた)。勇気や無敵の決断力や抜け目のなさを 備えていたが,彼の冷酷な平静さは,大惨事あるいは幸運によってはめったに 揺らぐことはなく,そうして,彼は,ずるがしこい不実さをもって,辛抱強く 自分の目的を追求していき,そのことは(カトリック)教会の水準(道徳的水 準)を低下させた。彼がいろいろの出来事に及ぼした影響力は実に大きなもの があった。彼は神聖ローマ帝国を傾かせ,教皇権の衰退の端緒をつくり,イタ リアの運命を形作ったのである。 Chapter IV: Priestly Power, n.18 In the long contest between the Papacy and the Emperor Frederick II, the ultimate victory of the Pope was due, in the main, to two causes: the opposition of the commercially minded cities of North Italy, Tuscany as well as Lombardy, to the feudal system, and the pious enthusiasm aroused by the Franciscans. St. Francis preached apostolic poverty and universal love; but within a few years of his death his followers were acting as recruiting sergeants in a fierce war to defend the property of the Church. The Emperor was defeated largely because he was unable to clothe his cause in a garb of piety or morality. At the same time, the war measures adopted by the Popes during this struggle made many men critical of the Papacy on moral grounds. Of Innocent IV, the Pope with whom Frederick was contending at the time of his death, the Cambridge Medieval History (Vol. VI, p. I76) says: "His conception of the Papacy was more secular than any other Pope's before him. He viewed his weakness as political and his remedies were political. He used his spiritual powers constantly to raise money, buy friends, injure foes, and by his unscrupulousness he roused a disrespectful hostility to the Papacy everywhere. His dispensations were a scandal. In contempt of his spiritual duties and of local rights, he used the endowments of the Church as papal revenue and means of political rewards : there would be four papal nominees waiting one after another for a benefice. Bad appointments were a natural consequence of such a system ; and, further, legates chosen for war and diplomacy would more likely than not be thoroughly worldly in character.... Of the loss of prestige and spiritual influence occasioned by him Innocent was unconscious. He had good intentions, but not good principles. Endowed with courage, with invincible resolution, with astuteness, his cold equanimity was eldom shaken by disaster or good-fortune, and he patiently pursued his ends with a cunning faithlessness which lowered the standards of the Church. His influence on events was enormous. He wrecked the Empire; he started the Papacy on its decline; he moulded the destinies of Italy." 出典: Power, 1938. 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER04_180.HTM 2)n.1318: R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.19 https://russell-j.com/wp/?p=4569 3)n.1319:R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.20 https://russell-j.com/wp/?p=4572 4)n.1320: R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.21 https://russell-j.com/wp/?p=4576 ★「ラッセルの言葉_画像版」 日本語 version : n.0908j-0922j を投稿 英 語 version : n.0908e-0922e を投稿 一つだけ再録します。n.0913j (May 2, 2019) https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j0913.html 「同情心/思いやりの限界」 同情(心)は,ある程度まで,本能的なものである。(たとえば)子供は他 の子供が泣けば悲しくなることがある。しかし,同情(心)の限界もまた自然 である。猫は鼠に同情(心)を持たない。ローマ人は象以外の動物に対しては まったく同情(心)を抱かなかった。ナチスはユダヤ人に対しては同情(心) をまったく持たなかった。スターリンは富農(kulaks)に対してまったく同情 (心)を抱かなかった。 Sympathy is in some degree instinctive : a child may be made unhappy by another child's cry. But limitations of sympathy are also natural. The cat has no sympathy for the mouse; the Romans had no sympathy for any animals except elephants; the Nazis have none for Jews, and Stalin had none for kulaks. 情報源: Power, 1938. 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER15_250.HTM <寸言> 自分と同じ階層や自分よりも高い階層の人たちに対しては「感情豊かで」 「思いやりがある」と言われる人でも、自分の階層より下の(自分が下位だと 思う)人たちに対しては「冷淡」だったり「思いやりがない」人はめずらしく ない。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (2) ラッセルに関する記述や発言等 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 今回はお休み ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 編集後記 令和小咄3つ:「女性皇族より片山さつき大臣の方が偉い?」ほか ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (1)小咄1 <女性皇族より片山さつき大臣の方が偉い?> 皇室の"伝統"により「剣璽(けんじ)等承継の儀」には皇后を始め女性皇族 は立ち会えうことはできないが、内閣のメンバーなら立ち会うことができると いうことで、片山さつき地方創生相は出席。 皇室の"伝統"を尊ぶ保守層や右翼は、皇后はだめだが片山さつき大臣は立ち 会うことができる(できた)というのを「パロディ」だと感じないのか? そんな感受性は持ち合わせていない? (2)小咄2 <権力が不当なものになる時> その権力が不当であるかどうかは、支配を受ける者しかわからない。権力に 対抗し、新しい権力者にのしあがった者は「反権力」の重要性を忘れる。自分 の「反権力」は正しいと思うが、いったん自分が権力者になると(自分たちに 逆らう)「反権力」は社会をみだすものだとして、取りしまる。 たとえていえば、安倍政権は「改憲」をさけび、憲法に違反するようなこと を自分でやっておきながら、現行憲法は「実情にあわなくなってきているため に改正が必要だ」と主張する。しかし、万一改憲に成功すれば、今度は「憲法 を守れ」ということで、「改正憲法」に抗議する者に対してはいろいろな不利 益を与えるだろうことが予想される。 https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j0915.html (3)小咄3 <某総理の「令和時代」の方針> 1.気に入らないものがあれば修正(統計データ、公文書 2.気に入るものがなければ作成(不正統計、元号案の追加) 3.知られてはいけないものがあれば隠蔽(秘密保護法) 4.公開請求され、開示しなければならなくなったら「海苔弁」化(プライバ シー保護の名目) 5.追求されて返答に困ったら「記憶にありません」と返答(これならどんな ことでも嘘をついたことにはならない。) 6.権力維持のためなら、天皇制、イベント創生(オリンピック、万博)、タ レントなどの人気者、(電波法を盾にした)報道規制(特にNHK)、その他、 利用できるものは何でも利活用 10個に増やして、安倍天皇版「五箇条の御誓文」にするとよい?日本語版 https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j-today.html 英語版 https://russell-j.com/smart_r366/r366g_e-today.html ===================================== ★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし) ■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com ■登録・解除・変更はこちら: https://russell-j.com/R3HOME.HTM ■WEBサイト: https://russell-j.com/ ( top page: https://russell-j.com/index.htm ) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |